御土居堀、北西隅が露出
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6/19(木)雨
某所の古本市、また行き忘れた!
誘ってくれたK野君(D志社大学)、申し訳ない。
名古屋に出講。
栄中日文化センターの「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」両講座。
いつもながら前者は40名ちかくの受講者である。すごい。
専門ではない講座の方が受講者が多いというこの現象、考えなければならない。
オリジナリティ豊かな内容の方がうける、という意識は、一般の求めているものと異なるということだ。
ちなみに今回とりあげた城は、摂津有岡城(せっつ・ありおかじょう)なので、専門領域である。
摂津有岡城は惣構(そうがまえ)をもっていることで知られる。
惣構(そうがまえ)論は、中村武生の大事な専門領域である。
忘れられがちだが。
あ、そういえば、京都学講座もミヤコの惣構(そうがまえ)のはなしだった。
偶然だ。ねらってないと思う(企画書を書いたときの記憶がない)。
担当Oさんから10月講座の打診をいただいた。
ありがたいことである。
Oさんからはじめてメールをいただいたのが、2003年6月12日だった。
たまたまこの日は一生忘れられないできごとがあった日だった。
地獄に仏とはこのことか、と思った。
それ以来、ずっと講座をいただいている。
もう六年目だ。
明日、江ノ島(神奈川県藤沢市)で講座がある。
日帰りで行こうと思っていたのだが、勧める人があったし、名古屋と江ノ島は同じ方向だし、前日宿泊することにした。
数日前、横浜に宿をとった。
が、今日、名古屋に来てきづいた。
「明日、朝1番に同志社の講義があるやん」。
絶句した。
なぜそんなことに気づかなかったのか。
臨時休講にする手もあったが、「せっかく大学に来たのに休講かい、先週いうとけや」と思われるのが予想できた。
それは無責任というものだ。
自分が学生だったときの記憶がある。
なるべくしてはいけない行為だ。
で、名古屋から宿にキャンセルの電話をした。
キャンセル料は宿代全額で、来週現金書留で送らないといけない。
が、これでよかったのだ。
へろへろになりながら帰洛。
またまた木屋町三条「龍馬」へ。
女将お龍さんからメールがあり、常連客の「変態ブタゴリラ」さん(コードネーム)から僕宛にステキな贈り物があると聞いたから。
拝受しました。いつもありがとうございます。心より喜んでおります。
ここで大事な仕事をする。
ある文章を書く。
店主赤尾さんに渡す。
いつになく赤尾さん、緊張の顔。
ことの重要性を再認識なされたか。
しばらくして退出。
帰っても仕事。
あるモノをスキャニングして、赤尾さんに添付ファイルで送る。
明日も仕事、早いなあ。
疲れきっているが、なんて楽しい日々なのだろう。
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出歩きすぎて更新ができなかった。申し訳ありません。
5/28(水)はれ
朝1番、京都女子大学。
2週間ぶりの出講。あいかわらず楽しくすごす。
終了後、S口M宏先生のゼミのMさんがおこし。
卒論内容につきご相談あり。
ちかくのなじみ店でうかがう。
先日の京都女子大学の懇親会でS口先生からうかがっていた。
僕がたいへん興味をもち、自分でしようと思っていたことをテーマにされる由。
なるべくお助けしようと思った。
昼からいつもの「基礎からまなぶ日本歴史」。
京都女子大学で、知らない学生さんから手紙をわたされていた。
なんだろうと思うと、いつものNさんからだった。
病気で受講でない旨のご連絡。
他の受講の常連さんへもことづてがあった。
なんとていねいな。
感嘆。すばらしい。
教室で一部を読み上げる。
Nさん、どうぞお大事に。
内容、一向一揆に入る。
山科本願寺と寺内町を熱弁。
次回につづく。
そう簡単には終わらない。中村ワールドだから。
終了後、某所の建碑のお話し合い。
この件、そろそろみなさんにあかすときが来たようだ。
いましばらくお待ちください。
除幕式にはどなたもぜひおこしください。
佛教大学へ出講。
最近、船岡山西ふもとの地形探索のため、あるきまわっている。
登録者たった9人なのでできること。
実におもしろいと思っている。
また知らなかったある「謎」がとけるのではと期待している。
今日はゲストに亀岡市文化資料館嘱託のK林Y人氏をお招き。
大学そばに近世の道標が落ちている。
それを救出することをご相談にこられたので、受講生みんなで考えた。
これまたつづく。
K林さんと軽い喫茶をしたのち、(財)京都市都市緑化協会のK田さんの取材をうける。
御土居堀とその啓発に関する僕のこれまでについて。
写真家のN村さんがしゃべっている僕をたくさん撮ってくださる。
