2008.07.15

篤姫紀行!だわ

7/14(月)はれ一時大雨
 この数日、いろいろあった。
 仕事もしっかり頑張った。そのぶんブログが滞った。失礼しました。

 12日(土)は、大谷大学の生涯学習講座で烏丸北大路付近を巡検。
 あつい中、60人ぐらいご参加。
 「がまん大会だ」といった人があったが、よくもどなたも倒れることなく。

 鞍馬口に「是より洛中」標石がほしいですね、賛同されませんか、といったら、終了後、4人の方から寄付の申し出があった。けっこう感激。
 ありがとうございます。

 すぐには無理ですが、かならず実現にむけて進みます。

 建設準備中の某碑もまもなく除幕式です。
 たいへんなことになろうとしていますが、それままた後日。

 13日(日)は、木屋町二条の広誠院で長州屋敷と幕末史のおはなしをする(京都民報主催)。
 こちらは23人のご参加。

 名古屋方面や山口県周南市からおこしの方がおられ、恐縮。
 しかも周南市の方は、ぼくの知らない史料多数ご存じで、いっぱいいろいろ教えていただく。ありがたかったです。
 来月、現物拝見に山口市へいこうとその場で決めた。

 京都民報主催の講座は、来週7月18日(土)もあります。こんどは巡検です。
 くわしくは過去のブログをごらんください。

 本日は大谷大学(こちらは通学、学部生)でまた巡検。
 堀川や小川の旧河道をあるく。

 地形に痕跡が露骨に残っている。
 そこに建つ家は将来洪水がきたら、やられる可能性が高い。
 明日生きるために地理の教養はとても大事なことを伝える。

 午後から銀行いったり、寺町姉小路の高級感あふれるところにいったり、錦小路の薩摩屋敷跡で興味深い電話がかかってきたり、京都有数の企業の食堂に入って「家族に代わって」お礼行ったり、あさって閉店するなじみの店へ最後の来客になりにいったり、某ルームでやはりあさって最終締め切りの原稿を打ったりする。

 最後につかれはてて、いつもの木屋町三条「龍馬」に行き、「本日のええはなし」を伝える。
 終電で帰宅。

 家かえって、また仕事。
 多数のメールがきているのだ。そのお返事も。

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2008.07.07

風邪にたおれる

7/6(日)はれ
 風邪で寝込みました。

 せねばならぬ仕事がありましたが、じっとしていました。
 救援部隊がおこしくださいました。
 ありがとうございました。

 市販の薬でしたが、飲みまして、効いてまいりました。
 ビタミンを取れと、果物も運ばれました。
 素直に食べました。

 夜、楽になったので、大河「篤姫」をみました。
 すてきな夫婦になってきたところで、家定死ぬのですね。
 気の毒なことです。

 もちろんフィクションだらけで、史実考証上のコメントはいたしません。

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2008.06.22

江ノ島で京都の篤姫をかたり日帰り

6/20(金)くもり
 朝9時、同志社大学に出講。

 昨日のこと伝える。
 喜んで受け入れたもよう。
 帰ってきてよかったと思えた。
 ありがとうございます。

 長井雅楽の航海遠略策と、島津久光の東上を論じた。
 
 その足で京都駅へ。
 江ノ島へむかう。

 午後2時すぎ、江ノ島で「篤姫の京都」論。
 不思議な活動。

 江ノ島は初めて。
 龍の口の日蓮聖蹟、龍口寺の前をとおりながら参拝できなかった。残念。

 宿泊せず、すぐ帰路につく。 

 もっともちかい新幹線駅は「小田原」だと知り、そこから乗るが、失敗だった。
 
 こだましか停まらない。名古屋まで2時間もかかってしまう(のぞみなら新横浜・京都間が2時間)。
 しかも超満員で自由席が座れない。

 たっていられないので、やむを得ずグリーン車に乗った。

 すばらしい。
 静かだ。
 勉強する気になる。
 長旅が楽しくなった。

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2008.05.09

篤姫のみた京都・伏見、を追っての掲載紙を入手

5/8(木)はれ
 午後から京都新聞文化センターに出講。
 また「篤姫」。

 篤姫は家定の妻としての顔ばかり知られ、次代将軍家茂の「母」としての姿があまり知られていない。

 これに注目されたのが、藤田英昭さん(徳川記念財団)「上洛中の家茂の早期帰還を求め大奥移転計画を阻止!?」(歴史群像シリーズ『篤姫と大奥』学研、2007年、70~73ページ)である。

