2007.09.29

同志社大学、まだ夏休み

9/28(金)はれ
 朝1番、同志社大学新町校舎へ。
 本日から講義と思って。

 が、講師室が暗い。
 まだ夏休みだった。ショック。

 でも予期せず時間ができた。
 喫茶店で論文の推敲をしたり、考えごとをしたり。普段しないことをいろいろした。
 こんな日もいいもんだなあ。

 午後から奈良県の天理大学へ出講。こちらはちゃんと講義があった。
 受講者にけっこう受けた。つかみはOKか。

 京都市内へもどってきて、夜は右京区花園で三宅日記輪読会に出席。

 そのあとは友人K田K美子氏と京都駅前で痛飲。

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2007.06.30

四葉のクローバーのタクシーをみた

6/29(金)はれ一時雨
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 同志社大学に出講。江戸時代、御土居堀を論ずる。
 次回は明治維新期以後の変容について。
 「まだ御土居堀してんのか」と自分でも思うが(芸がないような)、受講者は拙著を読んでいないようで、「目からうろこ」らしい。まだ話すべき意義があるらしい。

 午後からくずし字入門に出講。
 前回から、幕末長州毛利家の京都留守居役、乃美織江の手記を読んでいる。 
 池田屋事件について記した基本史料ながら、ほとんど検討されたことがないもの。
 それを詳しく説明しながら、明治の自筆本を読んでもらっている。

 近代の記録なので文字のくずし方が特異で、とても難解。
 「入門」だったはずが、突然「応用」編になっている。
 それでもみなさん、ちゃんとついてきてくださる。
 ありがたい。
 3ヶ月辛抱してください。
 また「都の記」にもどりましょう。

 夕方、烏丸四条で、ヤサカタクシーの「四葉のクローバー」を屋根の突起に描いた車をはじめてみる(写真)。
 幸運感をお客に与えるため、4車両だけ用意されているときいている。
 乗ればよかった。

 そういえば今日はいいことがあったなぁ。

 夜、右京区で「三宅日記輪読会」。
 Sさん、Mさん、Kさん参加。
円満な会で、情報交換にあけくれる。
 あっというまの2時間。
 退屈する暇がない。

 Mさんから、上七軒歌舞練場創建にかかわる史料をいただく。
 僕がきづかなかった『日出新聞』の記事。
 1894年(明治27)以前から建設計画があったことがわかった。
 ありがたいなぁ。

 深夜、自宅で来週の「京都検定/日めくりドリル」の問題を2問つくり、担当Yさんに送る。
 
 未明、友人U原氏からメールあり。
 上七軒歌舞練場創建年代特定を喜んでくれる内容。
 最近お目にかかっていないが、結婚されて以前より多忙になられた由。
 よくわかるので、つっこみはしない。

 が、結婚って人の足かせにしかならないものかと、思うことは甚大。

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2007.04.01

ケイタイ復旧しました

3/30(金)くもりのちはれ
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。
 平治の乱と平氏政権について。
 
 ケイタイが死んだので、次の子を入手にいく。
 夕方までに無事完了。
 ご心配をおかけしました。
 電話番号もメールアドレスもそのままです。
 
 夜は三宅日記輪読会。
 事情あり久しぶりの開催。
 M氏、S氏と楽しい雑談に花がさく。

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2006.10.09

京都検定、受付開始

10/6(金)午前中雨、午後から晴
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 昼、別室で来週の京都検定日めくりドリル原稿をうつ。
 完成。メールで担当氏におくる。

 本日、今年の京都検定申し込み開始。
 京都新聞に大きく広告載る。
 さて、どうなる?
 
