2008.01.24

幕末志士の居所を論じブックオフで狂喜する

1/23(水)くもり
 JRなど山科駅前のアスニー山科に出講。
 以前告知しましたが、「河原町三条界隈になぜ維新史蹟が多いのか―幕末志士居所論」という話をする。

 200人定員だが、今日は天気がわるい。
 おそらく150程度だろうと思っていたが、さにあらず260人も来られていました。
 すごい。

 知ったお顔が多数でしたが、もちろん未知の方も多数で、なかには故恩師の奥様と親しいという方、話題にした先生の息子さんと同僚だという方、いろんな方から声をかけていただき、実に楽しいひとときでした。

 帰途、またブックオフ三条京阪店に寄る。
 なんと今度は『山内家史料』第一期分(一豊公紀、忠義公紀、忠豊公紀)全7巻がそれぞれ2500円で売りに出ていた。
 驚いた。それぞれは土佐山内家の当主の伝記で、多数の原史料を引用している貴重なもの。
 土佐山内家を専門にはしていないが、江戸初期の京都・伏見を考えるものとしては、必要な史料集である。

 2代忠義の時代はまだ将軍上洛が行われている。
 3代忠豊の時代以後も京屋敷は維持されている。
 江戸時代の京屋敷をしる基礎データになりえる。
 
 が、いかんせん高額だ。
 定価は各巻8500円。
 古書価格でも5000円前後だ。
 これを買うなら○×が先だ、で手にしていなかった。

 実際もし『山内家史料』を購入するなら、当然幕末の当主「豊範公紀」を最初に購入すると思っていた。
 
 しかし2500円なら別だ。
 小金はもっていた。
 思わずすべて買い占めた。

 ほかにも魅力的なコネタ本がいくつかあったので、支払いは2万10円になった。
 ブックオフで2万円を支払ったのは初めてだ。
 
 でも持って帰れるか。 
 今日は荷物が多い。
 リュックとパソコンとカサがある。
 で、郵送してもらおうと思った。
 古書店で書物の郵送を頼むのも初めてだ。
 初めてづくし。

 その手続きをしてもらっているさなか、ちがうことを考えた。

 送料はおそらく1000円ほどだ。
 それとは別に、今日これから僕が単身帰宅するには電車とバスを併用して500円ちかくかかる。
 
 計1500円ほどじゃないか。
 それならタクシーに乗ろうと方針をかえた。

 レジの兄さんに箱詰めにしてもらい、1階まで運んでもらった。
 そこでタクシーをひらってすべての荷物を乗せて自宅へ向かった。
 
 メーターやっぱり1500円ていど。
 かえって楽できた。本も即日手元にある。いいことづくめだ。好判断だったと思う。
 
 夕方、佛教大学で人文地理学の講義。
 千本三条あたりに製材所が多かったはなしをする。
 このネタは初披露だったので、もう少し熟す必要があると思われた。

 帰宅して、原稿仕事をしつつも、昼間手に入れた『山内家史料』初代~3代紀を斜め読みする。
 予期した以上の史料が入っていて喜ぶ。
 うかつなことだ。
 周知の史料なのに、存在に気づいてなかった。
 諸刃の剣ではあるが、書物など史料の所有はやはり意味があることなのだ。

 それにしてもこの価格。
 3分の1以下ではないか。
 
 ありがたいことはまちがいないが、序文にある編者の刊行への思いを読むと、古書店でこんな安価で購入したことを申し訳なく思えてきた。

 ブックオフは難しい存在である。

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2006.05.16

「近藤勇の首塚」参拝

5/15(月)はれ
 岡崎市本宿の法蔵寺へ。
 「近藤勇の首塚」といわれてきた、土方歳三ら銘の基壇の見学。
 
 栄中日文化センターのFさん、Iさん、Wさん同行。
 旧東海道沿いですので、少し得した気分。

 同寺には「東照宮」こと徳川家康の由緒を示す、近世後期の五輪塔や石標がいくつかあり、きわめて興味深い場所と知る。
 史蹟論を進める上で貴重。
 
 名古屋にとまり。
 明日は朝日カルチャーセンターのバスツアーで名古屋から京都へ戻る。

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2006.01.29

坂本龍馬講座、京都見学会を行う

1/28(土)
 月1度、栄中日文化センターで「坂本龍馬」講座をしております。

 が、教室での講義には限界があります。
 それゆえ、中日文化センターとは無関係に、京都で現地講義を行うことにしました。

 本日がその日です。
 名古屋から京都は決して近いとはいえません。

 参加者はおそらく数名、と思われました。
 ところが20余名もの参加がありました。
 
 午前中は伏見。
 寺田屋で遭難した龍馬は伏見薩摩屋敷へ逃れます。
 龍馬の手紙、同行した三吉慎造の日記、龍馬の妻おりょうの回想を筆記した記録を各所で朗読しながら歩きました。
 現地で史料を読む、これは僕が先生から習った学習法です。
 意外なほど臨場感がでます。
 1度おためしあれ。