『京のみどり』という冊子に載る。
7月刊行予定。
京都市役所で無料配布されるそうです。
お車で大谷大学まで運んでくださる。
同大の非常勤講師の懇親会に遅刻して参加。
K野K之先生、K端Y幸先生などエライ先生方と歓談。
山科の某問題研究、ずっと課題になっている。
やりましょう、ぜひぜひと決まる。
H野先生とはほぼ1年ぶりに再会。
大事なプロジェクトをさぼってしまい、そのおわびを申す。
また始めましょうとご意見一致。
ぜひしたい。近世初期の京都研究会。
いろいろ決まる。
時間はないが、時間はつくるもの。
寿命がみじかいので、いろいろしてはいけないが、でもだからいろいろしたい。
K野先生のお誘いで、有志2次会へ。
いろいろまた歓談。
意外なコレクションをうかがったり、いやいやだからこそK野先生であるなとか、わいわいする。
ながい1日だった。
K野先生、5/26お誕生日だった。おめでとうございます。
2次会の店の「おねえさん」は5/27誕生日だった。
今日は、友人H氏のお誕生日だった。
おめでとうございます。
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ひさしぶりに御土居堀を考える講座を行います。
現地見学ではなく、教室でのおはなしですが、
パワーポイントをつかってのスライド上映の予定ですから見やすいことと存じます。
どうかおこしください。
御土居堀を考える講座
「どうして御土居堀は研究する意味があるのか」
講師:中村武生(同志社大学文学部嘱託講師、歴史地理)
日時: 3/26(水)10:50-12:00
会場:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室
(〒600-8216京都市下京区西洞院通塩小路下ル(JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側、TEL(075)353-9111)
受講料:1回500円(予約不要。その都度会場でお支払いください)
主催:御土居堀研究会
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1/15(火)はれ
基礎からまなぶ日本歴史に出講。
今日はNさん・Mさんにお車でお連れいただく。
ビップのようである。
最近、御土居堀講座ができていない。
それを再開するいいきっかけもいただいた。
あわせて感謝申し上げます。
まだ南北朝期、観応の擾乱。おそいわ。
終了後、有志の喫茶の会に参加。
本年実行予定のある建碑のはなしをつめる。
帰りもまたNさん・Mさんにお車で送っていただく。
しばらく準備をし、再び外出。
木屋町三条へ。
寺子屋龍馬6回目の講演。
ひさしぶりの木屋町。
今年はじめて。
今日は龍馬の妻お龍の祥月命日(103回忌)。
だからお龍のはなしをした。
おわったのちも久しぶりにとどまって「たこ焼きパーティ」に参加。
一杯だけビールをいただく。
今年はじめてのビール。
「こんな味やったんや」と思う。
ビールの味もひさしぶりと思えた。
夜、「第4回京都検定問題と解説」原稿最後の1問をつくって送る。
少し遅れましたが、去年ほどではなかった。ほっといたしました。
深夜、「ラヴァーズ・キス」(2003年)をやっていたが、保存して最後までみずに寝る。
宮崎あおいさんの出演作品です。
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12/21(金)はれ
同志社大学「文化史特論」、本年最後の出講。
城南八幡の郷土史家、西村芳次郎論。
終了後、受講者Kさん、松浦亀太郎を卒論テーマに選んだNさんと歓談。
松浦亀太郎について、また議論。
一旦帰宅し、講談社メルマガにたちむかう。
本日締め切り。
つぎの予定への外出までになんとかしなきゃ。
午後5時すぎまで頑張る。
分量に問題はあるが、なんとか提出する。
担当Y田さんからすぐ折り返しお返事。
「間に合いました」。
ありがとうございます。いつもごめいわくをおかけして申し訳ありません。
午後6時から、西大路今出川上ルで、基礎からまなぶ日本歴史・くずし字入門、合同忘年会があった。
僕をふくめて、25名のご参加。
K畑さん、T富さん、名幹事で大変お世話になりました。
とりわけT富さんのこばなしサービスは圧巻で、あっというまの2時間でした。
僕はなにもせず、ただひたすらぼーっとしていました。それがありがたかった。
2次会はちかくの喫茶店。
また僕はひとりでぼーっとしていた。
なかなか最近は、頭をカラにするヒマがなくて。
貴重な日でした。
そのあとは、たまたまご一緒にあるいて帰っていた参加者のNさん、Mさんといきおいで鷹峯までいく。
御土居堀北西隅をのこすラウンジ「オアシス」で喫茶をする。
とてもひさしぶりでした。
