2008.07.15

篤姫紀行!だわ

7/14(月)はれ一時大雨
 この数日、いろいろあった。
 仕事もしっかり頑張った。そのぶんブログが滞った。失礼しました。

 12日(土)は、大谷大学の生涯学習講座で烏丸北大路付近を巡検。
 あつい中、60人ぐらいご参加。
 「がまん大会だ」といった人があったが、よくもどなたも倒れることなく。

 鞍馬口に「是より洛中」標石がほしいですね、賛同されませんか、といったら、終了後、4人の方から寄付の申し出があった。けっこう感激。
 ありがとうございます。

 すぐには無理ですが、かならず実現にむけて進みます。

 建設準備中の某碑もまもなく除幕式です。
 たいへんなことになろうとしていますが、それままた後日。

 13日(日)は、木屋町二条の広誠院で長州屋敷と幕末史のおはなしをする(京都民報主催)。
 こちらは23人のご参加。

 名古屋方面や山口県周南市からおこしの方がおられ、恐縮。
 しかも周南市の方は、ぼくの知らない史料多数ご存じで、いっぱいいろいろ教えていただく。ありがたかったです。
 来月、現物拝見に山口市へいこうとその場で決めた。

 京都民報主催の講座は、来週7月18日(土)もあります。こんどは巡検です。
 くわしくは過去のブログをごらんください。

 本日は大谷大学(こちらは通学、学部生)でまた巡検。
 堀川や小川の旧河道をあるく。

 地形に痕跡が露骨に残っている。
 そこに建つ家は将来洪水がきたら、やられる可能性が高い。
 明日生きるために地理の教養はとても大事なことを伝える。

 午後から銀行いったり、寺町姉小路の高級感あふれるところにいったり、錦小路の薩摩屋敷跡で興味深い電話がかかってきたり、京都有数の企業の食堂に入って「家族に代わって」お礼行ったり、あさって閉店するなじみの店へ最後の来客になりにいったり、某ルームでやはりあさって最終締め切りの原稿を打ったりする。

 最後につかれはてて、いつもの木屋町三条「龍馬」に行き、「本日のええはなし」を伝える。
 終電で帰宅。

 家かえって、また仕事。
 多数のメールがきているのだ。そのお返事も。

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2008.07.09

池田屋事件の日でした

7/8(火)はれ
 本日は池田屋事件の日でした。
 元治元年6月5日は、1864年7月8日です。
 
 もう144年かあ(在世してたみたいに)。
 たまたまいつもの木屋町三条「龍馬」に行った。

 偶然、「ある」決着がついていた。それを知った。
 それが池田屋事件の当夜だった。
 縁である。

 今年は例年とはちがい、野老山吾吉郎(ところやま・ごきちろう)の冥福を祈ってみた。

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2008.07.05

『吉田松陰を描いた男―松浦亀太郎の生涯と作品』でどうだ

7/4(金)はれ
 朝、ようやく講談社メールマガジンに「池田屋事件」(第16回)の原稿をおくる。
 今回ほどみなさんにありがたと思ったことはない。
 感謝しております。

 同志社大学に出講。
 やっと8月18日政変まできた。

 長州「尊攘派」の「王政復古」論は、けっして倒幕をともなうのではない、というややこしい話をする。
 もっと整理して語るべきだった。
 ようわからんかったというご意見、続出。反省。

 いつもの受講者との喫茶あり。
 「若さ」をいただいている。ありがたい。

 松浦亀太郎(松洞)の研究を卒論にしようという、Nさんのお仕事に舌をまく。
 細かい。

 これは活字にしたほうがよいな。
 出版も可能ではないか。

 『吉田松陰を描いた男―松浦亀太郎の生涯と作品』という書名でどうだ。
 どちらか立候補されませんか。

 午後からキャンパスプラザで「くずし字入門」。
 まだ板倉周防21か条を読んでいる。
 うまい文章じゃないなあ。とても理解しにくい。

 Y石材店にむかう。
 碑銘のゲラを提出するため。

 建碑までもうまもなくだ。

 旧U郡I村に建設中の家屋をみにいき写真を撮る。
 だいたい週1回ぐらいのペースで定点観測をしている。

 洛中にまいもどって、近衛小路の某ショップに衣装をみにいく。
 
 そのあと友人H氏をともなって、いつもの木屋町三条「龍馬」へ。
 K都国立博物館のM川T一さん、H野市立S選組のふるさと歴史館のF井K夫さんと密談をする。
 といっても、からあげとチーズケーキのはなしが多かったが。

 すこしのどの調子がよくない。
 今夜はウーロン茶に徹する。

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2008.07.04

近江屋新助と菊屋峯吉を墓参する

7/3(木)はれ

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 蒸し暑い日。

 昼から珍しく、御土居堀を考える講座を実施。
 多数のご来場者あり。

 午後3時、京都龍馬会メンバーとの墓参を約束していた。
 金戒光明寺の近江屋(井口)新助(写真)、知恩寺の菊屋峯吉(鹿野(かの)安兵衛)。

 実はいずれもはじめて。
 多忙きわまりない状態だが、いい機会なのでうかがう。
 知らなかったことをいくつか知れた。

 夜、いつもの木屋町三条「龍馬」でしめきりすぎてしゃれにならない原稿を打つ。
 ありがたい。深夜、ほぼ完成する。

 自宅にもどり最後の推敲をしながら、力つきる。

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2008.06.25

是より洛中標石再現の意味を述べた

6/24(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 今朝の朝刊の記事をうけて、「是より洛中」標石がなぜ大事なのか論じる。
 もう1点は、その2日前に特集された「応仁の乱ではさほどの被害はなかった」みたいな新聞記事。
 これをとりあげて、解説する。

 よい連載ですね。
 前回は本能寺でした。
 毎回楽しみにしております。

 本日は京都女子大学の現役生、3人も受講。
 室内、活気付く。
 どうぞまたきてください。

 いつものNさんからお祝いの和菓子(水無月)をいただく。
 お気遣いありがたく思いました。
 
Photo

 夜、いつもの木屋町三条「龍馬」にたちよる。
 予想通り、「えらいこっちゃ」が動いていた。

 思いがふかい。

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2008.06.20

同志社大学の学生さんを大事にしたかったのだ

6/19(木)雨
 某所の古本市、また行き忘れた!
誘ってくれたK野君(D志社大学)、申し訳ない。

 名古屋に出講。
 栄中日文化センターの「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」両講座。

 いつもながら前者は40名ちかくの受講者である。すごい。
 専門ではない講座の方が受講者が多いというこの現象、考えなければならない。

 オリジナリティ豊かな内容の方がうける、という意識は、一般の求めているものと異なるということだ。
  
 ちなみに今回とりあげた城は、摂津有岡城(せっつ・ありおかじょう)なので、専門領域である。
 摂津有岡城は惣構(そうがまえ)をもっていることで知られる。

 惣構(そうがまえ)論は、中村武生の大事な専門領域である。
 忘れられがちだが。

 あ、そういえば、京都学講座もミヤコの惣構(そうがまえ)のはなしだった。
 偶然だ。ねらってないと思う(企画書を書いたときの記憶がない)。

 担当Oさんから10月講座の打診をいただいた。
 ありがたいことである。
 
 Oさんからはじめてメールをいただいたのが、2003年6月12日だった。
 たまたまこの日は一生忘れられないできごとがあった日だった。
 地獄に仏とはこのことか、と思った。

 それ以来、ずっと講座をいただいている。
 もう六年目だ。

 明日、江ノ島(神奈川県藤沢市)で講座がある。
 日帰りで行こうと思っていたのだが、勧める人があったし、名古屋と江ノ島は同じ方向だし、前日宿泊することにした。
 数日前、横浜に宿をとった。

 が、今日、名古屋に来てきづいた。
 「明日、朝1番に同志社の講義があるやん」。
 絶句した。
 なぜそんなことに気づかなかったのか。

 臨時休講にする手もあったが、「せっかく大学に来たのに休講かい、先週いうとけや」と思われるのが予想できた。
 それは無責任というものだ。
 自分が学生だったときの記憶がある。
 なるべくしてはいけない行為だ。