 近所に理髪にいく。
 
 夜、三宅日記輪読会。
 右京区花園へ。
 前回とはうってかわって、参加者稀少。
 それでも有意義。

 夜はお好み焼きパーティ。

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2006.09.02

もう秋かあ

9/1(金)はれ
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。

 白鳳文化をお話しする。
 いままでで1番多くの参加者あり。
 
 明日、栄中日文化センターの龍馬講座最終回。
 御昼間、その準備。

 夜、三宅日記輪読会。
 久しぶりにKさん、Tさん、Mさんそろう。

 帰途、涼しい風がふく。
 もう秋か。

 深夜、京都検定ドリル2問つくり、担当Yさんに送る。

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2006.05.29

山科の三宅碑をあるく

5/28(日)はれ一時あめ 

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 「山科の三宅安兵衛遺志碑を歩く」のイベント。

 現在、山科に三宅安兵衛遺志碑は1基しか残っていません(醍醐には2基)。
 だから必ずしも、現存碑を見に行くというわけではない。

 「三宅日記」によると、1926年(大正15)6月20日、記主三宅清治郎は、山科へ出かけ、建碑の地を探っております。
 そのルートを歩くというイベントです。

 参加者のなかには、小学校5年生のお嬢さんもあり。
 全体の空気がやわらいでいたような感じ。

 さてコース。
 日ノ岡駅跡⇒百華園跡⇒天智天皇陵⇒妙応寺 とおよびました。

 妙応寺ってご存知ですか。
 現在の山科では決して知られた寺院とはいえません。

 三宅清治郎は歴史研究者ではありません。
 西陣織の帯屋さんです。
 とくに山科の歴史に詳しいわけではないはずです。
 
 その彼が訪ねた。
 当時は知られた寺院だったようです。

 江戸時代の地誌(観光ガイドブックのようなもの)のひとつに、『雍州府志』というものがあります。
 それによると、天智天皇陵の前に「天智天皇ノ社」がありました。

 妙応寺(明王寺)は、「天智天皇ノ社」の神宮寺だとあります。

 つまり妙応寺は、天智天皇陵ゆかりの寺院だったのです。
 そのことがいまはまったく忘れられてしまったのです。

 今回お寺のご好意で本堂にあげさせていただきました。
 本尊観世音菩薩を拝しました。

 その横には歴代住職の位牌が。
 もしやと思って丹念にみると。

 ありました。

 天智天皇の位牌です。
 「天智天皇神儀」とあります。

 こんなものがあるのだ。
 感激です。

 側面には「今上皇帝」のものも。
 昭和天皇でしょう。
(上写真、クリックしてください。少し大きくなります)

 参加者みな思いをこめて、お寺にお礼を申しました。

 次の目的地は毘沙門堂です。
 旧三条街道(旧東海道)を歩いていきます。

 五条別れの沢村道範の道標をみる。
 その意義を多くかたる。

 その間、びっくりするほど車が通る。

 そのうち道標に自動車が突っ込むことでしょう。
 実際すれた跡がありました。

 白川橋三条の京都市内最古の道標も車が突っ込んで折れたこと、記憶に新しい(犯人は逃亡)。
 
 この道標は、この最古の道標などとセットで、京都市登録文化財となっています。
 文化財保護のため、あの曲がり角は自動車通行禁止にすべきです。

 山科駅前にたっしました。
 明治天皇聖蹟碑で、奴茶屋のこと話す。

 惜しいことをしました。
 1994年まで明治天皇休息の建物、残っていました。
 破壊されるところ、見ました。
 写真も撮りました。

 山科駅前再開発の一環で消えたのです。
 ここでも現代生活の利便性だけが優先されている。
 恥ずべきことです。

 毘沙門堂にいくまでに、予定の4時になってしまいました。
 小雨も降ってきました。

 で、駅前の三宅碑を訪ね、そこで解散をいたしました。
 
 「日記」には、その日さらに山科盆地の中心部へ歩いていくことが記載されています。
 今回とても行けませんでしたので、第2回をしましようと、その場で決まりました。

 6/25(日)午後1時、JR山科駅改札前集合です。
 今回お越しでなかった方もどうぞおこしください。

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2006.04.30

毎日、なにかおこる

4/28(金)はれ
 午前中、京都アスニーで岩城卓二さん(京都大学人文研)の講演を拝聴。
 
 昼食後、岡崎の京都府立図書館へ文献複写に赴く。
 実はあたらしくなってから初めてきました。
 
 普段は大学や総合資料館を使えばことたりますので。 

 午後3時、佛教大学で、光村推古書院の上田啓一郎さんや、新創社の松岡満さんとおめにかかる。
 近刊の『京都時代マップ』安土桃山編に、僕の過去の成果を活かされる由、そのごあいさつ。

 とてもお話し盛り上がる。
 地理学の故・足利健亮先生を偲びました。

 お別れしたのち、急に思い立って、友人M氏邸を訪れる。
 そこで思わぬ話しがおきて、あれよあれよといろんなことが・・・。
 実現するかはまだ未定ですが、まちがいなく、新しい京都の関心事がふえることになりました。
 (なんのことだ?すいません。まだ非公開)。

