2013.07.05

中村武生の1週間一挙公開

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。

Photo

5

6月28日(金)

 午後から「中村武生のくずし字研究会」に出講。引き続き幕末会津関係記録を読む。夜、山科本願寺・寺内町市民の会事務局の論文を読む会に参加。福島克彦氏が草野顕之氏論文を書評。終了後、福島さん、安藤弥さん、郡邦辰さん、島田雄介さんと懇親。

6月29日(土)

 午後、名古屋市の栄中日文化センターに出講。新選組講座。慶応3年6月、新選組の徳川家仕官とそれに関わる茨木司・佐野七五三之助ら4名の自刃事件などを扱う。終了後、受講者と懇親。ほんとうは桑名市の幕末展に行きたかったが、疲れた。

6月30日(日)はれ

 午後、幕末マニア講座A班(新選組)に出講。巡検。甲子戦争(禁門の変)における天王山の真木和泉を追うコース5回に分けてあるいている。今回は洛外に出たところ(城州紀伊郡東九条村)から竹田街道をとって伏見奉行所まで。休憩含めて3時間30分ぐらいだった。終了後、参加者全員と懇親。キリン一番搾りを飲ませ、80年代音楽のかかる店。

7月1日(月)はれ

 前夜から娘発熱、今朝39度1分まで上がる。午前10時、都名所図会をあるくに出講。寺町を鞍馬口から南下。上御霊神社、阿弥陀寺、十念寺、本満寺、浄華院(清浄華院)、盧山寺に参る。明日、清浄華院で講演がある。出てこられた職員松田健志さんと軽く打ち合わせ。娘、日中39度6分まで熱あがる。翌日10年ぶりに会う予定だった友人I谷T士さんとの懇親、延期してもらう。が、その後、通院・投薬によりおさまりつつある。

7月2日(火)はれ

 朝、娘の熱36度8分まで下がる。もう安心。

 読売新聞京都総局の二谷さん(女性)から電話。高倉七条で検出された徳川時代に付け替えられた「御土居」基底部についてコメントを求められる。

 昼から基礎からまなぶ!日本歴史に出講。いつもの1週間の日本史ニュース解説、および第一次吉田茂内閣。第二次農地改革、日本国憲法公布、傾斜生産方式、二・一ゼネスト中止など。

 午後3時、清浄華院に移動。大方丈で講演。「清浄華院にいたころの松平容保―池田屋事件前夜」。友人で同寺史料編纂所の松田健志さんからのお誘い。第5世向阿の忌日の一環で。向阿忌は、僕の師の一人である前法主伊藤唯真猊下が再興されたもの。誠にありがたい機会を頂戴した。

 終了後、参加者4人と池田屋騒動之址碑の建つ店で懇親。

7月3日(水)一時あめ

 午前、京都女子大学に出講。歴史地理学という科目。昨年末の聚楽城本丸南辺石垣列検出、およびその保存・公開問題を紹介する。

 終了後、共同通信の記者(女性)から大学に電話あり。前日に記した「御土居」基底部についてやはりコメントを求められる。

 午餐で立ち寄ったラーメン店でカサを忘れる。

 午後、一般向けに聚楽城武家地を案内した。前回のつづき。雨の危険のあるなか、意外と多くの新規の方がお越しになる。参加くださった豊臣期京都に詳しい郡邦辰さんからたいへんな示唆をうける。参加費をいただいてはいけないほどだった。

 二条城東大手門では旧知の受講者にばったり。案内をしておられる。板倉勝重・重宗邸跡碑、直江兼続邸推定地道標、毛利輝元邸跡推定地、宇喜多秀家邸跡、徳川家康邸跡推定地、中村一氏邸跡推定地、平安宮内酒殿跡井戸検出地、松林寺、聚楽城本丸南辺石垣列検出地、杉原寧(豊臣秀吉正室)居所跡推定地、豊臣秀勝邸跡伝承地碑などをあるく。

 聚楽城本丸南辺の石垣列が検出した地は、いま建設工事のまっただなかである。外から普通にのぞけたので写真を掲示しておく。西側から。石垣を公開した昨年12月24日の同じ場所の同じ角度の写真もあわせてのせておく。石垣列は地下に保存した由だが、まったく封印された状態だ。

