2016.11.10

「御土居」ばっかりな日

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2016年11月6日(日)
 午前中、「御土居堀をあるく」を主宰した。寺町今出川を北へ進み、本満寺の周辺をくどいほど歩いた。
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 午後移動し、1時10分から、京都市埋蔵文化財研究所主催の文化財講演会「御土居の実像-豊臣から徳川へ」を聴講させていただいた。
 演者藤井譲治先生の講演がいかにレベルの高いものだったか、失敬ながら理解できた人が会場にどれだけおられただろうか。あれは講演ではない。学術報告だった。

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2016.10.03

寛永後万治前洛中絵図の描写に絶句

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 2016年10月2日(日)はれ
 内勤。
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 洛中惣構土居堀の解体過程を追っている。それに関して、「寛永14年洛中絵図」に記載のない重要情報が「寛永後万治前洛中絵図」に書き込まれていることにいまさらながら気づく。いったい何年(実に20年)研究している、なにをしてきたのだと自身にあきれる。
でも、いま気づけてよかった。こんなことだらけなんやろな、明日は何がまた見つかるのやら。

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2016.04.17

御土居堀巡検、雨天中止

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 本日の「御土居堀巡検」は雨天のため中止です。ご容赦ください。

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2015.11.02

「城下町科研」大和研究集会に参加

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2015年10月31日(土)~11月1日(日)

 葛城市歴史博物館で行われた「城下町科研」大和研究集会(16・17世紀大和国における都市と権力-城下町・陣屋町の成立と変容。研究代表:仁木宏さん)に参加させていただいた。知らないことばかりで、学ばせていただきました。

 やっかいだったのは、都市史研究と幕末史研究の頭がいったり来たりでした。つまり中近世移行期の城と都市の成立のお話をうかがっているのに、高取城下町や五條町の報告では、ついつい天誅組の前提を探ろうとしたりで。

 本日は雨ですが、巡検です。参加させていただきます。金曜日に天理大に出講しているので、4日連続で大和に入る。

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2015.09.29

整備された勝龍寺城惣構の土塁・堀に感嘆

Photo


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 昨日の「都名所図会をあるく」では、洛西乙訓郡(西岡)を訪れた。最近ずっとだけれど。

 前回につづき開田城跡(長岡京市。以下同じ)、長岡天満宮、鞆岡廃寺跡、勝竜寺城跡、同惣構土塁・堀(神足神社)に行く。

 勝竜寺城の惣構土塁・堀は、整備完了していて見違えた。荒城状態が良かったなんて言ってはいけないのだろうが、ちと思う。でも現段階の土塁整備の見本みたいな状態で、実によかった。開田城跡整備の次の段階という感じでした。

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2015.08.30

室町頭の生谷家住宅を参観

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 小松帯刀の居所であった、幕末期の近衛家の御花畑屋敷跡(室町頭。室町通鞍馬口付近)に近いので、一昨日(8月28日)、後学のため、いま公開中の生谷家住宅を参観させていただいた。Kさんも同行。

 すると予想外に(僕にとって)意義深い陳列物に出会えた。近世・近代の当家の記録・文書数点だ。世の中不思議だ。ありがたいことだった。

 終了後、建碑予定地も参観。おいしいコーヒーをいただいた。

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2015.08.03

特別学習会、洛中惣構の土居堀(所謂御土居)の座学・巡検・史料参観

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 JR東海主催で、洛中惣構の土居堀(御土居堀、所謂御土居)の特別学習会を行います。

少人数ですし、普段見れない北野天満宮所蔵の土居堀関係史料もこのときだけ特別公開ですので、ぜひともお越しください。

 詳しくは以下↓

http://souda-kyoto.jp/card_member/event/453.html

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2015.07.23

幕末研究、いま思っていることを書き出してみた

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 幕末、文久・元治期の研究で生涯終えそうな。

 板倉筑前介の解明もその一環だし、知足院夢覚も結局は土佐山内家の洛東大仏居所をめぐる楢崎将作遺族の動向を知りたいという欲求につながっている。

 寺島忠三郎に関心を持ち出したのも、八月十八日政変後から甲子戦争(所謂禁門の変)に至る京都政局の中枢にいるわりに(古高俊太郎をスカウトし、有栖川宮家と毛利家の交流に関わっているほか、久坂義助の代わりに来島又兵衛とともに山口へ進発実現説得に向かったなど)、伝記のひとつもない人物で未だつかみきれていないところと気づいたから。

 政変以後の京都留守居役、乃美織江も気になっているのだけれど、いまだ放置状態。

 もちろん洛中惣構も。

 幕末期、京都は大きく土居堀に囲まれていた。そういった景観をほとんど意識されず幕末京都は語られている感が強い。長州が京都に攻め込んだとき、北・西・南は連続した竹藪に囲まれていた。兵はその出入口しか通れなかった。どこからでも攻め込めたわけではない。これも具体的な像を提示しておかないといけない。これなどは急務のひとつといえる。2012年の軍事史学会例会で報告ずみなのだが、まだ活字にできていない。

 在京浪士の組織化の問題も。結果として新選組のみで維持される京都守護職下の浪士であるが、もとは関東の浪士集団ではなく、上方でも組織される予定だった。その挫折とそのころ起きた某事件はつながりがあるのではないかという見込み。このあたりも語るばっかりで活字化できていない。

 いや、2012年秋の維新史学会大会での「池田屋事件再考」の成稿が最も急務。三宅碑論文と同様、ほぼできているのだから。まずい。

 政治的主要人物の居所と行動論もつづけなければ。木屋町通の長州人の居所特定(「路次」位置の復元)作業がまだ途上。昨年の「元治元年から150年」講演会で一部を公開した坂本龍馬の居所表はほぼ完成している。この成稿も急務。これを久坂玄瑞だの、寺島忠三郎だのと増やして行きたいところ。

 いちおういま何を考えて何をしているのか、一部を書き出してみた次第。

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2015.07.11

『角倉一族とその時代』が届く

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 昨日、森洋久氏編『角倉一族とその時代』(思文閣出版)の献本が拙宅に来る。待ちに待っていた。

 めっちゃ分厚い。この値段はやむをえない。この大著に拙稿「御土居藪と角倉与一」を掲載いただいたことを光栄に思う。

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2015.07.05

御土居に接する堀が消失している件

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 京都市下京区油小路八条の「洛中惣構(らくちゅう・そうがまえ)」の堀の遺構の検出地は、建物工事が継続され、地下を深々と掘っている。

 遺構が破壊されたことは明らかである。

 一度たりとも発掘調査で検出された遺構を保存し、国史跡に追加指定したことはない。こんなことでいいのか。

 東京都や小田原市(神奈川県)、金沢市(石川県)は、惣構の遺構を検出すると保存し追加指定をしている。

 ブラタモリで「御土居」に関心を持った方々、こんな現状を知ってください。

 話題の場所は、近鉄京都駅から乗車すると、駅を出てすぐの前方左手の下にみえる工事現場です。

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