2017.01.02

対馬京屋敷跡碑、ネットニュースにも

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 「対馬宗氏京屋敷跡/附(つけたり)桂小五郎寓居跡」の件、ネットニュースにも流れました。以下です。
 
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20170101000027

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2016.12.31

京都新聞に掲載されました。対馬屋敷跡碑除幕式

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  去る12月23日(金・祝)の建碑除幕式につき、今朝(12月31日)の京都新聞に掲載されました。見出しは「対馬国京屋敷跡に石碑/中京でNPO建立/桂小五郎も寓居」です。カラー写真も載っています。記者は仲屋聡さんです。

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2016.12.23

徳川時代対馬宗氏屋敷跡、桂小五郎寓居跡碑の誕生

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  本日、建碑除幕式無事おわり、新碑がお目見えしました。
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「従是西、徳川時代対馬宗氏屋敷跡、附(つけたり)桂小五郎寓居跡」です。
 位置は京都市中京区姉小路通木屋町西入ルです。
 NPO法人京都歴史地理同考会建設碑としては、12基目です。

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2016.12.22

【建碑除幕式】対馬宗氏京都屋敷跡

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【建碑除幕式】を行います。
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「徳川時代対馬宗氏屋敷跡/付(つけたり)桂小五郎寓居跡」
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日時:2016年12月23日(金・祝)午前10時30分から
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場所:京都市中京区姉小路通木屋町西入ル
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見学自由
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主催:特定非営利活動(NPO)法人京都歴史地理同考会

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2016.06.29

是より洛中標石と御花畑御屋敷跡をあるいた

2016年6月28日(火)はれ

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 お昼過ぎ、日本史講座に出講。

 最近の日本史ニュースとして、堺市立泉北すえむら資料館の閉館、京都府立総合資料館の休館、京都アスニーでの梶川敏夫さんのイラスト公開(「よみがえる古代京都の風景-遺跡復元鳥瞰図の世界」)、刑部芳則氏『三条実美-孤独の宰相とその一族』(吉川弘文館)の刊行などを話題にする(いずれも朝日新聞、京都新聞)。

 本題は白河院政。「源平盛衰記」の天下不如意の部分を読む。

 夕方は大谷大学に出講。巡検。鞍馬口通寺町から室町までの「是より洛中」標石建立地(近世洛中洛外の境界線)跡を歩いた。その地は近衛別邸御花畑御屋敷跡にあたるため、それもあわせて紹介。室町小学校に残る4本の是より洛中標石を参観して終了。

 夜は休肝。アルコール摂取せず。

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2015.08.01

撤去しました。「小松帯刀寓居参考地」碑

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 2008年(平成20)、京都市上京区一条堀川東入ル南側(松之下町)に建立した「小松帯刀寓居参考地」などと刻んだ標石および副碑を、本日までに撤去した。

 幕末の薩摩島津家家老小松帯刀が住居した近衛家御花畑別邸は、当該碑建立ののち、桐野作人氏の研究などによって、室町通鞍馬口下ル付近(幕末期の「室町頭」)である可能性が高まり、 一条堀川東入ルの近衛邸跡は誤りであることが明らかになったからである。

 とはいえ、当該碑には、源頼光や藤原道綱母などの一条邸跡や、応仁の乱洛中合戦跡などの事項も刻んでおり、これらは誤りではない。

 将来にはこれらを改めて刻んだ石碑を新たに建立する予定である。

 取り急ぎ報告いたすものである。

                                          2015年8月1日

                 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会理事長、中村武生

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2015.07.13

石碑・除幕式が京都新聞に報じられています

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 昨日の石碑・除幕式が京都新聞に報じられています。以下です。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150712000023

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2015.07.12

建碑!久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡など

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 昨日、京都市中京区河原町二条上ル東側の法雲寺に久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎・望月亀弥太等ゆかりの地碑を建立・除幕いたしました。

 今朝の京都新聞に写真入りで報じられています。

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以下は主碑及び副碑銘です。

〈主碑(石碑)銘〉

【西面】久坂玄瑞・吉田稔麿 等寓居跡

【北面】此南西 吉田稔麿所縁 塩屋兵助宅跡伝承地

【東面】此南 池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地

【南面】二〇一五年七月 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会 建之

             滋賀県草津市 徳田智史寄贈

副碑(解説板)銘〉

久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎等ゆかりの地

 此南 池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地

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法雲寺の所在地(現京都市中京区河原町通二条下ル清水町)は、もと鴨川の河原であった。「河原町」の地名はその名残である。

