慶応3年の近藤勇から赤塚不二夫氏へ
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7/5(土)はれ
気候が不快になってきた。
昨日以来、のどの調子がよくない。
名古屋市、栄中日文化センターに出講。
「新選組の手紙をよむ」。
池田屋事件以後の近藤勇のありようを考える。
終了後、のどの痛みがきつくなった。
受講者とのいつもの喫茶をしたのち、急いで帰洛する。
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6/19(木)雨
某所の古本市、また行き忘れた!
誘ってくれたK野君(D志社大学)、申し訳ない。
名古屋に出講。
栄中日文化センターの「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」両講座。
いつもながら前者は40名ちかくの受講者である。すごい。
専門ではない講座の方が受講者が多いというこの現象、考えなければならない。
オリジナリティ豊かな内容の方がうける、という意識は、一般の求めているものと異なるということだ。
ちなみに今回とりあげた城は、摂津有岡城(せっつ・ありおかじょう)なので、専門領域である。
摂津有岡城は惣構(そうがまえ)をもっていることで知られる。
惣構(そうがまえ)論は、中村武生の大事な専門領域である。
忘れられがちだが。
あ、そういえば、京都学講座もミヤコの惣構(そうがまえ)のはなしだった。
偶然だ。ねらってないと思う(企画書を書いたときの記憶がない)。
担当Oさんから10月講座の打診をいただいた。
ありがたいことである。
Oさんからはじめてメールをいただいたのが、2003年6月12日だった。
たまたまこの日は一生忘れられないできごとがあった日だった。
地獄に仏とはこのことか、と思った。
それ以来、ずっと講座をいただいている。
もう六年目だ。
明日、江ノ島(神奈川県藤沢市)で講座がある。
日帰りで行こうと思っていたのだが、勧める人があったし、名古屋と江ノ島は同じ方向だし、前日宿泊することにした。
数日前、横浜に宿をとった。
が、今日、名古屋に来てきづいた。
「明日、朝1番に同志社の講義があるやん」。
絶句した。
なぜそんなことに気づかなかったのか。
臨時休講にする手もあったが、「せっかく大学に来たのに休講かい、先週いうとけや」と思われるのが予想できた。
それは無責任というものだ。
自分が学生だったときの記憶がある。
なるべくしてはいけない行為だ。
で、名古屋から宿にキャンセルの電話をした。
キャンセル料は宿代全額で、来週現金書留で送らないといけない。
が、これでよかったのだ。
へろへろになりながら帰洛。
またまた木屋町三条「龍馬」へ。
女将お龍さんからメールがあり、常連客の「変態ブタゴリラ」さん(コードネーム)から僕宛にステキな贈り物があると聞いたから。
拝受しました。いつもありがとうございます。心より喜んでおります。
ここで大事な仕事をする。
ある文章を書く。
店主赤尾さんに渡す。
いつになく赤尾さん、緊張の顔。
ことの重要性を再認識なされたか。
しばらくして退出。
帰っても仕事。
あるモノをスキャニングして、赤尾さんに添付ファイルで送る。
明日も仕事、早いなあ。
疲れきっているが、なんて楽しい日々なのだろう。
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4/17(木)あめ
名古屋、栄中日文化センターへ。
また講座の再開である。
今回も引き続き、「日本の城と合戦」と「京都学ことはじめ」。
「京都学ことはじめ」は、まあいいのだ。
専門にちかいから。
信長の京都支配について。
主に高橋康夫先生(建築学)の旧二条城のご成果(『豊臣秀吉と京都』所収論文、文理閣)のご紹介だったのだが。
問題は城と合戦講座で、今回はこともあろうに恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱。
奈良時代ではないか。
よくぞそんな話するわ。
ところが、なんとこの講座がもっとも人気が高いのだ。
専門家の思いと一般の関心の齟齬をここにみる。
夜も庶務や原稿執筆などあり。
大学再開して2週間。
そろそろ疲れてきた。
夜、大雨。
雨降ると郵便局にいけない。
でも待たれている荷物は発送せねばならない。
こういうとき、自家用車をもちたくなる。