 今回はこれをもとに展開させていただいた。

 文久3年上半期の家茂宛篤姫書簡を2通朗読する。
 政治的なことはまったくふれず、ただ家茂の大事を願い、一刻も早い江戸帰城を願う。
 ドラマが描くような政治にも関心がふかい人物にはとてもみえない。ただ「母」の姿でしかない、というようなことを述べる。

 上記書簡の釈文は大阪歴史博物館の篤姫展の図録に附属されていた。
 ありがたいです。
 
 帰途、京都民報にたちよる。
 とうとう今週号に「『篤姫のみた京都・伏見』を追って」(上)が載る。
 すでに印刷が終わっていることを知っていたので、いただきにいった。

 僕の歴代担当のAさん、Hさん、Tさんとお目にかかる。

 また仕事を引き受けてしまった。
 これでいいのか。いいのだ。

 夜、大阪へ。「秘密結社」のようなところに行き、たくさん名前をかいて、たくさん印鑑を押した。
 来週も来る予定。巨大なサギだったらこわいなあ。

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2008.04.22

篤姫訪問?、東福寺即宗院へ参拝

4/21(月)はれ
 午前9時から大谷大学に出講。
 「歴史地理学」という科目。

 「歴史地理学」は、一般的に地理学の分野だが、歴史学の立場から研究する必要があることを論ずる。
 次回につづく。

 終了後、ビデオ撮影が行われた。
 同大学の生涯学習講座の紹介ビデオだ。

 でももう60余人も受講希望がある由。
 教室講義と巡検を併用する講座である。
 そんなに受講者がいて、いいの?
 もう募集を停止した方がいいのでは。

 某所で大急ぎの昼食。
 商品受取り口で、店員さんが「センセイ!」
 
 「どこかで教えましたか」
 「京女(きょうじょ)です。」

 「京女(きょうじょ)」とは、京都女子大学の略である。
 また京都女子大学の元受講生から声をかけられた。
 
 はずかしいやら、うれしいやら。
 
 午後から東福寺即宗院へ。

 篤姫は嘉永6年10月4日(1853年11月4日)、東福寺を参拝したらしい(『天璋院―薩摩の篤姫から御台所』展示図録、鹿児島県歴史資料センター黎明館、1995年)。

 それが正しいとして、広い東福寺のどこを訪問したのか。わからない。

 有力なのは在京の島津家家臣の墓所の地、即宗院。
 たとえばJRの機関誌『ジパング倶楽部』2008年2月号〈特集篤姫の故郷薩摩を訪ねて〉、7ページ)もその説をとる(原口泉氏、寺尾美保氏が監修か)。

 篤姫の京都論の語り部を任ずる僕は、なんとしても即宗院のお参りをしたい。
 が、非公開寺院である。

 それを歴史作家、桐野作人さんに無理をいってご紹介をいただき、実現のはこびとなった。
 
 住職さんにご挨拶。
 奥様お茶をだしてくださる。
 
 「はじめまして」といおうとすると、とても意外なところですでに旧知だと知る。驚嘆。
 なんと世の中、せまい。
 急にリラックスする。

 奥の山の墓参、感激。
 有名人の墓碑だらけ。
 これは興味深い。
 在京の大名家臣の墓所に関心がある僕には、モデルケースにできそうな地だ。
 
 今後も目がはなせない。

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2008.04.20

岡山県津山市で篤姫のはなしをする

4/19(土)はれ

 岡山県津山市で篤姫のはなしをする。

  美作大学の生涯学習講座の一環。
 既知の研究者(博士)にして、同大学の事務方職員の渡邊大門さんからのお招きである。

 到着までいくつかの「事故」があったが、無事講演行われる。
 90人ほどの受講者であった。
 京都をよくご存知の方が多く、篤姫と京都論という地域性高いはなしだが、助かった。

 美作といえば、幕末期に、岡山出身の岡元太郎、土佐の島浪間(天誅組志士)、井原応輔、千屋金策が戦死した美作土居の事件が思い出されます、なんて講演冒頭ではなしし、終了後は渡邊大門さんに墓参をいつかしたいと思いますといったもんだから、なんと連れて行ってくださった。