 途中、直江兼続邸推定地道標のそば、既知の喫茶店「チタチタ」でお茶会実施。

 終了後、四条烏丸に移り、NPO法人京都歴史地理同考会理事の一部と臨時の打ち合わせあり。この間、京都市中ではゲリラ豪雨。運よく避けられた。

 

7月4日(木)あめ

 午前、NHK文化センター京都教室に出講。もう一度まなびなおそう、日本史。今回は院政と保元の乱。「叔父子」問題について、角田文衛氏(故人)の旧説と美川圭氏の新説をご紹介。

 雨のため、午後から予定していた豊国社跡と大仏跡巡検を中止する。やっとカサを買う(家から持ち出さなかった)。午餐は裏寺町の「喜の家」でひとりお好み焼き。この間に雨がやむ。たまたま立ち寄った四条河原町のブックオフで、受講者である京都女子大学文学部史学科2年生Oさんにばったり。せまい社会だ。カサ結局ほとんど使わず。晴れ男の面目躍如である。自分を信じて買わなきゃよかった。

|

2008.09.30

NHK朝ドラ「だんだん」始まる

9/29(月)あめ

 また「今週」はじまる。

 午前9時、大谷大学に出講。「秀吉の京都」の都市構造のおはなし。いつものやつだ。早く終わらせるつもりが、だめだ。やっぱり熱がはいる。

 午後から三条ラジオカフェへ。いつものラジオ収録。「龍馬の時間」と「中村武生の京都歴史探偵」。今月は五週分収録。だから10本録った。つかれた。もう四ヶ月目。そろそろマンネリ化してきた。

  本日発売の週刊ポストをみせてもらう。四週目の「観光偽装」コーナー、今回は木屋町御池上ルの「幾松」だった。今回も僕は取材をうけていない。「黒幕」ではないので誤解ありませんように。

 本日、NHK朝ドラ新番組「だんだん」がはじまる。

 この番組、かなり近しい親戚が制作にかかわっている(NHK出版刊行のドラマ・ガイドの「本誌製作協力(NHKドラマ制作班)」欄に氏名がある)。

 NHK朝ドラはまったく見ないのだが、今回ばかりはそうはいかない。だが、リアルタイムではみられなかった(大谷大学に出講してたからね)。

 DVDに予約しておいた。帰って見た。

 夜、週刊ポストのUさんから電話あり。ある「新選組遺蹟」について質問された。なるほど次回はそれですか。

 個人商店みたいなところへの攻撃は弱いものいじめにみえる。「観光偽装」というなら、幕末にかぎらず、もっと広く、そして巨大なものを相手にすべきなのではないですか、と管見をのべる。

|

2008.09.05

寺田屋伝説を検討した本を出します

 平成の「寺田屋騒動」、たいへんである。
 渦中にいる。
 取材依頼もあるし、その他いろいろ。

 寺田屋伝説を取り扱った、京都民報の連載は、今月末出版される見込みです。

 『京都の江戸時代をあるく―秀吉の幻の城から龍馬の寺田屋伝説まで』
 2008年9月末、文理閣から刊行予定。約200ページ、予定価格1800円。
 
 今日もネットカフェからの更新。
 来週、新居の電話が開通し、ネットもできるようになる(はず)。

|

2008.07.20

木屋町御池と大谷大学で史蹟論

7月19日(土)
 朝から暑い。
 京都民報社主催で、木屋町御池界隈の幕末史蹟をあるくイベントに従事。
 いつもながら、建碑により史蹟は認識されるという視点(史蹟論)での解説。

 すると主人公は幕末志士などではなく、建碑主体者たる近代の人間。
 たとえば京都市教育会(寺井萬次郎)だったり、新三浦(白井凌三)だったり、京都高知県人会(川本直水)だったり、三宅清治郎だったり。

