2008.06.12

山科本願寺・寺内町を考える市民の会の明日を考えた

 6/11(水)くもり
 朝1番、京都女子大学に出講。
 あいかわらず楽しかった。

 昨年の受講者がちらほら。
 ありがたいことだ。

 「来年もうけます」といって、受けられたためしがなかった。

 今年は京都女子大学、同志社大学で昨年受講者にふたたびあう。
 うれしいことだ。

 午後から基礎からまなぶ日本歴史。
 特別バージョンだったからか、すこし人は大め。

 つづいて建碑の打ち合わせ。
 すでに掲示した、「是より洛中」標石の件。

 急に現地に行くことになった。

 まだ建ってはいない。
 最近「源氏物語千年紀」の関係で、こちらの建設予定地のちかくに「西鴻臚館(にし・こうろかん)跡」の解説板が建った。
 その兼ね合いをみるために。
 まったく問題がないとわかった。

 つづいて喫茶店に入る。

 きたる7月13日(日)と7月19日(土)に、「河原町長州屋敷」にまつわる講演と、現地見学会をする。
 タイトルは「幕末史における長州毛利屋敷―広誠院の特別公開と木屋町幕末史蹟めぐり」(主催、京都民報社)。

 その告知チラシの原稿チェックの返事が遅れていた。
 至急ほしいみたいな感じだったので、喫茶店でチェックをし、ケイタイメールで送信した。

 参加は先着順ですので(初日は40人。二日目は20人)、おはやめに(有料)。

 横で総務のK畑さんが女将(おかみ)と世間話をしていた。
 K畑さんと何するわけでもなく、ほんとうに待っていたただいただけで、別れる。
 コーヒー代だけごちそうになって。ほんとうに申し訳ありませんでした。

 K畑さんは京都駅付近にもどられる。
 建碑のことでメンバーと打ち合わせ。

 こちらは佛教大学へ出講のため北上する。
 グッドタイミングで206番市バスに乗れる。

 午後4時10分、講義開始。
 本日の受講者、たった2人。どうなっとる。
 この2人は皆勤だ。すばらしい。

 また千本鞍馬口あたりをあるきたおす。本日は東入ル地区。
 楽しいなあ。
 郵便配達の兄さんに負けないぐらいこの地域の地形がわかってきたのではないか。

 そのあと洛東山科へ。
 午後7時から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の事務局会議。
 
 この会1997年に創立した。
 もう12年目。

 この間、いろいろなことがあった。
 山科本願寺・寺内町跡の一部の国史跡指定をみた。
 和島誠一賞も受賞した。

 が、いつまでも同じ形ではいられない。見直しのときがきた。
 その会議。

 よい方向にむいていけそうな予感がした。
 また僕がキャップにならないといけないが。
 もうすぐ山科のある旧宇治郡の住民になる予定だし、よいことと思われた。

 終了後、K野k之先生のお誘いで、川端泰幸博士、k田さんと懇親に行く。

 僕以外、全員kさんだ。
 はじめてきづいた。
 だからどうした。

 エライ人といると、エライ空気をもらえてよい。
 今日も賢くなれた(気がした) 。
 ありがとうございました。

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2008.05.29

ながーい1日。

 出歩きすぎて更新ができなかった。申し訳ありません。

 5/28(水)はれ
 朝1番、京都女子大学。
 2週間ぶりの出講。あいかわらず楽しくすごす。

 終了後、S口M宏先生のゼミのMさんがおこし。
 卒論内容につきご相談あり。
 ちかくのなじみ店でうかがう。

 先日の京都女子大学の懇親会でS口先生からうかがっていた。
 僕がたいへん興味をもち、自分でしようと思っていたことをテーマにされる由。
 なるべくお助けしようと思った。

 昼からいつもの「基礎からまなぶ日本歴史」。
 京都女子大学で、知らない学生さんから手紙をわたされていた。

 なんだろうと思うと、いつものNさんからだった。
 病気で受講でない旨のご連絡。
 他の受講の常連さんへもことづてがあった。

 なんとていねいな。
 感嘆。すばらしい。
 教室で一部を読み上げる。
 
 Nさん、どうぞお大事に。

 内容、一向一揆に入る。
 山科本願寺と寺内町を熱弁。

 次回につづく。
 そう簡単には終わらない。中村ワールドだから。

 終了後、某所の建碑のお話し合い。
 この件、そろそろみなさんにあかすときが来たようだ。
 いましばらくお待ちください。

 除幕式にはどなたもぜひおこしください。

 佛教大学へ出講。
 最近、船岡山西ふもとの地形探索のため、あるきまわっている。
 登録者たった9人なのでできること。
 実におもしろいと思っている。
 また知らなかったある「謎」がとけるのではと期待している。

 今日はゲストに亀岡市文化資料館嘱託のK林Y人氏をお招き。
 大学そばに近世の道標が落ちている。
 それを救出することをご相談にこられたので、受講生みんなで考えた。
 これまたつづく。