森田さんご夫妻、従業員のみなさん、おかわりなく。
一曲の歌もうたわず、日が変わったところで辞去。
また御土居堀北西隅付近の環境がかわっていることに、おそまきながらきづいて、「明日写真撮らなあかんなあ」と思いつつ、帰途につく。
このブログ、生活のほとんどを公開していると、あらためて思ったことがあった。
上記Nさんからいわれたこと。
「このあいだ京都駅前地下で先生をみかけた、人といっしょに歩いておられたので、声をかけなかった、あとからブログをみて、一緒にいたのは新潮社の内田さんという方だとわかった」。
「これで、僕がブログで記している行動が事実だとおわかりでしょ」とお答えしましたが、すべてを公開してんなあと、自分にあきれた次第でした。
やめないけど。
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ブログランキング、ついにベストテンをおちて、12位になっている。
人気のないことだ。
11/26(月)はれ
また暖かい日でした。
幸せを感じる、よい日でした。
午前中、大谷大学に出講。
三宅碑のはなしをする。
ただの孝子ばなしでは終わりません、建碑は史蹟をつくりあげる行為につながると論じます。
次回につづきます。
事務所にいるとき、週末の鞆ノ浦での講演についてH谷さんからお電話。
室内でパワーポイントによる講演と考えていたのだが、現地見学を中心に2時間といわれ、めんくらう。
それではたぶん中途半端になって、けっきょくお伝えできないことだらけになりそう。
で、お話しして、室内講演1時間30分、現地見学2時間ていどということにしてもらう。
働く時間がふえてしんどいのだが、やる以上、よりよい成果をあげたいという思いがある。
当然のことだ。
「龍馬の宿」の入室費や、お茶代などもくわえて参加費1700円になるらしい。
すこし高い気がする、新聞社主催のカルチャースクールが1時間半で2000~2500円ていどなので、まあそれほどでもないか。
お電話のあと、あわてて佛教大学に出講。
こちらは惣構(そうがまえ)論。
網野善彦さんから小島道裕さんにいたる研究史を紹介する。
小島道裕さんの「戦国期城下町の構造」(『日本史研究』257号、1984年)という論文は、町を囲う施設=惣構(そうがまえ)が歴史学研究に役立つことをはじめて明確に示したものとしてきわめて意義深い、と思っている。
そのはなしをいたす。
これを批判的に継承した、仁木宏さんの研究(「御土居への道」日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』文理閣)を次回紹介いたします、と予告しておわる。
夜、「京都検定/日めくりドリル」の今週分をつくって送る。
今週で「世界遺産シリーズ」はおわります。
来週はなににしよう。
今日のできごと。
「ひこにゃん」騒動の調停が継続されたと聞いた。
詳しいことはわからないが、彦根市長さんの発言をきいていると、著作者の権利とはそんなに低いものなのかと不思議に思っていた。
彦根市長さんは弁護士でもある。
だからとても奇異に感じていた。
今後の調停経過が気になります。
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9/13(木)はれ夜あめ
京都新聞文化センターに出講。
また江戸時代の御土居堀管理のはなしをする。
拙著『御土居堀ものがたり』にふれはしたが、論文としてほとんど発表できていない。
ひさしぶりに何とかしなければと思った瞬間。
まとまった時間をつくらないと。
しないといけないことが多すぎる。
が、怠惰である。
なんとかしなくてはならぬ。
思い出させていただいた受講者のみなさんに感謝しています。
夜、同社の担当Yさんと「R」でのむ。
この日、新出の例のものを初めて持参。
主人Aさんも驚かれる。
龍馬殺害事件をほうふつさせるもの。
うーん。うなる。
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去る9/6(木)の京都新聞朝刊トップで報じられた、宇治市菟道の「太閤堤」の現地説明会にいく。
現在の宇治川右岸堤防の東側の地下から、長さ約75メートルにわたって護岸の石列がみつかった。
これを豊臣政権が文禄年間におこなった大事業の遺構だというのである。
午前10時30分、京阪宇治駅に到着。
午前中なのにもう暑い。
日傘をさして現地へ急ぐ。
知った方、何人かに声をかけられる。
すでに説明が始まっている。
写真でみていたとおり、ながい石列はなかなかの威容である。
若い担当者に大きな声で遺跡の保存を訴える人が目をひいた。
そのあとテレビカメラもその人にインタビューをこころみていた。
マンション建設予定地だ。
遺構は壊さず埋め戻すだけだと担当者のひとりがいっておられたが、史蹟指定をして地上に露出させることをのぞむその人の気持ちもわかる。
