2008.07.15

篤姫紀行!だわ

7/14(月)はれ一時大雨
 この数日、いろいろあった。
 仕事もしっかり頑張った。そのぶんブログが滞った。失礼しました。

 12日(土)は、大谷大学の生涯学習講座で烏丸北大路付近を巡検。
 あつい中、60人ぐらいご参加。
 「がまん大会だ」といった人があったが、よくもどなたも倒れることなく。

 鞍馬口に「是より洛中」標石がほしいですね、賛同されませんか、といったら、終了後、4人の方から寄付の申し出があった。けっこう感激。
 ありがとうございます。

 すぐには無理ですが、かならず実現にむけて進みます。

 建設準備中の某碑もまもなく除幕式です。
 たいへんなことになろうとしていますが、それままた後日。

 13日(日)は、木屋町二条の広誠院で長州屋敷と幕末史のおはなしをする(京都民報主催)。
 こちらは23人のご参加。

 名古屋方面や山口県周南市からおこしの方がおられ、恐縮。
 しかも周南市の方は、ぼくの知らない史料多数ご存じで、いっぱいいろいろ教えていただく。ありがたかったです。
 来月、現物拝見に山口市へいこうとその場で決めた。

 京都民報主催の講座は、来週7月18日(土)もあります。こんどは巡検です。
 くわしくは過去のブログをごらんください。

 本日は大谷大学(こちらは通学、学部生)でまた巡検。
 堀川や小川の旧河道をあるく。

 地形に痕跡が露骨に残っている。
 そこに建つ家は将来洪水がきたら、やられる可能性が高い。
 明日生きるために地理の教養はとても大事なことを伝える。

 午後から銀行いったり、寺町姉小路の高級感あふれるところにいったり、錦小路の薩摩屋敷跡で興味深い電話がかかってきたり、京都有数の企業の食堂に入って「家族に代わって」お礼行ったり、あさって閉店するなじみの店へ最後の来客になりにいったり、某ルームでやはりあさって最終締め切りの原稿を打ったりする。

 最後につかれはてて、いつもの木屋町三条「龍馬」に行き、「本日のええはなし」を伝える。
 終電で帰宅。

 家かえって、また仕事。
 多数のメールがきているのだ。そのお返事も。

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2008.07.08

風邪から復帰

7/7(月)はれ
 救援部隊が持参した薬を定期的に飲んだためだろう。
 復調してきた。

 朝1番、大谷大学。
 堀川と小川の旧河道をさがしてもらう。

 地図を読めない子が意外に多い。
 そもそも方位がわからんらしい。
 そこから指導すべきだったか。

 終了後、ブランチをしながら、某原稿に立ち向かう。
 またT京R馬会のM川M理子氏をわずらわせた。 
 いつもなんでも助けてくださる。ありがたくってしかたがない。

 K都国立博物館のM川T一先生にお電話。
 某写真の掲載についてお問い合わせする。

 ひきつづきK都府立総合資料館に行く。
 あいにくM田M智子氏不在。

 みたかったもの、すべて岡崎の府立図書館に移管されていた。
 府立資料館(鴨川沿い北山通東入ル)と図書館がまったく別地区にある、困るなあ。
 しかも今日は府立図書館休み。
 なんにもせず、出る。

 F島氏を拝顔し忘れた。

 旧K野郡H塩小路村に行き、某所(ぎりぎり下京かなあ)で学習する。
 某原稿、すすむ。

 午後6時半、きなこの会。
 応仁の乱のはなしをする。
 
 きたる11月2日(日)午前中、篤姫ゆかりの地と推定される、東福寺即宗院で講義・拝観イベントの予定がある。その件で、きなこの会メンバーT島さんと打ち合わせ。

 夜は夜で家で用事。
 健康が1番だ。

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2008.07.05

『吉田松陰を描いた男―松浦亀太郎の生涯と作品』でどうだ

7/4(金)はれ
 朝、ようやく講談社メールマガジンに「池田屋事件」(第16回)の原稿をおくる。
 今回ほどみなさんにありがたと思ったことはない。
 感謝しております。

 同志社大学に出講。
 やっと8月18日政変まできた。

 長州「尊攘派」の「王政復古」論は、けっして倒幕をともなうのではない、というややこしい話をする。
 もっと整理して語るべきだった。
 ようわからんかったというご意見、続出。反省。

 いつもの受講者との喫茶あり。
 「若さ」をいただいている。ありがたい。

 松浦亀太郎(松洞)の研究を卒論にしようという、Nさんのお仕事に舌をまく。
 細かい。

 これは活字にしたほうがよいな。
 出版も可能ではないか。

 『吉田松陰を描いた男―松浦亀太郎の生涯と作品』という書名でどうだ。
 どちらか立候補されませんか。

 午後からキャンパスプラザで「くずし字入門」。
 まだ板倉周防21か条を読んでいる。
 うまい文章じゃないなあ。とても理解しにくい。

 Y石材店にむかう。
 碑銘のゲラを提出するため。

 建碑までもうまもなくだ。

 旧U郡I村に建設中の家屋をみにいき写真を撮る。
 だいたい週1回ぐらいのペースで定点観測をしている。

 洛中にまいもどって、近衛小路の某ショップに衣装をみにいく。
 
 そのあと友人H氏をともなって、いつもの木屋町三条「龍馬」へ。
 K都国立博物館のM川T一さん、H野市立S選組のふるさと歴史館のF井K夫さんと密談をする。
 といっても、からあげとチーズケーキのはなしが多かったが。

 すこしのどの調子がよくない。
 今夜はウーロン茶に徹する。

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2008.07.04

近江屋新助と菊屋峯吉を墓参する

7/3(木)はれ

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 蒸し暑い日。

 昼から珍しく、御土居堀を考える講座を実施。
 多数のご来場者あり。

 午後3時、京都龍馬会メンバーとの墓参を約束していた。
 金戒光明寺の近江屋(井口)新助(写真)、知恩寺の菊屋峯吉(鹿野(かの)安兵衛)。

 実はいずれもはじめて。
 多忙きわまりない状態だが、いい機会なのでうかがう。
 知らなかったことをいくつか知れた。

 夜、いつもの木屋町三条「龍馬」でしめきりすぎてしゃれにならない原稿を打つ。
 ありがたい。深夜、ほぼ完成する。

 自宅にもどり最後の推敲をしながら、力つきる。

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2008.07.01

長井雅楽と島津久光の再学習

6/29(日)あめ
 めずらしく大雨がふっていた。

 同志社大学の講義で、文久2年(1862)の長井雅楽および島津久光論を展開中。
 自身の理解に不足があることがわかり、再学習をいたす。

 高橋秀直の論集にくわえ、芳即正さん『島津久光と明治維新』を読習。
 中原邦平『忠正公勤王事蹟』も点検。もちろん『長井雅楽詳伝』も。こちらは史料として活用。
(故人の敬称略)

 拙宅の蔵書は充実してきたなあ、と思ったものでした。

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2008.06.29

京都の幕末史情報の出典不明記の現状をなげく

6/28(土)あめ
 昼から大谷大学の生涯学習講座に出講。
 先週から始まったので、今回2回目。

 60人ほどのご参加。
 主テーマは「京都の江戸時代の大事さを考えよう」である。

 今回はいつもの御土居堀と「是より洛中」標石。
 建石の直後で、タイミングばっちりである。
 
 終了後はいつもの受講者と喫茶。
 雨がつよくなってきたころ、解散。

 夕方、必要な家具が格安で販売されていることを知り、閉店まぎわに駆けつけて速攻購入。
 スピーディであった。

 何事もこうありたいものだ。

 龍馬の妻お龍とされてきた古写真の鑑定結果について、某所に書くことになった。
 それにともなって、京都のある古典的古写真研究書を古書店で購入。

 今日届いて読んで驚いた。
 疑問に思っていたいくつかの有名なはなしのネタもとがこれだと分かったから。

 なんとなあ。
 恥ずかしいですわ。
 こんな有名な本をよまず、「わからんなあ」と思っていたのが。

 でも不勉強も恥じますが、どう頑張っても見落とす文献はかならずあります。
 つまりは京都の幕末史情報が、いかに出典不明記で出回っているか。

 実はそれが最大の問題なのだ。
 これからそれを是正していかないといけませんわ。
 
 と、思ったしだいです。

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2008.06.26

京都大仏と大名屋敷解体を考えた

6/25(水)はれ
 午前中、京都女子大学へ出講。
 PCの調査がわるく、まともな授業ができなかった。反省。

 それでも感想文はいつもながら読ませるものばかり。
 たいしたものだ。

 終了後、受講生(でも実は昨年単位取得ずみ)のFさんから、豊臣期京都につきご質問。
 本格的な質問はめずらしいので、まじめに考えてみる。

 京都の大仏のこと卒論にされる由。
 河内将芳さんの近著をご紹介する。

 場所をうつす。
 同学生Mさんの調査報告をうかがう。
 前回、総合資料館に閲覧にいってから、わずか10日弱。 
 それにもかかわらず、ていねいな整理がなされていた。
 