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地域一帯が埋め立てられ、都市域となったのは、豊臣秀吉時代以後、徳川時代初期の慶長・元和年間ごろ(おおよそ一六〇〇年~一六二四年ごろ)と思われる(「京都図屏風」)。貞享二年(一六八五)刊行の『京羽二重』巻二に、「役行者塚」の存在する場所として当寺が紹介されており、それまでの創建と分かる。

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元和五年(一六一九)以来、長州毛利屋敷が至近の河原町御池に存在していたため、幕末期には毛利家臣が多くこの周囲に居住することになる。

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たとえば久坂玄瑞(のち義助)が「京都御屋敷の後」(木屋町通御池付近)に、佐世八十郎(のち前原一誠)、楢崎兄弟(弥八郎、仲介か)、寺島忠三郎、中谷正亮、堀真五郎らと同居し(文久二年五月一日〈一八六二年〉付妻杉文宛久坂書翰)、桂小五郎(のち木戸孝允)が「木や町三条(二条の誤りカ)下る一番路」(文久三年八月七日付桂宛寺島忠三郎書翰)に住居していた。

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法雲寺もそのひとつとして使用された。文久二年七月、中老各長井雅楽殺害に失敗した久坂らは、家老浦靱負に自首し、同年八月四日、謹慎のため当寺に入った。ともに当寺に謹慎したのは、寺島忠三郎、野村和作(のち靖)、堀真五郎、福原乙之進である。浦の家臣である秋良敦之助やその子息雄太郎、赤祢幹之允(武人)、世良修蔵も慰問したほか、松島剛蔵(小田村伊之助の実兄)らも訪れている。

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同年七月一七日、万延元年(一八六〇)から亡命生活を送っていた吉田栄太郎(のち稔麿)が、伏見街道で世子毛利定広(元徳)に自首し、当寺に謹慎した。文久二年八月一三日付妻杉文宛の久坂玄瑞書翰によれば、「最近は栄太郎も拙者と一緒になり日夜話などをしていますので、(栄太郎の)母も安心いたすようお伝えなさるのがよろしい」(意訳)とある。

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当寺は元治元年(一八六四)の甲子戦争(禁門の変)の戦火を免れた。明治元年一一月当時の伽藍は、中心部に本堂、それに接続して東に書院・台所が南北に位置していた。その南には独立して観音堂があったが、その後消失した(京都府庁文書)。現存の本堂・書院・台所は全く幕末当時の建物であり、そのいずれかに久坂らが居住していたのである。

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稔麿は同年閏八月一三日に謹慎が解かれ、久坂らも同年九月一二日に同様となり、当寺から離れた。

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なお稔麿が懇意にしていた塩屋兵助方も至近の二条寺町東入ルにあった。塩屋は「正義之者」で、元治元年六月の池田屋事件で亡くなった稔麿の死の詳細を夫婦個別にその叔父里村文左衛門に伝えた。また稔麿から預かった「用心金」三〇両も送り返している。

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池田屋事件のおりは、河原町二条下ル東側にあった角倉与一邸の前で遺体が確認されており、それが土佐浪士望月亀弥太と理解されている

.                  二〇一五年七月 歴史地理史学者 中村武生

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2015.07.07

【石碑除幕式】久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡

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石碑除幕式のお知らせ

 本年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に関連して、京都市内に「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡」などを刻んだ石碑を建立します。以下、除幕式を執行しますので告知いたします。

日時:2015年(平成27)7月11日(土)午前11時から

場所:京都市中京区河原町通二条上ル(清水町)、法雲寺

行き方:京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅下車、北へ徒歩5分弱

碑銘:(西)「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡」

    (北)「吉田稔麿所縁、塩屋兵助方跡伝承地」

    (南)「池田屋事件、望月亀弥太終焉伝承地」

主催:特定非営利活動(NPO)法人京都歴史地理同考会(理事長:中村武生)

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2014.08.29

除幕式、伏見黒田長政下屋敷跡参考地碑

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各位

除幕式のご案

 

益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、本年のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」のゆかりの地である『伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地』に、このたび石碑および解説板を建立致すこととなりました。

 そこで、除幕式を下記の日時に執り行うこととなりましたので、ご案内申し上げます。

ご多用中のこととは存じますが、もしお時間が許しましたら、ご参集いただけますと誠に幸いでございます。

 

1.除幕式

日 時  平成26年8月30日(土)  13時30分より

建碑場所 京都市伏見区深草大亀谷敦賀町 

 JR奈良線 藤森駅より 東へ徒歩約20分

    *バスなどの交通機関がございません。 

  

 

 

2014年(平成26)8月吉日

特定非営利活動法人 京都歴史地理同考会 事務局

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