 えーっ、って感じで、本当に、本当に感激した。

 高校生以来の思いをかなえられた。
 志願して、20余年目のこと。

  生涯2度とこないかも知れないと、帰り際、なごりおしいて、なごりおしいて。

  ま、経験上、そういう場所は、かならず2度くるんだけど。

  天誅組天辻本陣跡とか(奈良県西吉野村)、中山忠光終焉の地(山口県豊北町田耕)とか。
  あ、三つとも天誅組だ。  

 渡邊大門さん、気をきかせてくださり、「ドライブ」と称して、とんでもないところまで送ってくださった。
 ありがとうございます。
 感謝にたえません。

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2008.04.19

篤姫展、内覧会に出席

4/18(金)あめ
 午前9時、同志社大学に出講。
 プロジェクターを使用した、パワーポイントによるスライド上映で講義を進めているのだが、今回不手際あり。
 指定された部屋はプロジェクター未設置だった。

 持ち込んで使用する由。
 聞いていなかった。

 で、かなり受講者に迷惑をかけた。

 終了後、受講者からプロジェクターが設置された部屋に変更願いを出してはどうかと勧められた。
 なるほど。
 ではさっそく、と交渉すると、あっさりまとまった。
 
 次回からプロジェクター設置部屋に変更です。
 部屋番号「S33」です。
 どうぞお間違いなきよう。

 内容は「幕末政治史の読み直し」。
 今回は導入。

 幕末史のわく組は大きく変わった。
 その結果、史料用語の意味も再検討しなくてはならなくなった。

 「攘夷」、「倒幕」という言葉をみなさんはどう解釈しておられますかと聞く。

 青山忠正先生提唱するところの、「言語」の問題である。
(『明治維新の言語と史料』、清文堂)

 次回から本題に入ってゆく。

 次回は、和親条約と通商条約。
 今後、故高橋秀直さんの『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の序章に準じて、幕末史概説を進めていきます。
 
 いい忘れてましたが、今年から新町校地から今出川校地に教室を移しています。
 すなわち二本松薩摩屋敷跡である。
 おもいっきり幕末史の舞台地である。

 そんな地で濃密な幕末史概説ができる。
 こんな幸せな教員がほかにあろうか。
 
 昼12時30分から、キャンパスプラザ京都で「くずし字入門」。
 古高俊太郎関係文書はそろそろ終わりにちかづいた。

 正直あきてきた。
 
 そろそろちがうことをしようと思う。
 
 終了後、JR京都駅から新快速に飛び乗る。
 大阪市内へむかう。

 明日から、大阪市中央区の大阪歴史博物館で「篤姫」展が行われる。
 その内覧会(関係者による事前見学会)にご招待いただけたので出席するためである。

 宮崎あおいさんや瑛太さんのゲスト参加を期待していた。
 が、おこしではなかった。

 でも徳川記念財団の柳田直美さんや、尚古集成館(鹿児島市)の寺尾美保さん、鹿児島県歴史資料センター黎明館の崎山建文さんなどがおこしだと知り、かえってそちらの方がありがたいと思った。

 既知の徳川記念財団研究員藤田英昭さんからお声をかけられる。
 展示協力に東京から滞在中とうかがった。

 藤田さんが最近いろんなところに書かれている篤姫ネタは、本当に興味深い。
 僕の知りたいこと、おもしろいと思うことに非常にマッチしている。
 おそらくご関心のおありな対象が、僕のそれに近いのではないかと思っている。

 その藤田さんから、上記柳田さん、寺尾さん、崎山さんをご紹介いただいた。
 みなさん、ご著書や論文、その他さまざまな場所で僕に篤姫を学ばせてくださった「先生」たちである。
 本当に感動した。

 「篤姫のみた京都」に関する史料についても、情報交換ができた。
 感激である。

 同展は、すでに江戸東京博物館で開催ずみである。
 友人T社のC野氏からすさまじい観覧客の多さだと聞いていた。
 明日からの大阪展も同様だろう。

 なのに僕は本日、人の少ないところでほとんど貸切状態でゆっくりゆっくり観覧した。
 実に贅沢な時間だった。
 最後のひとりになっても見続けていた。
 閉館時間がすぎても見ていたので、さすがに出なくてはならなくなり、最後は少し見残してしまった。
 またこれたらいいが。
 
