2015.10.31

「京都と岡山藩」展に行く

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2015年10月29日(木)

 外勤がない日だったので、岡山シティミュージアム「京都と岡山藩」展観覧のために岡山市に行く。京都の大名屋敷全般に関心があるから。

 岡山池田家の京都(猪熊通中立売上ル)と伏見の屋敷図もだが、最も関心をひいたのは、一条家に嫁いだ池田光政女の輝子(一条政所)の紫竹屋敷図であった。立派な図録をいただいた(無料。参観も無料)が、写真は載っているものの文字は小さすぎて読めないので、ひたすら筆写した(それでも困難な部分があり、やはり単眼鏡が必要)。可能なら所蔵者にお願いして複写をいただきたいところ。

 そのあと県立図書館に行き、『贈正五位岡元太郎小伝』を複写。ついで幕末の池田家家老、土肥典膳(隆平、岡元太郎の主君)邸跡参考地(旧岡山城二ノ丸内)や、少し足をのばして藤本鉄石誕生地碑も訪ねた。

 半日だけの日帰り岡山行であったが、実に有意義であった。十分な小旅行。気が晴れる。

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2007.10.08

曼殊院はもと内裏のそばにあった

10/7(日)はれ
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 おもいついて、曼殊院(まんしゅいん、京都市左京区一乗寺)に参拝した。
 恥ずかしながら実ははじめてのこと。

 いま北野上七軒のシンポの準備をしている。
 曼殊院は北野天満宮の別当職だった。
 いわば北野天満宮の「殿様」だ。
 中世の同宮関係文書や記録に多数登場する。
 どうしてもその地に立ちたかった。

 おどろいたのは、偶然「黄不動」の特別拝観中だった。
 すごい。呼ばれたにちがいない。
 そのせいか人が多かった。それには閉口した。

 ステキな建物・庭園だった。
 1度で好きになった。

 もうひとつ恥ずかしいことを知った。
 曼殊院はずっと一乗寺に所在していたと思っていた。
 だから北野社からえらい離れているのに、門前町の人などよく通うなと、古記録読みながら思っていた。

 とんでもない。
 実は江戸前期までは洛中にあった。
 場所は現京都御苑のなか。

 内裏(京都御所)の北東角、猿ヶ辻の東わずか数十メートルのところ。
 こりゃ北野から近いわ。
 今出川通をまっすぐ来たらすぐや。

 帰宅して、江戸前期の絵図「京都図屏風」や「洛中絵図」などで確認した。

 不勉強でした。
 でも現地に立ったので無知をひとつ克服できました。
 ありがたい日になりました。

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2005.09.18

京都市歴史資料館テーマ展を拝観する

9/18(日)はれ

『御土居堀ものがたり』刊行9日前

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 京都市歴史資料館を訪れる。
 テーマ展「京のかたちⅥ 近世の京都」を拝観するため。

 近世の京都図が多数出ていた。
 狭い展示スペースながら、こちらには良質な展示が多い。

 それもそのはず、こちらには大塚隆さんという、屈指の地図コレクター兼研究者からの寄贈品が多数所蔵されているためです。
 
 大塚隆さんとは1度お目にかかったことがあります。
 その後は文通のみですが、いろいろ学ぶこと多くあります。
 近刊の拙著『御土居堀ものがたり』にも、所蔵品を1枚、トレースして使わせて頂きました(179ページ)。
 
 最高級品の地図所蔵者ですので、購入、維持、放出におけるエピソードは傾聴に値するものが多くあります。

 さて今回のテーマ点、1番「おっ」と思ったのは、「御巡見所寺社寺内向略絵図(ごじゅんけんしょ・じしゃ・じないむき・りゃくえず)」でした。
 京都町奉行所の「雑色(ぞうしき)」という役人だった、荻野家に伝わったものです。

 京都町奉行は在職中、地域各所の巡見をいたします。
 その道筋を描いた図です。

 京都の外郭(惣構・そうがまえ)である土塁・堀も、大事な巡見先です。
 御土居堀ですね。

 何という奉行が、いつ、どこを巡見したか。
 これはさまざまな文書が残っているので、分かっています。

 僕は研究のため、それぞれの文書が記すルートを、何枚もの地図に自ら記していました。
 すると文章ではわからないことがいろいろ分かり、便利なのです。
 
 しかし実際の巡見の近世絵図が存在するとは知りませんでした。

 もしかしたら御土居堀を巡見した図もあるかも。

 そんなことを期待させるテーマ展でした。 

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