 マニアな内容である。
 それでもついてくださる方々。ありがたし。

 暑さと重さにへろへろになりながら、すこし休憩。 

 午後は2時から、大谷大学で生涯学習講座。
 「なれなかった天皇陵」というおはなし。

 山田邦和博士から教えていただいた、北区紫野の「衣掛塚(きぬかけつか)」という、近世の地誌にも書かれた旧蹟が主人公。

 これ実は近世後期の文化年間、天皇陵候補だった。
 が、見捨てられて、しかし破壊もされず現存しているという奇跡。

 これを、そもそも天皇陵は根拠なく治定(じじょう)されるものだという、考古学などの成果をふまえて、「史蹟はつくられる」というあいかわらずの中村史蹟論にもってゆく。

 ついでに最近立ち上げた、市民団体「京都歴史地理同考会」(理事長中村武生)の建碑事業を紹介。
 「内緒」だといって、第1号碑除幕直前写真をお見せする。

 建碑による史蹟論の研究者が、みずから主体的に、しかも組織的な建碑を行おうとしている。
 他の団体の建碑事業にも監修として参加もしている。

 この功罪は後世問われるにちがいない。

|

2008.01.24

幕末志士の居所を論じブックオフで狂喜する

1/23(水)くもり
 JRなど山科駅前のアスニー山科に出講。
 以前告知しましたが、「河原町三条界隈になぜ維新史蹟が多いのか―幕末志士居所論」という話をする。

 200人定員だが、今日は天気がわるい。
 おそらく150程度だろうと思っていたが、さにあらず260人も来られていました。
 すごい。

 知ったお顔が多数でしたが、もちろん未知の方も多数で、なかには故恩師の奥様と親しいという方、話題にした先生の息子さんと同僚だという方、いろんな方から声をかけていただき、実に楽しいひとときでした。

 帰途、またブックオフ三条京阪店に寄る。
 なんと今度は『山内家史料』第一期分(一豊公紀、忠義公紀、忠豊公紀)全7巻がそれぞれ2500円で売りに出ていた。
 驚いた。それぞれは土佐山内家の当主の伝記で、多数の原史料を引用している貴重なもの。
 土佐山内家を専門にはしていないが、江戸初期の京都・伏見を考えるものとしては、必要な史料集である。

 2代忠義の時代はまだ将軍上洛が行われている。
 3代忠豊の時代以後も京屋敷は維持されている。
 江戸時代の京屋敷をしる基礎データになりえる。
 
 が、いかんせん高額だ。
 定価は各巻8500円。
 古書価格でも5000円前後だ。
 これを買うなら○×が先だ、で手にしていなかった。

 実際もし『山内家史料』を購入するなら、当然幕末の当主「豊範公紀」を最初に購入すると思っていた。
 
 しかし2500円なら別だ。
 小金はもっていた。
 思わずすべて買い占めた。

 ほかにも魅力的なコネタ本がいくつかあったので、支払いは2万10円になった。
 ブックオフで2万円を支払ったのは初めてだ。
 
 でも持って帰れるか。 
 今日は荷物が多い。
 リュックとパソコンとカサがある。
 で、郵送してもらおうと思った。
 古書店で書物の郵送を頼むのも初めてだ。
 初めてづくし。

 その手続きをしてもらっているさなか、ちがうことを考えた。

 送料はおそらく1000円ほどだ。
 それとは別に、今日これから僕が単身帰宅するには電車とバスを併用して500円ちかくかかる。
 
 計1500円ほどじゃないか。
 それならタクシーに乗ろうと方針をかえた。

 レジの兄さんに箱詰めにしてもらい、1階まで運んでもらった。
 そこでタクシーをひらってすべての荷物を乗せて自宅へ向かった。
 
 メーターやっぱり1500円ていど。
 かえって楽できた。本も即日手元にある。いいことづくめだ。好判断だったと思う。
 
 夕方、佛教大学で人文地理学の講義。
 千本三条あたりに製材所が多かったはなしをする。
 このネタは初披露だったので、もう少し熟す必要があると思われた。

 帰宅して、原稿仕事をしつつも、昼間手に入れた『山内家史料』初代~3代紀を斜め読みする。
 予期した以上の史料が入っていて喜ぶ。
 うかつなことだ。
 周知の史料なのに、存在に気づいてなかった。
 諸刃の剣ではあるが、書物など史料の所有はやはり意味があることなのだ。