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3/20(木・祝)午前中雨
祝日なのに、名古屋の栄中日文化センターに出講。
「日本の城と合戦」、「京都学講座」。
それぞれ鳥羽伏見戦争、山科本願寺・寺内町について。
今期最後。
ずっと2時間講座だった。
次回からは1時間半になる。
楽になる。助かる。
終了後、まっすぐ帰京。
帰宅しすぐ「京都の江戸時代をあるく」つづける。
深夜完成する。
感慨ぶかい。
大きく加筆した。
連載当時より70枚ほど加筆したみたい。
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本日は午後1時から、名古屋市の栄中日文化センターに出講しないといけない日。
その準備に時間がかかって、出遅れた。
実は10時から11時、堀川通御池の旧城巽中学で、堀川院跡の現地説明会がある。
遅刻したくないという思いがつよくあったが、ひと目でも拝見することがどれだけ意味深いかを知っている。
だから奥の手を使い、11時ちょうどに現場に入った。
20分ほど滞在した。
やっぱり来てよかった。調査区が広いので、壮大な庭園をイメージすることができた。
新幹線も11時35分のひかりに乗れた。
問題なく中日ビルにも入れた。
受講者、今回は約30人。
前回より多い。
京都からおこしの方もあった。
驚いた。
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9/20(木)はれ
名古屋へむかう。
栄中日文化センターの「日本の城と合戦」「京都学ことはじめ」に出講のため。
今回いずれも最終回。
「日本の城と合戦」は小牧・長久手の戦いを論ずる。
失敗した。
最近、藤田達生さん編『戦場論』上下という、小牧・長久手の戦いの総合研究書みたいな書物が刊行された。
今回も大きく学ばせていただいたが、藤田さんはながくから栄中日文化センターの講師でいらっしゃる。
藤田さんのお膝元で、素人が小牧・長久手の戦いを語るなんて。厚顔無恥なことだった。
京都学講座は、院政期の京都をお話しする。
いずれも聴き上手のみなさんに支えていただきました。
今後も当講座は継続します。
またどうかよろしくお願いいたします。
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9/1(土)はれ
栄中日文化センターへ。
今回は新幹線落雷事故はなく、無事11時46分京都駅発のぞみに乗れる。
ぐうぜん受講者にして友人C野さんと同乗、たのしい名古屋行き35分であった。
本日「お龍からみた龍馬」最終回。
そして数年にわたってつづいた中日文化センターの龍馬講座も一旦おわる。
本日は「龍馬と別れて」と題して、龍馬没後のお龍40年を論ずる。
近年、鈴木かほるさんの「お龍伝」が発表されている(『市史研究横須賀』4号、2005年3月)。
その成果を頂戴し、そこでふれられていないことにも言及した。
とりわけ注目したのは、お龍がいかに「龍馬の遺族」からはずされていくか、という過程である。
お龍はある時期までまちがいなく「龍馬の遺族(いわゆる未亡人)」であった。
すなわち龍馬の「遺産」相続者であったといえる。
龍馬の死後、長府毛利家からお龍が扶持米をもらっているし、龍馬の「遺言」にしたがい海援隊士たちは土佐坂本家へ送りとどけている。
が、いつかそれがなくなってしまう。
これは洛東霊山の殉難志士墓地がいかに形成されていくのか、という別の関心でえた知識により、興味深い齟齬に気づいたからだった。
これについてはいつかきちんと論じてみたい。
先日、ありがたいことに、東京の有名なS社(ただし「新人物○×社ではない)から「龍馬」で1冊書きませんかと打診をいただいた。
幕末史を専攻しているものとして、龍馬伝を世に送れることは幸せなことである。
すべきことがゴマンとあり、刊行はまだまだ先のことになるが、お引受けした。
そこで論じれたらと願っている。
それはともかく、まもなく新人物往来社から、鈴木かほるさんによる「お龍伝」が刊行される(『資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍』、11月末ごろ)。
たいへんたのしみである。
終了後、ながきにわたって受講くださった関東のM川さんとC野さんのお別れ会があった。
来月からは龍馬講座はないのでもうお越しにはならない。