 まじめなお仕事に感心。
 ひきつづき頑張ってください。

 夕方、佛教大学へ。
 今日は前回より大目。
 前回とちがうネタ。

 次回は巡検です。
 休まれた人々、出歩く用意をしてきてください。
 
 しめきりすぎた仕事、完成させるため、夜は家にこもる。
 はたしてできるか。

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2008.06.25

是より洛中標石再現の意味を述べた

6/24(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 今朝の朝刊の記事をうけて、「是より洛中」標石がなぜ大事なのか論じる。
 もう1点は、その2日前に特集された「応仁の乱ではさほどの被害はなかった」みたいな新聞記事。
 これをとりあげて、解説する。

 よい連載ですね。
 前回は本能寺でした。
 毎回楽しみにしております。

 本日は京都女子大学の現役生、3人も受講。
 室内、活気付く。
 どうぞまたきてください。

 いつものNさんからお祝いの和菓子(水無月)をいただく。
 お気遣いありがたく思いました。
 
Photo

 夜、いつもの木屋町三条「龍馬」にたちよる。
 予想通り、「えらいこっちゃ」が動いていた。

 思いがふかい。

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2008.06.22

江ノ島で京都の篤姫をかたり日帰り

6/20(金)くもり
 朝9時、同志社大学に出講。

 昨日のこと伝える。
 喜んで受け入れたもよう。
 帰ってきてよかったと思えた。
 ありがとうございます。

 長井雅楽の航海遠略策と、島津久光の東上を論じた。
 
 その足で京都駅へ。
 江ノ島へむかう。

 午後2時すぎ、江ノ島で「篤姫の京都」論。
 不思議な活動。

 江ノ島は初めて。
 龍の口の日蓮聖蹟、龍口寺の前をとおりながら参拝できなかった。残念。

 宿泊せず、すぐ帰路につく。 

 もっともちかい新幹線駅は「小田原」だと知り、そこから乗るが、失敗だった。
 
 こだましか停まらない。名古屋まで2時間もかかってしまう(のぞみなら新横浜・京都間が2時間)。
 しかも超満員で自由席が座れない。

 たっていられないので、やむを得ずグリーン車に乗った。

 すばらしい。
 静かだ。
 勉強する気になる。
 長旅が楽しくなった。

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2008.06.20

同志社大学の学生さんを大事にしたかったのだ

6/19(木)雨
 某所の古本市、また行き忘れた!
誘ってくれたK野君(D志社大学)、申し訳ない。

 名古屋に出講。
 栄中日文化センターの「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」両講座。

 いつもながら前者は40名ちかくの受講者である。すごい。
 専門ではない講座の方が受講者が多いというこの現象、考えなければならない。

 オリジナリティ豊かな内容の方がうける、という意識は、一般の求めているものと異なるということだ。
  
 ちなみに今回とりあげた城は、摂津有岡城(せっつ・ありおかじょう)なので、専門領域である。
 摂津有岡城は惣構(そうがまえ)をもっていることで知られる。

 惣構(そうがまえ)論は、中村武生の大事な専門領域である。
 忘れられがちだが。

 あ、そういえば、京都学講座もミヤコの惣構(そうがまえ)のはなしだった。
 偶然だ。ねらってないと思う(企画書を書いたときの記憶がない)。

 担当Oさんから10月講座の打診をいただいた。
 ありがたいことである。
 
 Oさんからはじめてメールをいただいたのが、2003年6月12日だった。
 たまたまこの日は一生忘れられないできごとがあった日だった。
 地獄に仏とはこのことか、と思った。

 それ以来、ずっと講座をいただいている。
 もう六年目だ。

 明日、江ノ島(神奈川県藤沢市)で講座がある。
 日帰りで行こうと思っていたのだが、勧める人があったし、名古屋と江ノ島は同じ方向だし、前日宿泊することにした。
 数日前、横浜に宿をとった。

 が、今日、名古屋に来てきづいた。
 「明日、朝1番に同志社の講義があるやん」。
 絶句した。
 なぜそんなことに気づかなかったのか。

 臨時休講にする手もあったが、「せっかく大学に来たのに休講かい、先週いうとけや」と思われるのが予想できた。
 それは無責任というものだ。
 自分が学生だったときの記憶がある。
 なるべくしてはいけない行為だ。

 で、名古屋から宿にキャンセルの電話をした。
 キャンセル料は宿代全額で、来週現金書留で送らないといけない。
 が、これでよかったのだ。

 へろへろになりながら帰洛。
 またまた木屋町三条「龍馬」へ。
 
 女将お龍さんからメールがあり、常連客の「変態ブタゴリラ」さん(コードネーム)から僕宛にステキな贈り物があると聞いたから。
 拝受しました。いつもありがとうございます。心より喜んでおります。

 ここで大事な仕事をする。
 ある文章を書く。
 店主赤尾さんに渡す。

 いつになく赤尾さん、緊張の顔。
 ことの重要性を再認識なされたか。
 
 しばらくして退出。
 
 帰っても仕事。
 あるモノをスキャニングして、赤尾さんに添付ファイルで送る。

 明日も仕事、早いなあ。
 疲れきっているが、なんて楽しい日々なのだろう。

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2008.06.19

信じられないものをみていた

6/18(水)はれ
 午前8時50分、京都女子大学に出講。

 先週の僕の「目玉」を伝えなければならない。 
 先週のみなさんからのコミニケーションカードにお返事をしないといけない。
 講義すべき内容も進めなければならない。

 とてもとても1時間半ではたりなくて。
 ついつい早口になる。
 「ほとんど息継ぎをしていない」と今回のカードにあった。

 なるほどなあ。
 そんな気がする。
 それではいかんが、思いは伝わっているらしい。

 つづいてキャンパスプラザへ。
 午後0時30分、くずし字入門。

 いつもと曜日がちがうせいか、出席者少々少なし。
 「板倉の条々」を読む。
 文字は読みやすいのだが、内容は難解と思われた。

 このあたりで疲れはてる。
 途中で栄養ドリンクをのみ、電車のなかで仮眠をとり(数分)、北上。

 1時間ほど自宅で休憩したのち、午後4時10分、佛教大学へ出講。
 すこしエネルギー回復。

 折れて移動した、ある石の道標のことをお話。
 K岡市文化資料館のK林さんからいただいた御題。

 銘文から旧所在地を推定し、地図上におとすという作業をしてもらう。

 おどろくほど賢い子がいる。
 ものの数分で場所を指摘された。

 かといえば、等高線と道路のちがいがわからない子もいて。
 非常におもしろかった。

 講義はこういう少人数でしないとだめだ。
 ちなみに今日は6人。
 前回は2人だったので、3倍になった。

 終了後、木屋町三条、いつもの「龍馬」へ。
 午後6時半、ある会議はじまる。

 おそるべきものをみる。
 絶句。言葉にならない。

 こんなものを生でみている自分が信じられん。

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2008.06.17

京都大名屋敷の解体過程の研究を助ける

6/16(月)はれ
 大谷大学に出講。

 まえおきは「若き日のお龍」写真の検討。
 先月中旬、各新聞をにぎわせた記事について、自説を展開。

 本題は、大学周辺の天皇火葬塚の意味について。
 紫式部墓も検討対象にした。

 いつもの中村の「史蹟はつくられる」論。
 
 おもしろがっているのか、つまらないのか、よくわからなかった。
 残念だ。
 もっと反応してほしい。

 府立総合資料館へ移動。
 ながく休館されていた。
 ひさしぶりだ。

 K都女子大学のS口M宏さんから依頼を受け、そのゼミ生Mさんの卒論を少し助けることにした。

 明治維新期、京都の大名屋敷の解体過程の研究である。
 僕がながくしたかった研究の一つである。

 いいきっかけなので、夢を託すとともに、僕も勉強しようと思った。

 で、当館蔵の京都府庁文書の大名屋敷処理の史料をまとめてみる。
 いつもながら、松田万智子さん、福島幸宏さんの手をわずらわせる。
 おかげで、たいへんスムースにすすむ。
 ありがたいです。

