2009.10.23

信長と光格天皇と龍馬とあそぶ

10/22(木)はれ

 平安京誕生日。「日本紀略」所収「日本後紀」ダイジェストによると、本日、桓武天皇の車駕が新京に入った。これが平安京誕生日と認められ、毎年時代祭が行われている。

 午前中、いつもの「江戸時代京都観光モデルコースをいく」。大徳寺を参拝。特別公開中の総見院をおまいり。

 午後1時すぎ、烏丸丸太町付近で時代祭行列にあたる。おどろいた。

 1時半から、京都新聞文化センターの巡検。光格天皇の旧蹟めぐりをする。誕生地の閑院宮邸跡→内裏→慮山寺(父典仁親王陵)

 時間があまれば、光格天皇の行幸地である聖護院に行き、そこから新内裏への還幸ルートを歩くつもりだったが、タイムオーバー。できなかった。

 夜は旧太秦村字安井で、三宅日記輪読会に参加。1922年(大正11)8月12日から21日まで読む。八幡市教育委員会竹中友里代さん、府立総合資料館松田万智子さんからあいかわらず、いろいろまなぶ。

 そのあと、木屋町六角「龍馬」に行き、上洛中の桐野作人さんとお目にかかる。京都国立博物館の宮川禎一考古室長もおられ、歓談。こちらからも有意義な情報をえる。

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2009.09.19

内裏・公家町をあるいて江戸日記を読んで三宅日記も読んだ

9/18(金)はれ

 午前8時30分すこし前、烏丸丸太町下ル西側のコンビニで俳優のF越E一郎さんをみかけた。買い物でレジに並んでおられた。

 午前9時、2回目の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく―「京都名所畧案内順覧」の世界」を執行(主催:京都史蹟隊)。

 「京都名所畧案内順覧」は弘化4年(1847)丁未(ひのと・ひつじ)刊行の観光ガイドブック。1週間分の観光コースを設定してくれている。その1日の量が異常に多いのだ。それを真似して歩いている。

 まだ初日分。今回は、現京都御苑内が舞台地となる。

 「京都名所畧案内順覧」の原文は、「内裏(西の口の惣御門より入、仙洞御所、女院御所、諸官家の御屋敷拝見し、北へめぐり惣御門を出)。」

 つまり禁裏御所の西正面にあたる中立売門から入り、仙洞御所、大宮御所、公家屋敷をみながら、北の惣御門=今出川門から出た、というわけ。

 実際のわれわれは、見るべきもの、解説すべきことが多すぎて、北から出られなかった。南半分だけで終わった。九条邸跡が解散地となった。

 次回は北側をあるくことになりそうだ。

 次回は9月25日(金)午前9時から11時まで。集合場所は地下鉄烏丸線「今出川駅」南改札前です。京都御苑の北半分の公家屋敷跡をあるいて、相国寺へ向かいます。参加費はワンコイン(500円)です。雨天決行。予約不要です。

 午後からくずし字入門に出講。あいかわらずの文化9年(1812)の「江戸逗留日記」を読んでいる。

 参加者の郡邦辰さんが、文化8年(1811)の江戸図(「分間懐宝御江戸絵図」須原屋版)に登場人物の多数の居所が記載されていることを発見くださった。

 そのコピーみなさんにお配りする。記主「勘解由」が江戸の町をどう動いたか、歴史地理的に考えることが可能になる。

 今回は「京都新聞」に案内が載ったため、初参加の方が少しおられた。その方々にここまでの説明をすることに少し時間がいった。

 夜は、JR花園駅前の某所で「三宅日記輪読会」に参加。今回は1922年(大正11)7月30日条から8月11日まで読む。

 いつも松田万智子さん(京都府立総合資料館)が釈文をつくってきてくださる。

 おもしろかったのは、8月5日、記主三宅清治郎氏が肥満防止のため、朝食前の散策を始めたこと。おそらく東洞院六角の自宅から、富小路通を北上し、御苑に入り一周して帰宅。「神気爽快なり」とある。

 偶然、今朝、僕らが歩いた場所とほぼ同じだったから。微笑ましい。

 注目したのは、ちゃんと「御苑」と書いているところである。「御所」と書いていないのである。「京都御所」は旧内裏(禁裏御所)のことで、宮内庁の管轄。

 が、「京都御苑」は公家町跡を使用した国民公園で、現在環境省の所管である。まったく別個なのである。

 京都御苑を「御所」と読んでしまうのは、現代人であって、大正期の京都の商人のひとりはちゃんと使い分けていることを知ってほしい

 終了後は、友人M尾さんから誘いがあったので、少し「龍馬」(中京区木屋町六角下ル)に寄る。小浜の御坊さんもいた。よく遇う。

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2007.09.29

同志社大学、まだ夏休み

9/28(金)はれ
 朝1番、同志社大学新町校舎へ。
 本日から講義と思って。

 が、講師室が暗い。
 まだ夏休みだった。ショック。

 でも予期せず時間ができた。
 喫茶店で論文の推敲をしたり、考えごとをしたり。普段しないことをいろいろした。
 こんな日もいいもんだなあ。

 午後から奈良県の天理大学へ出講。こちらはちゃんと講義があった。
 受講者にけっこう受けた。つかみはOKか。

 京都市内へもどってきて、夜は右京区花園で三宅日記輪読会に出席。

 そのあとは友人K田K美子氏と京都駅前で痛飲。

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2007.06.30

四葉のクローバーのタクシーをみた

6/29(金)はれ一時雨
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 同志社大学に出講。江戸時代、御土居堀を論ずる。
 次回は明治維新期以後の変容について。
 「まだ御土居堀してんのか」と自分でも思うが(芸がないような)、受講者は拙著を読んでいないようで、「目からうろこ」らしい。まだ話すべき意義があるらしい。