 御世話になったみなさまに心より感謝申し上げます。

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2008.03.31

「篤姫」の上洛をみる

3/30(日)
 大河ドラマ「篤姫」をみる。

 江戸へむかう篤姫。
 途中、上洛。
 待ちに待ったシーンである。

 「京 薩摩藩邸」とテロップが出た屋敷で、役人から挨拶をうけていた。

 が、近衛家の「雑事日記」嘉永6年(1853)10月2日条(陽明文庫蔵)に、

 「篤姫殿今度関東江下向、伏見通行ニ付、此御所(近衛殿・・中村注)へ御出」

とあるため、大名の参勤交代と同じスタイル、すなわち京屋敷(錦小路屋敷)ではなく、伏見屋敷に入ったはずだ。

  注:ここでいう京屋敷は、現同志社大学今出川キャンパス(烏丸通今出川上ル)に位置した二本松屋敷ではない。
   二本松屋敷は近衛屋敷の向かいになるが、文久3年(1863)新設で、嘉永6年(1853)当時はなかった。


 近衛家に入る前の休憩や準備のために、少しの間だけ錦小路屋敷に入ったといえなくはないが、近衛家参殿をドラマのナレーションは「京 薩摩藩邸」に入った「数日後」といった。
 近衛参殿の直前ではない。

 近衛参殿は10月2日。
 その2日前に入った屋敷は伏見である(9月29日)。
 錦小路屋敷ではない。

 すなわちドラマでは伏見屋敷の役割を、京都錦小路屋敷と完全に混同していたように思えた。

 ただ同じ「雑事日記」の記載から、近衛参殿の2日夜は(内々だと思うが)錦小路屋敷に宿泊したと思われる。
 
 エンディングの「篤姫紀行」は、京都とその近郊の篤姫史蹟の紹介、わりとよくまとまっていた。
 伏見薩摩屋敷跡(下板橋)もちらりとうつった。
 近衛殿跡の近衛池も紹介があった。

 注目すべきは東福寺即宗院の紹介部分。
 「篤姫が参拝したと伝わる東福寺」とナレーションはのべた。
 ここだけ「伝わる」とした。
 
 伝承であって、事実かどうかは別だといいたげだ。

 それもそのはず。
 
 篤姫の畿内通過の行程については、鹿児島県歴史資料センター黎明館の1995年特別展の図録
『天璋院―薩摩の篤姫から御台所』48-49頁)に詳しい。

 それによると、
 9/24大坂 ⇒ 9/29伏見 ⇒ 10/2近衛殿 ⇒ 10/4東福寺など ⇒ 10/5宇治 ⇒ 10/6伏見発 とある。

 ところが同書にはまったく出典の記載がなく、少なくとも10月4日の東福寺入りは何らの史料によっても現在まったく裏付けられない。
 そのことを示唆したものと思われる。

 なお本稿の詳細は、拙稿「『篤姫のみた京都・伏見』を追って」として、『京都民報』(京都民報社)本年5月11日、5月18日の両号に掲載予定です(掲載日、変更しました)。 

 よろしければ御覧下さい。

 余談ですが、今回篤姫の江戸の母英姫を演じた余貴美子さん。

 昨年上映の京都を舞台にした「初雪の恋」という映画で、主演の宮崎あおいさんの母役を演じている。
 わずかな期間にこのお2人は母子を2度も扮しておられる。

 どうということはないが、「初雪の恋」を楽しんだものとして興味深く思ったので、ご紹介まで。

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2008.03.23

上賀茂社から西村別邸をへて宮崎あおいさんをみる

3/22(土)はれ
 上賀茂神社に参拝する。
 神山をあおぎ、本殿をおがむ。

 社家町の西村別邸も参観。
 はじめて入邸した。
 かなりすてきなおうちだった。

 夜、映画「陰日向に咲く」をみる。
 宮崎あおいさんの映画。
 
 「にっぽんいちの・・・・」は大河「篤姫」とまったく同じセリフと抑揚。
 わざとか、と思えるほど。

 原作をクリスマスイブにもらったが読んでいなかった。
 読む気がおきた。

 今朝、篤姫の京都の1週間について、明治維新史研究者のT財団のFさんにご質問をした。
 夜、そのお返事を頂戴した。

 残念ながら答えにはたどりつけなかったが、それでもありがたいお返事だった。
 ついにいきつくところに来た、という感じ。
 この場をかりて感謝の意を表します。

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2008.03.14

陽明文庫を訪れ「篤姫」に接近する

3/13(木)はれ
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 午前10時、陽明文庫(京都市右京区宇多野)を訪問。
 いうまでもない。
 近衛家の宝物館である。
 