 歴史資料課の閲覧室には、友人U田C尋さん(近世史)がおられ、再会をよろこぶ。
 
 おびただしいコピーを依頼し、退出。

 Mさんとわかれ、旧宇治郡へむかう。
 転居予定地の内部をみせてもらう。

 まもなく書庫に着手。その底部にレールをひく。
 その前に、どのていど基礎を堅固にしてくださったか見たかった。
 
 洛中へUターン。
 いつもの木屋町三条「龍馬」へ。
 また「龍馬プロジェクト」を検討する。

 夜、大事なお客さん来店。
 「夢」の話をする。

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2008.06.12

山科本願寺・寺内町を考える市民の会の明日を考えた

 6/11(水)くもり
 朝1番、京都女子大学に出講。
 あいかわらず楽しかった。

 昨年の受講者がちらほら。
 ありがたいことだ。

 「来年もうけます」といって、受けられたためしがなかった。

 今年は京都女子大学、同志社大学で昨年受講者にふたたびあう。
 うれしいことだ。

 午後から基礎からまなぶ日本歴史。
 特別バージョンだったからか、すこし人は大め。

 つづいて建碑の打ち合わせ。
 すでに掲示した、「是より洛中」標石の件。

 急に現地に行くことになった。

 まだ建ってはいない。
 最近「源氏物語千年紀」の関係で、こちらの建設予定地のちかくに「西鴻臚館(にし・こうろかん)跡」の解説板が建った。
 その兼ね合いをみるために。
 まったく問題がないとわかった。

 つづいて喫茶店に入る。

 きたる7月13日(日)と7月19日(土)に、「河原町長州屋敷」にまつわる講演と、現地見学会をする。
 タイトルは「幕末史における長州毛利屋敷―広誠院の特別公開と木屋町幕末史蹟めぐり」(主催、京都民報社)。

 その告知チラシの原稿チェックの返事が遅れていた。
 至急ほしいみたいな感じだったので、喫茶店でチェックをし、ケイタイメールで送信した。

 参加は先着順ですので(初日は40人。二日目は20人)、おはやめに(有料)。

 横で総務のK畑さんが女将(おかみ)と世間話をしていた。
 K畑さんと何するわけでもなく、ほんとうに待っていたただいただけで、別れる。
 コーヒー代だけごちそうになって。ほんとうに申し訳ありませんでした。

 K畑さんは京都駅付近にもどられる。
 建碑のことでメンバーと打ち合わせ。

 こちらは佛教大学へ出講のため北上する。
 グッドタイミングで206番市バスに乗れる。

 午後4時10分、講義開始。
 本日の受講者、たった2人。どうなっとる。
 この2人は皆勤だ。すばらしい。

 また千本鞍馬口あたりをあるきたおす。本日は東入ル地区。
 楽しいなあ。
 郵便配達の兄さんに負けないぐらいこの地域の地形がわかってきたのではないか。

 そのあと洛東山科へ。
 午後7時から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の事務局会議。
 
 この会1997年に創立した。
 もう12年目。

 この間、いろいろなことがあった。
 山科本願寺・寺内町跡の一部の国史跡指定をみた。
 和島誠一賞も受賞した。

 が、いつまでも同じ形ではいられない。見直しのときがきた。
 その会議。

 よい方向にむいていけそうな予感がした。
 また僕がキャップにならないといけないが。
 もうすぐ山科のある旧宇治郡の住民になる予定だし、よいことと思われた。

 終了後、K野k之先生のお誘いで、川端泰幸博士、k田さんと懇親に行く。

 僕以外、全員kさんだ。
 はじめてきづいた。
 だからどうした。

 エライ人といると、エライ空気をもらえてよい。
 今日も賢くなれた(気がした) 。
 ありがとうございました。

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2008.06.03

中村武生のFM番組が開始されます

6/2(月)あめ
 午前中、大谷大学に出講。

 天気がわるいからなのか、受講者すくなし。
 次回はまた巡検です。
 歩きやすい履き物できてください。
 
 河原町三条へ出る。
 あるインド料理屋に喫茶に行く。

 兄妹のように親しくしていたH嘉M子さんが勤務しているから。
 お元気そうでなにより。

 午後2時すぎ、京都三条ラジオカフェというFM放送局に入る(FM79.7)。

 今月から僕のFM番組が始まる。
 なづけて「中村武生の京都歴史探偵」。

 その収録のため。

 毎週木曜日の午前10時30分から33分まで、3分間の番組。
 6月5日がその第1回。 

 無責任に、だらだらと京都史のマニアネタをのべていく予定です。

 さすが第1回放送分は緊張した。
 あとから聞きなおしたがすこし声がうわずっているようだ。

 第1回は「ごあいさつ」。
 第2回(6月12日)は、本能寺。
第3回(6月19日)は、近世京都の範囲
 第4回(6月26日)は、池田屋事件

について、だらだら語りました。

 ぜひご視聴ください。

 夜はいつもの「きなこの会」に出講。
 室町通のなりたちについてお話。

 早く終わらせるつもりが、K久さんの熱意にずるずる長引いた。
 ええんかいな。

 うちにはラジオも、カセットテープレコーダーも、MDプレーヤーもない。

 自分の声さえ聴けないので、今日買った。
 画期的な日になった。

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2008.05.31

「是より洛中」標石を復興します

5/30(金)はれ
 午前9時、同志社大学に出講。
 以前、受講者から依頼のあった、大河ドラマで取り上げた人物や団体の信用できる文献一覧をつくって配布する。
 2004年の「新選組!」から今年の「篤姫」まで。
 昨年の「風林火山」をのぞいてすべて試みた。

 その解説だけで時間をとった。
 が、けっこうおもしろかった。うけたみたい。

 午後からくずし字入門に出講。
 「京境」、すなわち京都の境界を示した江戸中期の記録をよむ。
 「京境」と「洛中」の範囲のちがうことを示す。

 「京」って、「洛中」ではないのですね。
 
 「洛中」の範囲は、「是より洛中荷馬口付のもの乗るべからず」の標石の位置によってわかる。
 このあたり、ていねいに整理すべきだろうと思う。

 そのためにも、いま現地にすべて失われた「是より洛中」標石復興を進めてきた。

 いってみるものだ。
 このたびその第1基目が建つことになった。

 京都五月村クラブが、僕の思いをうけて、その15周年紀念イベントとして建てられることになった。

 近世「丹波口」跡付近だ。

 現、新千本七条の京都中央卸売市場入り口ちかく。
 きたる6月23日(月)午前11時、除幕式をおこないます。
(先日まで「午後11時」にしていて失礼しました。誤りです)
 
 よろしければおこしください。

 夕方、京都民報社へ。
 7月におこなわれる、同社主催の講演会・見学会の打ち合わせ。
 
 終了後は、親睦会をしてくださる。
 楽しくありました。

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2008.05.29

ながーい1日。

 出歩きすぎて更新ができなかった。申し訳ありません。

 5/28(水)はれ
 朝1番、京都女子大学。
 2週間ぶりの出講。あいかわらず楽しくすごす。

 終了後、S口M宏先生のゼミのMさんがおこし。
 卒論内容につきご相談あり。
 ちかくのなじみ店でうかがう。

 先日の京都女子大学の懇親会でS口先生からうかがっていた。
 僕がたいへん興味をもち、自分でしようと思っていたことをテーマにされる由。
 なるべくお助けしようと思った。