 午後からくずし字入門に出講。
 前回から、幕末長州毛利家の京都留守居役、乃美織江の手記を読んでいる。 
 池田屋事件について記した基本史料ながら、ほとんど検討されたことがないもの。
 それを詳しく説明しながら、明治の自筆本を読んでもらっている。

 近代の記録なので文字のくずし方が特異で、とても難解。
 「入門」だったはずが、突然「応用」編になっている。
 それでもみなさん、ちゃんとついてきてくださる。
 ありがたい。
 3ヶ月辛抱してください。
 また「都の記」にもどりましょう。

 夕方、烏丸四条で、ヤサカタクシーの「四葉のクローバー」を屋根の突起に描いた車をはじめてみる(写真)。
 幸運感をお客に与えるため、4車両だけ用意されているときいている。
 乗ればよかった。

 そういえば今日はいいことがあったなぁ。

 夜、右京区で「三宅日記輪読会」。
 Sさん、Mさん、Kさん参加。
円満な会で、情報交換にあけくれる。
 あっというまの2時間。
 退屈する暇がない。

 Mさんから、上七軒歌舞練場創建にかかわる史料をいただく。
 僕がきづかなかった『日出新聞』の記事。
 1894年(明治27)以前から建設計画があったことがわかった。
 ありがたいなぁ。

 深夜、自宅で来週の「京都検定/日めくりドリル」の問題を2問つくり、担当Yさんに送る。
 
 未明、友人U原氏からメールあり。
 上七軒歌舞練場創建年代特定を喜んでくれる内容。
 最近お目にかかっていないが、結婚されて以前より多忙になられた由。
 よくわかるので、つっこみはしない。

 が、結婚って人の足かせにしかならないものかと、思うことは甚大。

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2007.04.01

ケイタイ復旧しました

3/30(金)くもりのちはれ
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。
 平治の乱と平氏政権について。
 
 ケイタイが死んだので、次の子を入手にいく。
 夕方までに無事完了。
 ご心配をおかけしました。
 電話番号もメールアドレスもそのままです。
 
 夜は三宅日記輪読会。
 事情あり久しぶりの開催。
 M氏、S氏と楽しい雑談に花がさく。

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2006.10.09

京都検定、受付開始

10/6(金)午前中雨、午後から晴
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 昼、別室で来週の京都検定日めくりドリル原稿をうつ。
 完成。メールで担当氏におくる。

 本日、今年の京都検定申し込み開始。
 京都新聞に大きく広告載る。
 さて、どうなる?
 