 で、名古屋から宿にキャンセルの電話をした。
 キャンセル料は宿代全額で、来週現金書留で送らないといけない。
 が、これでよかったのだ。

 へろへろになりながら帰洛。
 またまた木屋町三条「龍馬」へ。
 
 女将お龍さんからメールがあり、常連客の「変態ブタゴリラ」さん(コードネーム)から僕宛にステキな贈り物があると聞いたから。
 拝受しました。いつもありがとうございます。心より喜んでおります。

 ここで大事な仕事をする。
 ある文章を書く。
 店主赤尾さんに渡す。

 いつになく赤尾さん、緊張の顔。
 ことの重要性を再認識なされたか。
 
 しばらくして退出。
 
 帰っても仕事。
 あるモノをスキャニングして、赤尾さんに添付ファイルで送る。

 明日も仕事、早いなあ。
 疲れきっているが、なんて楽しい日々なのだろう。

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2008.06.17

京都大名屋敷の解体過程の研究を助ける

6/16(月)はれ
 大谷大学に出講。

 まえおきは「若き日のお龍」写真の検討。
 先月中旬、各新聞をにぎわせた記事について、自説を展開。

 本題は、大学周辺の天皇火葬塚の意味について。
 紫式部墓も検討対象にした。

 いつもの中村の「史蹟はつくられる」論。
 
 おもしろがっているのか、つまらないのか、よくわからなかった。
 残念だ。
 もっと反応してほしい。

 府立総合資料館へ移動。
 ながく休館されていた。
 ひさしぶりだ。

 K都女子大学のS口M宏さんから依頼を受け、そのゼミ生Mさんの卒論を少し助けることにした。

 明治維新期、京都の大名屋敷の解体過程の研究である。
 僕がながくしたかった研究の一つである。

 いいきっかけなので、夢を託すとともに、僕も勉強しようと思った。

 で、当館蔵の京都府庁文書の大名屋敷処理の史料をまとめてみる。
 いつもながら、松田万智子さん、福島幸宏さんの手をわずらわせる。
 おかげで、たいへんスムースにすすむ。
 ありがたいです。

 歴史資料課の閲覧室には、友人U田C尋さん(近世史)がおられ、再会をよろこぶ。
 
 おびただしいコピーを依頼し、退出。

 Mさんとわかれ、旧宇治郡へむかう。
 転居予定地の内部をみせてもらう。

 まもなく書庫に着手。その底部にレールをひく。
 その前に、どのていど基礎を堅固にしてくださったか見たかった。
 
 洛中へUターン。
 いつもの木屋町三条「龍馬」へ。
 また「龍馬プロジェクト」を検討する。

 夜、大事なお客さん来店。
 「夢」の話をする。

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2008.06.14

「龍馬」にわいた

6/13(金)
 目がまわるほどとびあるいた。

 京都国立博物館でM川T一先生とおめにかかり、あるものを拝見したのはそのほんの一部。

 夜、いつもの木屋町三条下ルの「龍馬」で、おそるべき集会あり。
 2010年をめざして「信じられないこと」を論ずる。

 「可恐(おそるべし)、可恐」。

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2008.06.07

大河「龍馬」にむけていろいろあり

 6月4日午後2時、恒例の池田屋事件戦死者の法要が、左京区岩倉花園町の三縁寺で行われた。
 当然、出席した。
 
 今年は京都龍馬会メンバー5人がおこしだったので、にぎやかになった。
 それで計8人。いかにいつもさみしい会かお分かりいただけよう。

 子孫はもうひとりも来れていない。
 大高忠兵衛の子孫の方はながくおこしだったが、ご家庭のご都合で2年連続断念されている。

 ←京都龍馬会のブログに参加者6人の紀念写真が載っている(撮影は京都龍馬会のT吉氏)。

  僕が映っていないのは、先に帰ったから。
  午後4時10分から、B教大学(京都市北区)の講義があったので。

  その日以来、「えらいこっちゃ」ということが相次いでいる。
 「まさか」と思っていたことが実現にむけて動いている。

 昨日、京都龍馬会本部に行き、そのことを聞かされた。
 原則酒を断っている僕が驚きのあまり深酒をしてしまった。
 それほどだ。

 大きなきっかけは、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」決定だ。

 そのうちいろいろ明らかにされていくだろうが、とにかく楽しくってしようがなくなった。
 生きてきてよかった、みたいな感じだ。

 いますべきことをしっかりしよう、そう思えた日でもあった。

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2008.06.05

再来年の大河は「龍馬」に決定

速報です。
 2010年のNHK大河ドラマは、福田靖氏脚本「龍馬伝」に決定したと報じられました。

 1968年(昭和43)以来、40年ぶりの龍馬主役の大河となります。
 
 中村の龍馬論は、2009年秋には刊行せよと、S社のUさんから指令がきそうである。

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2008.05.25

京都龍馬会の総会に出席

5/24(土)あめ
 午後1時、恒例の一件のため、旧U郡O村に行く。
 また少し進んだ。

 夕方、京都龍馬会の総会にお招きいただき、参加。
 なぜかその場で本年度の監事に勧められてしまう。
 引き受けてしまったが、そんな時間や力があるのだろうか。

 総会後の懇親会中、大久保利通の忌年祭である「甲東祭」に参加中の、T京R馬会のM川M理子氏から電話ある。すごい偶然。
 同じくご参加の歴史作家のK野S人氏ともお話する。
 建碑の除幕式へのご出席を御願いする。
 今回の建碑はK野さんのご成果なくしては実現しなかったので。
 ご快諾くださる。

 夜、大雨。いっこもやまない。

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2008.05.18

また「秘密結社」に行った

5/15(木)はれ
 午前中、また「秘密結社」みたいなところへ行った。

 今日は日中なのでけっこう人がいた。
 「秘密結社」っぽくなかった。
 なれたということもあるかもしれない。

 今回はさほど名前も書かず、はんこもおさず、1時間ほどで終わった。
 これにより大層なモノが僕のものになった。

 昼、友人H氏に大事なモノを返却。

 夕方、木屋町三条下ルの酒場「龍馬」で、寺子屋龍馬に出講。
 今回で、はやいもので10回目。
 「幕末志士居所論」。
 
 受講者のYさんから不思議なモノをいただく。
 おどろいた。

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2008.03.05

友、遠方よりきたる

3/3(月)はれ
 東京T社のC氏、お仕事で上阪。
 帰途、龍馬の墓参のため上洛される。
 
 午後7時すぎ、近江屋新助方跡で待ち合わせ。
 「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」標石の建つことで知られていた京阪交通社河原町営業所が、今月末で閉鎖することを知る。
 京阪交通社前でこの碑をみるのはこれが最後かとつぶやかれたC氏の思い、よくわかる。
 
 それを見下ろす店に移り、会食。
 酒をやめたので、ふたりともウーロン茶を飲む。

 さる「逸品」を持参される。
 一見して、言葉を失う。
 
 僕の知っている龍馬コレクターとしてはすでに屈指の人だったが、刊本の希こう本が中心でいらした。
 今回は墨書だ。
 オンリーワンのものだ。
 品物にも魅せられたが、ながく頑張ってこられた成果が出ましたねと、喜ぶ。

 2次会は河原町町三条下ルの六曜社。
 コーヒーで歓談。

 終電に間に合うよう、お帰りになる。

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2008.02.23

町田明広氏と龍馬で維新を語る

2/22(金)はれ
 あたたかい日。そろそろ春か。

 まだ確定申告、奮闘中。
 が、だいぶわかってきた。
 楽しくさえなってきた。

 「知れる」ってうれしいものだ。

 山陽新聞福山支社の西崎哲也氏から、先日の鞆での講演の掲載紙が届く(2月10日付朝刊)。
 大き目の記事で、僕が写真に写っていた。
 送ってくださりありがとうございました。