 昼からいつもの「基礎からまなぶ日本歴史」。
 京都女子大学で、知らない学生さんから手紙をわたされていた。

 なんだろうと思うと、いつものNさんからだった。
 病気で受講でない旨のご連絡。
 他の受講の常連さんへもことづてがあった。

 なんとていねいな。
 感嘆。すばらしい。
 教室で一部を読み上げる。
 
 Nさん、どうぞお大事に。

 内容、一向一揆に入る。
 山科本願寺と寺内町を熱弁。

 次回につづく。
 そう簡単には終わらない。中村ワールドだから。

 終了後、某所の建碑のお話し合い。
 この件、そろそろみなさんにあかすときが来たようだ。
 いましばらくお待ちください。

 除幕式にはどなたもぜひおこしください。

 佛教大学へ出講。
 最近、船岡山西ふもとの地形探索のため、あるきまわっている。
 登録者たった9人なのでできること。
 実におもしろいと思っている。
 また知らなかったある「謎」がとけるのではと期待している。

 今日はゲストに亀岡市文化資料館嘱託のK林Y人氏をお招き。
 大学そばに近世の道標が落ちている。
 それを救出することをご相談にこられたので、受講生みんなで考えた。
 これまたつづく。

 K林さんと軽い喫茶をしたのち、(財)京都市都市緑化協会のK田さんの取材をうける。
 御土居堀とその啓発に関する僕のこれまでについて。

 写真家のN村さんがしゃべっている僕をたくさん撮ってくださる。
 『京のみどり』という冊子に載る。
 7月刊行予定。
 京都市役所で無料配布されるそうです。

 お車で大谷大学まで運んでくださる。
 同大の非常勤講師の懇親会に遅刻して参加。

 K野K之先生、K端Y幸先生などエライ先生方と歓談。
 山科の某問題研究、ずっと課題になっている。
 やりましょう、ぜひぜひと決まる。

 H野先生とはほぼ1年ぶりに再会。
 大事なプロジェクトをさぼってしまい、そのおわびを申す。
 また始めましょうとご意見一致。
 ぜひしたい。近世初期の京都研究会。

 いろいろ決まる。
 時間はないが、時間はつくるもの。
 寿命がみじかいので、いろいろしてはいけないが、でもだからいろいろしたい。

 K野先生のお誘いで、有志2次会へ。
 いろいろまた歓談。
 意外なコレクションをうかがったり、いやいやだからこそK野先生であるなとか、わいわいする。

 ながい1日だった。

 K野先生、5/26お誕生日だった。おめでとうございます。
 2次会の店の「おねえさん」は5/27誕生日だった。
 今日は、友人H氏のお誕生日だった。
 おめでとうございます。

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2008.05.26

岡山に入った

 多忙のなか、岡山に入った。
 明日のJR西日本ジパング倶楽部のため。
 あっついなあ。

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2008.05.22

角田文衛博士にお別れをつげ彦根に入る

5/19(月)はれ
 忙しかった日。

 午前9時、大谷大学に出講。
 歴史地理巡検。御土居堀跡をあるく。途中、故中村直勝邸の前で、友人K村Y子さんが通りかかるのを見た。
 思わず手をふってしまった。学生さんにウケた。

 終了後11時30分、洛中某地へ。
 建碑予定地で石屋さんをまじえて打ち合わせ。
 進んでいる。7月中旬に建設予定、というところまで来た。すごい。
 
 12時30分、油小路八条の斎場へ。
 角田文衛博士の告別式に出席。お別れにきた。

 Y田K和博士のお姿をみかける。当然だ。お弟子さんだもの。
 
 たくさんの人だった。研究者は当然だが、政治家、財界の人も多かった。
 瀬戸内寂ちょうさんと樋口隆康博士が弔辞を読まれた。
 ご遺族のおはなしで、安らかな最後と知った。
 お好みのお食事のあと亡くなられた由。

 柿の葉寿司を食されたのち長逝された末永雅雄博士(文化勲章受章者。考古学)を思い出した。
 ステキなことだ。

 お見送りしたあと、JR京都駅から新快速に飛び乗り、彦根へむかう。
 明日、またJR西日本ジパング倶楽部の巡検がある。
 先週の長浜にひきつづき。

 その下見のためにきた。
 午後4時に彦根駅についた。
 雨が降り出している。
 
 やれるところまでやるぞと歩きだし、結局、午後6時半まで歩いた。
 日がながくて助かった。

 おもしろい。彦根はおもしろいぞ。
 ホテルにもどり、到着されたばかりの担当Y田M紀さんと軽く明日の打ち合わせ。

 夜も部屋で明日の室内講義のためのスライド選択をいたす。
 めずらしく1人で部屋でビールを飲む。
 やむをえない。
 思うことがあるのだ。

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2008.05.21

石清水八幡宮を論ずる

5/18(日)はれ
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 「京都歴史講座」。また多くの受講者ご参加。ありがとうございます。
 いつもぎりぎりなのに、今日ははやめにつけました。

 本日は八幡の歴史。
 石清水八幡宮の歴史的意義のほんの一端をお話しておわる。

 次回は宇治。
 これで京都近郊ものがたりは一旦おわり。

 その次からは「京都史蹟ものがたり」。
 京都中心部と近郊に約400基ある、三宅安兵衛遺志碑の建立地のおはなしをシリーズ化します。
 またどうぞよろしく御願いします。

 終了後は恒例化している、「スマート」での喫茶。
 おいしいサンドイッチをいただく。

 夜、篤姫をみる。
 ついに輿入れ。
 アヒルを追いかけるシーンは、アフラックのCMを彷彿。
 偶然とはいえ、おもしろい。

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2008.05.17

洛北の葬送地、蓮台野をあるく

 5/14(水)はれ
  午前中、京都女子大学。

  本日、名簿を手にした。
  実に185名の登録。絶句する。
  巡検は継続できるのか。

  講義の前の前置きがながすぎた。質問にいちいち答えているから。
  今後すこし考えないといかん。

  昼からキャンパスプラザ京都で「基礎からまなぶ日本歴史」。
  本日はNさんが出席されなかった、と思ったら同じく昨年の受講者Fさんが現れた。

  ていうか、Fさんはさっきまで受講していたじゃないか。
  昨年度単位さしあげたのに今年も受講しておられる。
  さっき京都女子大学で「さようなら」といったばかり。

  なんということ。熱心さに感心。
  Fさんは昨年、コミュニケーションカードの書体に特徴があり、よく覚えていた学生さんだった。

  本日で応仁の乱をおえた。
  ようやく戦国期に入っていく。
 
  夕方、佛教大学。
  千本北大路付近が葬送地であることを実証するため。

  当地に存在する天皇火葬塚を、山田邦和・外池昇両博士の「文化山陵図の異本」論文を片手にあるく。

  山田博士蔵「文化山陵図」の「三帝決しがたし」という土盛が、現在の近衛天皇火葬塚だと決め付ける基準として、上品蓮台寺塔頭真言院が現存することがありがたい。

  次回は上品蓮台寺12坊すべてをみてあるき、総門跡にたつ予定。

  雨ふりかけたが、ふらず。
  晴れ男の面目躍如。

  夜、友人H氏から大事なものをあずかる。

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2008.05.10

薩摩邸に非ず、同志社の門

5/9(金)はれ
 あっついなあ。
 まだ長袖きてる。暑がりなくせに。
 たんに衣替えがめんどくさいから。

 朝、同志社大学に出講。
 もうひとつ調子に乗らん。まだ連休ぼけか。

 前回のコミニュケーションカードのひとこと。
 「同志社には薩摩屋敷の門が残されていて」云々。

 これは事実ではないことを最近知った。
 だからそれを伝えた。

 正しくは閑院宮邸の門である。

 けっこうな衝撃を与えたようだ。
 今回のコミニュケーションカードに感想があった。

 まあ、そうだろう。僕だって知ったときは衝撃だった。
 が、予想はできた。
 なんらの物証がないのに「有名」だったからだ。

 史蹟の事実検証がいかに大事かわかってほしい。世の中、ウソだらけだ。

 昼、くずし字入門。
 また「都の記」。

 京都所司代や京都町奉行歴代の名前を読んでいる。
 単調だ。
 不評らしい。
 そうだろう。ながい間、あんなに難しいものを読んでいたのだから。
 考えます。

 夕方、ある一件の許可がおりたと連絡があった。
 来週から開始される由。

 うれしいので会う予定のなかった仲間に伝えに行った。

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2008.05.08

連休おわって

5/7(水)はれ
 連休が終わった。

 今日から仕事再開だ。

 まずは京都女子大学。
 2週間ぶりの教室講義。

 あいかわらずすごい人数。
 たくさん笑ってくださりありがたい。

 いつものコミュニケーションカードも楽しい。
 ええーっ、が連発の告白だらけだ。


 昼からはキャンパスプラザで「基礎からまなぶ日本歴史」。
 まだ応仁の乱がつづいている。
 6日間のヒーロー骨皮道賢や、山科七郷の抵抗のことなどお話しする。

 今週も京都女子大学のNさんご参加。
 終了後、常連の受講者、Kさん、Eさんに連れられてコーヒー店に行かれた。
 もう当会のマスコット化している。

 夕方、佛教大学へ。
 先週休みだった。
 早いなあ、もう一週間。

 船岡山周辺が葬送の地だったはなしをする。
 次回は巡検。
 
 連休あけのトリプルヘッダーはきつい。
 睡眠不足だし。

 夜は早く寝る。 

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2008.05.03

古高俊太郎から京都所司代へ移動

5/2(金)はれ
 あつすぎる日。

 5月2日は土佐出身の幕末志士池内蔵太(いけ・くらた)の祥月命日。慶応2年のこと。
 池は龍馬の手紙にひんぱんにてでくる。
 大和天誅組に参加したのち、海援隊に所属、この日五島列島沖の船舶事故で亡くなった。