それにしても場所がなあ。
宇治川右岸堤防のすぐ東側ですよ。
万一の洪水でここは決壊する可能性がある。
そうすると生命の危険のあるところ。
そこにマンション建設か。
建てようと思うものは別の論理があるからともかくとして、それをみとめる行政は人の命を軽視しているとしか思えない。
住む人間はもちろん危機意識が低すぎる。
毎年のように水害で家が流されるニュースに接しているはずだから、こんな地に立つマンションに住む人がいるとは思えないのだが。
生命の危険のある住居をつくらせるより、近世初頭の土木事業を知る貴重な遺構として、史蹟公園化し市の目玉のひとつにした方がよいと思う。
が、これが豊臣期に構築されたものかはもっと慎重であるべきだろう。
文献には左岸につくったことしか出てこない上、遺物が少なく、とても豊臣期と断定できるものではない。
遺物からは少なくとも江戸前期には存在していたことがわかる程度だ。
石垣の構造が豊臣期の城郭のそれと似ているからと担当者がいわれたが、どの城郭のどの部分と類似しているかまでは説明がなかった。
文禄と慶長・元和にはっきりわかるほどの石垣技術の差異があるのか。
地域差も問題にしないといけないはず。
山城国紀伊郡の城郭で石垣が出ているのは伏見城だが、伏見城の石垣の年代研究なんてそんなに進んではいないだろう。
豊臣政権が構築したことが確実な、鴨川堤防たる御土居堀は石を組まず土塁である。
なぜ宇治川堤防は石で、鴨川堤防は土なのか、その説明ができない。
その鴨川堤防が石垣になるのは文献上、寛文10年(1670)のことだ。
文禄から約80年もあとのことだ。
そんな事実をふまえると、今回の遺構が「太閤堤」というには大きなためらいがある。
が、前述したように近世前期の治水を知る貴重な成果であることはまちがいない。
大きな目の保養になった。
ありがとうございました。
そのあと橿原市の藤原宮の門跡の現地説明会にも行きたかったが、昨日締め切りだった国土交通省のイベント資料の原稿があがっていないので、家路につく。
原稿が完成したのは午後4時ごろだった。
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7/26(木)はれ
京都新聞文化センターに出講。
「御土居堀」の豊臣期復元のはなしをする。
が、最近珍しい絵図をみつけた。
そのはなしを「本邦初公開」したので、大幅に時間をくってしまった。
したかったこと、多く次回にまわってしまった。
終了後、同センターの別のお仕事の打ち合わせ。
担当Y田さんからおいしいコーヒーをいただく。
同センターのコーヒー講座のコーヒーだそうで、豆までいただく。
夕方、先斗町のお店へ。
東京から歴史作家のK野作人先生、T京龍馬会のM川真理子さんのご一行が上洛。
明日、京都国立博物館で寄託史料の特別閲覧をされる。
僕もご一緒させていただく予定。
その前夜懇親会が行われた。
明日お世話になる、京都国立博物館のM川禎一先生もご参加。
鴨川の床で中華料理をいただいた。
濃厚なメンバーできわめて楽しくすごす。
2次会は木屋町蛸薬師上ルの「龍馬」。
京都龍馬会の本部でもある。
店主の「龍馬さんとおりょうさん」もくわわり大騒ぎ。
K野先生の豊臣期史料の博識ぶりに下をまく。
豊臣期研究の一旦をになっているものとして、大層はずかしかった。
明日の「本番」を前に早く帰らないといけないのに、遅くまでいる。
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5/25(金)大雨
大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)で知られる、「自由都市堺」。
それを象徴する、まち全体を囲う、戦国時代の壮大な堀が検出されたという報に接した。
幅17メートル、深さ4・5メートル。
時期は1400年代前半という。
信じられない規模。
天正19年(1591)の洛中惣構(御土居堀)と同規模。
150年も早く、堺は豊臣期京都の環濠に匹敵するものをもっていたということになる。
何かのまちがいではないのか、と思うほど。
本日の同志社大学の講義でさっそく紹介した。
明日26日(土)午後1時~3時、現地説明会がある。
予定を変更した。
これをみなくては一生後悔すると判断した。
午後から町田市の朝日アウトドアの受講者多数を上賀茂・下鴨両社をご案内。
夜は京都女子大学の講師懇親会に参加(於高台寺ちかく)
近代史のS先生にお誘いいただき、2次会にもお邪魔する。
そのあとひとりで、最近けっこう気に入っている、木屋町蛸薬師下ル「R」にたちよる。
「ご夫婦」と歓談。
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5/14(月)はれ