 近所に理髪にいく。
 
 夜、三宅日記輪読会。
 右京区花園へ。
 前回とはうってかわって、参加者稀少。
 それでも有意義。

 夜はお好み焼きパーティ。

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2006.09.02

もう秋かあ

9/1(金)はれ
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。

 白鳳文化をお話しする。
 いままでで1番多くの参加者あり。
 
 明日、栄中日文化センターの龍馬講座最終回。
 御昼間、その準備。

 夜、三宅日記輪読会。
 久しぶりにKさん、Tさん、Mさんそろう。

 帰途、涼しい風がふく。
 もう秋か。

 深夜、京都検定ドリル2問つくり、担当Yさんに送る。

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2006.05.29

山科の三宅碑をあるく

5/28(日)はれ一時あめ 

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 「山科の三宅安兵衛遺志碑を歩く」のイベント。

 現在、山科に三宅安兵衛遺志碑は1基しか残っていません(醍醐には2基)。
 だから必ずしも、現存碑を見に行くというわけではない。

 「三宅日記」によると、1926年(大正15)6月20日、記主三宅清治郎は、山科へ出かけ、建碑の地を探っております。
 そのルートを歩くというイベントです。

 参加者のなかには、小学校5年生のお嬢さんもあり。
 全体の空気がやわらいでいたような感じ。

 さてコース。
 日ノ岡駅跡⇒百華園跡⇒天智天皇陵⇒妙応寺 とおよびました。

 妙応寺ってご存知ですか。
 現在の山科では決して知られた寺院とはいえません。

 三宅清治郎は歴史研究者ではありません。
 西陣織の帯屋さんです。
 とくに山科の歴史に詳しいわけではないはずです。
 
 その彼が訪ねた。
 当時は知られた寺院だったようです。

 江戸時代の地誌(観光ガイドブックのようなもの)のひとつに、『雍州府志』というものがあります。
 それによると、天智天皇陵の前に「天智天皇ノ社」がありました。

 妙応寺(明王寺)は、「天智天皇ノ社」の神宮寺だとあります。

 つまり妙応寺は、天智天皇陵ゆかりの寺院だったのです。
 そのことがいまはまったく忘れられてしまったのです。

 今回お寺のご好意で本堂にあげさせていただきました。
 本尊観世音菩薩を拝しました。

 その横には歴代住職の位牌が。
 もしやと思って丹念にみると。

 ありました。

 天智天皇の位牌です。
 「天智天皇神儀」とあります。

 こんなものがあるのだ。
 感激です。

 側面には「今上皇帝」のものも。
 昭和天皇でしょう。
(上写真、クリックしてください。少し大きくなります)

 参加者みな思いをこめて、お寺にお礼を申しました。

 次の目的地は毘沙門堂です。
 旧三条街道(旧東海道)を歩いていきます。

 五条別れの沢村道範の道標をみる。
 その意義を多くかたる。

 その間、びっくりするほど車が通る。

 そのうち道標に自動車が突っ込むことでしょう。
 実際すれた跡がありました。

 白川橋三条の京都市内最古の道標も車が突っ込んで折れたこと、記憶に新しい(犯人は逃亡)。
 
 この道標は、この最古の道標などとセットで、京都市登録文化財となっています。
 文化財保護のため、あの曲がり角は自動車通行禁止にすべきです。

 山科駅前にたっしました。
 明治天皇聖蹟碑で、奴茶屋のこと話す。

 惜しいことをしました。
 1994年まで明治天皇休息の建物、残っていました。
 破壊されるところ、見ました。
 写真も撮りました。

 山科駅前再開発の一環で消えたのです。
 ここでも現代生活の利便性だけが優先されている。
 恥ずべきことです。

 毘沙門堂にいくまでに、予定の4時になってしまいました。
 小雨も降ってきました。

 で、駅前の三宅碑を訪ね、そこで解散をいたしました。
 
 「日記」には、その日さらに山科盆地の中心部へ歩いていくことが記載されています。
 今回とても行けませんでしたので、第2回をしましようと、その場で決まりました。

 6/25(日)午後1時、JR山科駅改札前集合です。
 今回お越しでなかった方もどうぞおこしください。

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2006.04.30

毎日、なにかおこる

4/28(金)はれ
 午前中、京都アスニーで岩城卓二さん(京都大学人文研)の講演を拝聴。
 
 昼食後、岡崎の京都府立図書館へ文献複写に赴く。
 実はあたらしくなってから初めてきました。
 
 普段は大学や総合資料館を使えばことたりますので。 

 午後3時、佛教大学で、光村推古書院の上田啓一郎さんや、新創社の松岡満さんとおめにかかる。
 近刊の『京都時代マップ』安土桃山編に、僕の過去の成果を活かされる由、そのごあいさつ。

 とてもお話し盛り上がる。
 地理学の故・足利健亮先生を偲びました。

 お別れしたのち、急に思い立って、友人M氏邸を訪れる。
 そこで思わぬ話しがおきて、あれよあれよといろんなことが・・・。
 実現するかはまだ未定ですが、まちがいなく、新しい京都の関心事がふえることになりました。
 (なんのことだ?すいません。まだ非公開)。

 夜、三宅日記輪読会でした。
 あわてて駆けつけるも、ずいぶん遅刻。

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2005.10.19

江戸時代京都の大名屋敷を論じる

10/19(水)はれ
 洗濯をする。
 天をあおぐ。なんと青い空か。
 空が「青い」とおもえる。
 何とうれしいことか。

 11時、京(みやこ)エコロジーセンターのNさんが拙宅に来られる。
 あさっての同センターのイベントに使う都市計画図2500:1を取りにこられたのです。
 立ち話で失礼する。
 これから講義があるためです。

 12時50分、佛教大学「歴史地理学」の講義。
 江戸時代京都の大名屋敷(いわゆる藩邸)について語る(写真は薩摩屋敷跡碑)。

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 武家が住むことの少なかった近世京都にどうして多くの大名屋敷があるのでしょう。
 みなさん考えてください、と次回への宿題。

 実は種本があります。
 藤川昌樹氏「徳川期京都における武家屋敷の成立」です。
(宮崎勝美・吉田伸之編『武家屋敷』山川出版社、1994年)

 この論文がこの問題のほとんど唯一の近年の成果です。
 この論文に、若干の管見を加え、来週論じます。

 このブログをご覧の受講生のみなさん、ぜひ上記論文を図書館などで手に入れて、来週受講してください。
 きっとその方が理解が早いです。
 期待しています。

 夜、「三宅日記輪読会」に参加。
 今夜は1922年(大正11)2月条を読む。

 あわせて1919年(大正8)2月1日条の三宅安兵衛の遺言の部分を読む。
 メンバーのSさんから、亡父君の遺言、他界の日のエピソードをうかがい驚嘆する。
 参加者5名。
 いつも以上に学ぶことの多い会でした。

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