2016.07.03

世尊寺行尹の書が4両は安い

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2016年7月1日(金)はれ

 午前中、くずし字研究会に出講。世尊寺行尹の筆跡を購入した残金1両2分3朱を支払った文書。おそらく本人ではなく仲介したものであろう。世尊寺行尹の書が4両と分かる。山本博文さんの説に従えば1両は6万円。現代の買い物とすれば安い。幕末は価値が半分に下がるのでさらに安い。それでも3回に分けて支払っていて、なかなかリアルでおもしろかった。この横に楢崎将作遺族(龍馬の妻など)がいる。

 夕方、K都B教大学に出講。洛南伏見の慶応二年の寺田屋事件を再現実験をしてみせる。当事者による信用できる史料が複数残っているというのはどういうことなのかを論じた。龍馬の襲われた寺田屋事件は、たとえば「どちらの足から一歩出たか」みたいなことまで分かる、珍しい事例という事を示してみた。次回につづく。

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2016.06.25

板倉筑前介書翰を読み薩長盟約を論ずる

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2016年6月24日(金)雨

 午前中、くずし字研究会に出講。板倉筑前介(淡海槐堂)の書翰を読む。実家の下坂家の菩提寺の留守居玉苗尼死去の記載。年次特定に役立つ。が、分かるものだろうか。

 夕方から京都文教大学に出講。伏見論の一環で、寺田屋を取り上げる。その前提で薩長盟約研究のいまを論ず。やっとここで「御花畑御屋敷」を話題とする。

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2016.06.24

伏見指月城と向島城跡を歩いた

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2016年6月23日(木)くもりのちはれ

 午後から京都新聞文化センターの巡検。伏見指月城跡(指月の岡)と向島城跡をあるく。昨年石垣と堀の見つかった現場ではマンション建設継続中。マンション名に「伏見指月城」が付せられていて感心。遺構検出を示す大きな解説板と出土石が展示してあった。しかしその遺跡を破壊してのマンション建設とは当然書かれない。

 途中、観月橋でおそうじ中の北村正義さんにばったり。指月城跡踏査のあと北村さんの吉田地図販売所に寄り、第二類型伏見城下町絵図の調整図を受講者多く購入。

 向島城跡にはいまだに建碑がなされていないことをなげく。同地域選出のS市会議員に期待したい。

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2015.07.17

検出遺構は伏見指月城でよいか

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 昨日、名古屋市の栄中日文化センターに出講。

 日本の城と合戦講座では、先日の伏見指月城の石垣・堀跡検出を話題にした。

 去る7月10日(金)夕方のニュース(「キャスト」、ABCテレビ)を切り口に、このたびの石垣・堀は、指月そのものではないかもしれないという森島康雄さんの見解を紹介した。

 ただし「キャスト」では代案が出されなかったので、おそらく次の木幡伏見城時代の大名屋敷のそれだと考えておられるのではと述べた。具体的に申せば、地名(京都市伏見区桃山町泰長老)から西(兌長老)邸を挙げておいた。

 西笑承兌は相国寺のトップで秀吉や家康のブレーンとして知られる。

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2015.06.21

指月伏見城の石垣・堀は常時公開しての保存を望む

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 去る6月19日(土)、指月伏見城(京都市伏見区)の石垣・堀を拝見した。
 位置をはじめ、実態不明だった同城が初めて姿を現した。
 
 聚楽城から木幡伏見城(豊臣秀吉終焉地にして、徳川家康・秀忠・家光の将軍宣下の地)へ至る天下人の城郭技術の変遷を知るうえで極めて意義深い成果である。
 同遺構が保存に向かっているようにいろいろ情報が入ってくるが、埋め戻すのか、公開性のあるものとするのか、いまだ不明。
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 先年の聚楽城本丸石垣(京都市上京区)のように、埋め戻してしまえば事実上2度と見れない。当日来れなかった方、今後生まれる人達のためにも公開状態での保存を強く求める。
 関係者の賢明なる判断を心より願う。
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 もちろん国史蹟の指定が前提である。
 いまだに聚楽城も伏見城も本体はまったく文化財指定を受けていない(ただし伏見城は石垣の一部が京都市登録史蹟)。他の都市なら考えられないことだ。