 夜、東京からご出張中の維新史研究者、町田明広氏とお目にかかる。
 僕のなじみのお寿司屋さんと、木屋町三条のいつもの「龍馬」で、かなり濃い維新史談義。

 「寺田屋の一室で維新は生まれた」とは誰かがいったことばだが、「龍馬のカウンターで維新史研究は進んだ」とは僕のひとこと。
 
 ここでも建碑計画が進められている。
 京都に複数のお龍の標石を建てるつもり。
 千円寄付をした。

 今年は京都建碑イヤーだ。

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2008.02.16

古高俊太郎と龍馬と鞆ノ浦

2/15(金)
 午前中、第11回「洛洛歩考会」見学ガイドの原稿、やっとしあげる。
 担当Yさんにおくる。
 
 午後から「くずし字入門」に出講。
 また古高俊太郎(升屋喜右衛門)関係文書をよむ。
 先代(先々代?)がらみの訴訟。
 
 終了後、さきほど原稿をおくったYさんがキャンパスプラザへおこし。
 先日2時間半こもってゲラに加筆したが、それを修正して持参される。

 今回は720人も応募があった由。
 定員は200名。
 500名も落選するのか。

 午後5時、木屋町三条下ル「龍馬」につく。
 6時から龍馬講座。
 今日からプロジェクターが使えるようになった由。
 その接続のため、早めにいく。

 お見事。
 ちゃんと映った。
 すばらしい。
 これでこれからスライド上映しながら、はなしができる。

 ネタは鞆ノ浦の現状紹介。
 バイパスによって景観が破壊されようとしている。

 しまった、署名してもらうの忘れてた。

 終了後残って、たこ焼きパーティに参加。
 理事長赤尾さんから、龍馬にかんするある稀覯本を見せられる。

 はじめ気づかなかったけれど、これは昨年「京都の江戸時代をあるく」寺田屋稿に没頭していたとき、探したけどついに手に入らなかったものではないか。
 びっくり。

 あっさり貸してくださる。
 さすがは理事長赤尾さん。

 『京都の江戸時代をあるく』刊行前の原稿整理中。
 まだまにあう。
 役にたつか。

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2008.01.16

お龍の103回忌をしのんで講演

1/15(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 今日はNさん・Mさんにお車でお連れいただく。
 ビップのようである。

 最近、御土居堀講座ができていない。
 それを再開するいいきっかけもいただいた。
 あわせて感謝申し上げます。

 まだ南北朝期、観応の擾乱。おそいわ。
 
 終了後、有志の喫茶の会に参加。
 本年実行予定のある建碑のはなしをつめる。

 帰りもまたNさん・Mさんにお車で送っていただく。

 しばらく準備をし、再び外出。
 木屋町三条へ。
 寺子屋龍馬6回目の講演。
 ひさしぶりの木屋町。
 今年はじめて。

 今日は龍馬の妻お龍の祥月命日(103回忌)。
 だからお龍のはなしをした。

 おわったのちも久しぶりにとどまって「たこ焼きパーティ」に参加。
 一杯だけビールをいただく。
 今年はじめてのビール。
 「こんな味やったんや」と思う。
 ビールの味もひさしぶりと思えた。

 夜、「第4回京都検定問題と解説」原稿最後の1問をつくって送る。
 少し遅れましたが、去年ほどではなかった。ほっといたしました。

 深夜、「ラヴァーズ・キス」(2003年)をやっていたが、保存して最後までみずに寝る。
 宮崎あおいさんの出演作品です。

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2008.01.02

寒い元旦

 寒い元旦でした。
 が、未だこの冬、雪をみていません。
 湖北などの豪雪が信じられない。

 今日の『京都新聞』朝刊に、いつも話題にしている鞆ノ浦の「龍馬の宿」の記事があって驚いた。
 鞆ノ浦の問題は中国地方のローカルニュースではいかん、全国版でないと、といっていたが、ついに京都に来た。
 いい傾向だ。
 ぜひみなさん行って下さい。

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2007.12.12

龍馬遭難の日の超豪華ツアー

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 本日もブログランキング1位です。
 誠にありがとうございます。

 久しぶりに、1日更新ができなかった。
 すこし気をぬくと更新できない。
 あっという間に時間がすぎる。
 おそろしい。

 12/10(月)はれ
 多忙をきわめた日。
 9時から大谷大学へ出講。
 史蹟論をはく。

 つづいて京都駅へ。
 友人F氏と合流。某所への建碑の話し合いに行く。
 困難はあるが、1歩すすんだ(と思う)。

 昼、東京からM川M理子氏ほかご友人お2人上洛。
 某所でランチをいたす。

 ほんの1部の知る人ぞ知る、幕末の由緒ぶかい建物がお食事処になっている。そこで。
 龍馬がふれたかも知れぬ建物である。
 そのうち有名になるであろう。
 いまはいえぬ。
(といっても、ここだけの話といって、けっこう僕の講演ではしゃべってるけど)

 僕だけ早く出て、佛教大学へ出講。
 惣構論。
 先週にひきつづき、仁木宏さんの御説のご紹介。

 一旦帰宅し、次の準備。

 夕方6時、木屋町三条へ。
 京都龍馬会本部「龍馬」で、講演。
 今日は「龍馬の墓」論。

 龍馬埋葬地である、霊明神社の盛衰のはなし。
 いかに志士の聖地になり、また隣地の霊山護国神社に吸収されていくかを論ずる。

 午後7時半終了。
 その後、M川さんなど3人と近江屋跡へ。
 やはり東京から駆けつけたC野氏と同地で合流。
 
 午後8時から8時半ごろ、龍馬遭難の時間。
 同じ日、同じ時間にその地に立っている。
 メンバー5人、個々に一斉に写真撮影。
 つづいて同地で龍馬を斬った渡辺篤の回想録の朗読を開始(担当はC野氏と中村)。

 通り過ぎる人たち、一様にこの異様な集団に驚いた模様。

 これで終わらない。
 刺客は四条通へ出て千本通から下立売まで北上。
 千本下立売を東へ進み、智恵光院を左折(北上)。
 西側の寺に入ったという(渡辺篤の回想録。『坂本龍馬全集』909~910ページ)。

 このコースを追っかけてみた。
 東京の人々、時間がない。
 9時半の新幹線終電で帰らねばならぬ。

 ゆえに断腸の思いでタクシーに乗る。2台に分乗。

 千本四条から北上することはできない。
 同地から三条通までは南むきの一方通行である。

 ゆえに四条河原町から千本三条をへて千本下立売で下車。

 たまたまタクシー運転手、高知県北川村の出身という。
 龍馬と斬られた中岡慎太郎の出身地だ。
 こんな偶然あるものか。喜ぶ。

 千本下立売から「寺」まで徒歩。
 午後8時半すぎのこの界隈、とても静寂。
 当時をしのぶものあり。

 刺客は近江屋での物音が隣地の土佐屋敷に聞えることをおそれた(上記、渡辺の回想録)。
 いまの河原町蛸薬師ではぴんとこないが、千本下立売東入るあたりでは理解できる。
 ほんとうに静かだ。
 龍馬や刺客の叫び声は、河原町蛸薬師にもれ聞えたことだろう。

 「寺」、真っ暗。その分、リアル。

 このあたり、平安宮内裏跡にして聚楽城跡である。
 僕が年中歩きたおしていてるところ。

 が、龍馬の刺客の帰路だと思って歩いたことがなかった。
 しかも同じ日、ほぼ同じ時間に。
 さすがに、感激した。

 寒いし時間がないのでながく滞在できず。
 すぐにタクシーに乗り、地下鉄丸太町駅へ。
 新幹線組は京都駅へ。
 烏丸御池駅でわかれる。
 どうぞお気をつけて。

 C野氏とF氏と河原町へもどる。
 土佐屋敷跡へ。
 
 あの日、いまごろ、大騒ぎであったろう。
 それを感じにいった。

 これで終わり。
 3人で打ち上げ。
 場所は土佐屋敷に隣接するビルの5回の居酒屋。
 近江屋跡はまん前。
 上から近江屋跡を眺望しながら夕食である(写真。ただし別の日の撮影)。

