2008.07.15

篤姫紀行!だわ

7/14(月)はれ一時大雨
 この数日、いろいろあった。
 仕事もしっかり頑張った。そのぶんブログが滞った。失礼しました。

 12日(土)は、大谷大学の生涯学習講座で烏丸北大路付近を巡検。
 あつい中、60人ぐらいご参加。
 「がまん大会だ」といった人があったが、よくもどなたも倒れることなく。

 鞍馬口に「是より洛中」標石がほしいですね、賛同されませんか、といったら、終了後、4人の方から寄付の申し出があった。けっこう感激。
 ありがとうございます。

 すぐには無理ですが、かならず実現にむけて進みます。

 建設準備中の某碑もまもなく除幕式です。
 たいへんなことになろうとしていますが、それままた後日。

 13日(日)は、木屋町二条の広誠院で長州屋敷と幕末史のおはなしをする(京都民報主催)。
 こちらは23人のご参加。

 名古屋方面や山口県周南市からおこしの方がおられ、恐縮。
 しかも周南市の方は、ぼくの知らない史料多数ご存じで、いっぱいいろいろ教えていただく。ありがたかったです。
 来月、現物拝見に山口市へいこうとその場で決めた。

 京都民報主催の講座は、来週7月18日(土)もあります。こんどは巡検です。
 くわしくは過去のブログをごらんください。

 本日は大谷大学(こちらは通学、学部生)でまた巡検。
 堀川や小川の旧河道をあるく。

 地形に痕跡が露骨に残っている。
 そこに建つ家は将来洪水がきたら、やられる可能性が高い。
 明日生きるために地理の教養はとても大事なことを伝える。

 午後から銀行いったり、寺町姉小路の高級感あふれるところにいったり、錦小路の薩摩屋敷跡で興味深い電話がかかってきたり、京都有数の企業の食堂に入って「家族に代わって」お礼行ったり、あさって閉店するなじみの店へ最後の来客になりにいったり、某ルームでやはりあさって最終締め切りの原稿を打ったりする。

 最後につかれはてて、いつもの木屋町三条「龍馬」に行き、「本日のええはなし」を伝える。
 終電で帰宅。

 家かえって、また仕事。
 多数のメールがきているのだ。そのお返事も。

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2008.07.10

【講座】幕末史における長州毛利屋敷

 以下の講演会・現地見学会、まだ参加人数に余裕があるそうです。
 主催者から告知依頼をうけたので、掲示いたします。
 どうぞよろしくご参加ください。


幕末史における長州毛利屋敷
  広誠院の特別公開と木屋町幕末史蹟めぐり

 池田屋事件から禁門の変へと歴史が動いた京の熱い7月。
 当時の舞台となった木屋町通りに残る長州屋敷庭園跡の「広誠院」で、幕末史研究者であり、歴史を地理学的に歩いて探求している中村武生さんに講演いただくとともに、現地を歩いて学ぶ木屋町ウオッチングを行います。

【講演会】
と き:2008年7月13日(日)
    午後1時から3時
ところ:広誠院(京都市指定文化財。京都市中京区木屋町通二条下ル西側)
参加料:3500円  定員:40名(要申込み)

【現地見学会】
と き:2008年7月19日(土)
    午前9時から12時
ところ:市営地下鉄京都市役所駅
    改札口集合後、 木屋町通り二条・四条間あたりを史蹟散策
参加料:3000円  定員:20名(要申込み)

 いずれも講師:中村武生(歴史地理研究者/同志社大学嘱託講師)

 お電話でのお問合わせ・お申込みは、
 京都民報社・文化講演会係(荒川)TEL075・256・0901

 メールからもお申し込みできます。
http://www.kyoto-minpo.net/kouenkai/bakumatu.html

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2008.05.14

長浜の太田浩司氏と感激の共演

5/13(火)はれ夕方からあめ
 長浜巡検。

 午前9時45分、長浜城歴史博物館に入る。

 敬愛してやまない太田浩司副参事に挨拶。
 今回初の「共演」である。
 
 太田さんの案内で、学芸員から昇格された中島新館長にご挨拶。
 母校の先輩である。もちろん以前より面識がある。

 高著を頂戴する。ありがとうございます。

 長浜は、まち全体を博物館とする構想がある。
 だからまちの各所に建碑がなされている。

 それをつよく推進したのが太田さんである。
 今回「共演」させていただき、僕の建碑欲は太田さんから甚大な影響をうけていたことにきづいた。

 太田氏をもった長浜市は幸せだ。
 きっと没後も「長浜市の太田浩司」は語りつづけられるだろう。

 建碑されたもののなかに「是より○○長浜領」という、まちの境界石がある。
 これは京都の「是より洛中」に通ずる。

 長浜はそれを30余基、このたび復元した。
 それを追っかけることを今回の主題とした。

 午後4時半までに約半数みつけ、おえた。
 終了すこしまえから降雨。ぎりぎりセーフ。
 「さすがは晴れ男、誤差の範囲です」といってもらえた。
 ありがとうございます。