 それにしてもこの価格。
 3分の1以下ではないか。
 
 ありがたいことはまちがいないが、序文にある編者の刊行への思いを読むと、古書店でこんな安価で購入したことを申し訳なく思えてきた。

 ブックオフは難しい存在である。

|

2006.05.16

「近藤勇の首塚」参拝

5/15(月)はれ
 岡崎市本宿の法蔵寺へ。
 「近藤勇の首塚」といわれてきた、土方歳三ら銘の基壇の見学。
 
 栄中日文化センターのFさん、Iさん、Wさん同行。
 旧東海道沿いですので、少し得した気分。

 同寺には「東照宮」こと徳川家康の由緒を示す、近世後期の五輪塔や石標がいくつかあり、きわめて興味深い場所と知る。
 史蹟論を進める上で貴重。
 
 名古屋にとまり。
 明日は朝日カルチャーセンターのバスツアーで名古屋から京都へ戻る。

| | コメント (2)

2006.01.29

坂本龍馬講座、京都見学会を行う

1/28(土)
 月1度、栄中日文化センターで「坂本龍馬」講座をしております。

 が、教室での講義には限界があります。
 それゆえ、中日文化センターとは無関係に、京都で現地講義を行うことにしました。

 本日がその日です。
 名古屋から京都は決して近いとはいえません。

 参加者はおそらく数名、と思われました。
 ところが20余名もの参加がありました。
 
 午前中は伏見。
 寺田屋で遭難した龍馬は伏見薩摩屋敷へ逃れます。
 龍馬の手紙、同行した三吉慎造の日記、龍馬の妻おりょうの回想を筆記した記録を各所で朗読しながら歩きました。
 現地で史料を読む、これは僕が先生から習った学習法です。
 意外なほど臨場感がでます。
 1度おためしあれ。

 午後からは洛中へ。
 夕方4時半まで河原町三条近辺を歩きました。
 
 何度も歩いたコースですが、何度歩いても、その都度あらたな「発見」があります。
 よい日でした。

| | コメント (0)

2005.09.07

東京都旧跡、指定解除検討報道に驚く

 『読売新聞』本年8月11日記事によれば、東京都が旧跡に指定した場所230件のうち、約9割が根拠に乏しいとして、指定解除を視野に入れて、総点検を進めている由です。

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20050811tb03.htm

masakado

 見直し対象になっているのは、お岩さんの稲荷、将門首塚(写真)、赤穂浪士切腹の地・熊本細川家江戸屋敷跡、乃木希典生誕地など。

 仰天です。

 記事以外の情報を入手していませんし、検討委員会のメンバーがどなたかも存じ上げないのですが、事実ならちょっと待ってください、という思いです。

 根拠に乏しい指定地を解除ということですが、では根拠の豊かな史蹟ってどれほどあるといわれるのでしょう。
 そもそも何を根拠といわれるのでしょう。

 考古学の発掘調査でしようか。
 文献史料なら、いつまでさかのぼれるものが存在すると根拠豊かになるのでしょうか。 

 とりわけ赤穂浪士の史蹟の指定解除理由が問題。
 同史蹟はいま都内10カ所に及び、1918~42年に指定を受けた。
 この時期が治安維持法、国家総動員法の制定とも重なり、国策にともなう政治利用と思われるから、
だそうです。

 そんなこといえば、戦前の国史蹟指定地の多くが政治利用の可能性があります。

 京都府で言えば、「方広寺石塁及び石塔」、「御土居」など、豊臣秀吉関係紀念物が史蹟指定されています。
 それは、朝鮮の植民地化を実現していた当時、約350年前、その出兵を進めた秀吉を、先駆者として評価したという解釈が可能です(高木博志さんのご研究による)。

 この2つは指定解除すべき対象になるのでしょうか。
 それとも、こちらはモノが存在するから根拠があるといわれるのでしょうか。

 しかし、指定にあっては双方とも発掘調査を実施したわけではない。
 たしかに方広寺跡は、最近の発掘調査によって遺構が確認されていて、指定の正しさが実証されているといえるのでしょう。