「篤姫の京都の1週間」解明のため。

 ストレートどまんなかな史料は見当たらなかった。
 残念。
 が、さすが関連の一級情報はいくつか出会えた。
 さすがは陽明文庫だ。
 文庫長、名和修先生のご配意に心より感謝申し上げる。 
 
 「篤姫の京都の1週間」に1番詳しいと自負しかけて来た。
 そろそろ活字にしなきゃなあ。

 どこかお引き受けくださる媒体はございませんでしょうか?
 ご連絡ください。

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2008.02.15

「篤姫の7日間」解明へ1歩

2/14(木)
 朝、陽明文庫(京都市右京区)に電話。
 いうまでもない。
 近衛家の史料館である。

 文庫長、名和修先生とお話できる。
 「篤姫の7日間」解明の目的で、同文庫の史料閲覧の希望を出していた。

 快諾くださった。
 来月です。楽しみです。

 京都新聞文化センターに出講。

 「篤姫」講座。
 近衛家と島津家の関係についてのべる。

 小松帯刀の京屋敷についての新見解を披露。
 だいぶ事実にちかづいたと思う。

 バレンタインデー。
 義理チョコ(だろう)をふたついただく。

 本命はいただけなかった(まあ、いいのだが)。

 夜、某フランス料理店でディナーをする。

 実は、知られざる幕末史蹟。
 「最後の幕末史蹟」とよんでいる。
 ランチはしたことがあるが、ディナーははじめて。
 
 安くはないが、店内満員。
 みんなお金もちだなあ。

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2008.02.11

京都のなかの幕末薩摩を楽しむ

2/10(日)はれ
 よい天気。
 ふとんを干したら、積雪しているので良くないと注意される。
 なるほど。すぐ入れる。

 久しぶりに外出の仕事がない。
 明日もない。
 実に心がやすらぐ。
 
 ゆえに緊急の提出物完成にたちむかう(まあ採点なんだけど)。
 
 できていないことがまだある。多い。
 みなさま申し訳ありません。

 歴史作家、桐野作人さんからファックス拝受。
 薩摩関係者の京都の居所に関する未知の史料。
 ありがたや、ありがたや。
 
 近世京都の武士論。薩摩が大事なモデルになると気づいたのは桐野さんの博学のおかげ。

 京都おこしやす大学での「篤姫」講座。
 全部で3回あるのだが(同じ内容)、1回目がおわって訂正や増補すべきことだらけ。
 1回目の受講の方には申し訳ないけれど、2回目の見学コースはかなりバージョンアップされる(はず)。
 気になる方は2回目もお越しになられませんか。
 
 夜、「篤姫」をみる。
 違和感があるシーンがあった。

 ただしそれは史実考証上のことではなく、ドラマのもっていきかたのこと。
 だからあえて述べずにいます。

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2008.02.08

東京より帰洛、四条で啓示をえる

2/7(木)はれ

 東京滞在2日目。
 朝起きたら雪がつもっていた。
 知らんまに降っていたのだ。

 すべらないように気をつけて町田駅へむかう。
 国立公文書館をめざす。

 歴史作家のおなじみの桐野作人さんが、今回の調査に同行してくださることになった。
 ありがたくってならない。

 ここからの詳細は、すでに桐野作人さんのブログ「膏肓記」に記載がある。
 (←)そちらを御覧ください。
 そのとおりです。

 目的は達せられなかったが、「ない」ことがわかった意義も無視できない。
 わずか半日で国立公文書館(内閣文庫)、国会図書館(憲政資料室)の両方訪ねられたのは、ひとえに桐野さんの手際よいご案内のおかげである。

 それに篤姫と近衛家の関係を知る未知の史料が眠っていることも知った。
 すばらしい。
 またネタがふえた。

 あわただしすぎて、食事はおろかお茶をするヒマもなくお別れした。
 が、得ること大であった。

 近世京都の大名論、また新しい問題意識をもらえた。
 ありがとうございました。

 2時50分、東京駅をたつ。
 おそい昼食を車内でとる。
 
 車内でコーヒーをいただきながら、ほぼずっと寝ていた。
 疲れているらしい。

 各所から督促あり。
 しなければいけないことができていない。
 したいことなんか、ずっとあとまわし。

 こんなことでいいのか。
 生き方としておかしくないか、と次の目的地をあるいていたら、見知った人とすれちがった。

 高校の恩師K先生だ。
 おもわずお声をかける。
 わずか数秒の立ち話。

 実は、僕がはじめてお目にかかった専門の日本史研究者(民俗学)である。

 高校のとき、新人物往来社の読み下しだが、「吾妻鏡」を原典ではじめてみせてもらった。
 そんなものを個人でもっておられることが驚きで、いまも鮮明に覚えている。

 卒業後、掲載された論文や共著を頂戴した。
 富士信仰のご研究なのだが、読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。