 慶応2年5月2日は、1866年6月14日だ。
 だから厳密には本日ではないのだが、中学生のときに覚えた数字は、この年になっても忘れられない。
 毎年5月2日が来ると、池の亡くなった日と思い出す。

 一昨年、高知市の居宅跡ははじめて訪問できたが、いまだ五島列島の墓参はできていない。

 くずし字入門に出講。
 連休中というのに、ほとんど受講者へらず。
 みなさん、熱心すぎる。

 今回で古高俊太郎関係文書を一旦停止する。
 もっと気楽なものを。

 で、また府立総合資料館蔵「都の記」にもどる。
 上巻の1から。

 京都所司代歴代就任者の一覧表。
 答えはバレバレなのだが、みなさん気にせずほがらかに進められる。
 とにかく気楽でステキな会。
 よろしければ1度、みなさんおこしください。

 夕方、某所へ清めの砂をまきに行く。
 こんな経験はじめて。

 三軒ものブックオフをひやかし、夜は木屋町三条下ル「龍馬」へ。
 いま奈良県安堵町の資料館での「三枝蓊(さえぐさ〈さいぐさ〉・しげる)展」が開かれている。
 先日、地元の研究者の講演があった由。
 そのレジュメをみせてもらう。

 三枝は大和出身の天誅組志士で、最後は内裏に参内するイギリス公使パークスの殺害未遂により逮捕され、粟田口で斬首・さらし首にされた人物。慶応4年2月30日(1868年3月23日)のこと。

 この事件に震撼した木戸孝允は、修正中の「五箇条の御誓文」に、「旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ」の一項目を足したとされる(4条目)。

 旧来の陋習、すなわち外国人排斥(攘夷)を国是としないことの宣言である。

 三枝蓊、無名かも知れないが、司馬遼太郎の短編小説「最後の攘夷志士」の主人公である(『幕末』所収、文春文庫)。

 天誅組や「攘夷」に関心のある僕は、三枝をけっこう気にしている。
 研究は少なく、吉見良三「三枝蓊の人と作品」が比較的最近のまとまった成果といえる(『霊山歴史館紀要』10号、1997年、85~99ページ)。

 今日は天誅組のネタがふたつもあった。

 連休中、すきをみて訪館予定です。

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2008.05.02

同志社大学も休講だった

 毎週、金曜日朝1講時目に同志社大学へ出講している。
 本日だ。
 平日である、行く予定だった。

 が、ふと、まさかと思い、同志社大学のサイトをみてみた。

 驚いた。
 休講だった。

 あぶなかった。
 ゴールデンウイーク中ゆえ平日でも休講にするのは佛教大学だけではなかった。

 学校によって方針がさまざまだ。
 5大学も出講していると、キャパのせまい僕はなかなかついていけない。

 ともあれ、気づいてよかった。

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2008.05.01

松田聖子と中森明菜、を読んで

4/30(水)はれ

 午前中、京都女子大学に出講。
 法住寺殿跡をあるく巡検、その2(B班)。

 A班とすこし違うルートをとった。
 これはこれでおもしろい。

 最後はいつもどおり後白河天皇陵。
 「大阪皇陵巡拝会」の標石のはなしができず、残念。

 夕方、佛教大学に出講。
 が、講師室まっくら。
 休講だった。

 今日は平日なのだが、連休中ということで一斉休講らしい(なぜか補講期間中)。
 へー。
 年暦表の見落としである。だから僕がわるいのである。

 実害がほとんどない大学でよかった。歩いて帰る。

 夕方から夜にかけて、しなければいけない用事がゴマンとあるが、コーヒー店で新書1冊、一気に読み上げる。

 タイトルは、中川右介氏『松田聖子と中森明菜』(幻冬舎新書)。 

 学術書ではないが、実におもしろかった。
 自分史を考える上できわめて興味ぶかかった。考えること大であった。

 著者の意図とは別と思うが、すでに自分たちが歴史のなかにいるのだと感じさせられた。

 明日からのガソリン暫定税率の復活の騒動。身近でも感じた。
 どのガソリンスタンドでも車がいっぱいだった。
 この日のこと、車を運転する方々、みなさんわりとながく記憶していると思う。

 暫定税率の復活、まもなく歴史年表に載る。
 載ったとき、ああ、あの日のことか。
 そのとき自分がなにしてたか覚えていれば、歴史のなかの自分が感じられる。
 
 一般的に歴史のなかの自分って意識しにくい。
 今回のことは政治と生活がとくに密着していてわかりやすいと思った。

 そんな日にこの「松田聖子と中森明菜」論を読んだので、よけいに感慨深かった。

 本に出てくるできごと、大半知っていた。
 なぜなら僕の青春時代そのものだから。

 で、その松田聖子と中森明菜はすでに歌謡史はおろか、日本文化史の一員といってよい存在である。
 自分の青春が歴史に位置付けられていることを感じて興味深かった。

 僕がふだん専門としている歴史地理や史蹟論って、「現代」の研究だと思っている。
 現代からの歴史学の描き方、自分の歴史叙述のあり方を考えてしまった。

 とりわけTBS「ザ・ベストテン」、「オリコン」などのデータ、松田聖子・中森明菜関係のタレント本の一節をつぎつぎと引用される叙述法は、僕らの手法とまったく同じだったので、よけいに親近感を覚えた。

 ただその典拠を僕は全く所有していないので、内容の吟味ができないのが残念。

 『夢で逢えたら』とか『聖子20歳』とか『本気だよ』とか、知っているけれど読んだことがない。
 「ザ・ベストテン」の毎週の順位をメモしていないし、「オリコン」もほとんど購入していない。

 僕は同時代の方々がいう「聖子派か、明菜派か」という議論にはまったく乗れない1人だった。
 どちらのファンでもなく、いまから振り返れば、その横にいる3番目以降のタレントへの関心がつよかった。

 が、時間が過ぎ、自分が支持したタレントのほとんどがリタイヤするか、当時のスタイルを変えてしまった。
 支持したものとして、残念でならない。
 
 そんななか、この両人、とりわけ松田聖子の歩み方は、同時代人のひとりとして、憧憬に値する。
 ディナーショーで「赤いスイートピー」を聴くまで死ねないとさえ思っている。

