2017.06.06

【案内】新発見の薩摩島津家伏見屋敷絵図について

このたび発見された伏見薩摩屋敷の絵図について、所蔵者である城南宮が一般対象に説明会を行います。

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日時:2017年(平成29)6月11日(日)午後2時から(受付開始は午後1時30分)

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演題:「新発見の薩摩藩伏見屋敷絵図について」

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講師:鳥羽重宏さん(城南宮宮司)

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参加費:無料(ただし神苑拝観料、大人600円、中学生400円が必要)

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場所:城南宮斎館(京都市伏見区中島鳥羽離宮町7)

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問合せ:城南宮総務部広報課(担当:川崎重寿さん、奥将人さん)

612-8459京都市伏見区中島鳥羽離宮町7

電話075-623-0846 FAX075-611-0785メール:mail@jonangu.com

報道資料http://www.jonangu.com/release.htm

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2017.01.14

連載開始。龍馬、新発見

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  昨日1月13日(金)発行の週刊新聞『京都民報』(2017年1月15日号)から、「龍馬、新発見ー没後150年によせて」という連載を始めます。全10回の予定です。
 2008年刊行の『京都の江戸時代をあるく-秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』(文理閣)の龍馬ページのその後という位置づけです。
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 第1回は「龍馬と妻お龍の出会いの地」、サブタイトルは「『大仏南門』は蓮華王院南大門」です。
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 発行先は京都民報社(京都市中京区衣棚通夷川上ル)です。
 次回は今月20日刊行号で、「『河原屋五兵衛』は瓦師久板五郎兵衛」の予定です。

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2016.12.18

外勤なかった日

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 2016年12月17日(土)
 久しぶりに外勤なかったので、一歩も自宅敷地から出なかった。少し休養になった。事務処理はけっこうした。たまっていた新聞も大量に廃棄処置をとった。少し前に手に入れていたのにほったらかしていた、『この世界の片隅に』全巻も一気に読んだ。娘を風呂に入れ、夜は奥さんの手作り餃子をいただく。寝かしつけも僕。絵本1冊読み聞かせ、いっしょに寝落ちした。
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 20日締切の某紙連載の「龍馬、新発見-没後150年」(仮、10回予定)は最初の原稿は完成せず。あさってはまったく原稿できひん見込みやし、明日は平安京・京都研究集会。夜は懇親会をさけて、洛中研究室で没頭やな(18日朝記す)。

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2016.07.26

洛東石田・日野をあるく

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 2016年7月25日(月)はれ
 午前中、都名所図会をあるくに出講。
 前回のつづきで洛東石田・日野地区。旧田中社(現天穂日命神社)から旧道を推定しながら日野地区へ。
 旧道が特定できると道標のほんらいの位置がおおよそ分かる。なので石田大山交差点の「三宅安兵衛遺志」碑(ひのやくしの碑、昭和四年春)は、旧位置から動いている(この交差点は昭和30年代に現日野道が出来て生まれたものであるから)。
 その後、ミニ登山して長明方丈石へ。万一のクマがこわいので、スマホで音楽ならしながら進む。クマは出なかった。
 午後から洛西の旧家で史料調査。この史料調査もう2年目なのだが、ここで予期せぬものが出た。体が震えた。このまま新聞記者発表などしたい気になったが、おさえた。またいつか。今年は一群をまとめて某展示に入れてもらうべきだったのかもしれないが、調査終了のめどが立たず、研究も活字にしていないから。所有者さんは目立つことを望んでおられないし。忘れられない日になった。ここには書けないが手帳には書いておこう。

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2015.07.23

幕末研究、いま思っていることを書き出してみた

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 幕末、文久・元治期の研究で生涯終えそうな。

 板倉筑前介の解明もその一環だし、知足院夢覚も結局は土佐山内家の洛東大仏居所をめぐる楢崎将作遺族の動向を知りたいという欲求につながっている。

 寺島忠三郎に関心を持ち出したのも、八月十八日政変後から甲子戦争(所謂禁門の変)に至る京都政局の中枢にいるわりに(古高俊太郎をスカウトし、有栖川宮家と毛利家の交流に関わっているほか、久坂義助の代わりに来島又兵衛とともに山口へ進発実現説得に向かったなど)、伝記のひとつもない人物で未だつかみきれていないところと気づいたから。

 政変以後の京都留守居役、乃美織江も気になっているのだけれど、いまだ放置状態。

 もちろん洛中惣構も。

 幕末期、京都は大きく土居堀に囲まれていた。そういった景観をほとんど意識されず幕末京都は語られている感が強い。長州が京都に攻め込んだとき、北・西・南は連続した竹藪に囲まれていた。兵はその出入口しか通れなかった。どこからでも攻め込めたわけではない。これも具体的な像を提示しておかないといけない。これなどは急務のひとつといえる。2012年の軍事史学会例会で報告ずみなのだが、まだ活字にできていない。

 在京浪士の組織化の問題も。結果として新選組のみで維持される京都守護職下の浪士であるが、もとは関東の浪士集団ではなく、上方でも組織される予定だった。その挫折とそのころ起きた某事件はつながりがあるのではないかという見込み。このあたりも語るばっかりで活字化できていない。

 いや、2012年秋の維新史学会大会での「池田屋事件再考」の成稿が最も急務。三宅碑論文と同様、ほぼできているのだから。まずい。

 政治的主要人物の居所と行動論もつづけなければ。木屋町通の長州人の居所特定(「路次」位置の復元)作業がまだ途上。昨年の「元治元年から150年」講演会で一部を公開した坂本龍馬の居所表はほぼ完成している。この成稿も急務。これを久坂玄瑞だの、寺島忠三郎だのと増やして行きたいところ。