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2014.07.05

【講演】伏見を知ろう!~伏見の歴史とアイデンティティ

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講演の案内です。僕がしゃべります。無料です。

伏見しみん大学・市民活動入門講座/伏見を知ろう!~伏見の歴史とアイデンティティ/講師:中村武生/本年7月25日(金)午後6時30分~/於龍谷大学深草キャンパス22号館/40名/事前申込制・京都市伏見いきいき市民活動センター/無料

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2014.05.05

講座「黒田官兵衛が亡くなったのはどこか-伏見城の大名屋敷の位置を考える」

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伏見連続講座-ふれて、しって、みて伏見-」番外編

「黒田官兵衛が亡くなったのはどこか-伏見城の大名屋敷の位置を考える」

日時:2014年6月16日(月)午後5時30分~7時30分

会場:伏見区総合庁舎4階大会議室(京都市伏見区鷹匠町39-2)

講師:中村武生

費用:500円(資料代)

定員:200人(先着順、予約不要)

主催:特定非営利活動法人京都歴史地理同考会

共催:伏見区役所

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2014.03.22

昨日につづき堀内村

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3月19日(水)はれ

 前日に引き続き、O学会事業に参加させていただく。本日は終日。本丸、松ノ丸、増田右衛門郭、二ノ丸、三ノ丸、石田治部少郭に立ち入る。細かいところでは金明水、銀明水を見た。僕は実測のお手伝いと掃除ていどしかできないが。

 二ノ丸中央部の円丘状の高まりが気になる。櫓台などとはちがうらしい。これらの解明には、明治期に存在した料亭金城閣の実態掌握が不可欠ではないか。

 午後7時、京都駅グランヴィアで某テレビ番組ディレクターの方と会う。2時間半もお話し。閉店までいた。5月放映予定のもの。

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2014.03.20

旧城州紀伊郡堀内村へ

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3月18日(つづき)

 午後、O学会の事業に参加させていただく。旧城州紀伊郡堀内村へ。昨年にひきつづき二度目。参加をお許しくださったK本先生に心より感謝。雨が降りそうで降らなかった。なんとありがたいこと。途中で天子睦仁さんお墓と改めて気づき、ひとり合掌。だって幕末史専攻だもの。

 終了後、旧伏見町大手筋京町(藤本鉄石伏見住居跡そば)でひとり懇親会。

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2013.12.14

豊臣一族の屋敷跡じゃないのか

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  本日、京都市伏見区桃山町鍋島の埋文調査地に行った(調査主体は、株式会社イビソク。http://www.ibisoku.co.jp/)。

 地名によって、伏見城下町時代、鍋島邸跡と考えてきた。

 近世の掘立柱建物遺構が3棟分検出した。志野・織部・美濃・唐津など高級陶器のほか、金箔瓦も若干だが出土していた。花模様のもので、何者の屋敷跡だったかは不明である。

 が、もし鍋島邸であったら、金箔瓦が存在していたというのは異例ではないか。金箔瓦は誰もが葺けるものではない。秀吉から許可された者だけと理解されている。残念ながら金箔瓦の出土地が攪乱層だったか否かは未確認。

 今回の調査地は、豊後橋通と大手筋の交差点という一等地の南東角である。北東角は豊臣秀頼の傅役だった前田利家邸で、もとは豊臣秀次邸だった。

 北西角は使えると判断した桃山キャッスルランド蔵絵図によって、豊臣秀俊〈のちの小早川秀秋〉邸)と判断している。

 今回の調査地は、鍋島ではなく、豊臣期にはかなりの有力大名、もしかしたら豊臣一族の屋敷だったのではないか。

(限られた情報での推定なので、今後の成果によって意見が変わる可能性があります。ご留意ください。)

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