お2人は最高クラスの龍馬通である。
お2人がこられていたことは話す側として大いに刺激になった。
ありがとうございました。
来月からは「篤姫」(来年の大河ドラマ)にちかい幕末講座を行います。
よろしければおこしください。
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8/30(木)あめのちくもり、夜またあめ
名古屋市の栄中日文化センターへ出講。
講座「城と合戦」は午後1時から。
11時46分発ののぞみに乗る予定だった。
が、20分も遅れて到着。
信号の故障とか。ぎりぎりか。
いやいや途中、米原でのぞみ止まる。
こりゃ、まにあわんわ。
車内からケイタイで担当Oさんへメールを送る。
その後もゆっくり走る。
最後はスピードをあげる。
結局到着は午後1時10分すぎ。
新幹線にちょうど1時間乗っていた。
メールが読まれているか不明だったので、名古屋駅から電話する。
受付のおねえさんに伝える。
「講師遅刻」の連絡がとどいていないもよう。
駅の電灯掲示板によると、落雷が原因とか。
栄中日文化センターに到着は1時30分ごろ。
受講者お待ちかね。
ご迷惑をおかけしました。
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8/4(土)はれ
名古屋・栄中日文化センターの龍馬講座の日。
今回のテーマは「別居夫婦」。
慶応2年6月、いわゆる新婚旅行のあと、妻お龍(りょう)は長崎・下関と居所を変える。
その間、龍馬は妻と同居しない。
政治活動に挺身する。
いわば「別居夫婦」だったのだ。
たまに妻の居所に立ち寄る。
その間の動きを、現存唯一の龍馬のお龍宛書簡や、いつものお龍回想録(反魂香、千里駒後日譚)を読みながら論じる。
あいかわらず準備不足。
直前から本番にかけて、「あれも調べておけばよかった」だらけ。
ぶざまなこと。
栄中日文化センターでの「龍馬講座」はもう限界を超えている。
来月が最終回。
よい引き際かと思う。
来月は「龍馬を失って」。
龍馬の死後、お龍は40年も生きる。
その間の動きをお話しする。
終了後、いつもの有志との懇親会。
ここがもっとも勉強になる。
M川M理子さん、C野F哉さんほか、みなさんから本日の内容のコメントをもらう。
気づいていないことに多々気づかせていただける。
この会も次回で終わり。
Mさん、Cさん、「龍馬」精鋭のおふたりの前で講座を行うのは本当にきつかった。
が、そのおかげで僕の「龍馬論」は大きく飛躍した。
感謝してやみません。
次回でおわる、そういう意味ではとても惜しまれます。
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7/7(土)はれ
七夕の日がはれるのは珍しいとおもう。
栄中日文化センター(名古屋市)の日。
「妻おりょうからみた坂本龍馬」講座。
今回は慶応2年(1866)3月から6月にかけての、龍馬・おりょうの鹿児島旅行について。
いわゆる 「日本初の新婚旅行」のこと。
実はこの旅行、「日本初」は論外としても、「新婚旅行」かどうかもうたがわしい。
なぜ「新婚旅行」というかといえば、慶応2年(1866)1月23日の寺田屋遭難をへて、龍馬とそれを助けたおりょうが同2月、京都二本松薩摩屋敷で西郷隆盛の媒酌で「結婚」したとされる。
旅行はその翌月にはじまる。そのため。
が、これは根拠のうすいはなしだ。
鹿児島旅行を伝える同年12月4日付、姉乙女宛書簡には、小松帯刀と西郷隆盛におりょうを妻としたと伝えたとあるのみで、この薩摩屋敷滞在のとき「結婚」したとはいっていない。
あえていえば、乙女に対して「兄さんにも伝えてくれ」といっているので、このとき初めて故郷の家族にも伝えたことになる。
だから慶応2年(1866)2月以前であることはまちがいないが、直前だったかといえばわからない。
なぜそこまでこだわるかといえば、おりょうの回想録が異説を伝えるからである。
それに先立つ1年半前、元治元年(1864)8月に、青蓮院塔頭金蔵寺住職の媒酌により、同本堂で内祝言をあげたとある。
他に裏付ける史料がないからか、これまでまともな研究者はほとんど相手にしてこなかったが、僕は注目している。
すでに拙稿でかんたんにふれたが、おりょうの回想録は「嘘八百」でかためたものではとうていない。
(「京都の江戸時代をあるく28「龍馬とおりょう3―結婚式場は金蔵寺」」(『京都民報』2007年1月28日))