 午後5時6分、長浜発。
 午後6時12分、京都駅着。

 午後6時30分、「きなこの会」に出席。
 また京都の歴史こばなしをいたす。

 3時間もおはなししてしまった。
 聴講の方々、おつかれになられたことでしょう。

 次回は終了時間をきめて始めましょうね。

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2008.05.13

長浜に入り、歩きたおす

5/12(月)はれ
 午前中、大谷大学に出講。
 2週間ぶりは頭がまわらない。まだまだ本調子にない。
 次回は巡検です。

 午後から滋賀県長浜市へむかう。
 明日、JR西日本ジパング倶楽部のイベントで、長浜町をあるく。
 その下見のため、前日に入る。
 
 よく知った、なんども歩いたまちだし、ご案内をしたこともある。
 が、城下町案内は初めて。
 それゆえ万全をきしたかった。

 午後2時半から6時ちかくまで歩く。
 おもしろかった。
 明日の見込みがついた。

 久しぶりに外泊。
 こういう日に限って、いろいろなことがある。

 ご迷惑をおかけした方々にはおわびもうしあげます。

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2008.03.17

山科の安祥寺と山階寺の歴史をかたる

3/16(日)はれ
 午前中、江戸東京博物館から「篤姫」展図録が到着。
 昨日、友人T社のC氏が段取りしてくださる。
 予想外に早い到着。

 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 本日もたくさんのお越しで。
 ありがとうございます。

 山科・醍醐のおはなし。
 いつもの「最近のおはなし」はまた篤姫。
 はじめての方はめんくらったろう。
 
 安祥寺と山階寺のはなしに集中し、醍醐寺や勧修寺、山科本願寺・寺内町なんてまったくできず。

 前回の紫野・鷹峯同様、その2をしなきゃあなあ。
 
 終了後、また帷子ノ辻駅前の「スマート」で懇親会。
 しらんまに恒例化している。それはそれで楽しい。

 絵図のみかたとか、石碑建設の件とか、いろいろあり。

 そのあとまた旧U郡D村・I村などへ。
 建物の外観見学。
 よい家をながめる。

 夜は自宅で「篤姫」。
 予定通り、篤姫上洛は3/30放映だ。
 わくわくである。

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2008.03.03

京の七口と御土居堀をあるく

3/2(日)はれ
 国土交通省「洛洛歩考会」に出講。
 京の七口と御土居堀がテーマ。

 受講者200名のところ、700名の応募があった。

 が、実際は160名こられた。
 40名のあきがあったことになる。
 落選した500名に申し訳ない。

 今回は事前レクチャーだけでなく、現地見学会の案内も任された。
 寺町北限の上善寺、禁裏そばの近衛邸跡、河原町通にのこる御土居の3ヵ所で。

 当会はじめての現地見学会参加。
 おもうことがいっぱいあった。
 とにかく楽しかった。

 終了後、いつもの中村ゼミメンバーと喫茶。

 解散後はひとり古書店へ。

 『同志社大学九十年略史』が安価で出ていた。
 これを見ていて、ある疑問の答えのヒントにきづいた。

 どこに答えが落ちているかわからんなあ。

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2008.02.19

嵯峨野で紫野・鷹峯をかたり建碑がきまる

2/17(日)小雪
 午前11時から嵯峨野学芸倶楽部(主催:伝統プロデュース連)に出講。

 「京都郊外のものがたり」の第2回。
 紫野・鷹峯地区をあつかう。

 紫野・鷹峯はいずれも現在京都市北区である。
 郊外じゃないじゃないか、といわれると思う。

 でも両者とも、近代にはいっても愛宕郡の村だった。
 京都の都市域ではなかった。
 だから。

 この理屈でいくと、山科・醍醐も当然郊外だ。
 実はつぎは「山科・醍醐」のおはなし。

 今回も20人を超過。
 黒字だと思う。ありがたいなあ。

 僕の専門地域だったから、とても詳しくなり、半分もおわらなかった。
 いつか後編をします、と泣く泣く終わらせる。

 終了後、また有志と近くのコーヒー店「スマート」で懇親会。
 ほとんどが「中村武生ゼミ」(旧京都史蹟隊)メンバー。

 ここで、また建碑が決まる。
 諸条件がそろっている。

 おそらくこれが中村ゼミ(旧京都史蹟隊)による建碑第1号になるだろう。
 詳細はまたいつか。

 夜はまた旧U郡D村に。

 事務的な打ち合わせ。
 3時間半もかかる。

 へろへろになりながら帰宅。
 それでも仕事を再開。
 京都検定日めくりドリル、2問だけつくって送る。
 ここで力つきる。

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2008.02.10

鞆ノ浦で三条実美をあつく論ず

2/9(土)小雨
 鞆に滞在中。
 午前10時から、国重要文化財「太田家住宅」(県史蹟「鞆七卿落遺跡」)で、三条実美のおはなしをする。
 お招きくださったのは、太田家住宅を守る会代表の大井幹雄さん。

 建物のなか、ひな人形がたくさん。

 参加者募集いっぱいの35名以上。
 もちろん地元の方が多いのだが、すくなくとも京都からお2人おこしだった(中村ゼミの常連さん)。
 よくぞここまでおいでくださいました。

 鞆ノ浦は三条実美ら七卿がすくなくとも2回滞在している。
 1度は文久3年(1863)8月の政変の直後、京都から周防三田尻へむかう途中。
 
 2度目は翌元治元年(1864)7月、長州の上洛戦の際、後続部隊に所属し京都へむかう途中。
 が、京都にたっする前に「禁門の変」がおきて、先発隊が壊滅。
 ゆえに鞆付近でユーターンする。

 このいずれにも休憩所として使用されたのが旧中村吉兵衛邸。

(1度目の出典は、東久世通禧・田中有美『七卿回天史絵巻(旧書名「三条実美公履歴」)』71ページ、マツノ書店、1994年)

(2度目の出典は、『尾崎三良自叙略伝』上、67ページ、中公文庫、1980年)

 それが、国重文太田家住宅(県史蹟鞆七卿落遺跡)として現存。
 そこを会場とされた。

 七卿が座ったであろう部屋で、「三条が、東久世通禧が」と述べる光栄。
 忘れがたい日となった。

 これまでほとんど関心をもたれていなかった三条実美について、近年実証的研究が進んだ。

  笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回―三条実美を素材に」(『佛教大学総合研究所紀要』8号、2001年)

  仙波ひとみ「『国事御用掛』考」(『日本史研究』520、2005年)
  同      「幕末朝廷における近臣―その政治的活躍のメカニズム」(家近良樹編『もうひとつの明治維新』有志舎、2006年)
などだ。

 今回大きく依存、勉強させていただいた。

 が、大物三条を語るには、なんといっても時間がたりなかった。
 今回はほとんど七卿落までで終わってしまった。
 流浪中の重要性については、また機会をあらためたいと思っている。

 山陽新聞と中国新聞の記者がおこしだったので、明日の朝刊に載るのではないか。

 終了後も熱心な参加者と懇談。
 大井幹雄さんのご好意で、普段非公開の朝宗亭も立ち入らせていただいた。

 終了後、「龍馬の宿」へ。
 NPO法人鞆まちづくり工房の松居秀子さんを尋ねる。
 本日の講演もおこしいただいていた。
 
 喫茶しながら、鞆港の埋め立て架橋計画問題の現状をうかがう。
 まことにあぶない状態。

 今回白紙の反対署名用紙をたくさんあずかってきた。
 各所でご署名をお願いすると思いますが、どうかご協力をお願いいたします。
 
 もう一泊して、いろいろしたかったが、締め切りすぎて矢のような催促をうけているものが少なくない。
 帰洛をいそぐ。
 バスや電車のなかでひたすらグーグー寝る。

 京都についてびっくり。
 北大路通の歩道に雪が積もっていた。

 日中に大量の降雪があったらしい。
 そのすごさが想像できた。

 そういえば、新幹線のなかで電車到着おくれが知らせていた。
 ぴんときていなかった。

 在京してなくてよかった。
 おそらく動きがとりにくかっただろう。

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2008.02.09

ある商人との出会いに感激し夜鞆ノ浦に入る

2/8(金)
 午前中、あるものを買いに行く。
 すこし高価なもので、現金をにぎりしめて。
 商談は成立した。

 が、そのものが手に入るよりも、いい出会いがあった。
 その「商人」だ。
 濃密な人だった。
 この出会いを大事にしたいと思った。

 感激のまま、京都駅前キャンパスプラザへ。
 くずし字入門に出講。

 前回予告したように、大高又次郎論をのべる。
 語りすぎて、くずし字を読む時間がなくなった。
 本日配布のプリントは次回まわしになった。
 こんな日がたまにある。

 終了後、JR西日本の機関誌の原稿のこと、打ち合わせ。
 30分ほどできりあげていただく。

 帰宅し、鞆ノ浦での三条実美論のレジュメをつくる。
 JR福山駅から鞆ノ浦への最終バスにまにあうように家を出る。
 午後7時30分ごろの京都駅発の新幹線。

 ぎりぎりまにあった。

 JR福山駅着。
 駅前のコンビニでレジュメをコピーし、夕食を買って、最終1つ前のバスに乗る。
 靹にはコンビニがありませんし(たぶん)、この時間では夕食を食べるところもない。

 午後10時ごろ、鞆着。
 入浴後、深夜・未明まで明日のパワーポイントづくり。

 ちなみに今日2月8日は、旧暦の三条実美の誕生日。
 天保8年(1837)丁酉のこと。
 (宮内省図書寮編『三条実美公年譜』復刻版42ページ、宗高書房、1969年)

 縁だなあ。
 
 ただし現暦では、1837年3月14日。
 1836年生まれの篤姫(2月5日)、龍馬(1月3日)よりひとつ年下となる。

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2008.02.08

東京より帰洛、四条で啓示をえる

2/7(木)はれ

 東京滞在2日目。
 朝起きたら雪がつもっていた。
 知らんまに降っていたのだ。

 すべらないように気をつけて町田駅へむかう。
 国立公文書館をめざす。

 歴史作家のおなじみの桐野作人さんが、今回の調査に同行してくださることになった。
 ありがたくってならない。

 ここからの詳細は、すでに桐野作人さんのブログ「膏肓記」に記載がある。
 (←)そちらを御覧ください。
 そのとおりです。

 目的は達せられなかったが、「ない」ことがわかった意義も無視できない。
 わずか半日で国立公文書館(内閣文庫)、国会図書館(憲政資料室)の両方訪ねられたのは、ひとえに桐野さんの手際よいご案内のおかげである。