朝から大谷大学に出講。
今回も巡検。
ちかくの土塁跡の痕跡を追っている。
前回は大学から北を歩いた。
今回は南側。
あいかわらず道路の方向が土塁跡を示している、という話。
東部の土塁は、初の本格的な鴨川堤防と位置付けることが可能です。
で、このあたりは洪水常習地帯なので、江戸時代には一部に二重土塁をつくっている。
その痕跡さえ現在残ることを示す。
また鴨川の水を洛中に取り込んでいたこと、その最も代表的なのが禁裏御所に注ぎ込まれた「御用水」であったこと、「御用水」ではないが、別の場所の水路跡がいまも道路として生きていることなども案内する。
さすがあとの感想文をみると、大半がそのことに感じ入っていた様子。
つまりはこちらが思いをこめて話したからなんだけど。
終了後、府立総合資料館へ。
依頼していた複写物を引き取りに。
寺田伊助旧蔵品のある記録です。
まだ寺田屋問題にかかわっている。
午後2時半から、佛教大学へ出講。
こちらは近世道標論、その3。
あらたに個人宅でみつかった江戸中期の紀年銘入りの道標を紹介。
また京都の道標業界では有名な、沢村道範のはなしをする。
建立者銘を伏すのが多い近世の道標の世界で、たったひとり、わずか7年の間に4基も建てたことがわかっている。
しかも江戸後期の「東海道名所図会」にも紹介されていて、すでに江戸時代にも知られた人。
それによれば山科・四宮に住んでいた。
個人のはなしができない近世道標の世界で唯一、検討が可能な人。
謎だらけだけど、「謎」といえるだけはわかっている。
こちらも感情をこめたので、あとの感想文、そればっかり。
夜は遅れに遅れたある原稿を打つ。
感情も高ぶってきたので、限界をこえたころ、鷹峯旧土居町の「オアシス」へ。
オアシスは御土居堀の北西隅に営業される店。
現在も遺構がのこる(国史蹟、ただし民有地)
その地権者でもあるマスター、森田清さんと懇親。
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3/13(火)はれ
朝から、昨日締め切りだった「京都の江戸時代をあるく」(36話)に立ち向かう。
それを担当H氏に送ってから、タクシーに乗ってKBS京都へ。
KBS京都・京都チャンネル(関西テレビ)同時生放送の「京都!ちゃちゃちゃっ」にゲスト出演するため。
入るなり、本日の番組の打ち合わせ。
ごいっしょに出演する岡本栄さん(関西テレビ)と、岩井万実さん(京都チャンネル)の笑顔に緊張がほぐれる。
12時放映開始。
打ち合わせにはなかった岡本栄さんの振りにあわてながらも、うかつなことはいわず進む。
円徳院(東山区、もと高台寺塔頭)の紹介のときにふられて、思わず「寺伝などに事実でないことがあり、それによく気づく。そのため楽しめない。知りすぎるというのもこまりもの」みたいな返事をする。
あとで同じ建物に勤務するパソコンの師匠から、「何をいいだすのか、と心配した」といわれる。
大丈夫です。
生放送ですからね。「北政所は『ねね』ではない、『ねい』。晩年に住んだのは現仙洞御所の地にあたる洛中屋敷で、高台寺にはほとんど住んでいない」なんて、思ってもいいません。
約20分、土居堀のはなしをする。
文化財保護問題のことをいいすぎたような気がするが、台本がそうなっていたのだから仕方がない(ほんと)。
こちらからとくに望んだわけではないので、ご理解ください。
さほど緊張することなく、あっというまに1時間過ぎ、終了。
楽しくありました。
終了後、別室でお弁当をいただく。
岡本栄さんの博学ぶりに下をまく。
「考古少年」だった、といわれるが、いやいやそんなレベルをこえている。
午後3時、別室のパソコンの師匠に挨拶し(前述)、建物を出る。
ふらりと京都御苑に入り、公開中の閑院宮邸を参観する。
金のかかった展示ブースに感心していると、ぐうぜん岡本栄さんも入ってこられる。
またいつかお目にかかると楽しいだろうなぁ、と思っていた矢先の、あまりに早い再会。
同邸から三条京阪までごいっしょし、造詣がふかい書画のおはなしなどうかがう。
途中、懇意にしておられる寺町二条の山本美術店に立ち寄られ、ご主人山本聰さんをご紹介いただく。
室町期の、めずらしい清水寺縁起と思われる軸を拝見。
幕末志士、藤本鉄石の書画のはなしで、知らないことをいくつもうかがう。
夕方に入り、夜のものがたりがありますが、それは省略。
今日は類例のない、中身のある楽しい日でした(写真は番組のセット)。
※「京都!ちゃちゃちゃっ」のホームページをのぞくと、岩井万実さんが昨日のことを書いてくれていました。
以下はそのまま引用。
まちがいなくほめすぎなのですが、うれしかったので。
「そしてゲストには佛教大学 非常勤講師の中村武生さんが来てくださいました。
今日、中村さんのお話を聞かせていただいて、一つ発見したことがあるんです!!