 大学院を修了したのち、思い出したように拝見したとき、ようやく意味がとれた。
 知らないまに自分の学習が進んでいたことを知った瞬間だった。
 これまたよく覚えている。うれしかったのだ。

 なんら具体的ではないが、将来研究者になりたいと思っていたころにお世話になった先生だ。
 いまフリーではあるが研究者として1人だちできている。
 人にたよることなく、充分の収入で食えている。
 あのころ願ったことが現実化している。

 先生とばったりお目にかかって、思い出した。
 願いがかなっているのに何をぐずぐずいっているのか。
 猛省した。
 啓示かとおもった。

 祇園新橋の某所で、某会の例会に出席。
 タイトル「建て忘れた京都の石碑」。
 あるまとまった石碑群のはなし。

 それを再建すべきだという従来の思いをのべる。
 とても関心をいだいてくださった。
 何かがおきるかも知れない。

 すこしビールをいただいたが、すぐ帰宅。
 某大学から矢のように催促をうけたテストの採点をする。

 明日はまた「鞆ノ浦」(広島県福山市)出張だ。

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2008.02.05

今日は篤姫の誕生日です

 篤姫は、天保6年12月19日に誕生した。
 (島津氏正統系図、旧記雑録追録8)

 これを現在の暦に変えると、1836年2月5日にあたる。
(野島寿三郎編『日本暦西暦月日対照表』254ページ、日外アソシエーツ)

 そう、本日は篤姫の誕生日なのだ。
 お祝いをしよう。
 生きていたら172歳だ。

 ただし異説がある。
 
 実家の今和泉島津家に伝わる「源姓和泉氏嫡流系図」が、
 天保7年2月19日とする。

 これが正しければ、1836年4月4日にあたる。
(前掲『日本暦西暦月日』255ページ)

 でもこれについては、篤姫を斉彬の実子とするための細工ではないかという徳永和喜さんの研究がある。
(同氏『天璋院篤姫』105ページ、129~131ページ、新人物往来社)
 細かいお仕事だ。
 僕の好みにあう。

 これにしたがうと、やっぱり今日だ。

 旧暦と新暦。
 年末と2月では感覚がにぶりますね。

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2008.01.28

また廃品処理をして篤姫を楽しむ

1/17(日)はれ
 ものが増えすぎて家が機能しなくなってきた。
 だから掃除をした。
 捨てるものを選ぶ作業といってよい。

 2005年7月の転居のとき、捨てるべきものをそのまま持ち込んだので、いらないものがかなりある。
 が、それから2年半たっていて、何がなんだか分からなくなっている。