 それに篤姫と近衛家の関係を知る未知の史料が眠っていることも知った。
 すばらしい。
 またネタがふえた。

 あわただしすぎて、食事はおろかお茶をするヒマもなくお別れした。
 が、得ること大であった。

 近世京都の大名論、また新しい問題意識をもらえた。
 ありがとうございました。

 2時50分、東京駅をたつ。
 おそい昼食を車内でとる。
 
 車内でコーヒーをいただきながら、ほぼずっと寝ていた。
 疲れているらしい。

 各所から督促あり。
 しなければいけないことができていない。
 したいことなんか、ずっとあとまわし。

 こんなことでいいのか。
 生き方としておかしくないか、と次の目的地をあるいていたら、見知った人とすれちがった。

 高校の恩師K先生だ。
 おもわずお声をかける。
 わずか数秒の立ち話。

 実は、僕がはじめてお目にかかった専門の日本史研究者(民俗学)である。

 高校のとき、新人物往来社の読み下しだが、「吾妻鏡」を原典ではじめてみせてもらった。
 そんなものを個人でもっておられることが驚きで、いまも鮮明に覚えている。

 卒業後、掲載された論文や共著を頂戴した。
 富士信仰のご研究なのだが、読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。

 大学院を修了したのち、思い出したように拝見したとき、ようやく意味がとれた。
 知らないまに自分の学習が進んでいたことを知った瞬間だった。
 これまたよく覚えている。うれしかったのだ。

 なんら具体的ではないが、将来研究者になりたいと思っていたころにお世話になった先生だ。
 いまフリーではあるが研究者として1人だちできている。
 人にたよることなく、充分の収入で食えている。
 あのころ願ったことが現実化している。

 先生とばったりお目にかかって、思い出した。
 願いがかなっているのに何をぐずぐずいっているのか。
 猛省した。
 啓示かとおもった。

 祇園新橋の某所で、某会の例会に出席。
 タイトル「建て忘れた京都の石碑」。
 あるまとまった石碑群のはなし。

 それを再建すべきだという従来の思いをのべる。
 とても関心をいだいてくださった。
 何かがおきるかも知れない。

 すこしビールをいただいたが、すぐ帰宅。
 某大学から矢のように催促をうけたテストの採点をする。

 明日はまた「鞆ノ浦」(広島県福山市)出張だ。

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2008.02.07

東京・町田でまた京都論

2/6(水)
 東京・町田市へ出張。
 いつもの朝日アウトドア講座への京都講義。
 2時~5時ちかくまで。

 また聞き上手のみなさんに支えていただいた。
 今度は世界遺産からもれた良いところ探し。

 そのなかに僕は、大宮八条の遍照心院(大通寺)・六孫王神社をふくめた。
 いまとてもひいきなのだ。

 東京、みぞれ雪で驚いた。
 京都はまったく降っていないのに。

 でも京都からメールがきて、京都も寒いことをしった。
 
 夜、用事で立川市に行った。
 ショップ99をみつけ、びっくりした。
 100円均一ではなく、99円均一の店です。

 京都にはいっぱいあるし、堺市でもみつけたことがある。
 でも関東にあるとは知らなかった。

 が、友人H氏から聞いたところでは、立川市が第1号店があった地らしい。
 2度びっくりだ。発祥地だったのか。

 今日の宿はウイークリーマンションである。
 初めて使用する。

 一般のビジネスホテルとどう違うのだろうと思ったが、いろいろ違っていた。
 部屋が明るいし、電子レンジもあるし、暗証番号で24時間出入り自由だし、キッチンもあった。

 おもしろかった。

 明日は篤姫史料調査で、東京中心部にいく。

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2007.12.27

山科へ

 今日は京都新聞文化センターのイベントで山科へ行きます。
 旧東海道を三条大橋をめざして歩きます。
 さあどこまでいけるでしょう。

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2007.11.26

小学生に醍醐寺のよさを伝える

11/25(日)はれ
 あたたかい日。
 あの寒かった4日間が夢のようだ。

 たまたまその寒い期間、妹が京都での結婚披露宴に参加し、寒さで中耳炎になった由。
 気の毒なことだ。

 醍醐に行く。
「山科・醍醐こどものひろば」のイベントで、小学生とその親御さんに下醍醐をご案内する。
 小学生に僕のしっていることを平易に伝える、むずかしいことだが、実に楽しい。
 稀有なことをさせてもらっている。
 今回は女の子、4人だけだったが、意義深かった。

 下醍醐、ひさしぶりに入ったが、またちがう価値をいくつか見出した。
 奥がふかい。
 すばらしい寺だ。

 午後からはお別れして、醍醐で「あるもの」をさがす。
 すぐみつかるものではないので、時間をかけようと思う。
 今日はささやかながらその貴重な第一歩をふんだと思った。
 

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2007.11.23

すごい雨男(雨女)に気づいた

11/22(木)午前中あめ午後はれ
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 朝8時45分、二条城につく。

 東京都町田市の朝日アウトドア講座のみなさんと合流。
 僕は「晴れ男」だと公言している。

 本日実にめずらしく雨だ。
 今年に入っていったい何回目のことか。

 ここまで降るのは2回目だろう。
 1回目はいつだったっけ。

 おどろいた。
 やはり町田市の朝日アウトドア講座のみなさんを上賀茂神社にご案内したときだ。

 僕に圧勝できるような、雨男か雨女がおられるにちがいない。
 名古屋の朝日カルチャーセンターの担当Hさんも雨女らしいが、18回の見学会のうち雨はたった1回だった。
 それほど僕の晴れ度は高い。

 その僕に2度も勝つとは、すごい人だ。
 どの人か知りたかったが、ついにわからなかった。

 二条城、奥がふかい。
 来るたびに気づくことがある。
 中村ワールドに巻き込めそうだ。

 11時30分、終了。おわかれ。
 みなさんは湖東三山にむかわれた。
 
 午後からは京都新聞文化センターの巡検。
 江戸時代の大名屋敷跡の痕跡をみてあるくイベント。

 なんと、はれる。

 ねっ、うそじゃないでしょ。
 
 夕方4時半、京都御苑の閑院宮邸見学で終了。

 同邸を出たところで小雨がふってきた。
 ほら、終わったからね。
 
 信じていただけましたでしょうか。

(写真の門は、京都国際ホテルの大名屋敷の遺構)

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2007.11.03

龍馬ゆかりの地へ招聘される

11/1(木)はれ
 京都平安ライオンズクラブの例会にお招きいただく。
 ご推薦くださったのは、上七軒大文字「つれづれ会」のメンバーY田さん。

 「知っているようで知らない平安京・京都」というタイトルで、40分ほどお話する。
 気持ちよくすごさせていただく。
 ありがとうございます。

 終了後、Y田さんにお車で京都駅ちかくまで送っていただく。
 実は広島県福山市鞆に行くため。
 現地のNPO「鞆まちづくり工房」からお招きいただきました。

 きたる11/15、同地の坂本龍馬ゆかりの建物が復興されます。
 そのための会議が明日おこなわれる。
 そこで何かはなせと、まちづくりの専門家永橋為介さんが紹介くださった。

 東本願寺前の小林地図店に寄り、25000:1地形図「鞆」などを購入し、新幹線に乗る。

 5時すこし前に福山駅につく。
 バスで35分。
 途中、中世都市「草戸千軒」をとおった。
 鞆ははじめて。
 でも草戸千軒は以前にきたことがある。
 あのとき、なんで鞆に立ち寄らんかったんやろう。
 回顧する。

 鞆を知らないものが、会議でなんの話ができるというのだろう。
 あつかましいが、引き受けてしまった。

 すこしでもましな顔をするために、前日に鞆に入った。
 さてどうなることか。

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2007.10.28

洛中から愛宕郡に戻りすぐ宇治郡へ

10/27(土)あめ夕方くもり
 本日は吉田松陰の祥月命日(安政6年(1859))。
 現在の暦では11月21日なんだけれど、どうしても10/27に反応してしまう。

 午前中、京都新聞文化センターへ。
 京都観光講座に出講のため。
 幕末の京都についてはなせということなので、志士の居所論を展開した。

 あまり夜眠れなかったので、終わってからへろへろになりながら帰宅。
 ほっとしたところで、O谷大学のK端Y幸さんから電話。

 あっ、すぐきづいた。
 忘れてた。午後から山科本願寺・寺内町を考える市民の会の講演の日だった。
 司会役だったが、いまからではまにあわない。
 司会をお願いする。