これまで信じられていなかった話が、見落とされていた他の史料によって裏付けられた「事実」もある。
そんなわけで信にたる史料がないにもかかわらず、おりょうの回想録を安易に無視し、2人の結婚を慶応2年2月とみとめ、その翌月からの旅行を「新婚旅行」というのは姿勢として正しくない。
なんてことをはなした。
次回は「別居夫婦」。
龍馬とおりょうの同居期間はきわめて短い。
龍馬が京都で死んだときも、おりょうは下関にいた。
そのふたりのすれちがいと接触を龍馬の手紙とおりょうの回想録などを読んで紹介する。
終了後はT京R馬会のM川さんを囲んで懇親会。
こちらが抜群に勉強になる。
うわさの秘蔵記録(伏見の寺院関係)を持参され、うなる。
ビールやつまみそっちのけで、くずし字をよむ。
寺田屋復興の功労者の名前がひんぱんに出てくる。
これをネットオークションで微々たる安価で手に入れられた由。
いつも参加の東京のCさんは2回続けて欠席。
この史料のことはまったくご存じないことだろう。
残念なことをされた。
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4/19(木)はれ
名古屋、栄中日文化センターへ出講。
「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」のダブルヘッダー。
前者は「元弘の変と鎌倉幕府滅亡」、とても多くの受講者、しかも大半が新しいひと。
後者は「長岡・平安京遷都、その1」。それほど多くはない。なんと大半がこれまでのひと。
人気があるのかないのかわからない。
夜はお好み焼き。
ゆえあって、昨日からビールを断っている。
健康的でなによりです。
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3/3(土)はれ
名古屋・中日文化センターの日。
いつもより2時間も早く、名古屋入りする。
先日、名古屋城三の丸跡で、戦国期の那古屋城の薬研堀跡などが検出された。
その現地説明会が午前中にあると聴いたから。
戦国期の那古屋城といえば、今川氏親がつくり、のち織田信秀が取り、信長がそこで生まれたことで知られる城だ(異説あり)。
幅2メートルはたいしたことないが、深さ4メートルはなかなか立派でした。
もう一本細い堀があり、二重堀であったらしい。
担当者のはなしでは、これは今川氏時代のもので、織田氏が分捕ったあと埋められ、あらたな区画に再編されたらしい。
となりには近世名古屋城三の丸の土塁と堀が現存しており、それと比較してはいかんのだが、あまりの規模の差にあきれる。
午後から栄の中日文化センターへ。
龍馬講座。
本日は「京都・明治維新史蹟の誕生」。
京都市教育会碑と寺井萬次郎のはなしをする。
夜は龍馬やおりょうの知識がふかい受講者3名と懇親会。
いろいろ勉強させてもらう。
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2/8(木)はれ
名古屋へ。栄中日文化センターへ出講。
「城と合戦」と「京都学ことはじめ」のふたつの講座を担当する。
城と合戦は、原城と島原の乱のはなし。
同乱はいろんな意味で興味深いが、あまりに残酷なイメージがありすぎて、ちょっときつかった。
「京都学ことはじめ」は、京都からはなれて近郊の山科・醍醐のはなしをする。
山科は思い入れがふかいので、楽しくお話できました。
帰路、寝過ごしてしまう。
新幹線で寝過ごしたのは生まれて初めて。
きづいたら博多、なんてのは笑えない。
でもほんまにそうなってたら、ついでに島原半島に寄っていこうかとなったかも。
そんな時間ないくせに。
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12/21(木)はれ
名古屋へ。
栄中日文化センターに出講。
まず「城と合戦」講座。
今回は大坂の役。
やっぱり惣構のはなし。
つづいて「京都学ことはじめ」講座。
宗教史をかたる。
法然がいかにすごいか、「一遍上人絵伝」がいかにおもしろいか、論ずる。
今年最後の名古屋だが、本日は休肝日にしたので寄り道せずに京都へ。
早く寝よう。
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長浜市長浜城歴史博物館の太田浩司さんから郵便がとどく。