それは中村さんは「えぇ~人」ということです。
御土居が壊されている現場を見てか悲しくなる中村さんの心はキラキラ輝いているに
決まってます!!それに言葉の一つ一つで優しさを感じさせられました。
私もそんな心の持ち主になりたいな♪ 」
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しばらく更新ができなかった。
通信事情がよくなかったためです。
本日はできるようになっていました。
明日、3/13(火)、テレビ生出演いたします。
京都ローカル放送、KBS京都です。
お昼12時から1時、「京都!ちゃちゃちゃっ」という番組。
ゲストで出て、15分ほど、京都の城壁・環濠「御土居堀」の話をします。
話すのは15分だけらしいですが、そのコーナーだけではなく、1時間出っ放しなのだそうです。
その話を講座の受講者に申しますと、いく人もの人から「先生、いい弁当食べられるで」といわれました。
はぁ、そうなのですか。
僕はふだんテレビをみんもので。
京都の情報番組としては知られたものだそうです。
この番組、関西テレビの衛星放送「京都チャンネル」でも生で流れます。
こちらでしたら全国どこでも見ていただけます。
京都チャンネルなら2回ほど再放送もありますので、どうか御覧ください。
私はこういう顔で、こういうしゃべりをするものだとわかっていただけるかと思います。
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12/27(水)はれ
お昼から「くずし字入門」に出講。こちらも本年最後。
キャンパスプラザの受付で、職員の方から何度も電話で問い合わせがありましたと聞かされる。
どうやら僕は未確認だが、テレビで報じられた模様。
その影響があるのか、初めての方が5名あり。
部屋からあふれるほどの人は来られず、よかったこと。
テキスト「都の記」下巻。
五摂家のうち、九条家・二条家の部分を読む。
近衛家が五摂家筆頭であるが、江戸中期、家領は九条家が1番多く、2000石を超えていることなどをお話する。
午後2時半、伏見へ。
某社の仕事に関わっている。
社員の方々を伏見城惣構(そうがまえ)跡や近世尾張屋敷跡、薩摩屋敷跡などをご案内。
伏見は惣構の堀が「濠川」として生きている。
それが城下町の外郭だったとあるていど認識はされている。
が、その内側に土塁が回っていたことはまったくといってよいほど知られていない。
復元は不可能でも、土塁を模した緑地をどこかにつくれないか、無理でも跡地を示す碑を建てられないか、つよく訴える。
夢が届くことを願ってやまない。
鷹峯、山科、伏見は僕にとって大事なところ。
何か少しでも思いを現実化したい。
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12/3(日)はれ
御土居堀を考える講座に出講。
午前10時、京阪出町柳駅に集合。
受付をしていたら、高いこえで「センセー!」。
みたら舞妓さん、芸妓さん。
上七軒のYちゃん(旧名)、Eちゃんです。
なんや、なんやと、みなどよめく。
いつもお世話になっているお茶屋「D」所属のおふたりです。顔見知りなのです。
なにやらおつとめのごようす。
たくさんのきれいどころ、通っていかれました
こちらもテレながら手をふる。
さて「東町奉行の御土居堀巡検コースをあるく」その2です。
河合社、下鴨社へ参拝。
河合社のまえでポニーに出会う(孤児院の先生ではない。愛犬でもない)。
子馬。
小さい子たちがポニーに集まって大騒ぎしている。
あまりにかわいらく、見入ってしまう(写真)。
(つづく)
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午前中、御土居堀を考える講座。
JR二条駅に集合。
今回からあたらしい企画。
京都町奉行の御土居堀の視察(巡見)コースをあるくというものです。
享和元年(1801)3月20日が、史料にのこるその第1回です。
とても1度にすべて回れないので、何回かにわけます。
今回は東町奉行所跡から二条通、寺町通をへて今出川通まで。
途中、京都市歴史資料館にたちより展示を拝観。
寺町の盧山寺に残る部分(国史跡)も見学。
終了後、受講の方のお昼ご飯のお誘いをお断りし、午後から、単身、京都市美術館へ。
「浅井忠展」を拝観。
建碑の三宅清治郎の実弟安次郎は、浅井忠と交際がありました。
浅井忠と深い付き合いのあった中沢岩太、武田五一と、三宅清治郎自身も交流がありました。
すなわち三宅碑研究のための学習で、うかがったわけです。
洋画がわかる素養はないけれど、楽しく、興味深く拝観できました。
同館で友人と待ち合わせ、八幡市へ。
松花堂美術館で特別展が開催されてますので。
松花堂昭乗は八幡の郷土史家、西村芳次郎が生涯をかけて顕彰した対象です。
西村は前記三宅清治郎を助けて、城南に建碑をした人物です。
その関連で松花堂昭乗に関心があります。
たまたま書を愛する友人が、そちらの関心で「行きたい」と行ったので、こちらも関心と重なりましたので、「じゃあ行こうや」ということになりました。