 着いたのは1時間強ののち。
 今回は前田哲哉本会事務局長のおはなし。
 途中から参加。

 山科寺内町跡に残る地名の検討をされていた。
 大半が根拠希薄であるが、宇治郡誌や山科町誌などの地誌にもまとまって論じられたことがほとんどないので、こういうお仕事はあるべきだと思った。

 みなさんとお別れしてからひとりで喫茶店に入り、手に入れたばかりのあるビジネス関係の新書を読む。
 読みやすかったのと、関心があるネタだったので、2時間半ほどで読了する。
 刺激になること多し。

 帰宅後は、来週の京都検定日めくりドリルに立ち向かう。
 日がかわるころ完成、担当Yさんにお送りする。

 ビールを飲まなくなってから、仕事が進むこと進むこと。
 いいことだ。

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2007.10.26

伏見城跡をあるき映画撮影に出会った

10/26(木)くもり
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 京都新聞文化センター「京都の江戸時代」に出講。
 今回は現地見学会。

 3ヶ月・6回講座の半分を現地見学会にあてる。
 はじめてのこと。
 まず教室でお話し、翌週その現場にたつ。
 ある意味、理想的な講座だ。

 今回は伏見城・城下町をあるいた。
 古図と現代の地図をもって、「ここは前田利家だ、山内一豊だ、伊達政宗だ」とさまざまな大名屋敷跡をご紹介してゆく。

 丸の内にちかづく。
 今回めずらしいところでは、最近三の丸跡から出土した石垣が桃山御陵ちかくに路傍展示してある。
 島津家のものと思われる「丸に十」刻印があった。

 途中、周知の郷土史家F林武さんとS母短期大学の先生方ご一行とばったり。
 F林武さんとは寺田屋調査をしていたときにも、駿河屋の前でばったりあったことがある。
 よほど縁があるにちがいない。
 
 石田三成屋敷跡推定地に隣接する治部池をのぞきこむ。
 せっかくだから(旧桃山城の)模擬天守がちかいので立ち寄ってみる。

 ちょうど淀殿をテーマにした、東映の正月映画の撮影をしていた(写真)。
 いま(旧桃山城の)模擬天守が、大坂城天守にみたててお化粧なおしされている。
 
 興味がないわけではないのでおそるおそる遠巻きにみていたが、よく考えたら公園での撮影だからちかづいていいのだった。邪魔にならない範囲では。
 で、けっこうちがづく。
 主役の元宝塚出身の俳優さんが車で動かれるのもみた。
 名前をきいても知らない人だったのが残念だった。

 4時までの予定だったのに、けっきょく城下町の外郭・惣構の土塁・堀跡まであるいたので、近鉄・京阪丹波橋駅についたとき5時をすぎていた。

 でもみなさんご熱心で、クレームもなく楽しそうにお付き合いくださる。
 今回もこれまで気づかなかったことにきづけたりして、僕も勉強になりました。
 あつく御礼申し上げます。

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2007.10.14

京都観光ガイド養成講座に出講する

10/13(土)はれ
 京都新聞文化センターに出講。
 いつもの「京都の江戸時代」ではなく、「京都観光『ガイド塾』」という講座。
 
 山田邦和博士や、京の年中行事研究会の原澤一夫さんとのリレー形式。
 僕は「江戸時代の京都」と「幕末の京都」。

 「江戸時代の京都」でレジュメをつくったのだけれど、直前に「京都観光ガイド」としての心得と知識みたいな内容にしたくなる。
 で、レジュメとは大幅にちがう内容にした。
 問題かとも思ったが、けっこうウケた。

 予定にしていたものは次回に持ち越すことにした。
 幕末史といっしょに語ります。

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2007.09.19

ブログ愛読者U原K久氏の指摘

 すこしあいてしまっった。

 友人U原K久氏から、「嵯峨野学芸倶楽部(連)に出講した」というブログ記事が少ないといわれた。
 驚いた。そうだったっけ、と思った。

 去る9/16(日)、その嵯峨野学芸倶楽部に出講した。
 それから3日、いろいろあって更新が遅れた。

 なるほど、たしかに書いていない。
 指摘がなければ、本日の更新では昨日の朝日カルチャーセンターの現地講座の話題をしておわるところだった。

 そうか、おっしゃるとおり。

 愛読者U原氏に感謝。

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2007.08.29

お好み焼き店「世津」閉店

8/26(日)はれ
 京都おこしやす大学に出講。
 京都駅南部の巡検です。

 キャンパスプラザ京都で事前レクチャーを行う。
 行ってびっくり。
 同館で、ふたつも関心のあったイベントが開催されていた。
 
 車石シンポと、京都府庁文書シンポ。
 さすがに立ち寄れず。残念でならず。

 午後からの巡検。
 御土居堀跡を気にしながら、新選組最後の屋敷跡、綜芸種智院跡、遍照心院跡(六孫王神社)へ。 
 
 六孫王神社では、社のご好意で源経基墓にお参りできる。
 社殿のうしろにあるので普段は近づけない。
 実はぼくも初めて。

 最近、遍照心院・六孫王神社にはまっているので、たいそう感激する。

 最後は東寺へ。
 蓮花門など築地の外郭門を観覧しながら、南大門から境内に入る。

 この南大門、大仏方広寺(東山区)の西門だったことがほとんど知られていない。
 同門にいささかもそのことが書かれていないことが大きいのかも。
 明治以前、ここにはなかったのだ。

 旧地は現在の三十三間堂の北隣地、大和大路七条の交差点にあった。
 つまりその東側、京都国立博物館の南門から智積院の門前まで自動車道路が貫通しているが、明治以前は方広寺の境内だったということになる。

 知られていないことが惜しい。

 あまりに暑かったので、そこまで丁寧な解説ができなかった。
 
 旧平安京現存最古の建物といえる宝蔵(平安時代?)をながめ、慶賀門を出、東側にまわって南東角で解散となる。
 みなさま、暑い中ご苦労さまでした。
 
 終了後、もしやと思い、裏寺町六角へ。
 お好み焼き店「世津」、やっていた。

 入ってみる。
 「8/26をもって閉店」の貼紙をみる。
 今日だ。まにあった。

 店主からようきてくれた、という顔をむけられる。
 いっぱい注文したが、えらいサービスしてもらう。
 
 思い出いっぱいの店とのお別れは感慨ぶかい。
 満員だったが、残念なことにほとんどのお客は今日が閉店日と知らずにきている。
 意識をしていたのは僕ともうひとりぐらいだった。

 ながい間、ありがとうございました。

 また「なじみの店」をさがさななぁ。

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2007.06.01

東京の方々を上賀茂・下鴨両社へご案内

5/31(木)はれ
 東京都町田市の朝日アウトドア講座の70名が、ふたたび上洛。
 
 先週は雨がふったが、本日は晴れた。
 前回と同じく 上賀茂・下鴨両社。
 先週ご案内できなかったところへお連れする。

 終了後、こもって京都民報の連載原稿を打つ。
 今週は別件にもりあがったからなぁ。
 また休肝をはじめて、3日以上できそうやったのに、3日目飲んだもんなぁ。うれしすぎて。

 ひとつのことに2日以上かけたらあかんわ。
 ぜったい何かに影響する。
 週1の連載ふたつももっていたら、すべてのことは最高1日で片付けなきゃ。

 すると論文はかけないことになる。
 そら、あかん。

 それは本末転倒や。

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2007.05.21

平安京以上に寺田屋を論ずる

5/20(日)くもり一時あめ
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。

 「平安京遷都」を講ずることになっていたが、この講座はちょっと特殊。
 僕が好きにしていいので、最近執着している寺田屋問題のはなしをして、そのあと長岡京を発見した中山修一さんのはなしと、本題をする。