 ひさしぶりにビール(グラス)一杯を飲む。
 10日ぶりのビール。とてもおいしかった。
 居酒屋に行くのもいったいどれくらいか。
 思いだせない。
 注文がなんだか楽しかった。

 惜しいかな、すぐにみなの終電がちかづいた。
 Fさん、Cさん、それぞれ電車やバスの都合で個々に分かれる。
 
 なんと豪華で贅沢な1日であったろう。
 本日関われたみなさんに、心よりの感謝を申し上げます。

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2007.12.10

龍馬遭難の日時に

龍馬遭難の日時に
 龍馬遭難の地に来ています。
 慶応3年11月15日は、西暦1867年12月10日です。すなわち140年前の今日です。
 時間もあと少しです。
 誰も気にせず通りすぎます。

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2007.12.08

鞆ノ浦、消えゆく木造家屋

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 鞆ノ浦から早くも帰ってきました。

 ほんとうは山口県萩市へ移り、博物館参観と乃美織江の墓参をするつもりだったが、巡検がながびいて、新山口駅から乗る予定だった東萩行きの最終バスへ連絡できなくなった。

 そのまま鞆に泊まればとNPOの方からおススメをいただいたが、京都ですることがゴマンとあるので、一端もどることにしたというわけ。

 また聞き上手のみなさんのおかげで、たのしい1日でした。
 ありがとうございました。

 また鞆の深みにふれた。

 でも残念なこともたくさん感じた。

 「龍馬の宿」こと「御舟宿いろは」の斜め前で、建物の解体をみてしまった(写真)。
 また鞆から木造建造物がひとつ消えた。
 
 こうして、「重要伝統的建造物群保存地区」になっても何ら不思議のない鞆が、理解されないまま取り返しのつかないことになっていくのだと思ってしまった。

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靹ノ浦におります

靹ノ浦におります
 靹ノ浦におります。
 昨夜着きました。
 午後2時から講演と巡検です。
 天気はよいです(やっぱり)。

 写真は龍馬がいろは丸事件の談判に使用した旧魚屋万蔵邸。
 今回の会場、「御舟宿いろは」です。
 

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2007.12.06

【講演】鞆ノ浦で龍馬たちを論ずる

 今朝もブログランキング首位です。ありがとうございます。

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 さてときどき話題にしている、鞆ノ浦のイベントのお知らせです。
 
 私の立場で鞆ノ浦の魅力を語ります。

 はじめはお部屋でおはなしし、後半は巡検(現地見学)もいたします。
 ぜひご参加下さい。
 よろしくお願い申し上げます。

日  時  2007年12月8日(土)午後2時から日暮れまで
場  所  御船宿いろは(話題の「龍馬の宿」です。広島県福山市鞆町鞆670)

内  容  講演 中村武生(佛教大学文学部非常勤講師)
タイトル  「ホンモノの義昭・秀吉・龍馬のまちへのあこがれ―歴史地理研究の立場から―」

定  員  30名(申込み順)
参 加 費  1500円

主催・申込み先 鞆まちづくり工房
           代表 松居秀子
          ℡ 084-982-0535

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2007.11.29

京都女子大学の受講者と巡検する

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 いま気づいたら、ブログランキング5位になっていました。
 いつもいつもありがとうございます。
 感謝いたします。

11/28(水)はれ
 京都女子大学へ出講。
 前回にひきつづき、巡検にゆく。

 馬町十三重石塔を考える会。

 今回は教室に集まって講義開始20分経過してから出発。
 それでも20人も集まらず。
 巡検人数としては都合はよい。

 前回解散した後白河天皇陵にふたたび行き、そこからはじめる。
 
 馬町十三重石塔が現存する京都国立博物館の敷地に入る。
 建物には入らない。
 庭の石塔だけみる。
 銘文を読んでみる。

 京都女子大学生は学生証をみせれば無料で入館できるのだ。
 この制度を利用した。

 入館料を払ったのは僕だけ。
 
 正面通りから伏見街道へ出る。
 伏見街道は古代・中世の法性寺大路に擬される。
 
 法性寺大路と汁谷越え(渋谷街道)の交点に、六波羅南門があったと山田邦和博士が推定されている。
(野口実さん「法住寺殿造営の前提としての六波羅」231ページ、高橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣、2006年)。

 だからその南門跡、すなわち伏見街道と渋谷街道を交差点を右折(東行)して、馬町十三重石塔の旧所在地へむかう。

 街道に道標があり、その奥(北側)に旧地を示すさまざまなものがある。
 馬町十三重石塔はもちろんだが、今回はその「さまざまなもの」が重要でやってきた。

 馬町十三重石塔は佐藤嗣信・忠信の墓と伝承されてきた(都名所図会など)。
 それを現在までひきついできたのが、前記の道標など、近代の「佐藤」さんの顕彰事業だ。

 その佐藤は、ただしくは佐藤政養という。
 幕末には佐藤与之助といい、坂本龍馬とともに勝海舟の神戸海軍操練所を支えたひとりだ。
 
 龍馬は禁門の変のあと勝のもとをはなれたが、佐藤はずっと勝海舟のそばにいた。
 そのあたりのことは、松浦玲さんの『検証・龍馬伝説』(219~276ページ、論創社、2001)に詳しい。

 佐藤与之助政養は維新後、初代鉄道助となり、初期鉄道事業の功労者となる。

 与之助政養は実は東北の出身。
 佐藤嗣信・忠信の子孫と家伝されてきた。

 だから先祖の墓とされる馬町十三重石塔を京都でみつけ、整備した。
 こまかいことに、先祖の墓の修復ではなく、実父の碑を建てたのだ。

 与之助政養の子清治郎は、さらに与之助政養の碑も建てた。
 こうして馬町十三重石塔は、佐藤政養一族の由緒づくり(史蹟創出)の施設として機能をはじめたのだった。
 
 ただ残念なことに清治郎の子(与之助政養の孫)がそれを破棄した。
 すなわち馬町十三重石塔を他人に売却してしまったのだ。

 このあたりの経緯は『初代鉄道助佐藤政養』(81~91ページ、私家版、1965年)に詳しい。
 
 こんなはなしを現地でした。

 いま渋谷街道沿いにあたらしい家が建とうとしている。
 しばらくすると、渋谷街道からは佐藤与之助と父の碑が見えなくなってしまう。
 いまのうちに写真をお撮りすることをおススメします。

 うれしいことがあった。
 街道沿いには、前記与之助の子清治郎が建てた道標があった。
 建物建設の真横にある。
 じゃまだろう。

 こういうとき、多くの場合、抜き取られる。
 運がよければまたもとに戻してもらえる。

 が、そうでなければ、破棄される。

 こうして道標や石碑は消滅してゆくのだが、今回はちがった。
 そのまま建っている。
 それだけではない。

 ビニールカバーがなされ、工事で発生する汚れが石につかないよう措置がされていたのだ。

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 感動した。
 ステキな工務店にちがいない。
 
 このことを明日が楽しみな京都女子大学の受講生さんに伝えて解散とした。

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2007.11.19

末法思想と広隆寺と龍馬殺害

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 桐野さんのブログはまだ再開できないらしい。
 残念なことである。

11/18(土)はれのち小雨
 午前中、嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 受講者、10人。

 また伏見の佐竹屋敷跡のはなし。
 鞆ノ浦(広島県福山市)の危機のはなしもする。

 今日もご参加の常連さんのおひとりが、福山市出身と知る。
 世の中、せまい。

 本題は末法思想のこと。
 こちらは基礎的な教養講座程度にすませる。
 ほんとうは反対なのだが。

 終了後、ばったり会った受講者のN川さん、M本さん、K藤さんと喫茶をし、ちかくの広隆寺へ参拝する。
(写真は京都市内にたったみっつだけ現存する、平安時代の建物のひとつ、同寺講堂。)