ひとつは珍しいイベントの案内。
週刊『ヤングマガジン』でいま、「センゴク」というマンガが連載されています。
その作者、宮下英樹さんが滋賀県長浜市にこられ、城郭史研究の牽引者中井均さんと対談されるというものです(司会、太田さん)。
サイン会もあるそうなので、ファンにはたまらない企画でしょう。
日時:11月25日(土)午後1時30分~4時30分
会場:臨湖(長浜勤労者総合福祉センター、長浜市港町4-9)
問い合わせ:長浜市長浜城歴史博物館0749-63-4611
往復はがきで申し込むそうです。上記にお尋ねください。
午後から名古屋へ。
栄中日文化センターの「坂本龍馬と明治維新」講座その2回目。
池田屋事件の新解釈を行う。
が、タイムオーバーで古高俊太郎論で終わる。
次回、冒頭ですこしふれます。
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9/21(木)はれ
栄中日文化センター「城と城下町」講座の日。
名古屋へ。
本日は最終回、土佐高知城と城下町。
半年かけて、山内一豊に関する城と城下町を論じてきた。
大河ドラマは終わってないが、こちらはもう終わり。
来月からは、「城と戦争」という講座がはじまる。
今回の受講の方々、帰り際、何人も次回もよろしくと行っていかれた。ありがたいこと。
一部の受講生と打ち上げ。
そのとき手帳をなくしたことにきづく。あわてる。
新幹線か、中日ビルか。
9/22(金)
朝早く起きて、締め切りとっくに過ぎた「京都の江戸時代」第13話に立ち向かう。
完成しないまま、キャンパスプラザ京都に出講。「大化改新」その2。
急いで帰宅し、また原稿執筆継続。
午後2時半ころにあがる。担当H氏に送る。
夕方、病院へ。
先日の胃腸不良。
すでに治っているが少々不安なので、検査をしてもらう。
血液検査の結果以外はまぁ問題なし。ほっとする。
血液検査の結果は来週出る由。
手帳、中日ビルで見つかった由。
すぐ郵送してもらう。
助かった。
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9/7(木)
名古屋、栄中日文化センターに出講。
「城と城下町」講座。
石田三成と佐和山城・城下町を語る。
石田三成、ドラマ俳優・演出・脚本論を展開。
終了後、受講者数名と短時間の懇親会。
睡眠不足。
帰宅しすぐ仮眠。
深夜に起きて「京都の江戸時代をあるく」(11話)に向かう。
午前3時半頃、完成。すぐさまメールで送る。
午前9時に奈良・斑鳩へ行くイベントあり。
また仮眠に入る。
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9/3(日)はれ
中日旅行会主催の「龍馬とおりょうの京都」をバスで訪ねるイベント。
30人のご参加。
なかには超龍馬通のMさん、Cさんもおられ、ちょっとやりにくい(心地よい緊張)。
コースは、
寺田屋 ⇒ 龍馬避難の材木小屋伝説地 ⇒ 伏見薩摩屋敷跡 ⇒ 智積院(昼食、山内容堂宿舎跡) ⇒ 方広寺南大門(龍馬居住地跡) ⇒ 七条新地跡(おりょう居住地) ⇒ 鳥新旧地 ⇒ 枡屋喜右衛門邸跡・大高又次郎宅跡 ⇒ 菊屋峯吉宅跡 ⇒ 近江屋新助方(終焉地) ⇒ 西林寺旧地(おりょう実家菩提寺) ⇒ おりょう誕生推定地 ⇒ おりょう宅跡 ⇒ 酢屋嘉兵衛旧宅(終焉地のひとつ前の居宅) ⇒ 池田屋跡 ⇒ 丹虎跡(武市瑞山居宅跡) ⇒ 長州屋敷跡 ⇒ 岩倉具視幽棲旧宅(龍馬訪問の建物)
でした。
濃い、濃い。
よくぞ1日でこれだけ回れた。
事故もなく。
みなさんのおかげです。
ありがとうございました。
終了後、みなさん、名古屋へ。
京都宿泊の参加者Cさんと僕だけ京都に残る。
近江屋跡を見下ろす場所で打ち上げ。
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9/2(土)はれ
栄中日文化センター「龍馬講座」出講。最終回。
妻おりょう論。ふたつの回想録は使えるという結論。
明日も「龍馬とおりょう」の京都見学会。
名古屋に泊まる。
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8/5(土)はれ
名古屋の栄中日文化センターに出講。
最近の龍馬情報、とりわけ桐野作人さんの活躍を紹介。
佐々木克さんの「薩長連合」説にもふれる。
大久保利通の西郷隆盛宛慶応元年(1865)9月書簡の件です。