 結局、捨てる以前に整理が先行し、あまり廃棄物を出せなかった。
 といっても、ダンボール箱ふたつ出せた。
 明日、廃品回収業者に持っていってもらおう。

 書物だから人にあげた方がいいようにも思うのだが、自分がいらないものを人に差し上げるのもなんだかなあと思って、業者にわたしている。

 まだまだ捨てるものがある。
 春休みが楽しみだ。
 思いっきり処置させてもらう。

 篤姫4回目。
 みた。

 気のせいか、前回以前より現代劇っぽくなってきた。
 宮崎あおいさんファンとしてはいいのだが、時代劇としてこれでいいのか、と思わなくはない。

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2008.01.22

「篤姫」が僕のとなりのとなりのとなりに来た

1/21(月)くもり
 午前中、大谷大学に出講。
 本年度最後。
 9時すぐにはじめたとき8人しかいなかった。
 終わったとき20人以上いてぎょっとした。
 
 試験がちかくなると人が増える。
 本番試験はもっと増えるのだろうなあ。

 昼食タイム。
 東京のK先生から突然お電話。

 篤姫のことについて、問い合わせをしたことがある。
 そのお返事かと思われた。

 案の定、そうだった。
 「中村さんのその件、僕にもかかわりがでてきました」というようなことをいわれた。

 NHK大河ドラマのエンディングで「篤姫紀行」というコーナーがある。
 1分ていどで、もよりの観光地を紹介するというものだ。

 NHKが某寺を取り上げることにした。
 それにからんでNHKが某寺に質問をしたらしい。

 K先生は某寺と交流がある。そこで連絡があった由。
 なんとそのネタが、いま僕がこだわっている「篤姫問題」と同じだった由。

 そこでK先生から電話があったというわけ。
 「その後、進展しましたか」という感じ。

 つまりNHK⇒某寺⇒K先生⇒中村武生 と来たわけ。

 僕のとなりのとなりのとなりに、NHK大河ドラマ「篤姫」がいる。

 宮崎あおいさんとの対談実現も夢ではない(ほんまか)。

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2008.01.21

今週の篤姫「薩摩分裂」感想

1/20(日)あめ
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 雨なのに、なんと27人も受講。おそらくこれまでで最高。
 ずっと赤字だった。
 関係者のご苦労のかいがあったと思える。

 嵯峨野のはなしをする。

 終わってから有志の方々となじみのコーヒー店「スマート」で軽食し蚕の社に行く。
 ふたつの道標をあじわう。
 また雨。
 今年は「はれ男」返上かもしれない。

 帰りは出来たばかりの「太秦天神川」駅から地下鉄東西線に乗る。

 夜、NHK大河ドラマ「篤姫」第3回をみる。
 諸問題あることはわかるが、けっこう楽しんでいる。
 
 ひとつだけ指摘しておく。
 今回、島津斉興が隠居し、斉彬が島津家当主(いわゆる藩主)に就任した。
 これは嘉永4年(1851)2月のことだ。

 ドラマでは今回、斉彬は御国入りし(同年5月)、篤姫の父(忠剛)と語るなかで篤姫の存在を思いだしたシーンがあった。
 次回、実際篤姫に会うらしい。
 まだ篤姫の家定(家祥)夫人としての入輿は話題にならない様子。

 が、事実はそうではない。

 家定(家祥、まだ将軍候補者)の2番目の妻(二条氏)が亡くなったのが、嘉永3年(1850)2月。
 この直後から3番目の妻さがしが始まる。

 嘉永3年(1850)11月7日、斉彬から伊達宗城(ドラマでは森田順平氏)宛書簡に、
 島津斉興の隠居がおくれたら、「例の西簾のこと」に大変差し支えるといっている。
 「西簾」は「西ノ丸の簾中」の略。
 すなわち「家定(家祥)の夫人」の隠語である。
(芳即正氏『島津斉彬』190ページ、吉川弘文館)

 つまり昨日のドラマの段階では、すでに斉彬のなかで家定(家祥)の後妻問題は進んでいた。
 篤姫の存在も充分しっていたであろう。

 今回、近衛忠煕も初めて出てきたが、斉彬に金の無心をするたよりない公家として描かれていた。
 が、この段階では近衛忠煕も家定(家祥)の再婚計画を知っており、島津家の姫がいるなら自分の養女として入輿させたいと自ら望んでいる

 「薩州家女モ御座候ハヽ私養女ニイタシ御縁組願度存マシ候」
(芳即正氏が嘉永3年もしくは4年の春と推定の書簡部分、近衛忠煕⇒島津斉彬か。同氏「天璋院入輿は本来継嗣問題と無関係」『日本歴史』551号、97-98ページ、1994年4月号)
 
 ドラマでこの話題が出るのは9話「お姫様教育」(仮題、3/2)らしい。
 その段階で「内密に進めてきた」とサプライズとなる由。
 いつから考えていたことにするのだろう。
 家督相続以前からというつもりだろうか。

 無理があるなあ。
 篤姫の名前(当時はかつ)やその具体的な個性も知らなかったし、近衛忠煕とそのような話題をしなかったからね。

 念のため、お伝えします。

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2008.01.15

また家に籠もってお仕事

1/14(月・祝)さむい日
 家にずっといて仕事をしていた。

 『第4回京都検定問題と解説』の原稿が残っているし、今週の「日めくりドリル」もある。
 ほかにもささいな用事がある。

 けっこう進んだ。
 旧U郡D村に行く予定があったが、行かなくて正解だった。
 
 「篤姫」問題、見落としていたところでひとつ史料をみつけた。
 これは重要なものを。

 が、「そのもの」ではない。
 「そのもの」をみつけるまでまだ続く。

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