2018.11.10

龍馬、新発見。第11話「知足院の気がかり」

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 週刊京都民報』の拙稿「龍馬、新発見」第11話「知足院の気がかり」、2017年3月26日号)。晩年、青蓮院金藏寺の知足院夢覚は、京都以外での隠居を考えていた。しかしそれをすると楢崎お龍の弟謙吉らの今後が気がかりである。謙吉のために「小宅でも持たせ開業させられないか」と悩んでいた。

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2018.11.08

龍馬、新発見。第10話「寺田屋登勢の書翰の『おしょふ』」

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『週刊京都民報』の拙稿「龍馬、新発見」第10話(「寺田屋登勢の書翰の『おしょふ』」、2017年3月19日号)。龍馬の妻楢崎お龍家族を庇護した、伏見寺田屋の女将登勢の慶応4年(1868)4月以前と推定される書翰にある「おしょふ(和尚)」を、同じくお龍と家族を庇護した知足院夢覚と推定した。

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2018.10.20

龍馬、新発見。第9話「龍馬の訃報」

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『週刊京都民報』連載中の拙稿「龍馬、新発見」第9話(「龍馬の訃報」、2017年3月12日号)。知足院は甥加藤省吾に龍馬の死を報じた(慶応3年(1867)12月9日付、加藤家文書)。楢崎お龍のことだが、不幸にも連添坂本龍馬が斬り殺された。とても大事の人であちこちの方が惜しんでいる、楢崎一類が困り申していると述べている。      

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龍馬、新発見。第8話「龍馬・お龍の内祝言」

『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」第8話(「龍馬・お龍の内祝言」、2017年3月5日号)。楢崎お龍の回想によれば、元治元年(1864)8月1日、知足院の仲人により青蓮院の金蔵寺で2人は内祝言をあげたとされる。同日と推定される加藤省吾宛知足院書翰(加藤家文書)にその記載はない。

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2018.10.18

龍馬、発見。第7話「遺族の行方」

『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第7話(「遺族の行方」、2017年2月26日号)。楢崎将作の一周忌を知足院が行い、それを報じた文久3年(1863)9月19日付加藤省吾宛知足院書翰(加藤家文書)を楢崎太郎こと謙吉が丹波綾部西郊加藤方に届け、そのまま同家に世話になったとわかる。

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龍馬、新発見。第6話「楢崎将作死後」

『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第6話です(「楢崎将作死後」、2017年2月19日号)。年不明5月9日付加藤省吾宛知足院書翰(加藤家文書)により、楢崎お龍の母貞らが洛東大仏境内南門前の龍馬ら居所で賄いをしていたというお龍の回想が裏付けられることなどを紹介しています。

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2018.10.16

龍馬、新発見。第5話「お龍の父の書翰」

『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第5話です(「お龍の父の書翰」、2017年2月12日号)。現存唯一の楢崎将作の書翰を写真つきで紹介しました(部分、年不明12月3日付加藤省吾宛、加藤家文書)。楢崎将作は青蓮院宮の侍医ですが、のちの朝彦親王に仕えたかは不明です。

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2018.10.14

龍馬、新発見。第3話「家主は久板玄輝(ひさいた・げんき)

『週刊京都民報』に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第3話です(「家主は久板玄輝(ひさいた・げんき)」、2017年1月29日号)。元治元年6月6日(1864年7月9日)以前、洛東大仏境内南門前の龍馬らの居住地と、その家主久板五郎兵衛(法号玄輝)とその家族を考察しました。

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龍馬、新発見。第2話「河原屋五兵衛」

週刊京都民報に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第2回目です(「河原屋五兵衛」、2017年1月22日号)。

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2018.10.11

龍馬、新発見、第1話「龍馬と妻・お龍の出会いの地」

2017年1月から『週刊京都民報』で連載している拙稿「龍馬、新発見」の第1話です(「龍馬と妻・お龍の出会いの地」)。以後もこれからちょくちょく掲載いたします。ちなみに本年10月7日現在、85話(「社中」の近藤長次郎)まで進んでいます。      

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