 午後からは洛中へ。
 夕方4時半まで河原町三条近辺を歩きました。
 
 何度も歩いたコースですが、何度歩いても、その都度あらたな「発見」があります。
 よい日でした。

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2005.09.07

東京都旧跡、指定解除検討報道に驚く

 『読売新聞』本年8月11日記事によれば、東京都が旧跡に指定した場所230件のうち、約9割が根拠に乏しいとして、指定解除を視野に入れて、総点検を進めている由です。

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20050811tb03.htm

masakado

 見直し対象になっているのは、お岩さんの稲荷、将門首塚(写真)、赤穂浪士切腹の地・熊本細川家江戸屋敷跡、乃木希典生誕地など。

 仰天です。

 記事以外の情報を入手していませんし、検討委員会のメンバーがどなたかも存じ上げないのですが、事実ならちょっと待ってください、という思いです。

 根拠に乏しい指定地を解除ということですが、では根拠の豊かな史蹟ってどれほどあるといわれるのでしょう。
 そもそも何を根拠といわれるのでしょう。

 考古学の発掘調査でしようか。
 文献史料なら、いつまでさかのぼれるものが存在すると根拠豊かになるのでしょうか。 

 とりわけ赤穂浪士の史蹟の指定解除理由が問題。
 同史蹟はいま都内10カ所に及び、1918~42年に指定を受けた。
 この時期が治安維持法、国家総動員法の制定とも重なり、国策にともなう政治利用と思われるから、
だそうです。

 そんなこといえば、戦前の国史蹟指定地の多くが政治利用の可能性があります。

 京都府で言えば、「方広寺石塁及び石塔」、「御土居」など、豊臣秀吉関係紀念物が史蹟指定されています。
 それは、朝鮮の植民地化を実現していた当時、約350年前、その出兵を進めた秀吉を、先駆者として評価したという解釈が可能です(高木博志さんのご研究による)。

 この2つは指定解除すべき対象になるのでしょうか。
 それとも、こちらはモノが存在するから根拠があるといわれるのでしょうか。

 しかし、指定にあっては双方とも発掘調査を実施したわけではない。
 たしかに方広寺跡は、最近の発掘調査によって遺構が確認されていて、指定の正しさが実証されているといえるのでしょう。

 でも石塔(耳塚)は未調査です。

 「御土居」も指定地は全く未調査です。
 指定地の土塁と堀が豊臣期に構築された根拠は何もありません。

 もし文化庁が都の姿勢を模倣すれば、「稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)」(神奈川県)などの南朝史蹟はまちがいなく対象となると思います。
 「太平記」の「伝説地」でしかありませんから。

 「楠木正成墓碑」(兵庫県)も水戸光圀の建立した墓碑が指定されたことになっていますが、これも水戸光圀の史蹟ではなく、南朝史蹟として指定を受けたことは確実です。
 近世建立のモノがあるとはいえ、これも戦前の政府の政治利用であると十分いえます。

 岐阜県の関ヶ原古戦場は最大の指定面積をほこりますが、そのうちには例えば「徳川家康初陣地」「最後陣地」なんてのが指定名にあります。
 でもこれってどうして実証できるのでしょうか。
 
 百歩ゆずって、都の検討委員会の「根拠」の基準というものが仮に妥当なものとします。

 それでも指定解除はすべきではない。

 そういった記念物の多くは、指定以前から史蹟として地域に根づいていたものでしょう。
 仮に伝説が歴史事実を伝えたものでなくても、地域や研究者がその由緒を大事にして、現在まで残してきたという「事実」があります。

 そういった「歴史意識」はいま、近世史、近代史の研究の大事なテーマになってきています。
 「史蹟」として伝承されたものの研究です。

(例えば羽賀祥二『史蹟論』、羽賀祥二・若尾祐司編『記憶と記録の比較文化史』、白井哲哉『日本近世地誌編纂史研究』など)

 指定解除はそのことを否定し、将来にあっては、解除された場所が現状を改め、最悪壊滅する日がくるはずです。

 戦前に指定された「明治天皇行在所」「御小休所」(いわゆる明治天皇聖蹟)370ヵ所は、戦後GHQによって、いっせいに指定解除を受けました(1948年6月29日)。

 占領解除後も、再指定を受けませんでしたが、指定解除を受けたため消失した場所もあったはずです。

 指定解除を受けた「聖蹟」の多くは、天皇が訪れた寺社や豪農屋敷など、いわば地域の中心地でした。
 「天皇聖蹟」でなくとも、地域にとっては大事な建造物や場所ではなかったのでしょうか。
 これらは消失してもよかったと本当にいえるのでしょうか。

 ある時期の指定理由に問題があったとしても、安易な指定解除は、かえって史蹟破壊につながり、後世に問題を残します。

 重ねていいます。
 新聞記事が正しいのなら、東京都指定旧跡の指定解除を前提とした点検作業に、反対をいたします。

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2005.06.13

松花堂弁当は誰が考案したのか

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 6/10(金)、さまざまな事務処理を行う。
 夜は、某所での仕事をこなし、夜10時頃帰宅。

 6/11(土)あめ。午後2時半、京都府立総合資料館へ入る。
 松花堂弁当は誰が考案したのか、という「問題」に取り組んでいます。

 一般的には料亭吉兆の創始者湯木貞一が「考案」し広めたことになっていますが、私は少し違う話を旧家で聞きました。
 たかが弁当、と思うなかれ。
 実は予想される結論は、私の「建碑にともなう史蹟空間づくり」研究の一部をなすのです。
 だからけっこう真剣です。

 2日前、それに関する「重要資料」の存在を知りました。
 そこでさっそく、それを蔵していた同館へ閲覧にいったわけです。
 いつものように同館司書の松田万智子さんにお世話になりました。

 ほかにも私の知らない「松花堂」関係資料をご教示いただきました。
 さっそく複写。
 ありがとうございました。
 (写真は京都府八幡市の石清水八幡宮境内にある「泉坊松花堂跡」碑です〈費用負担者は三宅清治郎〉)

 夜、美術館「えき」KYOTOの「ミヒャエル・ゾーヴァ展」に立ち寄る。
 不思議な世界に、しばし頭を洗浄しました。

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