 終了後、北野地域の史料を読む会がある。そのためとどまる。
 メンバーの1歳未満のお子さんを思いっきりからかう。楽しいこと、このうえない。

 中世、酒麹の権利をめぐって北野地域(西京)は東京と争う。
 その史料をよむ。

 今回はいままでで参加者1番少なかった。
 そういえば、僕をこの会に誘ったU氏は来られたことないなぁ。
 忙しいらしい。
 さみしいなぁ(U氏攻撃)。

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2007.05.14

幕末志士の子孫Aさんと懇親する

5/12(土)はれ
 午後2時半、真如堂の塔頭吉祥院(左京区)へ。
 「ミヤコを囲う―御土居堀ものがたり」というタイトルの講演。

 カッパ研究会でお目にかかった副住職さんからのご依頼です。

 20余名の受講者だった。
 既知の方がお1人こられていた。
 昨日京都新聞の催し物欄に載ったらしい。
 これは気づかなかった。

 1番前の年配の女性が後半寝てはったのが気になったが、全体としてはときどきは笑いもあって、まあまあかなぁと思う。

 終了後、本堂に参拝。
 三重塔も拝む。

 午後6時半、京都駅前で関東から来られたAさんとお目にかかる。
 ある宮家に仕えた幕末志士の御子孫。
 僕が執着をしている古高俊太郎とも交流があった。
 その関係で知り合った。

 お若い方で歴史学のプロではないのだが、たいへん勉強しておられる。
 教えていただくこと大。
 
 今回も伝来の未知の史料を多く拝見した。
 教えていただいたことは、秋に刊行予定の『池田屋事件』でぜひ紹介させていただきたいと思っている。
 
 なかなか宮や堂上の家臣がいかなる政治活動をしていたか、わかっていない。
 その事例研究として意義深い深いと思っている。

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2007.05.11

なじみのお好み焼き店のピンチ

5/10(木)あめ
 京都新聞文化センターに出講。
 豊臣政権の京都改造のうち、内裏と公家町について。
 
 豊臣期京都の復元図案について、杉森哲也氏の説と、山田邦和氏監修のイラストを比較して、ああだこうだいう。
 終わったあと、むかいの京都商工会議所の出来たばかりの喫茶店で京都民報の連載を打つ。
 場所がかわるとはかどる。
 理屈はいらない。
 はかどるのだから、はかどる方法をとる方がよい。

 寺田屋問題、今回時間かけすぎたなあ。
 おおいに反省。

 夜、裏寺町通六角下ル、なじみのお好み焼き屋「世津」へ。
 店主体調不良、従業員雇いたくてもお客が少なく雇えない由。
 このままでは年内には閉店になる。
 助けるためにもなるべく行くことにしている。

 昔のお好み焼き店。
 上洛のおりは一度お訪ねください。
 僕がいるかもしれません。
 1週間になんどもいってますから。

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2007.02.26

第10回洛洛歩考会に出講する

2/25(日)はれ

070225

 久しぶりにかなりあいてしまった。
 他意はありません。忙しかったのです。健康も害しておりません。ご心配をおかけしました。

 本日、国土交通省京都事務所が主催する「洛洛歩考会」の10回目が行われた。
 京都の旧蹟をボランティアガイドの方が先導し、説明をうけるというもの。

 参加者約200名。
 応募は460名にのぼったという。
 かなり人気の会だ。
 半数以上が落選したらしい。

 僕はその会の冒頭で約40分、レクチャーを頼まれた。
 「京都の江戸時代と道」という内容。

 ただ午後からの現地見学コースが京都駅前から西本願寺・島原をへて、壬生にたっするという、いわば新選組旧蹟コースなので、はなしもそれにかたよらざるをえなかった。

 司会はKBS京都のアナウンサーの方。
 やっぱり司会がプロの方だと会がひきしまる感じをうける。

 以前、山科寺内町跡の一部が国史蹟指定されたとき、紀念イベントをした。
 その際もメンバーのU原さんの周旋で、ご友人のやはりKBS京都のアナウンサー出身の方に司会をお願いをした。そのときも感じたものだった。

 会場には関西テレビやKBS京都のテレビカメラがきていたので、おそらく夕方のニュースに流れたのだろうが、僕は午後からはお役御免で、京都市中京区の某所で古書の物色をしていたため見れなかった。

 見られた方はお知らせください。

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2007.02.19

豊臣秀吉正妻、北政所ねいにこだわる

2/18(日)くもり
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 「京都歴史講座」。
 
 今日の御題は「北政所ねい」。(「ねね」ではない。おそらく「おね」もただしくない。あえていえば「おねい」だ)。
 いわずと知れた豊臣秀吉正妻(のひとり)。

 いま江戸時代京都論に夢中だが、江戸前期の彼女の京都での位置がほとんど評価されていないのでは、という気がする。

 北政所といえば、すぐ居住地は高台寺とされるが、寛永元年(1624)に亡くなるまで、禁裏御所の真横(現、仙洞御所の地)に大邸宅を構えていたことが全く無視されている。

 山内一豊の妻(見性院)が、夫の死後、柳馬場丸太町(桑原町)に居住したのはなぜなのだ。
 北政所邸のそばだからとしか考えられない。
 
 北政所が慶長8年(1603)年に剃髪し、2年後に東山に高台寺を創建したのちも見性院は桑原町を離れていないのはなぜか。
 そばの北政所邸が機能していたからだろう。

 剃髪後のねいが、高台寺に常住していたというのは事実といってよいのだろうか。
 
 津田三郎氏『北政所』(中公新書)は晩年の彼女をとりあげた高著だが、まだまだものたりない。
 いつか北政所はまとめてみたい気がする、なんて夢想をかたった。
 
 そのあと主催団体でもある、伝統プロデュース「連」の会議に参加。
 上七軒のまちづくりについての活動をまなぶ。

 またよけいなことを言ってしまった気がする。
 「歴史部門は自分が担当だと自覚している」だって。

 みなさんは遠慮されて、「してくれ」といわないのに。
 (「議事録に書き漏らすな」という声が部屋にひびく。あとで言った覚えがないといわせない処置)

 でも北野・上七軒は僕にとって縁のふかいところだし、「連」とも浅からぬ関係にある。
 やむをえないことであろう(と自分を納得させる)。

 会議を中途で失礼し帰宅。
 来週の「京都検定日めくりドリル」の原稿をつくり、担当Yさんに送る。

 もうこれ以上仕事をしてはいかん、と自分で決めて、読み終えたい書物をもって、近所の店へ。

 酒を飲むところなのに、やんちゃな夫婦二組が乳幼児3人をほったらかしで飲み会をしている。
 乳幼児、店内を歩き回っている。
 店員に何度もぶつかりかけている。
 段差あるところにもふらふら寄ろうとしている。

 不快きわまりない。
 親は乳幼児の横でタバコもすっている。

 くるんじゃなかった。

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2007.02.06

源実朝像と阿仏尼像を拝観

更新できないでいる。わかってます。
よっぽど忙しいんやなぁと思ってください。

2/3(土)
 ひさしぶり。名古屋へ。中日文化センターの講座。
 幕末京都の庶民日記ふたつを読む。

2/4(日)
 京都おこしやす大学初日。
 参加者約30名。
 京都駅の南方をあるく。
 遍照心院で源実朝木像と、阿仏尼肖像画(18世紀なかば)を特別拝観。
 実朝は1週間ぶり。
 こんなわずかな期間に2度もお目にかかれ、幸せです。

 朝も昼も食べずに行くと、受講の方が「食べてへんやろなぁ」と見込んでいろいろ持ってきてくださる。
 巻き寿司とかカツサンドとかよばれる。
 ありがたいこと。

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2007.01.30

大河「草燃える」以来の思いいれ

 なかなかねぇ。
 忙しすぎてブログの更新ができませんわ。

 原則毎日更新することで、いろんな場所での受講者との交流の場にしようと思ってましたが、困難になりつつあります。
 
 去る1/27(土)、実朝未亡人の本覚尼が創建した遍照心院(大通寺)で実朝忌があった。
 法要に参列し、そのあと講演をさせていただきました。
 実朝木像を拝んだあとで。