 それゆえに本書を手に取ったわけだが、くどいがおそらく著者のねらいとは別のところで感銘をうけた。

 気持ちのよい読後感だった。

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2008.04.24

ふたつの大学で法住寺殿跡と船岡山をあるく

4/23(水)はれのちくもり、夜あめ
 京都女子大学に出講。

 今期初の現地見学。

 後白河法皇の法住寺殿跡を、山田邦和博士ご夫妻案の復元図をもとにあるく。
 新日吉社、新熊野社、三十三間堂、後白河天皇陵などなど。

 かなりの人数参加。
 昨年受講し、単位もさしあげたはずのFさん、Yさんもなぜか参加。

 「なぜ今日の巡検がわかったか」ときくと、Fさん実はすでに毎週受講していると。
 知らなかった。
 コミュニケーションカードをわざと提出していなかった由。

 そうだろう。
 Fさんは独特な書体で文を書く。
 よく覚えている。
 
 そのペーパーが提出されていたらその段階で気づいただろう。
 気にせず提出してください、という。

 帰る方向がおなじYさんとすこしおはなし。身の上話をきく。

 いろいろ寄り道しながら、一旦帰宅。

 夕方、佛教大学に出講。
 こちらも本日は巡検。
 雨がふりそう。ピンチ。

 船岡山(京都市北区紫野)をあるく。

 船岡山は中世山城だった。
 高田徹氏の船岡山城の縄張り図を片手に土塁・堀をさがす(『図説近畿中世城郭事典』、城郭談話会、2004年、104~105頁)。
 
 おおいに楽しめた。
 高田さんのご成果に敬意を表します。
 
 終了後、しばらくして雨が降ってきた。
 たすかった。やっぱり運がいい。

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2008.04.23

昨年の京都女子大の受講者がおこし

4/22(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 1週ぶりの応仁の乱。

 ついに洛中市街戦に突入。
 同時代の記録にもとづき、最初にどの寺院が燃えたかをお伝えする。

 百万遍(知恩寺)、革堂、誓願寺などである。
 それぞれ現在、東山区東大路今出川、中京区寺町二条上ル、寺町六角下ルにあるので、別個におのおの焼けたように思ってしまう。

 が、それはいまの景観。
 豊臣期以前、この3か寺は上京区堀川一条東入ルの北側一帯に並んで存在していた。
 つまり3か寺は類焼したのである。
 
 それを上杉本洛中洛外図屏風で確認してもらった。

 くわえてそれらの地にいまも地名が残っていることを指摘。
 すなわち「元百万遍町」、「革堂西町」、「元誓願寺通」などである。

 ついでにその上杉本洛中洛外図屏風の誓願寺の北側に、「飛鳥井殿がありますね」という。
 カンのいい受講者多く、すぐにきづかれた。

 「白峰神宮」、声がきこえた。

 そうそう元誓願寺通の北側といえば、もう今出川通。
 飛鳥井殿跡はそのあたり。

 その飛鳥井殿跡を神社にしたことで知られるのが、崇徳上皇をまつる白峰神宮だ。
 地名だけでなく、神社の由緒も上杉本洛中洛外図屏風の描くそのまんまだ。

 京都にはまだまだいろんな形で秀吉以前が残っている。興味ぶかいとしめくくる。
 そこでチャイム。
 
 受講者、あたらしい方があった。
 若い方。

 この講座は平均年齢がかなり高い。
 数えたことはないけど。

 僕より低年齢の方はきわめて少人数。
 そんななかびっくりするほど若い人の到来。

 うれしい以前に、なんでやねんという感じ。

 で、数秒の間があって、きづいた。

 知っている人だ。

 そうそう、去年の京都女子大学の受講者、Nさんだ。
 熱心な学生さんだった。
  
 そういえば、昨年同志社大の講義を受講してくださっていたKさん(男性)も、すこし以前からおこしだ。
 今年の同志社大の講義も受講くださっている。

 過去に教えた方が慕ってちがう形で受講くださること、ほんとうにうれしい。
 アクがつよいのでこれまでむしろ好かれないことが多かったと思うのだが、この変化。

 感激を特記しておきます。

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2008.04.21

伏見を論じて上七軒であそぶ

4/20(日)はれ
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 またも多くの受講者にめぐまれる。

 伏見の歴史のおはなし、というより雑談。
 篤姫からはじまり、近世伏見論、中世伏見殿、豊臣政権の伏見城下町などなど。

 たくさん笑いがあった。
 とてもよかった。

 ひさしぶりに代表のH崎さんにお目にかかる。
 お元気そうでなにより。

 なぜしばらくお目にかかれなかったか、大きな山をこえようとしておられたから。
 このたび、それをこえられた由。
 ひとごとなのに、感激。
 まけてはいられない(ではどうする)。

 また受講者有志でいつものスマートで喫茶。
 その後、蛇塚古墳へ行く。

 蛇塚古墳へ行って石室部分だけ見て帰るのはつまらない。

 周辺をあるくと地割に古墳の輪郭が残っていること、よくわかる。
 それを歩いてみなさんに示した。

 これが歴史地理のおもしろさですよ、講釈をたれる。
 みなさん、聴き上手。
 ありがたい。

 つづいて夕方、上七軒歌舞練場へ。
 北野をどりを観覧。
 お茶屋大文字のお招き。

 いつもより、とてもわかりやすいお芝居でした。
 僕でも楽しめた。
 おススメします。

 夜はその大文字で接待をうける。
 舞妓はん、芸妓はんと楽しいひととき。

 ふだんは酒をやめているが、今日ばかりはいただく。
 濃厚な1日でした。

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2008.04.19

篤姫展、内覧会に出席

4/18(金)あめ
 午前9時、同志社大学に出講。
 プロジェクターを使用した、パワーポイントによるスライド上映で講義を進めているのだが、今回不手際あり。
 指定された部屋はプロジェクター未設置だった。

 持ち込んで使用する由。
 聞いていなかった。

 で、かなり受講者に迷惑をかけた。

 終了後、受講者からプロジェクターが設置された部屋に変更願いを出してはどうかと勧められた。
 なるほど。
 ではさっそく、と交渉すると、あっさりまとまった。
 
 次回からプロジェクター設置部屋に変更です。
 部屋番号「S33」です。
 どうぞお間違いなきよう。

 内容は「幕末政治史の読み直し」。
 今回は導入。

 幕末史のわく組は大きく変わった。
 その結果、史料用語の意味も再検討しなくてはならなくなった。

 「攘夷」、「倒幕」という言葉をみなさんはどう解釈しておられますかと聞く。

 青山忠正先生提唱するところの、「言語」の問題である。
(『明治維新の言語と史料』、清文堂)

 次回から本題に入ってゆく。

 次回は、和親条約と通商条約。
 今後、故高橋秀直さんの『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の序章に準じて、幕末史概説を進めていきます。
 
 いい忘れてましたが、今年から新町校地から今出川校地に教室を移しています。
 すなわち二本松薩摩屋敷跡である。
 おもいっきり幕末史の舞台地である。

 そんな地で濃密な幕末史概説ができる。
 こんな幸せな教員がほかにあろうか。
 
 昼12時30分から、キャンパスプラザ京都で「くずし字入門」。
 古高俊太郎関係文書はそろそろ終わりにちかづいた。

 正直あきてきた。
 
 そろそろちがうことをしようと思う。
 
 終了後、JR京都駅から新快速に飛び乗る。
 大阪市内へむかう。

 明日から、大阪市中央区の大阪歴史博物館で「篤姫」展が行われる。
 その内覧会(関係者による事前見学会)にご招待いただけたので出席するためである。

 宮崎あおいさんや瑛太さんのゲスト参加を期待していた。
 が、おこしではなかった。

 でも徳川記念財団の柳田直美さんや、尚古集成館(鹿児島市)の寺尾美保さん、鹿児島県歴史資料センター黎明館の崎山建文さんなどがおこしだと知り、かえってそちらの方がありがたいと思った。

 既知の徳川記念財団研究員藤田英昭さんからお声をかけられる。
 展示協力に東京から滞在中とうかがった。

 藤田さんが最近いろんなところに書かれている篤姫ネタは、本当に興味深い。
 僕の知りたいこと、おもしろいと思うことに非常にマッチしている。
 おそらくご関心のおありな対象が、僕のそれに近いのではないかと思っている。

 その藤田さんから、上記柳田さん、寺尾さん、崎山さんをご紹介いただいた。
 みなさん、ご著書や論文、その他さまざまな場所で僕に篤姫を学ばせてくださった「先生」たちである。
 本当に感動した。

 「篤姫のみた京都」に関する史料についても、情報交換ができた。
 感激である。

 同展は、すでに江戸東京博物館で開催ずみである。
 友人T社のC野氏からすさまじい観覧客の多さだと聞いていた。
 明日からの大阪展も同様だろう。

 なのに僕は本日、人の少ないところでほとんど貸切状態でゆっくりゆっくり観覧した。
 実に贅沢な時間だった。
 最後のひとりになっても見続けていた。
 閉館時間がすぎても見ていたので、さすがに出なくてはならなくなり、最後は少し見残してしまった。
 またこれたらいいが。
 
 御世話になったみなさまに心より感謝申し上げます。

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2008.04.17

「不思議ちゃんな先生」

4/16(水)はれ

 京都女子大学に出講。

 今朝も早起きに成功し、無事始業50分前に大学に着く。
 途中、雨が降るのか、カサを持っている人を多くみかける。

 受講者、先週の経験で、140人ぐらいと思えた。
 ゆえにプリントを150枚用意したが、足りなかった。
 昨週より増えているらしい。

 なぜだ。

 講義終了後に提出してもらっているコミュニケーションカードを読んだら、次の一文があった。

 「先週はまだ授業、何をとるか決めてなくて、この授業出てなかったんですが、友達の間で不思議ちゃんな先生がいるって聞いて気になって取ることにしました」

 「不思議ちゃんな先生」!?