帰りには西村旧邸でもある、松花堂庭園も拝観(写真)。
もっと西村芳次郎を顕彰してほしいなぁ。
でも研究もなく、無理か。
いま誰も西村を研究する人はいない。
結局西村顕彰のおくれは、論文発表が遅れている僕の責任か。
楽しい、楽しい日でした。
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10/8(日)はれ
午前中「御土居堀ものがたりをあるく・最終回」。
午前9~12時。
北東隅から北西隅まであるく。
有明さんでまたもやお世話になる。
懇親会ができなかったことは残念。
またいつか。
大急ぎで山科へ向かう。
午後2時から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の講演会。
事務局員として録音しにいく。
講師は安土城考古博物館の高木叙子先生。
タイトルは「信長と一向一揆」。
勉強させていただきました。
「是非に及ばず」のこと、神になれなかった信長の話。
知らないこと、気づかないこと多数でした。
終了後、高木先生をお招きし、山科駅前のホテルで喫茶の会。
裏話を多数拝聴する。
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9/10(日)午前中はれ時々あめ
御土居堀を考える市民講座に出講。
現地見学会です。
午前9時に地下鉄鞍馬口駅に集合。
今回は『京都新聞』に掲載依頼を出さなかったのですが、前回より多くの方がこられました。なぜだ。
土塁跡を北へ進みます。北東角をめざします。
11時すぎ、北東角に位置する加茂川中学校に到着。
ここで天気もよくなってきたので終了とする。
次回はこの一周イベントの最終回になるはずです。
午後は某さんら3人で中華の昼食をいただく。
胃腸の調子がよくないので、なくなくビールを断つ。
夕方まで某所にこもって歓談。
質の高いサンドイッチとオレンジジュースをごちそうになる。
夜は在宅できたので、大河「功名が辻」をみる。
「京都検定/日めくりドリル」2問つくり、担当Yさんに送る。
夜もビールをのまなかった。
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8/6(日)はれ
御土居堀を考える講座。
午前9時、京阪出町柳駅集合。
今出川通から北上。
暑っついですなぁ。
午後からは暑いと思って、夏の間は午前中に見学会してるのですが、すでに暑い。
午後からはどんだけ暑くなるの?
鞍馬口通で12時になる。
もう終わり。
参加者Kさんに誘われて河原町四条で昼食会。
急な懇親会になりました。
8人参加。
午後から西陣地区の町家へ。
想像以上に暑い。
あとから38度だったと聴く。
そらそうやろう。
7/22(土)はれ
午前9時、JR円町駅集合。
御土居堀研究会の見学会。
いわゆる「御土居の袖」をとおって、北野天満宮まであるく。
北野中学校の好意で、校庭の土塁・堀跡もみれる。
それにしても新聞告知しなかったのに多数の人数。うーん。
今回は特別に「二次会」をしました。
午後からバスに乗って鷹峯へ。
北西隅の部分の改変を見る。
一次会の半分参加。
となりの敷地の焼肉店「有明」(森田清さん社長)の好意で隣地からも見る。
有明におられた他のお客さん四人も急遽参加されました。
終了後、有明で懇親会。
暑い、暑い日でしたから、うまいビールでしたね。
7/19(水)小雨のちくもり・はれ
午前中、法事。
午後3時から佛教大学春学期、試験。
60名出席。
問うていることと違うことを書いている者が少なくない。
講義中、あれだけいったのに。
講義に出ていないか、聴いていないのか。
夕方、京都惣構(そうがまえ)御土居堀の北西隅へ。
土塁と堀が残っています(国史蹟指定地、民有地)。
このたび、残っている部分のうち、東側を公有化することになりました。
いま、これまで長坂越(杉坂街道)に面していたスーパーマーケットと宅地が取り壊されています。
それを見に行きました。
土塁跡に建っていた建物が壊され、その下から赤土が露出。
「御土居の基底部だ」。
ショベルカーがならしている。
これはまずい。
その場で京都市文化財保護課に通報。
「記念物係の者は本日も現地に行っている、少しは削れるかも知れないが、そんなにムチャなことはおきないから」というお返事。
「たかが基底部」なのでしょう。
赤土がショベルカーカーでならされているのは見るにたえかねます。
どうぞ今のうちに基底部の赤土を見に行ってください。
このあたりの景観もこれから変わることでしよう。
【写真解説:クリックしてください。拡大します。南から撮影。左手が現存土塁。ほんらい右手に土塁がつづいていた。こちらも国史蹟指定地。指定地なのに、ある段階で破壊された。ショベルカーの下一帯に赤土がみえる。土塁の基底部の残骸】
6/19(月)はれ
名古屋滞在3日目。
午前中、明日のレジュメづくり。
明日は朝日カルチャーセンターのツアーで京都入り。
伏見街道をあるきます。
お昼、レジュメ完成。