 この業界を志した少年のとき、NHK大河ドラマストーリーに載っていた木像をもつ由緒地で講演。
 1979年の「草燃える」です。
 こんなめぐまれたことが、うれしいことがあろうか。

 と、当日の感動を書き込みたかったのですが、しめきりに追われて、ついに書けなかった。
 仏さんには仕事ひきうけすぎっておこられるし。
 
 それでもなんで生きてんねんねやろ、なんでこんなことしてるんやろと、いつも自問自答できているから、まだまし。
 しあわせにちがいない。感謝でいっぱい。

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2007.01.25

東京・町田へ出張

1/23(火)はれ
 東京に出張。
 
 連載をしあげないと出かけられない。
 なんとかぎりぎりできる。ほっとする。

 町田市で講演の仕事があるのです。
 新選組史料の宝庫、小島資料館のある自治体です。

 でも新選組の話ではなく、京都の世界遺産の話をせよとのお仕事。
 東京で京都の話かぁ。
 不思議な気持ち。

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2007.01.13

龍馬とおりょうの「結婚式場」

1/12(金)はれ
 昨夜、京都民報に「京都の江戸時代をあるく」の今回の原稿を送った(30話)。

 坂本龍馬の妻おりょうの回想録により、龍馬とおりょうの「結婚式場」跡を特定するという内容。
 そろそろタイトルに問題ありで、たしかに「京都の江戸時代」ではあるのだが、2ヵ月近くも龍馬ばかりで、担当氏から怒られそうと不安に思っていた。

 が、なんと担当氏は自ら法務局にいき、その地の旧土地台帳を調べ出された。
 朝1番にそのメールがきて驚いた。
 外出直前だったのに、そのメールを受けて担当氏に電話。
 便宜をはかる。
 学者肌だなぁ。担当さん。
  
 この話は『京都民報』本年1月28日号に載ります。

 午後から「基礎から学ぶ!日本歴史」に出講。
 また受講者ふえる。
 これまでで最高の数。
 うれしい悲鳴。

 弘仁・貞観文化、延喜・天暦の治をお話しする。
 醍醐天皇と醍醐地域の関わりを「今昔物語集」などにもとづきご紹介。

 夕方からは京都新聞文化センターに出講。
 今回から第二期講座。

 こちらは受講者半減し、7人。
 閉鎖寸前やなぁ。

 でもその7人、全員前回受講者。
 これはうれしい。
 半減ていどは普通。
 前回講座内容を受け入れていただいたと認めてよいと思う。

 それより新規の方が全くなかった方が問題。
 年末年始と新聞紙面に多く広告うたれてたのに。
 これは受講料とか、広告の仕方とか、講座時間とか内容以外の別のわけがあると思われる。
 
 終了後、予期せぬ「来訪者」がお2人あり。おたがい頭をさげまくり。
 申し訳ありません。
 至急なんとかします。

 でも明日も名古屋なんだよなぁ。

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2006.12.26

平城京跡をあるきまわる

12/25(月)はれ
061225

 基礎から学ぶ日本歴史、現地見学会の日。
 奈良市へ。

 近鉄で「西ノ京」駅から徒歩。
 薬師寺、唐招提寺を満喫し、旧平城京五条大路を東へ。

 朱雀大路跡をみつけ、そこから農地をまっすぐ北上。
 朱雀門にぶつかったときはみな感激。
 ここでお昼。
 
 午後から平城宮跡。
 「平城宮址紀念碑」が大好きです。
 かならず寄ってながめます。
 「棚田嘉十郎」の文字をみつめます。
 平城宮跡保存にかかわり家財を投じ、家族を犠牲にし、最後は自刃して果てた人です。
 こんな人がいたのです。この広いスペースを楽しむ人は、このことを忘れてはいけません。

 バスで近鉄奈良駅へ移動。
 ここから徒歩で興福寺に。
 国宝館で日が暮れる。
 ここで終了。

 が、東大寺が残っています。
 一部の方と南大門、大仏殿にむかう。
 
 途中、シカ(国天然紀念物)が車にはねられるをふせぐ。
 こわいなぁ。
 赤信号覚えてくれへんかなぁ。

 南大門の威容にうたれる。
 何度もみているのに。
 鎌倉前期にこんなでかい建物がつくられているなんて。
 しかも誰でも知っている源頼朝がかかわっている。
 感動。

 帰りは特急内で小宴をしながら京都をめざす。
 
 よい日でございました。

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2006.12.23

伴大納言絵巻と幕末史

12/22(金)はれ
 京都民報の原稿、今週分最終締め切り。
 午前中に出さないとアウト。
 が、ぎりぎりまにあう。綱渡りな生活、どうかと思う。

 お昼、キャンパスプラザ京都で「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
 応天門の変、阿衡の紛議のおはなし。
 「伴大納言絵巻」のおもしろさ、それをめぐる幕末のものがたりなど思いのたけをかたる。
 時間かかりすぎ。
 