本題の松平春嶽と越前家の話は途中でおわる。
ああ、残念。
次回が最終回。
今講座でもっとも力の入るであろう、おりょう論です。
7/1(土)
今日は父方の祖父の33回忌。
午前中、西陣地区の町家を一軒見学に行く。
ある事情で。
そのあと名古屋へ。
栄中日文化センターに出講。
龍馬講座。
前半は余談で、「忘れられた志士」発見の話しをする。
余計なことをせず、早く龍馬をしろと思われたかも知れない。
後半、最近の「薩長連合」論。
木戸孝允の自叙のうち、当該部分を最初から読んでゆく。
龍馬に裏書を依頼し、龍馬がそれに応じたところでタイムオーバー。
終了後は、懇親会。
前々回から参加されているT・R会のMさん。
その情報量のすごさ。惜しげもなく披瀝される。
知っていたはいたが、現実に接して圧倒。
その人が参加しているこの懇親会。すごい。
ただの飲み会なのに、龍馬情報・最前線交換会みたいな会になっている。
T・R会創設者のCさんも前の講座からご参加。
すごい会になっている。
龍馬ファンの方、来られませんか。
昼間の講座はたいしたことない。
が、懇親会がすごい。
得がたい会です。
6/17(土)
午後から名古屋の栄中日文化センターに出講。
坂本龍馬講座。
本日は「薩摩島津家と龍馬」の予定でしたが、前回の天誅組を残していたので、そのつづきをすることにしました。
龍馬の手紙に出てくる土佐出身の天誅組参加者、土居佐之助、上田宗児(宗虎)、島浪(並)間へ思いをこめて。
とくに上田。
後藤深蔵(造)と名を改め、毛利家の武士として、意外と大事なところで登場します。
たとえば、慶応元年(1865)閏5月、木戸孝允の使者として三条実美ら五卿のもとへ向かいます。
薩長和解の打診です。
三条は薩摩との和解に賛成で、木戸は後藤からこの返事を受けて、安心してその道を歩むことになる。
と、木戸は晩年の手記に書き、薩長和解の第一段階として位置づけています。
薩長和解交渉に龍馬が登場するのは、そのあとです。
この天誅組出身の土佐志士の、その後の活動を取り上げたことってほとんどないのではないか。
のち後藤は鳥羽伏見戦争で戦死し、維新を見ませんが、龍馬とは別のところで頑張っていたのですね。
6/15(木)雨
午後から名古屋の栄中日文化センターへ出講。
「城と城下町―山内一豊の周辺―」講座。その第3回「掛川」。
必ず冒頭で、自分の歴史研究のニュース速報をします。
速報ですから、あとで訂正することもあります。
でもカルチャースクールは、数十年も前の成果を聞かされる場合も少なくありません。
たまにはとれたて、新鮮な生ものをお出しする場があってもいいのでは、と思っての行為です。
今回は「是より洛中」標石のはなしをしました。
長浜の御朱印地標石との比較をするつもりが、タイムオーバーで出来ませんでした。
失敗。
夕方から受講者と懇親会。
一旦帰宅。
またあさって名古屋に戻ってこないといけません。
今度は龍馬講座。
5/15(月)はれ
岡崎市本宿の法蔵寺へ。
「近藤勇の首塚」といわれてきた、土方歳三ら銘の基壇の見学。
栄中日文化センターのFさん、Iさん、Wさん同行。
旧東海道沿いですので、少し得した気分。
同寺には「東照宮」こと徳川家康の由緒を示す、近世後期の五輪塔や石標がいくつかあり、きわめて興味深い場所と知る。
史蹟論を進める上で貴重。
名古屋にとまり。
明日は朝日カルチャーセンターのバスツアーで名古屋から京都へ戻る。
5/12(金)はれ
栄中日文化センターの受講者4人さんと、岐阜県中津川市の中山道歴史資料館へ行く。
主任指導員の仁科吉介さんからご案内をいただく。
長州毛利家の「中津川会談」や、「薩長連合」に関する文書・記録の展示を閲覧。
名古屋に宿泊。
5/13(土)あめ
午前から、愛知県刈谷市へ。
天誅組に参加した、松本謙三郎、宍戸弥四郎の誕生地や墓所、家康母の由緒地「椎屋敷」、近世の刈谷城本丸跡を巡検。
午後3時半から、朝日カルチャーセンターで、「京都学入門」講座に出講。
終電で帰宅。
少々、疲労。
5/9(火)はれ
午前10時50分から「基礎からまなぶ!日本歴史」第2回。
高校生に教える日本史に、もう少しネタをくわえ、一般の方へ伝える講座です。
専門とは違いますが、原始から現代史まで伝える講座が極端に少ないので、受け入れていただいています。
前回よりもお客さん、増えました。
午後1時、中日文化センターのSさんと京都駅で待ち合わせ。