 いちおういま何を考えて何をしているのか、一部を書き出してみた次第。

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2014.12.31

2014年を終えようとしている

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12月27日(土)に毎日文化センターの龍馬講座で、2014年の御用納め。その夜は摂津西宮N等さん方で幕末講座懇親会。

 28日(日)から論文執筆と紙ごみ破棄のみの生活継続中。すでに提出済みの「幕末政治的主要人物京都居所考」と「御土居藪と角倉与一」に加筆。初校で修正するつもり。

 29日(月)は来年1月24日刊行予定の『歴史読本』の原稿(池田屋事件と吉田稔麿)の初校が来る。即日返す。夜、京都新聞文化センター受講者の鈴木孚さんから『フロイス日本史』全巻(中央公論社)が届く。拙宅には全巻そろっていなかったので、ありがたく拝受する。

 30日(火)は午後から奥さんが不在だったので、娘と昼食に出かけ、いろいろ甘やかす。奥さん帰宅後、紙ごみ破棄と「『三宅安兵衛遺志碑と八幡の郷土史家西村芳次郎」論文の最終修正をする。

 

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2014.11.24

3日連続、天誅組論を展開

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2014年11月22日(土)はれ

 午後から毎日文化センター大阪教室に出講。

 日本史講座は、魏志倭人伝と邪馬台国。景初3年(239年)の難升米の遣使で時間切れ。

 坂本龍馬講座は、龍馬からみた天誅組の乱と石田英吉。後者はかなり感情が出たな。お恥ずかしい。

 本日のおみやげは、ハンバーグととんかつ、焼きそば。けっこう美味で、お嬢さん良く食べた。寝かしつけできる。

2014年11月23日(日)はれ

 午後からキャンパスプラザ京都での、「幕末政治史の中の新選組」に出講。今回の時期は、芹沢鴨死後、文久3年9月下旬から10月まで。

 この時期、大和では天誅組が諸侯と交戦・壊滅する。天誅組を近藤勇らはどう見ていたかということを考えてみた。3日連続、天誅組を話すことになった。一度、天誅組についてはちゃんとまとめておかないといけないと痛感。

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2014.08.26

八瀬で楢崎将作の墓参

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8月24日(日)

 外勤がなかったので、ずっと家にいた。

8月25日(月)あめのちはれ

 「都名所図会をあるく」に出講。天候ややこしかったのに、けっこうお越しになる。八瀬から大原へ。

 玉山稲荷社が旧八瀬遊園にあったと、竹村俊則の校注本にあったので、その跡地にあるエクシブ京都・八瀬離宮に残されているのか訪ねたが、すでに無し。「都名所図会」によれば、もと内裏にあった祠で、享保年間に高野村に移った由。もったいないね。

 いったいどうなったのか、調べてくれると担当さん(女性)。ありがとうございます。丁寧に対応くださいました。

 そのあと八瀬旧集落まで歩いた。竃風呂(京都市登録文化財)を拝観。ほんまは大原に入るべきなのだが、時間がなく、裏寺町蛸薬師から移転した西林寺に行く。もと寺町寺院だしというのと、坂本龍馬妻の実家楢崎将作とその先祖の菩提寺というので。「楢」文字だけ見える墓石を拝む。ほんとに楢崎将作の墓碑か分からないけど。

 そのあとバスに乗って洛西へ。午後2時からK家文書調査に従事。既知でない大事な文書一通確認す。

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2014.08.24

幕末な生活つづく

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2014年8月22日(金)

 午後からくずし字研究会。会津家臣日記も巻二に入った。K家文書の検討も開始した。

午後3時30分、洛中研究室でC新聞記者さんから取材を受ける。事前に問われたことをまとめておいたので、けっこうあっさり終わった。

 本日も娘の寝かしつけをいたしました。

8月23日(土)はれのちあめ

  午後から大阪市梅田の毎日文化センターに出講。日本史講座と幕末史講座。前者は縄文文化、後者は龍馬殺害。

 洛東山科に戻ってきたら急に強雨。そんななかで家へのみやげを買う。ギョウザと焼きそばです。帰宅したら家に誰もいなくて、いろいろ探した結果、近所の地蔵盆に参加していた。迎えに行って、いっしょに帰った。本日も寝かしつけができました。

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2014.08.01

龍馬の内祝言の日だ

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2014年8月1日(金)はれ

 筋肉痛はまだ続いている。が、昨日からだいぶ通常生活に戻りえている。

 今日は楢崎龍の回想によると、元治元年の坂本龍馬との内祝言の日だ(グレゴリオ暦1864年9月1日)。

 ただしこの時期に内祝言があったとしても、8月1日に龍馬は在京していない。

「海舟日記」によると、龍馬は直前の7月28日、東国より摂津神戸村に戻っている。
 同日記によると、その5日後の8月3日、薩摩の吉井幸輔とともに上洛した。松浦玲氏は4日の可能性も述べる(『坂本龍馬』67頁、岩波書店)。
 そんなわけで、8月1日に洛東で内祝言は困難。内祝言が事実としても3日以後。

 8月1日の直前、内祝言の場所になる青蓮院内金蔵寺境内は、元治甲子戦争(所謂禁門の変)の被災民が避難していてごったがえしていた。

 当日はわりとましになっていたが、ごたごたしたなかの内祝言だったのではないか。

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