 やっと来週、菅原道真の登場。
 終い天神の翌日かぁ。

 夕方、京都新聞出版センターへ。
 「京都・明治維新を見直す」に出講。

 担当Yさんから1日に2度も電話がある。
 1度は留守電。「今日ですよ」と。

 はてそんな電話ははじめて。
 何でこんなことをされるのだろう。
 
 到着後、何があったのですかと聞いてみる。
 どうやら午前中、「事故」があったらしい。
 しかもよく知った方に。

 なるほど、ありえる話です。
 僕も不安なので毎回電話ください、といいました。

 今日は第1期最終日。
 いわゆる薩長同盟の研究現状について。
 また桐野作人氏の成果をご紹介。

 終了後、受講者のEさん、Kさんに誘われてオムライス店にいく。
 ごちそうになる。
 今日も休肝日。

 帰宅しまた仕事。
 締め切りとっくにすぎた某大学の来年度のシラバスをまとめ、伏見の□□□□□の仕事で依頼を受けたことをまたまとめる。半分ねながら。

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2006.11.26

高知市でシンポジウムに参加

11/25(土)くもり
 伊丹から飛行機で高知市に来ました。
 高知市立自由民権記念館でシンポジウムがあります。
 
 いま高知城跡の西堀跡にマンションが建とうとしています(史蹟未指定地)。
 それを防ぎたいという市民運動があります。

 そのパネラーとして出席するためです。
 
 今回、市村高男先生(高知大)からお招きいただきました。
 ごぶさたしています。

 紀念講演の演者、高橋昌明先生(神戸大)。
 さすが、すごい。
 勉強になりました。

 こちらは雑なはなし。
 会場、笑いはいっぱいありましたが、中身があったかどうか。

 計75名の参加と聞きました。
 100人にたっせず。
 
 当日、同地で一豊サミットなるものがあったとか。 
 やむをえない、善戦だと関係者、いっておられました。

 龍馬研究会の事務局の方がわざわざこられ、ご挨拶をいただきました。

 原稿の依頼がありました。ありがたいことです。
 前向きに検討させていただきます。
 
 夜は市村先生とお仲間に接待いただきました。
 ほんとうにお世話になりました。
 ありがとうございました。

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2006.11.20

山内一豊の妻終焉地を論じ、聖護院を拝観する

11/19(日)あめ
Photo

 早起きして朝刊みてびっくり。
 昨日出講した、みやこエコロジーセンターの「エコ探検ウォーク」がカラー写真つきで載っている。

 新聞記者がいたのか。
 全然しらなかった。

 午後から京福電車「帷子の辻」駅ちかくの三壺庵に出講。
 京都歴史講座。
 本日は山内一豊の妻の終焉地を検討し、その場所の意味を考えるというもの。

 そろそろ今年の大河ドラマも終わります。
 はたして妻見性院(千代ではない)の他界までドラマは描くのか。

 先週みれなかったのは失敗でした。
 絶対みなければいけませんでした。

 友人で録画しておられる方、ご連絡ください。
 拝見にあがります。

 終了後、左京区の聖護院へむかう。
 今回の特別拝観に含まれています。

 今日が最終日。
 何としても行きたかった。
 ふだん予約しないとおまいりできない。
 国史蹟指定地ですからね。
 ずっと以前から入りたかった。

 受講者のEさん、Kさんも同行。
 タクシーで連れて行ってくださる。

 いろいろ興味深かった。
 宸殿やっと入れた。
 でも何よりも、同寺蔵の円珍像の体内に納められていた文書を拝見できてたいそう感激。
 来てよかった。

 そのあとはEさんに案内されて、隣地の積善院に。
 もと聖護院の院家でした。

 ここではじめて「人食い地蔵」に参拝。
 「崇徳院地蔵」がなまったもの。
 10年前からおまいりしたかった。

 最近気になっている「茶所」の石もみつけたし、「伝兵衛・お俊」の墓もおまいりしたし、満悦。
 至近にはある有名な方の邸宅もあり、そちらも外観を観覧(写真)。

 最後は河道屋養老にお誘いくださり、少し早い忘年会を開いてくださる。
 勉強にもなり、楽しい時間でした。

 お開きのあと、携帯電話に予想外のメールが届いてることにきづく。
 お2人とお別れし、あわてて次の目的地へ急ぐ。

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2006.11.15

上七軒Yさんの襟替えに立ち会う

11/14(火)はれ
Yachan

 朝、ある施設に行き、ある初経験をする。
 きついなぁ。

 お昼12時30分からは「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
 今日は天平文化。
 古事記序文や、風土記編さんを命じる記事、鑑真来日を伝える「唐大和上東征伝」などを読む。
 原典にあたることのおもしろさ、意味深さをお伝えする。

 一旦帰宅し、事務処理をこなす。
 夕方、D大学へ大事な書類を持参。

 午後6時からは上七軒「D」へ。
 いつもの「歴史こばなし」をしに。
 今日は「龍馬暗殺」。
 明日がその日なので。

 「そのころ」の龍馬がいかに追い詰められていたか、生きるために必死だったかを語る。
 僕は英雄ではない、「悲哀の人」だと思っておりますと述べる。
 刺客については幕府見廻組しか考えられないこと、薩摩や土佐の黒幕説のナンセンスぶりを主張。

 そのあと宴会に。
 
 今日は「D」所属の舞妓Yさんが芸妓デビューするお祝いの日。
 業界では「襟替(えりか)え」といいます。
 おめでとうございます。
 そんな大事な場に立ち合わせていただき誠に光栄です。

 最近は1日おきしかビールを飲んでいない。
 休肝日を設けたのである。
 健康のために大事なことだそうで。

 で、昨日は飲まなかった。
 だからこのお祝いの席では喜んで頂戴できました。
 帰りは同じ町内に住むYさんに便乗しタクシーで帰宅。
 今日も楽しく、忙しい日でございました。

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2006.11.03

元禄6年の洛中人口を読む

11/2(木)はれ
Zinko

 朝から「くずし字入門」に出講。
 今日から部屋の広さが2倍になりました。
 これまで受講のみなさんには窮屈な思いをさせました。
 これからは大丈夫です(たぶん)。

 「洛中家数、人数」を読む。
 江戸中期、元禄6年(1693)の人口調査です。
 総数32万703人でした。

 次回は伏見の人口を読みます。

 原稿、今夕最終締め切りというのが急にやってきて、てんてこまい。
 午後からの予定、すべてキャンセル。
 どうにか間に合う。

 たいへん、たいへん。

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2006.11.02

飛鳥をあるく

11/1(水)はれ
Takamatsuzuka

 基礎から学ぶ!日本歴史の巡検で飛鳥へまいりました。
 コースはつぎのとおりです。

近鉄京都駅9:09⇒(橿原神宮前駅乗換え)近鉄橿原線「岡寺」駅10:32⇒①五条野(見瀬)丸山古墳⇒②菖蒲池古墳⇒③亀石⇒④川原寺跡(昼食)⇒⑤甘樫丘(遠望)⇒⑥伝板蓋宮跡(浄御原宮跡推定地)⇒⑦飛鳥寺跡⇒⑧野口王墓古墳(天武・持統合葬陵)⇒⑨高松塚古墳⇒近鉄橿原線「飛鳥」駅

とても楽しくありました。

野口王墓古墳では、その鎌倉時代の盗掘記録「阿不幾の山陵記」を朗読しました。
史料を現地で読む。これが楽しい。

高松塚では「死」を目前にした姿に思いがあふれてしまいました。

京都にもどって懇親会。3分の1もの方が参加。
また行きましょう。
今度は奈良市内です。

ようさん、あるきました。
2万857歩でした。

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2006.10.23

使者田中孫作、期待はずれ

 10/22(日)はれ
 平安京・京都の誕生日。延喜13年(794)、遷都令が出された日。

 嵯峨野学芸倶楽部の「京都歴史講座」に出講。
 タイトルは「わかってきた伏見城・城下町」。
 
 でもその前に、「今日と次回の大河ドラマはみないといけません、今回のをみないと「功名が辻」をみたことにならないです」とご紹介。
 下野の山内一豊のもとに走った、妻からの使者田中孫作のエピソードを原典にあたりお話しました。

 終了後、「誕生日」なので、北野白梅町で受講生Eさん、Kさんと懇親会。
 帰宅して仮眠。

 大河「功名が辻」をみる。
 期待はずれ。
 盗賊に身包みはがれ、屈せず、別の人間の衣装と大小を奪うシーンなし。
 頼りなげな使者という演出、何の意味がある?

 夜12時前、「日めくりドリル」今回の分完成し担当Yさんに送る。

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2006.10.22

鹿ケ谷の女性会で記念講演をする

12/21(土)はれ
 朝早くおきて京都民報の原稿完成させる。
 
 そのあと左京区岡崎へ。
 午前11時から、錦林東山女性会50周年記念式典で講演をさせていただく。

 その会場は、20年前の予備校生時代、合格祝賀会をしてもらったホテル。
 万感の思いを込めて、鹿ケ谷地区の歴史地理をおはなしする。

 そのあと祝賀パーティ。
 大正琴、コーラス、民謡のご披露あり。
 みなさん芸達者、盛況のまま終わる。

 帰路、その思いのまま鹿ケ谷をまわる。
 霊鑑寺、安楽寺、法然院。

 法然院では墓域にはいり、濱田青陵博士の墓参をする。

 京大農学部前に出て、関西地図センターに立ち寄り、空中写真を注文。
 その際、待望久しい「京都集成図」2万5000分の1の新版刊行を知る。
 来月初頭の由、大喜び。

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2006.10.02

土居薮の高札文言を読み、大名屋敷をあるく

9/29(金)はれ
 京都市、本日をもってゴミの無料収集おわる。
 月曜から有料袋での回収はじまる。
 本日はいつもの比でない、大量のゴミが捨てられていた。

 くずし字入門、出講。
 今日は土居薮などに建てられていた高札文言の解読。

 昨日メールをいただいた講座依頼の件、さっそく3人も打ち合わせに来られる。
 引き受けることになる。
 2月と3月、2回ずつ。
 京都駅の周辺などの歴史について、レクチャーおよび現地見学会。

 そのあと、大名屋敷跡をいくつか訪問。
 残された「あるもの」の探索。

 夜、大谷大学で、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の会議に出席。
 会長、事務局長、S先生、A先生、K先生など8人参加。
 
 一般の方むけのリーフレット、完成目前。
 願いかなって、解説文にオールふりがなが打たれる。
 こりゃ、読みやすい。
 すばらしいこと。

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2006.09.27

京都御苑と山科で旧蹟案内をする

9/23(土)はれ、日差しきつい。風は涼しい
 「京都御苑をあるく」その2に出講。

 午前10時、烏丸今出川東北角に集合。
 コースは、薩摩屋敷跡⇒冷泉家⇒今出川御門⇒桂宮家跡⇒朔平門⇒猿が辻⇒祐井⇒石薬師御門⇒京都迎賓館⇒建礼門前。
 貞享3年(1686)の京絵図を片手に散策。