 昨年放映の映画「バブルへGO」で、広末涼子扮する主人公が「不思議ちゃん」とよばれていた。
 「不思議ちゃん」ってかわいい表現だと思ったので、僕の周辺で変わった子を見つけたらそう呼ぼうと思ったが、見つからなかった。

 なのに、僕が呼ばれてしまった。

 しまった。

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2008.04.16

篤姫・龍馬をかたり、石碑建立も進む

4/15(火)はれ
 時間がたつのが早すぎる。
 また2日あいてしまった。

 12時30分、基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 今日は特別編。
 
 受講者T富さんのリクエストにお答えし、「篤姫と京都」をお話しする。
 もう各地でおはなししていることなので、すでに聞かれた方も少なくない。
 だから参加者少ないと思ったのに、いつもとかわらなかった。ありがたいこと。

 終了後、某所へ総務のKさん、Aさん、Wさんと石碑建立の用事にでかける。
 いい話になればいいのだが。

 夕方6時からは木屋町三条の酒場「龍馬」へ出講。
 寺子屋龍馬。

 「なぜ河原町三条に幕末史蹟は多いのか」をおはなしする。
 もちろん主人公は京都市教育会と寺井萬次郎である。

 熱がはいりすぎ、1時間のところ、1時間40分もする。

 終了後の「たこやきパーティ」に今夜も参加。
 参加者のご質問に答えたり、歓談する。

 中井弘を研究されている、京都大学留学生の某さんとお話していて、中井弘の京都の居所のことが気になった。
 石田孝喜さんの『幕末維新京都史跡辞典』に掲載があるので、すでに知られていること。
 でも出典はなんだろう。知らないなあ。

 T京R馬会のM川M子さんならご存知だろうか、なんて思ってみた。

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2008.04.10

大学新学期はじまる

4/9(水)はれ
 新学期はじまる。
 
 まずは京都女子大学から。
 1講目、8時50分から。

 昨年は日も時間もまちがうという失態をした。
 9時すぎに教壇にたち、「はじめまして」といったら、8時50分からで、実は先週からだったのですといわれた。
 無断休講のあと、遅刻したのに謝らない非常識な教員だった。

 知らなかったので、講義終了後知らされて、翌週謝りたおした。

 そんなことがあったので今年は開始日をきちんと調べ、時間もかなり早めについた。
 7時50分にはもうキャンパスにいた。

 早すぎて講師室まっくら。
 僕が電気をつけた。

 ポットもスイッチが入ってなくて、お湯ができていなかった。
 コンセント入ってるのに。
 なんでだろう。

 最初にこられた事務の方にどうしたらスイッチ入るのですかと尋ねると、タイマーなんですといわれた。
 想定外の早さだったようだ。

 受講者たいへん多く、約150名。
 プリント100枚すっていったら全然足りず。

 昨年同様のコミュニケーションカードを書いてもらう。
 やっぱり京女生、期待どおりの内容だった。すばらしい。

 午後からキャンパスプラザ京都に出講。
 くずし字入門。

 前日、あるオリジナル記録(1冊)を手に入れた。
 実に興味深いもの。

 「本邦初公開!!」ともったいをつけてお披露目。
 いまていねいに読み解くヒマはないが、これは翻読し公刊する意義があるのではと思っている。

 夕方、佛教大学へ。
 「京都地理フィールドワーク」という講義。
 受講者、たった8人。
 ゼミみたい。
 これはステキな授業ができるぞ。

 春学期は水曜日がステキな日になりそう。

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2008.04.09

春休み最後の日

4/8(火)つづき はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 応仁の乱、つづき。
 ようやく御霊林の戦い。
 応仁の乱がはじまった。

 次回、細川勝元の逆襲。
 洛中市街戦の開始。
 これにより京都から「古代」が消えうせる。

 終了後、建碑のご相談。
 ご担当のおふたりに、碑の側面に刻む120字の解説文をお渡しする。

 終了後、受講者の一部の方の喫茶の会に合流。
 受講者のTさん。
 近世公家のT家の子孫とは聞いていたが、ピンときていなかった。

 幕末期、T家当主は反幕側におり、とりわけその家出身者には、ある重要人物の知られた側近がいるとはじめて知った。
 今年の大河ドラマにもかかわる人物である。

 近世後期から近代までのT家の墨書の家系図の写しを拝見する。
 おもしろかった。

 明日から本年度の大学講義が開始される。
 しょっぱなが、京都女子大学と佛教大学。
 初日からつかれそう。

 すなわち春休み最後の日なわけだ。
 突然有志の花見が企画され、あそぶことにした。

 平野神社の夜桜を楽しむ。
 その数多く、とてもとてもきれいであった。

 その場での飲食は席がとれず無理。
 至近の北野白梅町交差点の串店にうつる。
 
 ビールも飲む。ひさしぶりなこと。

 明日から大変だわ。

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2008.04.05

くずし字読んで、眼科に行く

4/4(金)
 くずし字入門の日。
 本年度最初。

 でも特に変化無く、古高俊太郎関係文書をよむ。
 ながいことお休みされていた、Gさん来られる。
 こういうのは大変うれしい。
 こられなくなると、なにか嫌なことでもあったかなと思ってしまうから。

 なぜだか分からないが、昨日から右目が異常に充血している。
 たまたまいっしょにいた友人が、気づいてくれた。
 うちには鏡がないので(最近行方不明)、わからなかった。

 今日も変わらずひどい状態。
 トイレで鏡をみて自分でぎょっとする。

 こういうときの対処は早い。
 夕方、すぐに眼科へ行った。

 たいしたことはないらしい。
 目薬をもらった。
 1日4~5回打つのだそうだ。

 でもしばらくは充血はつづくらしい。
 その間会った方に不快な思いをいたすかも知れませんがご容赦ください。

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2008.03.27

応仁の乱をふかめ建碑の会議に出席

3/25(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 また応仁の乱。
 京都にとってとても大事な事件。
 が、意外と知られていない。
 で、これをふかめようとおもう。

 今日は畠山義就(はたけやま・よしなり)が嶽山城に立て籠もったことと、寛正の飢饉について。
 次回は義就の帰京と、乱の勃発だろう。

 終了後、某会の方々、および総務のKさんと某所にいく。
 建碑のご相談。
 書類の不足を知り、出直すことになる。
 
 夕方、友人H氏と喫茶店で歓談。

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2008.03.20

楠木正成ゆかりの地をいく

3/19(水)小雨
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 基礎からまなぶ日本歴史の巡検で、大阪府千早赤坂村へ。

 楠木正成籠城の地、下赤坂城跡、千早城跡などを訪問する。
 実は僕はじめて。
 至近の誕生地は15年前にきたことがあったが、城跡ははじめて。
 けっこう感動。

 「みちの駅」で、恒例となった「太平記」の赤坂城籠城部分を朗読。
 臨場感をもつため。
 30分ちかくもやった。
 時間がなくなった。
 
 参加者、山が急だとおどかしすぎて、少数。 
 でも、千早城跡はたしかにきびしかった。
 こなくてよかった人の顔が何人かうかんだ。

 総務のKさんの適切なタイムキーパーぶりにより、適切に移動できる。
 帰りにバスに乗車拒否をされたことは誤算だったが。
 
 京都へもどったのは午後8時前、京都駅前で(酒の入らない)懇親会。
 楽しかった。

 ほんとうは家にこもって「京都の江戸時代をあるく」成稿させたかったが、それだけのことはあった。
 次は神戸市湊川神社だな。

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2008.03.19

ついに応仁の乱に来た

3/18(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 この会、天気がよいと出席者が少ない。
 本日もいつもより少なかった。