 いま桂宮院が特別拝観中。
 おまいりする。
 境内には三宅碑が3基あります。
 それをなでる。

 そのうち刊行される『京都史蹟の誕生』(仮タイトル、有志舎)で、三宅碑は思う存分論述します。
 先日も京都民報の読者から封書が届き、三宅碑について尋ねられた。

 京都の史蹟に関心のある方は、多く三宅碑が気になるようだ。
 早く刊行できたらいいのに(ひとごと)。

 なによりまずは『池田屋事件』(講談社現代新書)だ。
 いつでるのだろう(またひとごと)。

 御三人さん、それぞれ僕の知らないことをご存知で、またふかく広隆寺を知ることになった。
 ありがとうございました。

 某所から「篤姫」について、講演依頼あり。
 来年の大河ドラマのネタだ。
 すでに名古屋市の中日文化センターでも関連のはなしをしている。
 そういえば、京都おこしやす大学でもするんだった。

 なんだか知らんまに、「篤姫」ずいてきたなあ。
 そのうち、主演される女優さんと対談とかの仕事がきたらいいなあ(くるか)。
 
 夜は木屋町三条の「龍馬」で、龍馬殺害事件について講演。
 せまいお部屋満杯。
 立ち見が数名おられた。
 次回(12/10)も満席にちかい。

 ご希望の方は予約をいそいでください。

 終了後、上洛された東京のC野氏と歓談。
 新幹線で東下されるまでのわずか1時間強のこと。

 あっという間に時間すぎる。
 タクシーで京都駅までもどられる。

 僕も急いで帰宅し、明日からの京都検定ドリルに立ち向かう。

 そんななか、桐野さんのブログの異変にきづいたというわけ。

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2007.11.13

お龍と龍馬の近代史、連載開始

11/12(月)午前中はれのちくもり、午後あめ

 大谷大学、学園祭のため休講。

 ゆえに事務所で今週の京都検定日めくりドリルの問題をねる。
 今週のテーマも先週にひきつづき「世界遺産」だ。
 醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社をとりあげる。
 先週ついに400問を突破した。
 みなさまのご愛顧のおかげです。ありがたいと存じております。

 午後からは佛教大学へ出講。
 また惣構(そうがまえ)論。

 帰宅してまたドリルに立ち向かい、終了後は事務処理をおこなう。

 夕方、京都龍馬会のA尾さんからメールがきた。
 京都龍馬会の機関紙今号がすりあがった由。

 今回から僕が連載をはじめた。
「お龍と龍馬の近代史」というタイトル。
 ぜひこちらもご愛顧いただきたい。
 
 夜、木屋町のRに引き取りにいく。

 去る8/31に実施した、「くずし字入門」の池田屋事件舞台地巡検のビデオをみせてもらう。

 自分のしゃべりを審査する。
 「あー、うー、えー」は意識して使わないようにしている。
 それはまあ、できているのだが、それでもまだまだ不充分だ。 

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2007.11.06

鞆ノ浦で義昭・秀吉・龍馬に出会う

11/1~2(木・金)はれ
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 午後5時35分、鞆ノ浦バス停に下車。鞆に入る。
 
 非常に暗い。明かりが少ないのだ。
 時間はまだ夕方なのだが、深夜な感じ。

 ホテルに荷物をおいて、観光地図をもち、夜の鞆の市街地をあるきだす。
 暗いのに見えるんか、と思われると思うが、暗くてもわかることがある。

 昼間ならわからない、夜の鞆の味もわかる。

 頼山陽宿舎跡、坂本龍馬宿舎跡(旧桝屋清右衛門宅)などをすぐに見つける。
 古城山(鞆城跡、歴史民俗資料館)、今回問題の「龍馬の宿」(旧魚屋万蔵方、写真)にもであった。

 街区の道が非常にせまい。
 木造家屋が多い。
 地域の頑張り次第でいくらでも「よい町並み」になりそうだ、そんな感じがびんびん届く。

 が、そのせまい道に多数の車が通ってゆく。
 信号がないからであろう、抜け道になっていると思われる。

 本屋を一軒みつけた。
 地域を知る書物をと期待したが、郷土出版社の豪華な写真集をのぞいて何もなかった。

 そういえばJR福山駅前に大き目の書店があったので、『広島県の歴史散歩/新版』(山川出版社)を求めようとしたがなかった。広島県の地域本は皆無だった。
 かわりに京都観光本の特設コーナーがあった。

 京都方面の観光客が福山にくることを想定せず、地元の人間の京都志向にだけ答えようとしている。
 なんという意識の低さ。
 こんな本屋が駅前にあったらダメだ。
 
 7時すぎまで歩いた。
 さすがに食事をすることにした。
 ホテルなどの店をさけ、市街地で店をさがす。
 が、2軒しかみつからなかった。

 どちらにも入ってみた。

 いずれも魚料理を試食した。
 まあおいしかった。味に不満はない。
 海辺でも「カツ丼」を頼むような男だが、今回はそれをせず。
 
 しかし、いずれも営業熱心とはいえない。
 観光客めあてではなく、近所のおじさん・おばさんを相手にしている。

 ちなみに2軒目のテレビで中日の優勝をみた。
 お客は僕ひとり。

 この町、すごい潜在能力をもっている。
 翌日のお散歩でつくづく思った。

 午後2時半、今回招聘くださったNPO関係のみなさんと合流、修復中の「龍馬の宿」の中を拝見した。
 そのあとの会議で上記の思いのたけをお話した。

 これを具体的に語るゆとりがいまないが、来たる12月8日(土)午後2時ぐらいから、鞆で一般向けの講演をすることになった。
 そこでお話しますから、ぜひきてください。
 いま話題にしていない「義昭(足利)・秀吉(豊臣)」ってなにかもそのときに。

 場所は未定です。決まりましたら掲示します。

 地域全体が観光で生きていこうとほとんど思っていない。
 この「宝」が明日に持ち越されるかいなかは地元の意識にかかっているのだが、それを誰かが喚起しないといけないのだろう。
 地元の有志が頑張っておられる。
 それが届いていない。
 残念でならない。

 すでにいまいくつもの市民活動に参加している。
 もうあらたに手を出すわけにはいかない。
 自重している。
 かえって迷惑をかけるから。

 でも鞆は、ひかれてしまった。
 どこまでかかわれるか分からないが、とにかく12/8は講演します。

 題して「どうして僕は鞆にひかれるか―歴史地理研究の立場から」(仮タイトル)。

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2007.11.03

龍馬ゆかりの地へ招聘される

11/1(木)はれ
 京都平安ライオンズクラブの例会にお招きいただく。
 ご推薦くださったのは、上七軒大文字「つれづれ会」のメンバーY田さん。

 「知っているようで知らない平安京・京都」というタイトルで、40分ほどお話する。
 気持ちよくすごさせていただく。
 ありがとうございます。

 終了後、Y田さんにお車で京都駅ちかくまで送っていただく。
 実は広島県福山市鞆に行くため。
 現地のNPO「鞆まちづくり工房」からお招きいただきました。

 きたる11/15、同地の坂本龍馬ゆかりの建物が復興されます。
 そのための会議が明日おこなわれる。
 そこで何かはなせと、まちづくりの専門家永橋為介さんが紹介くださった。

 東本願寺前の小林地図店に寄り、25000:1地形図「鞆」などを購入し、新幹線に乗る。

 5時すこし前に福山駅につく。
 バスで35分。
 途中、中世都市「草戸千軒」をとおった。
 鞆ははじめて。
 でも草戸千軒は以前にきたことがある。
 あのとき、なんで鞆に立ち寄らんかったんやろう。
 回顧する。

 鞆を知らないものが、会議でなんの話ができるというのだろう。
 あつかましいが、引き受けてしまった。

 すこしでもましな顔をするために、前日に鞆に入った。
 さてどうなることか。

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2007.10.16

大政奉還論の先駆を論ずる

10/15(月)はれ
 午前9時、大谷大学に出講。
 なぜ地理学からではなく、歴史学からの歴史地理学研究が必要か、洛東大仏南門の坂本龍馬の居所をつかって論じる。
 わかってもらえただろうか。

 午後2時30分、佛教大学に出講。
 こちらは反対。
 地理学からの歴史地理学はどうあるものか、というはなしを「御土居堀」をつかって論じる。
 新旧の都市計画図に色鉛筆でぬりえをしてもらう。