 終了後、参加者に誘われて昼食に。6名で。
 帰宅して、午後4時頃から7時頃までお昼寝。

 起きてから「京都検定/日めくりドリル」次週分作る。
 午前1時頃完成。

9/24(日)はれ
 NPO法人「山科醍醐子どものひろば」に参加。
 
 今回は「歴史を尋ねて、ウォーキング山科」というイベントと共催・合流。
 
 午前9時すぎ、山科駅前集合。大人もふくめて参加者約60人。
 でも小学生むけの案内に終始する。 

 コースは、だんじょの水⇒牛尾街道⇒四手井家⇒華山寺(樹齢200年のケヤキ。市文化財)⇒元慶寺⇒西宗寺⇒奥田家の土塁・堀⇒山科中央公園(弁当)⇒蓮如廟所⇒蓮如道標⇒山科商店街。

 大人の参加者とわかれたのち、ラクト山科・コミュニティルームでお子さんたち本日の経験を作画。
 午後3時前、終了。

 関係者、大丸のマクドナルドで慰労、次回の打ち合わせ。
 
 裏寺町のなじみのお好み焼き店Sに立ち寄る。
 行列できていて驚く。いつもがらがらやのに。3組も並んでいた。
 涼しくなってきたからなあ。

 試験前の大学図書館とおんなじ気分。
 その時しか来ない人に、年中通っているものが迷惑をうける。

 面白いから4組目になって並ぶ。

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2006.09.26

高知城下町と大化改新の話をする

9/21(木)はれ
 栄中日文化センター「城と城下町」講座の日。
 名古屋へ。
 本日は最終回、土佐高知城と城下町。
 半年かけて、山内一豊に関する城と城下町を論じてきた。 
 大河ドラマは終わってないが、こちらはもう終わり。

 来月からは、「城と戦争」という講座がはじまる。
 今回の受講の方々、帰り際、何人も次回もよろしくと行っていかれた。ありがたいこと。

 一部の受講生と打ち上げ。
 そのとき手帳をなくしたことにきづく。あわてる。
 新幹線か、中日ビルか。

9/22(金)
 朝早く起きて、締め切りとっくに過ぎた「京都の江戸時代」第13話に立ち向かう。
 完成しないまま、キャンパスプラザ京都に出講。「大化改新」その2。
 
 急いで帰宅し、また原稿執筆継続。
 午後2時半ころにあがる。担当H氏に送る。

 夕方、病院へ。
 先日の胃腸不良。
 すでに治っているが少々不安なので、検査をしてもらう。

 血液検査の結果以外はまぁ問題なし。ほっとする。

 血液検査の結果は来週出る由。

 手帳、中日ビルで見つかった由。
 すぐ郵送してもらう。
 助かった。

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2006.09.20

帷子ノ辻で寺町を論ずる

9/17(日)、はれ・午後くもり一時小雨

 台風接近。九州上陸。
 帷子ノ辻の「嵯峨野学芸倶楽部」(主催:伝統プロデュース連、於三壺庵)に出講。
北野白梅町まで自転車で。そこから嵐電に乗る。
 
 「寺町の成立」について論じる。
 参加者はわずか6人。不思議なほど少ない。

 大河「功名が辻」。
 陳腐な秀吉、秀次、淀。

 秀次は秀吉の養子のはず。
 なぜ「叔父上」と呼ぶ? 
 「父上」ではないのか(まあ、それもいわないと思うが。常識的には「(太閤)殿下」、「上様」だろう)。

 劇中の山内一豊の呼び方、「山内」はともかく、「対馬守」と「一豊」を併用するのはなぜ?
 今回は石田三成だけが「対馬守どの」といっていたと思う。
 
 「一豊どの」はやめてください。ありえません。

 夜、明後日の朝日カルチャーセンター「街道ぶらり旅」のレジュメをつくり、担当Hさんにメールで送る。

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2006.08.19

久我縄手を歩き明知薮に達する

8/18(金)はれ夜一時雨

「基礎から学ぶ!日本歴史」に出講。
 内容は前回の「飛鳥文化」のつづきと、「推古天皇死後の混乱」。

 いままでで1番多い受講者数。

 午後から朝日カルチャーセンター「街道ぶらり旅」の下見。
 久我縄手跡を通り、伏見区へ。
 小栗栖「明智薮」などを訪ねる。
 
 夜はおいしい焼肉をごちそうになる。

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2006.07.10

聚楽第の研究史をはなす

7/9(日)くもりのちはれ

 午後1時から、嵯峨野学芸倶楽部出講。
 テーマは「聚楽第の発見」。
 聚楽第の研究史をはなす。

 参加者、前回より少なくなっていて、ちょっとがっかり。

 疲れて、大河ドラマ見ずに寝る。

 深夜起きて、仕事再開。
 少し進む。

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2006.07.05

城陽市の芝ヶ原12号墳の話をする

7/4(火)はれ
 「基礎から学ぶ日本歴史」に出講。

 新聞告知していないのに満員御礼。
 1度、「大入袋」を出さないと。

 本日も古墳時代前期。
 進まないこと。

 城陽市の芝ヶ原12号墳(国史蹟)の、約15年にわたる訴訟の話しをする。
 事前に、これに関する30歳のときに書いた自分の小文を読み直す。
 10年前の自分に「対面」し、いまの自分と比較し、思うことあり。

 終了後、喫茶店で連載原稿の執筆をする。
 以前、2001年から2002年にかけて週一回の連載をしていましたが、そのときの「苦」を思い出しつつあります。
 

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2006.07.01

亀山城跡・山陰街道・三宅日記など

6/30(金)はれ
 午後12時30分、「基礎からまなぶ日本歴史」出講。
 受講者多く、満員御礼。

 やっと「古墳の話し」。
 それでも古墳時代前期でおわる。

 終了後、亀岡市へ。
 来月の朝日カルチャーセンターの「街道ぶらり旅」の下見。
 大本教本部(亀山城跡)や、亀岡市文化資料館へ。

 友人の車に便乗し、山陰街道、老ノ坂、沓掛、樫原をへて桂へ。
 桂離宮前の中村軒でお茶のような夕食のような休憩をとる。
 何度も前を通っていたが、今日はじめて入る。
 
 午後7時からは三宅日記輪読会。
 参加者3名。
 それでも楽しい時間。

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2006.06.24

左京で講演して山科で打ち合わせ

6/22(木)、雨
 午後2時から左京老人連合会へ出講。
 ありがたい会で、2002年からずっと継続してこの時期、講演依頼をいただいている。

 京阪出町柳駅から会場へ徒歩で。
 途中、下鴨警察の前を通る。
 びっくりするほどのテレビ局の人・車。
 
 何があったのだ?

 あとから、奈良・田原本の事件の高校生の長男が同署に保護されていたとわかる。
 田原本署に移送されるため、車が出てくるのを待ち構えていたのだ。

 講演タイトルは「平安京誕生」。
 専門ではないけれど、御依頼あったので。
 たしかに京都の歴史全体が研究対象だけど。
 最近、何でも屋になっているなぁ。
 それを承知で依頼されているのだし、まぁいいか。

 でも直接の専門でない気安さか、かなり軽口もたたけ、受講者なんども大笑いしてくださる。

 帰途、また下鴨署の前を通る。
 まだたくさんのテレビカメラ。
 
 つぎは山科区大宅へ。
 NPO法人「山科醍醐こどものひろば」の事務所を訪ねる。
 山科の文化をつたえる、お子さんむけのよい冊子を出しておられます。

 山科駅前の中華料理店「M」でたまたま見かけて、感心し、直接連絡し無理をいってその冊子を複数いただきました。
 その関係で、今回その事業をお手伝いすることになりました。
 感銘受けること多いひとときでした。

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2006.06.23