 が、部屋に入れなくなるほど来られるよりはよい。
 部屋に入れなくなるとほんとうに大変。

 ついに「応仁の乱」にはいる。
 3年目、ようやくここに来たかという思い。
 感慨ぶかい。
 次回はさらに深めてゆく。
 
 終了後、4月からの部屋の使用料を支払う。
 けっこうまとまったお金がいる。
 
 帰宅し、本日も「京都の江戸時代をあるく」加筆・修正。
 もう少しなのだ。
 深夜まで行うも、今日もとどめをさせず。

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2008.03.18

京都のなぜ?を講義する会に初出講

3/17(月)はれ
 すこし時間ができてきた。
 「京都の江戸時代をあるく」加筆進む。
 難題の寺田屋部分、ようやく乗り切った。もう少しだ。

 夜、「きなこの会」に初出講。
 JR東海(京都・奈良・近江文化情報事務局)の職員さん有志に京都の歴史をお話しする会。

 なぜ「きなこ」なのかは諸説あって不明(うそ)。
 とりあえず「京都のなぜ?を講義する」からであるそうだ。

 1年間の予定。
 毎回、おいしいお菓子を用意くださるそうだ。
 今日は僕もわらび餅を持参した。
 「きなこの会」だからね。

 用意したはなしがよく承知のことならどうしようと思っていたが、そうでもなかったようだ。
 ほっとした。

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2008.03.06

「認定試験」に合格する

3/4(火)
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 足利義教の時代のおはなし。

 「満済准后日記」の、義教がくじ引きで将軍に選ばれるところを朗読しました。
 原典にあたるのはよろしいなあ。
 
 終了後、ある調査のため、伏見区の某寺へ。
 総務のKさん、ご案内くださる。
 たまたまご一緒の中村ゼミメンバー5名も同行される。

 そのまま伏見区鷹匠町付近の旧蹟もあるく。
 伏見城下町をめぐる惣構の堀(濠川)をこえて、あるマンションへ。

 昨年、その場所紹介のDVDの監修・出演をした。

 完成後はじめてきた。
 かなりの高級マンションのよう。

 ある大名屋敷跡なので、碑や解説板の設置を願ったのだが、何にも建てられていなかった。
 残念。

 本日ずっと、ある「合否」発表を待っていた。
 こういう気分、ひさしぶり。
 生きた心地がしなかった。

 午後5時をすぎても連絡がなかったので、明日になるかと思っていた。
 すると、夜になって電話があった。

 「合格」だった。
 
 何に合格したのか。
 そうですね、
 ふつうの「社会人」認定かな。

 お祝いに宴会をしたかったが、しめきりすぎた原稿があるので、どこに行くこともなく仕事をする。
 生涯わすれがたい紀念日なのだが、ただついもの日常だった。

 さびしい。

 いや、それだけ仕事をしているから、「合格」もしたのだ。
 矛盾はない。

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2008.03.02

月末の締め切り、4本

2/29(金)
 月末だ。
 本日締め切りです、という原稿が4つもある。
 
 まだ暗いなかを早起きして進めるが、完成には及ばない。
 
 本日はくずし字入門だが、テキストの解答案(釈文、翻読文)の校正がほとんどできなかった。
 案の定、受講者から山ほど誤りを指摘された。
 なさけない。
 
 たくさん指摘できるようになった皆さんには感心する。
 すごいもんだ。
 なにごとも継続だ。

 が、事前学習する時間がほとんど取れない僕は困った。
 「くずし字入門」やめようかと、初めて思った。
 
 帰宅してもまた原稿執筆を継続。
 疲れが出てきた。
 すこし仮眠する。

 その間に、大事な電話が入っていた。
 取れなかった。

 起きて掛けなおすも、もう本日は無理。
 月曜日にあらためるよういわれる。
 ふんだりけったりだ。

 深夜・未明まで原稿をうつ。
 明日も名古屋へ出講。
 こちらの予習もしなくてはならぬ。

 どうしたものか。

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2008.02.13

コピー機にきらわれて足利義満の皇位簒奪をはなす

2/12(火)小雨
 「基礎から学ぶ日本歴史」に出講。

 途中で本日配布のプリント、コピーをこころみるも、各所で問題おこる。
 1ヵ所目はお金を入れているのに、「足りません」と表示がでる。
 職員さんをお呼びすると、説明書を読み出される始末。

 こりゃ、時間かかるわ。
 あきらめて2軒目へむかう。

 2軒目は動くんだけど、A3用紙がない。
 これ以上は時間がない。
 ゆえにB4を使用。
 
 いつもとサイズがちがうので、受講者に謝罪。
 
 本日も前回につづき、足利義満のはなし。
 今谷明さんの皇位簒奪論のご紹介(『室町の王権』中公新書など)。

 終わると、受講者のお2人から建碑のことおはなしあり。
 前進していることよくわかる。
 すばらしい。
 
 つづいて来月実施の「洛洛歩考会」(国土交通省京都事務所主催)担当のYさんの待ち伏せあり。
 参加者に配布する冊子の原稿校正をのぞまれる。
 2時間半ほどこもって、いろいろする。

 午後5時、店の閉店にうながされて終了。

 大谷大学にたちより、テスト採点簿を提出する。
 おそくなってすいません。

 帰宅ののちは別件、仕事。
 しても、しても、仕事が減らない。
 ありがたいことだが、なにか打開策はないものか。

 あ、ひきうけなかったらいいのか。

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2008.02.04

節分会の昼と夜の僕のうごき

2/3(日)くもりときどきゆき・小雨
 午前10時、京都おこしやす大学に出講。
 キャンパスプラザ京都でレクチャー。
 15人ほどおこし。

 今回も六孫王神社の神廟(源経基の墓)、遍照心院(大通寺)の源実朝木像(江戸時代)を特別拝観。
 実にありがたいこと。
 六孫王神社は節分行事でにぎやか。
 その間、「都名所図会」の挿図と比較しながら境内わていねいに歩く。
 びっくりするほど江戸中期の姿と同じ。

 夜は某所の節分行事に参加。
 帰宅してから、翌日以後の「京都検定日めくりドリル」を寝ぼけながらつくる。
 ほんとうに寝ぼけながら。
 まちがえてないように。

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2008.01.31

大高又次郎の障子を知り大学おわる

1/30(水)はれ 
 2007年度大学最後の日。

 朝とても早くおきれた。
 最初は京都女子大学。

 京都駅に8時前につけた。
 これはプリンセスラインに乗らなくては。
 
 大学生は皆無だった。
 ほとんど小学生。すこし中・高生

 8時15分にはついた。はやすぎる。
 職員さんさえいなかった。

 8時50分、試験開始。
 50人たらず。

 西大谷の南むかいの校舎。
 本願寺のつくった学校から本願寺創始者の墓地がみえる。
 ぜいたくなロケーション。

 京都女子大は来年もいくことになった。
 今年で終わりではなくなった。
 が、今年の子らには楽しませてもらった。
 来年も同じような思いでいれるかはわからない。
 今年の子らに感謝。

 近年出講する大学がふえすぎて、受講者の名前も顔も覚えられなくなっている。 
 もちろん京都女子大学もそうだが、顔がわかる子は多い。
 ちゃんと名と顔が一致することもいる。
 思いいれがふかいクラスだった。

 去り際、「先生!」と駆けつけてくる子ふたりあり。
 「サインしてください」といわれる。
 思わず、色紙ですかといってしまう。
 
 そんなわけない。
 著書に、だ。

 一般の方に頼まれることはふえた。
 が、20代前半の大学生に頼まれたのは男子もふくめて初めてだった。
 光栄なことだ。
 
 し終えて返すと歓喜の声をあげながら去っていった。
 タレントみたい。
 握手してあげればよかった。

 午後からくずし字入門に出講。
 まだ池田屋事件関連史料を読んでいる。
 よめる人ばかりで教えてもらうことばかり。
 自主学習までなさっていて、読めたけれど意味のわからないモノをちゃんとどこかで調べてこられる。
 すごい。

 甲冑師、大高又次郎の所有品を列記した記録をよんでいたところ、「障子」20枚とか11枚とかあった。
 大高の家はそんな大きなものではない。
 升屋喜右衛門(古高俊太郎)の借家にすぎない。
 だから障子が計31枚も