名古屋市柳橋の朝日カルチャーセンターに持参。
午後から桑名市へ。
中日文化センターの受講生3人さん、同行。
桑名は、幕末期の京都所司代、松平定敬(さだあき)の城下町です。
その程度の気分での訪問。
なんせ文献や絵図をもたずにきたから。
少し乱暴。
で、市役所文化課へ行き、城下町絵図などを入手。
そこで「はっ」ときづく、桑名は「惣構型」の城下町ではないか。
秀吉の家臣、一柳の建設により近世城下町化している。
これはおもしろい。
お3人を喫茶店に残し、市都市計画課へ行く。
都市計画図2.500分の1を入手。
喫茶店で合流。
桑名市は惣構の堀を復活させ、まちづくりに活かそうとしていることを知る。
興味しんしんで、西側の惣構の堀を見に行く。
なぜそんなことが可能か。
石川県金沢市と同じで、水路としてながく活用されたからです。
問題点は、堀に接した土塁はまったくかえりみられていない。
土塁をつくろうとはされていない(写真は北端部分を南から撮影)。
つまり江戸時代の町の外郭を、厳密に復活させようとはしていない。
「見た目」をきれいにしただけ。
それを「由緒」によって、「ありがたく」みせているだけ。
大和郡山市の「外堀公園」と同じです。
この辺がいつも思う、都市計画課と文化(文化財)課の意思の乖離(かいり)です。
都市計画推進側に悪意はないのだ。
いいことしたと思っている。
歴史的遺産を現代に生かしたと信じてる。
そうじゃない、破壊にひとしい行為なんだ、と文化(文化財)課が伝えなきゃいけない。
ただ知らないだけなんだ。
このあたり、金沢市や岐阜市は、歴史系のひとたちが中心に城下町惣構を現代に復活させ、活かそうとしておられる。
両市の活動に期待をもっている。
ちなみにその成果は大阪市立大学のCOEシンポの報告書、
『都市城壁をまちづくりにいかす』、に詳しくまとめられるはずです。
まもなく刊行です。
5/27(土)くもり
御土居堀を考える講座。
雨を心配しましたが、最後に少し降っただけ。
雨の危険のせいか、少しいつもより少ない参加者。
近鉄東寺駅から、西回りに土塁と堀跡を歩く。
JR山陰線丹波口駅で解散。
雨も降らず、事故もなく、ありがたいこと。
参加の方々のお気遣いのたまものです。
感謝いたします。
5/16(火)午前中雨、午後くもりのちはれ
名古屋・柳橋の朝日カルチャーセンターの「街道ぶらり旅」。
午前8時、バスで名古屋を出発。
御土居堀跡、国史蹟指定地9ヵ所、一日で全部歩くという企画。
参加者計41名。
市内北区鷹峯から。
お昼は「有明」で。
御土居堀の北西隅を残すお店。
社長森田清さん、奥さんなど、みな親切。
とてもおいしいお弁当、冷しゃぶ、驚く。
今回「お土居みそ」など、関係商品初登場。
飛ぶように売れるのをみていました。
隣家の光悦堂の「御土居餅」も完売。
御土居堀は「売れる」ことを実証。
夕方5時まで各所をとびまわりましたが、7ヵ所でタイムオーバー。
市五郎神社(中京区西ノ京原町)の遺構は、泣く泣く車中から。
紫野西土居町の遺構は見れず。
またの機会に。
烏丸五条で僕だけさようなら。
どうぞお気をつけて。
名古屋着は午後8時だったそうです。
4/2(日)あめ
ある研究会の巡検に参加するつもりだったが、雨のため、断念。
自宅で仕事をする。
夕方、思いついて、京都の惣構(御土居堀)の北西隅をもつラウンジ「オアシス」に行く。
社長森田清さんに相談事。
1時間半ほどで辞去。
たいそうなおみやげをいただく。
明日は『朝日新聞』京都版の、「週間まちぶら」というコーナーに登場する予定。
大和郡山市へ行く。
平城京羅城跡の遺構を拝見に。
先日、現地説明会があったが、嵯峨野の三宅碑講座があったためうかがえませんでした。
古代のミヤコにはまち全体を囲い込む羅城がつくられることはなく、羅城門の左右に申し訳程度につくられた程度、といわれてきました。
今回、古代日本の羅城の遺構がはじめて出たのです。
そしてさきほどの仮説が実証されたわけです。
御土居堀は、ミヤコにつくられた唯一のぐるりと取り囲われた羅城、といってもいいすぎではありません。
だからとても関心がふかく、できれば見ておきたいと思いました。
現場担当者は大和郡山市教育委員会の山川均さんで、以前より親しくしていただいているので、今回も直接交渉し、許可をいただいた次第です。
御土居堀研究会のメンバー、大Sさん、小Sさんとともにうかがいました(小Sさんが車を出してくださる)。
各紙は羅城が「しょぼい」ものだったことを強調していましたが、連続した柱穴を現実に目にしてみると、とてもそうは思えない。
唐の羅城と比較したらそうなのかも知れないが、それはあまりにかわいそう。
充分「威容」さは示されていたと思えました。
感覚的で申し訳ありませんが。
帰途は柳澤文庫(郡山城跡)にお邪魔。
旧知の学芸員の西村幸信さんと久しぶりに会う。
玉稿「新出の明治期郡山藩藩政史料について」がおさめられた、『奈良歴史研究』63・64合併号(2005年6月号)など頂戴しました。
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