 かなり「姿勢」についてうるさく言ったので、教室にいた子らはほぼ全員立ち向かってくれたようだ。

 午後6時、木屋町蛸薬師の「龍馬」(京都龍馬会本部)へ出講。
 寺子屋龍馬の3回目。

 大政奉還論は龍馬の独創ではない、大久保一翁にはじまるというのを原典にあたりながら論ずる。
 今回は松岡英夫さんの『大久保一翁』(中公新書)にたよるところ大。名著だと思う。
 
 終了後、たこやきパーティ。
 ここでもビールをいっぱいしか飲まず、ウーロン茶ばかり飲んでいた。
 あんなに好きなビールなのに、飲めなくなった。
 このまえは、金曜日にやはり一杯だけ飲んだだけ。

 不思議だが喜んでいる。

 京都龍馬会の機関紙『翔天隊通信』(季刊)に、「龍馬とお龍の幕末明治」(仮タイトル)を連載することになった。
 視点はお龍。お龍の伝記の形をとりつつ、龍馬の晩年とその死後を論じようと思う。

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2007.09.25

洛東霊明神社の秋祭に出席

9/23(月・祝)はれ夕方から雨
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 祇園界隈、お彼岸客や観光客がたいそう多い。

 午後2時、洛東霊明神社にうかがう。
 秋の祭典に出席のため。

 霊明神社は幕末志士の葬地として知られる。
 神主は村上氏。
 久坂義助が先祖の永代供養をねがい、中岡慎太郎が参拝したことが信用できる史料によるわかる場所。
 だから坂本龍馬や中岡はこの地に埋葬された。

 いま隣地の霊山護国神社がその管理者だが、1876年(明治9)に政府が霊明神社(霊明舎)から土地を
没収(上知=あげち)し霊山護国神社(東山招魂社)にわたしたため。

 いま龍馬らのお墓まいりをするには霊山護国神社から入るしかない。
 が、同時代の志士たちが訪問し祭祀を依頼した地は隣地の霊明社である。
 どうかこの事実を知っていただき、村上氏の霊明社にも参詣してほしい。

 今回、50人ほど参加されていた。
 今回8世を継がれた村上神主、建物のなかにある大きな社殿前で祭祀をなさる。

 建物や社殿はあたらしいものだが、その地が幕末から動いていないことは確実。
 僕は今回2度目の参詣だが、ここに知られた志士たちがみな来たのだとまた思い、ひとり感激していた。

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2007.09.20

JR西日本のビルから京都駅を鳥瞰

9/19(水)はれ
 10:50、基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 洛中の篝屋(かがりや)や、それを描いた一遍上人絵伝のはなしをする。
 いつもやりたい放題の内容なのに、みなさんよくお付き合いくださる。

 12:00すぎ終了。
 JR西日本のMさんなどお3人さんと待ち合わせ。
 昼食会につれていってくださる。

 このたびJR西日本のサイトに、京都観光のマニアネタを連載することになった。
 その打ち合わせ。

 京都おこしやす大学の主催者でもおありで、これまでの僕の講座をよくみてくださっている。
 理解してくださる方とお仕事することは本当にありがたいこと。

 昼食会のあとは、JR西日本のビルにつれていってくださり、そこでさらにくわしい話をつめる。
 ビルの上の階の窓からみる京都駅周辺はみごとで、土居堀跡でもあるので写真を撮りまくる。
 最後はみなさん総出で送ってくださり、ビップになった気分。

 京都検定日めくりドリルの原稿が滞っているので、帰途につく。
 途中、ある古書店に立ち寄り、ぼーっと本をみていると、左側面から「先生」と呼ぶ声あり。

 最近、路傍で突然声をかけられることがふえた。
 こちらがきづかなくても、相手がきづくことが多い。

 先日も「女性づれで電車に乗っておられるところを見ましたよ。実は横に座ってたんです」といわれたことがある。
 そのときいってぇなぁ、と思いました。

 で、誰だろうとおそるおそる見ると、元古書肆でいまは「R」のオーナーAさんだった。
 「何してるんですか」
 「本屋のこと教えにきてるんですわ、バイトですわ」
みたいなことをいわれる。

 奇遇やなあ、よほどAさんとは縁があるらしい。

 昨夜、僕の龍馬の師でもある、関東のM川M理子さんからおそるべき文献のコピーが送られてきた。

 夜、京都検定日めくりドリルの原稿があがったあと、それをもって「R」へいく。

 僕は郵便物をあけるのが苦手なので、「R」で開封する。

 いわれていたある写真が、たしかに2枚載っていた。
 こんなものがこの世にあったのか。
 体がふるえた。
 
 すでに活字ではふれたものがあるので、まったくの新出ということはありませんが、「そのもの」が一般にお披露目されたことはないらしい。
 
 で、それはなにやねん。

 それは僕に直接会ったときにでも聞いてください。

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2007.09.16

古高俊太郎と坂本龍馬を語った日

9/15(土)はれ
 朝1番、9時10分、「くずし字入門」に出講。
 乃美織江の手記が終わって、前回から古高俊太郎の供述調書こと「新撰組より差出候書付写」を読んでいる。

 この講座ほど中村ワールド炸裂みたいなものはないなぁ。
 最近全然「入門」ではないような。
 でも池田屋事件研究の最前線を知られたい方にはご期待にそえる内容と思う。えらそうですが。
 おかげさまで「講談社メールマガジン」の連載「本気で考える池田屋事件」もつづいている。

 夕方5時からはスナック「龍馬」で「寺子屋龍馬」講座。
 今回は「薩長同盟研究のいまと坂本龍馬」みたいな内容。
 
 桐野作人さんの昨年の論文をつかわせていただいた。多謝。
 佐々木克先生ご発見の『吉川経幹周旋記』所収、例の「非義の勅命は勅命あらず」の大久保利通書簡を声を出して読む。
 力が入ってしまった。

 終了後はたこ焼きパーティに居残る。
 受講のみなさんと歓談。

 そのあとは親しいS水さんからのお誘いで木屋町の珍しい店にいく。

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2007.09.14

洛東霊明神社で感動する

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 驚くような偶然により、洛東霊明神社の神主村上繁樹さんと縁ができた。
 龍馬ら幕末志士の墓所が、もともといとなまれていた場所です。

 明治政府の方針により境内の大半を没収され、それが隣地の現霊山護国神社に引き渡されてしまった、数奇な神社です。

 去る9/12(水)、霊明神社を訪問。
 はじめて村上さんにお目にかかり、本殿のおまいりもさせていただく。

 さまざまなお話をする。
 未知の史料が多数あることを知った。
 
 神主村上さんとたいそう意気投合する。
 文書・記録だけでなく、墓地もご案内いただく。
 
 恥ずかしながら、境内の南に飛び地の墓地があることを知らなかった。
 西の墓地は知っていたが。

 そしてもっと恥ずかしいことに、そこに和田義亮こと大沢逸平の墓碑があることを知らなかった。
 池田屋事件に受難し、庭の大釜に隠れて命が助かったと「乃美織江の手記」に記される人物だ。

 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』に立項されていない。
 贈位をうけているので『増補贈位諸賢伝』には立項されているが(下巻、703ページ)、埋葬地や墓所の記載がなかった。

 何年この人物のことを意識していただろう。
 こんな身近に墓碑があったのか(写真)。
 恥ずかしい。
 
 それから、霊明神社と志士の縁をつくった曇華院の吉田玄蕃の墓所もここと知らなかった。
 吉田は『明治維新人名辞典』に立項されているが(初版、1067ページ)、墓所の記載がなかった。

 いろいろ思いがふかい。
 村上さんに、これから深く長いお付き合いをお願いしてお別れした。
 一生忘れられない日のひとつになった。

 帰途、有名料亭の前に移動させられた天誅組墓地の道標の銘文を書き写していたら、その料亭にS戸内J聴さんが入っていかれるのをみた。以前に京都駅でお見かけした。2回目だ。