 でも石塔(耳塚)は未調査です。

 「御土居」も指定地は全く未調査です。
 指定地の土塁と堀が豊臣期に構築された根拠は何もありません。

 もし文化庁が都の姿勢を模倣すれば、「稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)」(神奈川県)などの南朝史蹟はまちがいなく対象となると思います。
 「太平記」の「伝説地」でしかありませんから。

 「楠木正成墓碑」(兵庫県)も水戸光圀の建立した墓碑が指定されたことになっていますが、これも水戸光圀の史蹟ではなく、南朝史蹟として指定を受けたことは確実です。
 近世建立のモノがあるとはいえ、これも戦前の政府の政治利用であると十分いえます。

 岐阜県の関ヶ原古戦場は最大の指定面積をほこりますが、そのうちには例えば「徳川家康初陣地」「最後陣地」なんてのが指定名にあります。
 でもこれってどうして実証できるのでしょうか。
 
 百歩ゆずって、都の検討委員会の「根拠」の基準というものが仮に妥当なものとします。

 それでも指定解除はすべきではない。

 そういった記念物の多くは、指定以前から史蹟として地域に根づいていたものでしょう。
 仮に伝説が歴史事実を伝えたものでなくても、地域や研究者がその由緒を大事にして、現在まで残してきたという「事実」があります。

 そういった「歴史意識」はいま、近世史、近代史の研究の大事なテーマになってきています。
 「史蹟」として伝承されたものの研究です。

(例えば羽賀祥二『史蹟論』、羽賀祥二・若尾祐司編『記憶と記録の比較文化史』、白井哲哉『日本近世地誌編纂史研究』など)

 指定解除はそのことを否定し、将来にあっては、解除された場所が現状を改め、最悪壊滅する日がくるはずです。

 戦前に指定された「明治天皇行在所」「御小休所」(いわゆる明治天皇聖蹟)370ヵ所は、戦後GHQによって、いっせいに指定解除を受けました(1948年6月29日)。

 占領解除後も、再指定を受けませんでしたが、指定解除を受けたため消失した場所もあったはずです。

 指定解除を受けた「聖蹟」の多くは、天皇が訪れた寺社や豪農屋敷など、いわば地域の中心地でした。
 「天皇聖蹟」でなくとも、地域にとっては大事な建造物や場所ではなかったのでしょうか。
 これらは消失してもよかったと本当にいえるのでしょうか。

 ある時期の指定理由に問題があったとしても、安易な指定解除は、かえって史蹟破壊につながり、後世に問題を残します。

 重ねていいます。
 新聞記事が正しいのなら、東京都指定旧跡の指定解除を前提とした点検作業に、反対をいたします。

| | コメント (2)

2005.06.13

松花堂弁当は誰が考案したのか

P4280037
 6/10(金)、さまざまな事務処理を行う。
 夜は、某所での仕事をこなし、夜10時頃帰宅。

 6/11(土)あめ。午後2時半、京都府立総合資料館へ入る。
 松花堂弁当は誰が考案したのか、という「問題」に取り組んでいます。

 一般的には料亭吉兆の創始者湯木貞一が「考案」し広めたことになっていますが、私は少し違う話を旧家で聞きました。
 たかが弁当、と思うなかれ。
 実は予想される結論は、私の「建碑にともなう史蹟空間づくり」研究の一部をなすのです。
 だからけっこう真剣です。

 2日前、それに関する「重要資料」の存在を知りました。
 そこでさっそく、それを蔵していた同館へ閲覧にいったわけです。
 いつものように同館司書の松田万智子さんにお世話になりました。

 ほかにも私の知らない「松花堂」関係資料をご教示いただきました。
 さっそく複写。
 ありがとうございました。
 (写真は京都府八幡市の石清水八幡宮境内にある「泉坊松花堂跡」碑です〈費用負担者は三宅清治郎〉)

 夜、美術館「えき」KYOTOの「ミヒャエル・ゾーヴァ展」に立ち寄る。
 不思議な世界に、しばし頭を洗浄しました。

| | コメント (4)