夏か秋に、中日旅行社の企画で、「龍馬とおりょうの京都をめぐる」バスツアーを行います。
その広報のため、三十三間堂近くで撮影と取材を受ける。
今年は龍馬の妻おりょう没後100年にあたります。
忘れられていた史蹟をいくつか発見しました。
その紹介をいたします。
5/6(土)はれ
御心配をおかけいたしました。
休日のお医者にかかり、注射を受け、薬ももらいまして、体調回復に向かっております。
腹痛はまだ続いていますが、でかけることは可能になりました。
いろいろな人からお見舞いのお言葉を賜りました。
ありがとうございます。
昨日は名古屋市に行き、龍馬講座をこなしてまいりました。
「吉村虎太郎と天誅組」でした。
予定の半分もできず。
体調が悪いからではなく、すべきことが多すぎて。
次回も天誅組をする予定。
4/20(木)はれ
京都新聞夕刊(月-金)の「京都検定 日めくりドリル」、連載を開始して1ヶ月がたちました。
22回も進みました。
わりと好評のようで、読者から「初回からのコピーが欲しい」などの反応があるそうです。
午後から名古屋の中日文化センターで、「日本の城と城下町」という講座開始。
本日は「長浜城と城下町」。
秀吉と一豊の都市支配や政権論のおはなしをする。
おわってからは、担当のOさんと、京都へのバスツアーの打ち合わせ。
龍馬など幕末史のめずらしい史蹟めぐりを行う予定。
乞うご期待。
今週も2度、名古屋を往復。
もったいないことだ。
3/4(土)はれ
名古屋の栄中日文化センター、「龍馬講座」の日。
本日、第1期最終回。
「龍馬暗殺」を語る。
詳しい内容はさけますが、歴史学の手法を使えば、刺客を見廻組と考えるのがまったく妥当で、薩摩や土佐などの刺客がいた、黒幕だ、なんていうのは到底ありえない、と述べました。
さらにどの史料が信用度が高いか、低いかなども紹介。
「暗殺ストーリー」には多数のエピソードがありますが、それについても、どれが「事実」といえるか、そうでなさそうかも論じました。
斬られた家来藤吉が転倒した音を、悪ふざけをしていると勘違いした龍馬が「ホタエナ」と叫び、そのため刺客はその居所を知ったという話があります。
僕は、フィクションの可能性が高いと思っています。
冒頭、少々「演出」もいたしましたので、好評をいただいたようです。
3/3(金)はれ一時くもり、小雨
明日、栄中日文化センターの第一期「龍馬講座」最終回。
「龍馬暗殺」。
その準備をする。
パワーポイントづくり。
こんなに準備時間をかけた講演は久しぶり。
スライド実に30枚。
夜、八尾市歴史民俗資料館のIさんから電話あり。
あさって3/5(日)の山科見学会、50名にもなったと連絡いただく。
現地見学会なのに、そんなに参加者がいて大丈夫か。
少々、不安。
2/17(木)くもりのち雨のちくもり
あたたかい日。
このまま春になってほしい。無理か。
名古屋の栄中日文化センター「古地図」講座の日。
出発直前、某所より予期せぬ「大きな」仕事の打診あり。
「さて、いかがするか。」
具体的なことは、近日打ち合わせすることにする。
「古地図」、駿府城と城下町の話しをする。
「富士見」のこと、「惣堤」のこと、「寺町」のこと、「安倍川餅」のことなど、語る。
次回は最終回。
広島城と城下町です。
2/4(土)ゆき
栄中日文化センターの「坂本龍馬講座」の日。
雪です。
傘もささず、自転車で、もより駅へ。
地下鉄に乗ってJR京都駅へ。
予想通り。
京都駅に雪はなし。
でも米原付近で大雪。
20分も遅れて名古屋に到着。
早くに出たため、遅刻はせず。
坂本龍馬と天誅組の乱のつながり・続編です。
これまで指摘されていなかったことを論じました。
ささいなことながら、坂本龍馬伝にあらたな一ページを加えました。q
どこかで必ず活字にしましょう。
ほか、「船中八策」についても管見を披瀝しました。
次回は「龍馬暗殺」です。
思いが深い。
思いのたけを述べます。
乞うご期待。
1/26(木)はれ
栄中日文化センターでの「古地図」講座がありました。
今回は金沢。
城下町となる以前、御山御坊と寺内町のお話からはじめ、城下町がぐるりと土塁と堀=惣構(そうがまえ)に囲まれていたことなど、いっぷう変わった金沢城下町論をいたしました。
(参考:中村武生『御土居堀ものがたり』98~102ページ、京都新聞出版センター、2005年)
先日の大阪市立大学のCOEシンポで、金沢城下町の惣構復興計画を聞きました。
本日、その内容もふれさせていただきました。