 夜、三宅日記輪読会でした。
 あわてて駆けつけるも、ずいぶん遅刻。

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2005.10.19

江戸時代京都の大名屋敷を論じる

10/19(水)はれ
 洗濯をする。
 天をあおぐ。なんと青い空か。
 空が「青い」とおもえる。
 何とうれしいことか。

 11時、京(みやこ)エコロジーセンターのNさんが拙宅に来られる。
 あさっての同センターのイベントに使う都市計画図2500:1を取りにこられたのです。
 立ち話で失礼する。
 これから講義があるためです。

 12時50分、佛教大学「歴史地理学」の講義。
 江戸時代京都の大名屋敷(いわゆる藩邸)について語る(写真は薩摩屋敷跡碑)。

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 武家が住むことの少なかった近世京都にどうして多くの大名屋敷があるのでしょう。
 みなさん考えてください、と次回への宿題。

 実は種本があります。
 藤川昌樹氏「徳川期京都における武家屋敷の成立」です。
(宮崎勝美・吉田伸之編『武家屋敷』山川出版社、1994年)

 この論文がこの問題のほとんど唯一の近年の成果です。
 この論文に、若干の管見を加え、来週論じます。

 このブログをご覧の受講生のみなさん、ぜひ上記論文を図書館などで手に入れて、来週受講してください。
 きっとその方が理解が早いです。
 期待しています。

 夜、「三宅日記輪読会」に参加。
 今夜は1922年(大正11)2月条を読む。

 あわせて1919年(大正8)2月1日条の三宅安兵衛の遺言の部分を読む。
 メンバーのSさんから、亡父君の遺言、他界の日のエピソードをうかがい驚嘆する。
 参加者5名。
 いつも以上に学ぶことの多い会でした。

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2005.09.29

佛教大学秋学期、開始する

9/28(水)はれ

 昨日のブログのアクセス数におどろいた。
 339です。

 いつもは200~250程度です。
 300を超えたこともなかったはず。
 拙著刊行の影響だろう。

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 佛教大学、秋学期の初日。
 担当は再び「歴史地理学」です。

 見た顔が多数ある。
 一昨日、大学院を合格したSくんなど、「登録しました」とメールで連絡があった人は知っているのですが。

 いったい何人が過去に僕の講義を受けたことがあるのか。
 念のため、それを問い、挙手を願うと、約半数に及ぶ。
 
 また受けに来てくれるのはうれしい。
 が、持ちネタがばれているというのはなかなかつらい。
 新ネタを準備しなくてはなりません。

 ブログをみて、拙著をサイン入りで購入したいという学生さんもあったりして、楽しい初日でした。
 初日はオリエンテーションですので、立ち入った講義はいたしません。

 夜は、右京区の文化会館での「三宅日記輪読会」に参加。
 本日は1922年(大正11)1月条。

 石碑建立記事はありませんが、前月に完成したばかりの石碑の前で、店員一同と記念写真を撮る記事などがありました(1月2日条、写真)。

 当該の翻文は、以下のとおりです。
 「(略)洛東双林寺、芭蕉堂横ニ新設の故父上遺言の指道碑前ニ店主、店員一同撮影ス」 
 
 そういえば最近、「三宅碑」の連載が停止しています。
 ご愛読の方には失礼をしております。

 メンバーのMさんから、出来たばかりの『総合資料館だより』145号を頂戴する。
 掲載されたMさん執筆「所蔵調査―『新幹線』のわな」に、僕の撮影写真が使用されたためです。
 「山科本願寺・寺内町の土塁」の写真です。

 なおこのMさんの論考は、ご勤務先での書物の検索時に気づかれた、あるエピソードを紹介されたものです。
 先入観から生まれた最初の「ミス」が、そのまま引き継がれ、多数のその後の書物に影響を与えた興味深い事例です。

 これは図書館職員だけの話しではありません。
 研究者が論文や著書に文献名を引用する際、細心の注意をもって記載しなければ後世に害をなす、ということを
指摘されています。
 短文ですが、示唆に富む、具体的な論考ですので、ご一読をおススメいたします。

 さて本日は以前の常連で、いまは四国のバス会社に就職したK君がひさしぶりに参加されました。
 K君は花園大学の最初の教え子です。
 こうして忘れずにやってきてくれることは実にうれしいことです。
 
 夜はK君を囲み、「花園」駅前の安い中華料理店「O」で懇親会。
 楽しい夜でした。

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