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江戸時代の御土居堀管理論をお話しする

9/13(木)はれ夜あめ
 京都新聞文化センターに出講。

 また江戸時代の御土居堀管理のはなしをする。
 拙著『御土居堀ものがたり』にふれはしたが、論文としてほとんど発表できていない。
 ひさしぶりに何とかしなければと思った瞬間。
 まとまった時間をつくらないと。

 しないといけないことが多すぎる。

 が、怠惰である。
 なんとかしなくてはならぬ。

 思い出させていただいた受講者のみなさんに感謝しています。

 夜、同社の担当Yさんと「R」でのむ。
 この日、新出の例のものを初めて持参。
 主人Aさんも驚かれる。
 
 龍馬殺害事件をほうふつさせるもの。
 うーん。うなる。

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2007.09.09

【講座】薩長連合論のいま

 恒例の龍馬講座を開きます。
 よろしければおこしください。

 タイトル:薩長連合論のいま―龍馬はどこまで関わったか
 講師:中村武生(歴史地理研究者、佛教大学・同志社大学など非常勤講師)

 日時:本年9月15日(土)午後5時~6時
 参加費:千円(お茶とお菓子がでます)
 ※限定15名(予約制です)

 場所:龍馬(京都市中京区木屋町三条下ル材木町184、都会館1階)
 主催・申し込み:特定非営利活動法人/京都龍馬会 075-211-3666

 ※終了後、たこ焼パーティがあります。参加自由(飲み放題3.000円)

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2007.09.02

お龍が「龍馬の遺族」でなくなる過程

9/1(土)はれ
 栄中日文化センターへ。

 今回は新幹線落雷事故はなく、無事11時46分京都駅発のぞみに乗れる。
 ぐうぜん受講者にして友人C野さんと同乗、たのしい名古屋行き35分であった。

 本日「お龍からみた龍馬」最終回。
 そして数年にわたってつづいた中日文化センターの龍馬講座も一旦おわる。
 
 本日は「龍馬と別れて」と題して、龍馬没後のお龍40年を論ずる。

 近年、鈴木かほるさんの「お龍伝」が発表されている(『市史研究横須賀』4号、2005年3月)。
 その成果を頂戴し、そこでふれられていないことにも言及した。

 とりわけ注目したのは、お龍がいかに「龍馬の遺族」からはずされていくか、という過程である。

 お龍はある時期までまちがいなく「龍馬の遺族(いわゆる未亡人)」であった。
 すなわち龍馬の「遺産」相続者であったといえる。

 龍馬の死後、長府毛利家からお龍が扶持米をもらっているし、龍馬の「遺言」にしたがい海援隊士たちは土佐坂本家へ送りとどけている。

 が、いつかそれがなくなってしまう。

 これは洛東霊山の殉難志士墓地がいかに形成されていくのか、という別の関心でえた知識により、興味深い齟齬に気づいたからだった。
 これについてはいつかきちんと論じてみたい。

 先日、ありがたいことに、東京の有名なS社(ただし「新人物○×社ではない)から「龍馬」で1冊書きませんかと打診をいただいた。

 幕末史を専攻しているものとして、龍馬伝を世に送れることは幸せなことである。
 すべきことがゴマンとあり、刊行はまだまだ先のことになるが、お引受けした。
 そこで論じれたらと願っている。
 
 それはともかく、まもなく新人物往来社から、鈴木かほるさんによる「お龍伝」が刊行される(『資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍』、11月末ごろ)。
 たいへんたのしみである。

 終了後、ながきにわたって受講くださった関東のM川さんとC野さんのお別れ会があった。
 来月からは龍馬講座はないのでもうお越しにはならない。
 お2人は最高クラスの龍馬通である。
 お2人がこられていたことは話す側として大いに刺激になった。
 ありがとうございました。

 来月からは「篤姫」(来年の大河ドラマ)にちかい幕末講座を行います。
 よろしければおこしください。

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2007.08.16

龍馬の哀しみを論ずる

8/15(水)はれ
 12時30分、基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 お盆のためか、受講者少なし。
 それでもおこし下さるみなさんに感謝。

 今日は「終戦紀念日」じゃありませんよ。
 昭和天皇の玉音放送の日でしかありませんよ、という。
 
 「終戦紀念日」というならば、前日の8/14(降伏を連合国に表明した日)か、9/2(降伏文書に調印した日)が適切です、とたまには時事ネタもはなす。

 また遍照心院のはなし。
 あきない。

 終了後、受講者で、有名京菓子店の会長でもあるYさんからお仕事依頼あり。
 すぐ出来ないけれど、1~2年の間ということだったので、お引受けする。

 午後2時、「京都おこしやす大学」担当のYさんと打ち合わせ。
 今週末に、また内裏と聚楽城跡の巡検をするため。
 今回はレクチャーの場所が異なるので、コースも少し変わる。
 あらたに何ができるか考える。

 午後5時、木屋町六角の「龍馬」で講演。
 受講者、予定以上おこし。
 狭い店内いっぱい。
 おひとりは立ち見となる。
 遠くは名古屋、静岡からいらっしゃる。
 感謝。

 タイトル「坂本龍馬―悲哀の人」。
 龍馬はヒーローだと思えません。
 とても、とても哀しい人だと思えます。
 それを薩長和解ののちに焦点をしぼって論じる。

 もし京都土佐屋敷に入邸できていたら、近江屋で殺害されることはなかった、そんなはなしを土佐屋敷跡の斜め前の店舗で話せるのは幸せなこと。

 終了後、同店でたこ焼きパーティ。
 いつもいろんな場におこしくださりながら、なかなか親しくお話できなかった方々と懇親できる。
 ありがたいこと。

 楽しくて少し飲みすぎた。
 店内はまだ盛り上がっていたが、早めに帰る。

 次回は9月15日(土)です。

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2007.08.06

お龍の父楢崎将作の新情報

 先日、いつもお世話になっている、京都府立総合資料館の松田万智子さんから表記のこと、ご連絡をいただいた。
 
 お龍の父、楢崎将作は青蓮院宮(のちの中川宮朝彦親王)に仕えた医者で、お龍を紹介した家族宛の龍馬の手紙にも登場する。

 安政大獄に連座した人物たちと親交があったこと、その最後の居所が柳馬場三条下ルだったこと、文久2年(1862)6月20日に亡くなったこと、埋葬地が寺町通六角の西林寺(現在は左京区八瀬へ移転)だったことなどがわかっている程度だ。

 正直、生前を知りえる、同時代の史料に乏しい人物といえる。

 そんなところに同じく青蓮院宮に仕えた坊官、進藤千尋の日記が紹介された。
 その安政5年(1858)6月13日条にわずかながら、楢崎将作の記事があったという。

 これを紹介されたのは武庫川女子大学の管宗次さんの論文「進藤千尋について―青蓮院宮坊官の文事」(『上方文藝研究』4号、2007年5月、上方文藝研究の会、大阪大学大学院文学研究科飯倉研究室内)である。

 それによると、
 進藤千尋は楢崎将作へどこかへ行くことを頼んだ。
 それを楢崎将作は「承諾」したようで、「三条柳馬場角書林堺屋」に案内をさせる予定らしいことがわかる(22ページ)。

 あまり意味のなさそうな記述だが、管宗次さんもご指摘のように、そもそも基礎データの少ない人物であるからまずは貴重である。

 とりわけ三条柳馬場といえば楢崎の居所であるから、興味深い。
 
 なお本史料は、写真版が刊行される予定という。
 今回の翻読部分2ヵ所が空白になっている。

 その部分「□□行頼候」とある。
 もしや地名か人名では。
 
 いったい何が書いてあるのか。
 刊行が大変楽しみだ。

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2007.08.05

龍馬とお龍、別居夫婦論

8/4(土)はれ
 名古屋・栄中日文化センターの龍馬講座の日。

 今回のテーマは「別居夫婦」。
 慶応2年6月、いわゆる新婚旅行のあと、妻お龍(りょう)は長崎・下関と居所を変える。
 その間、龍馬は妻と同居しない。
 政治活動に挺身する。