来月、早くもその報告書が刊行されるそうです。
報告書をもって、今一度、金沢の惣構を一周しようと思っています。
平安京・京都の誕生日。
延暦13年(794)、桓武天皇による遷都令がでた日です。
本日、それを記念して時代祭があります。
年配の友人、Sさんから入場券をいただきましたが、残念ながら本年は無理。
名古屋で仕事があります。
本日より栄中日文化センターでの「坂本龍馬講座」開講です。
(写真は公文菊僊・画の龍馬像。中村武生所蔵品)
お客さん30人。
古地図講座に比して、10余人多い。
まず冒頭、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」のイメージで来られた方はがっかりされると思います、と伝える。
僕は龍馬を使える史料にもとづき、現在の明治維新史研究の成果のなかで存在を位置づけたい、という思いで語ります。
それゆえまちがいなく「ヒーロー」ではなくなります。
でもそこにこそ悲哀のある「人間」がいます。
それを語りたいとお伝えしました。
本日の主題は、京都の龍馬史蹟や伝説がどのように生まれてきたか、の解明です。
よくもわるくも、京都市教育会の寺井萬次郎とその仲間の個性が構築してきたこと、を指摘しました。
これはなるべく早く論文化したいと思っています。
少しタイムオーバー、残ってしまいました。
次回つづきをいたします。
終了後、恒例の茶話会。
今回は10余人も参加。喫茶店、大変なにぎわい。
「新選組」以来の受講生の方、大半が戻ってこられました。
さすが幕末ネタはちがう。
もちろん新しい方も4名参加。
余熱はつづき、2次会へ。
実に楽しいひとときでした。
9/15(木)はれ
名古屋行き。
栄中日文化センターの「古地図」講座最終回です。
今回は名古屋城下町。
あれだけはやった惣構が、名古屋にはつくられず、全く当初から開放されていたことを論ずる。
今回はじめて講義場所と対象が一致しました。
それゆえ初めて、巡検を行いました(写真はクリックすると拡大します)。
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中日ビルは旧名古屋城下町のなかにあります。
広小路の南に位置します。
そこから南下。
南の寺町の北限(政秀寺や若宮八幡)まで行き、西進。
城下町のメインストリート、本町通りへ及び、北進しました。
目指すは札の辻。
標識があると聞きましたが、探さないとわからないぐらい目立たない。
こりゃ、いかんですよ。
札の辻から飯田街道を通って中日ビルへ戻ってきました。
感想。
城下町跡を表示するものがほとんどない。
金沢や静岡は抜群にありました。
尾張徳川家の拠点跡としては恥ずかしいと思いました。
終了後、お客さんと懇親。
石田三成論で盛り上がりました。
そういえば今日は関ヶ原の戦いの日。
供養になれば幸いです。
9/1(木)はれ
本日は栄中日文化センターの講座の日。
新幹線で名古屋へ向かいます。
途中、車中で11時58分を迎える。
関東大震災の犠牲者を悼む。
本日のお題は「徳川公儀の拠点―江戸」です。
この講座は、都市の城壁・環濠(惣構・そうがまえ)を取り上げるものですから、今回はいわゆる江戸城外堀を論じました。
北原糸子さんの『江戸城外堀物語』(ちくま新書、1999年)をはじめとする、東京・地下鉄7号線溜池・駒込間の調査成果は、近世都市の惣構の実態を明らかにされました。
恥ずかしながら僕はこの成果を学ぶことが遅かった。
近刊の拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター)は、ほとんどこの成果にふれていません。
ただあえていわせていただくと、『江戸城外堀物語』にも「御土居」の単語がまったく出てこない。
大坂城惣構についてもふれるところはない。
いまだ三都の惣構は、学問の上で、対面していないのです。
あさってから京都・花園大学で始まる「中世都市研究会」(京都大会)で、僕は「豊臣三都論(京都・大坂・伏見)」を論じる予定でしたが、ゆえあってできなくなりました。
惣構から「首都」を論じる、これは大きな課題だと改めて感じた次第です。
(写真は国史蹟「江戸城外堀跡」のうち、赤坂門付近。2002年8月撮影。写真をクリックすると拡大します。)
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