 いわば「別居夫婦」だったのだ。

 たまに妻の居所に立ち寄る。
 その間の動きを、現存唯一の龍馬のお龍宛書簡や、いつものお龍回想録(反魂香、千里駒後日譚)を読みながら論じる。

 あいかわらず準備不足。
 直前から本番にかけて、「あれも調べておけばよかった」だらけ。 
 ぶざまなこと。

 栄中日文化センターでの「龍馬講座」はもう限界を超えている。
 来月が最終回。
 よい引き際かと思う。

 来月は「龍馬を失って」。
 龍馬の死後、お龍は40年も生きる。
 その間の動きをお話しする。

 終了後、いつもの有志との懇親会。
 ここがもっとも勉強になる。
 M川M理子さん、C野F哉さんほか、みなさんから本日の内容のコメントをもらう。
 気づいていないことに多々気づかせていただける。

 この会も次回で終わり。
 Mさん、Cさん、「龍馬」精鋭のおふたりの前で講座を行うのは本当にきつかった。

 が、そのおかげで僕の「龍馬論」は大きく飛躍した。
 感謝してやみません。

 次回でおわる、そういう意味ではとても惜しまれます。

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2007.08.02

京都で龍馬の講演をします

8/1(水)はれ
 なじみの店「龍馬」(中京区木屋町三条下ル)に行った。
 しばらく毎月15日にミニ講演会をすることになった。

 しまった、また仕事を増やしたという悔悟と、これでよいのだという思いが交錯中。

 で、第1回は以下のとおりです。
 よろしければおこしください。

 タイトル:坂本龍馬―悲哀の人
 講師:中村武生(歴史地理研究者、佛教大学・同志社大学など非常勤講師)

 日時:本年8/15(水)午後5時~6時
 参加費:千円(お茶とお菓子がでます)
 ※限定15名

 場所:龍馬(京都市中京区木屋町三条下ル材木町184、都会館1階)
 お問い合わせ:075-211-3666(電話・ファックス兼)

 なお終了後、同店でたこ焼きパーティがあります(参加自由。飲み放題3000円)

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2007.07.27

龍馬研究などの精鋭さんと歓談する

7/26(木)はれ
 京都新聞文化センターに出講。
 「御土居堀」の豊臣期復元のはなしをする。

 が、最近珍しい絵図をみつけた。
 そのはなしを「本邦初公開」したので、大幅に時間をくってしまった。
 したかったこと、多く次回にまわってしまった。

 終了後、同センターの別のお仕事の打ち合わせ。
 担当Y田さんからおいしいコーヒーをいただく。
 同センターのコーヒー講座のコーヒーだそうで、豆までいただく。

 夕方、先斗町のお店へ。
 東京から歴史作家のK野作人先生、T京龍馬会のM川真理子さんのご一行が上洛。
 明日、京都国立博物館で寄託史料の特別閲覧をされる。
 僕もご一緒させていただく予定。

 その前夜懇親会が行われた。
 明日お世話になる、京都国立博物館のM川禎一先生もご参加。
 鴨川の床で中華料理をいただいた。

 濃厚なメンバーできわめて楽しくすごす。

 2次会は木屋町蛸薬師上ルの「龍馬」。
 京都龍馬会の本部でもある。
 
 店主の「龍馬さんとおりょうさん」もくわわり大騒ぎ。

 K野先生の豊臣期史料の博識ぶりに下をまく。
 豊臣期研究の一旦をになっているものとして、大層はずかしかった。
 
 明日の「本番」を前に早く帰らないといけないのに、遅くまでいる。

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2007.07.10

最終回も「寺田屋」になった

 京都民報社に原稿を送った。
 「京都の江戸時代をあるく」、最終回まであと2回。

 寺田屋を今回でおえて、最終回は別のはなしでしめようと思っていた。
 が、予期せず、終わらなかった。

 最終回も寺田屋だ。
 どうかと思う。

 その後も新発見はあいついでいる。
 最高協力者Mさんからは先日、飲みながらこんこんと書籍化(未定)するにあたっての注意をうけた。

「寺田屋」項は大きく修正・加筆せねばならぬ。

 いずれにせよ今回のまとめは、今後寺田屋を知ろうとする人には無視できないものになるだろう、と自負している。
 そんな仕事ができたことを心から喜んでいる。

 あいかわらずだが。
 できることなら、中学生の僕のところへもどって、今回の報告をしてやりたい。

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2007.07.08

龍馬とおりょうの「新婚旅行」を論ず

7/7(土)はれ
 七夕の日がはれるのは珍しいとおもう。
 
 栄中日文化センター(名古屋市)の日。
 「妻おりょうからみた坂本龍馬」講座。

 今回は慶応2年(1866)3月から6月にかけての、龍馬・おりょうの鹿児島旅行について。
  いわゆる 「日本初の新婚旅行」のこと。

 実はこの旅行、「日本初」は論外としても、「新婚旅行」かどうかもうたがわしい。
 
 なぜ「新婚旅行」というかといえば、慶応2年(1866)1月23日の寺田屋遭難をへて、龍馬とそれを助けたおりょうが同2月、京都二本松薩摩屋敷で西郷隆盛の媒酌で「結婚」したとされる。
 旅行はその翌月にはじまる。そのため。

 が、これは根拠のうすいはなしだ。
 
 鹿児島旅行を伝える同年12月4日付、姉乙女宛書簡には、小松帯刀と西郷隆盛におりょうを妻としたと伝えたとあるのみで、この薩摩屋敷滞在のとき「結婚」したとはいっていない。

 あえていえば、乙女に対して「兄さんにも伝えてくれ」といっているので、このとき初めて故郷の家族にも伝えたことになる。

 だから慶応2年(1866)2月以前であることはまちがいないが、直前だったかといえばわからない。

 なぜそこまでこだわるかといえば、おりょうの回想録が異説を伝えるからである。

 それに先立つ1年半前、元治元年(1864)8月に、青蓮院塔頭金蔵寺住職の媒酌により、同本堂で内祝言をあげたとある。

 他に裏付ける史料がないからか、これまでまともな研究者はほとんど相手にしてこなかったが、僕は注目している。

 すでに拙稿でかんたんにふれたが、おりょうの回想録は「嘘八百」でかためたものではとうていない。
(「京都の江戸時代をあるく28「龍馬とおりょう3―結婚式場は金蔵寺」」(『京都民報』2007年1月28日))

 これまで信じられていなかった話が、見落とされていた他の史料によって裏付けられた「事実」もある。

 そんなわけで信にたる史料がないにもかかわらず、おりょうの回想録を安易に無視し、2人の結婚を慶応2年2月とみとめ、その翌月からの旅行を「新婚旅行」というのは姿勢として正しくない。

 なんてことをはなした。
 
 次回は「別居夫婦」。
 龍馬とおりょうの同居期間はきわめて短い。
 龍馬が京都で死んだときも、おりょうは下関にいた。
 そのふたりのすれちがいと接触を龍馬の手紙とおりょうの回想録などを読んで紹介する。

 終了後はT京R馬会のM川さんを囲んで懇親会。
 こちらが抜群に勉強になる。
 うわさの秘蔵記録(伏見の寺院関係)を持参され、うなる。
 ビールやつまみそっちのけで、くずし字をよむ。
 
 寺田屋復興の功労者の名前がひんぱんに出てくる。
 これをネットオークションで微々たる安価で手に入れられた由。

 いつも参加の東京のCさんは2回続けて欠席。
 この史料のことはまったくご存じないことだろう。
 残念なことをされた。

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2007.06.13

また寺田屋調査で伏見へ

6/12(火)はれ
 すこしゆとりがあったので講談社現代新書の執筆をしようと思ったが、思い切って伏見へいった。

 「寺田屋ものがたりの虚実」という連載を、週刊『京都民報』で7回も行っている。
 まだつづく。
 おそらく10回をこえそうだ。

 おどろいたことに、インターネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「寺田屋事件」項に、もう拙稿が引用されていた。反応のはやさにちょっと驚いた。

 7代目寺田伊助と妻ハナなどが主人