 K林さんと軽い喫茶をしたのち、(財)京都市都市緑化協会のK田さんの取材をうける。
 御土居堀とその啓発に関する僕のこれまでについて。

 写真家のN村さんがしゃべっている僕をたくさん撮ってくださる。
 『京のみどり』という冊子に載る。
 7月刊行予定。
 京都市役所で無料配布されるそうです。

 お車で大谷大学まで運んでくださる。
 同大の非常勤講師の懇親会に遅刻して参加。

 K野K之先生、K端Y幸先生などエライ先生方と歓談。
 山科の某問題研究、ずっと課題になっている。
 やりましょう、ぜひぜひと決まる。

 H野先生とはほぼ1年ぶりに再会。
 大事なプロジェクトをさぼってしまい、そのおわびを申す。
 また始めましょうとご意見一致。
 ぜひしたい。近世初期の京都研究会。

 いろいろ決まる。
 時間はないが、時間はつくるもの。
 寿命がみじかいので、いろいろしてはいけないが、でもだからいろいろしたい。

 K野先生のお誘いで、有志2次会へ。
 いろいろまた歓談。
 意外なコレクションをうかがったり、いやいやだからこそK野先生であるなとか、わいわいする。

 ながい1日だった。

 K野先生、5/26お誕生日だった。おめでとうございます。
 2次会の店の「おねえさん」は5/27誕生日だった。
 今日は、友人H氏のお誕生日だった。
 おめでとうございます。

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2007.12.14

土方歳三と松浦亀太郎と山科本願寺・寺内町を考える

12/13(木)
 夜、三谷幸喜さん脚本「土方歳三最期の一日」の再放映をみる。
 久し振りに三谷新選組を見た。

 楽しかったが、美化が過ぎて鼻につく。
 詳しくは本放映時のブログ記事をごらんください(2006年1月4日付、カテゴリー新選組)。

12/14(金)
 討ち入りの日。
 山科では義士祭がある。

 でも元禄15年12月14日、現在の暦では1703年1月30日にあたる。
 各地で行われる義士祭、1月30日に実施する自治体や団体があってもいいのになあ。

 同志社大学に出講。

 講義終了後、吉田松陰の弟子の一人で、松陰の肖像画を描いた松浦亀太郎(松洞)を卒業論文に取り上げるという3年生のNさんが、僕の受講生の紹介でやって来る。

 とても勉強されていて驚いた。
 飛躍のために、明治維新史学会への参加をおススメする。

 さすが同志社大、優秀な子が多い。
 出講も楽しくなってくる。

 午後からは天理大学へ出講。
 天誅組の従軍日記「大和戦争日記」を読み、古地図や現代の地図に天誅組の進軍ルートを描いてゆく。
 概論なのに、実習みたいになっている。
 うーん。

 夜、山科の「伏見」へ。
 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の忘年会に参加。

 Y本会長、M田事務局長、R東高校のS田先生と、これまでと明日を語り合う。
 きっと「明日」もいい日だ。

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2007.11.25

山科区民まつりで山科本願寺・寺内町遺跡を啓発

11/23(金・祝)はれ
 前日、雨だったが、今日は晴れた。
 
 山科中央公園(山科区)へ。
 山科区民まつりだ。

 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」でブースを出して、同遺跡の啓発をするお仕事に参加。

 区民であるY本会長、M田事務局長、山科の歴史を知る会のO本さんのほか、R東高校のS田先生、O谷大学のK端先生などと同遺跡のリーフレットをくばる。

 3時で終了。
 そのあとY本会長、M田事務局長、K端先生と打ち上げ喫茶。
 ひさしぶりにM田事務局長の牛飼いのはなしをきく。

 そのあと某地のスターバックスコーヒーで、刊行予定の原稿の加筆をする。
 和装の友人もあとからやってきて、歓談。

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2007.10.28

洛中から愛宕郡に戻りすぐ宇治郡へ

10/27(土)あめ夕方くもり
 本日は吉田松陰の祥月命日(安政6年(1859))。
 現在の暦では11月21日なんだけれど、どうしても10/27に反応してしまう。

 午前中、京都新聞文化センターへ。
 京都観光講座に出講のため。
 幕末の京都についてはなせということなので、志士の居所論を展開した。

 あまり夜眠れなかったので、終わってからへろへろになりながら帰宅。
 ほっとしたところで、O谷大学のK端Y幸さんから電話。

 あっ、すぐきづいた。
 忘れてた。午後から山科本願寺・寺内町を考える市民の会の講演の日だった。
 司会役だったが、いまからではまにあわない。
 司会をお願いする。

 着いたのは1時間強ののち。
 今回は前田哲哉本会事務局長のおはなし。
 途中から参加。

 山科寺内町跡に残る地名の検討をされていた。
 大半が根拠希薄であるが、宇治郡誌や山科町誌などの地誌にもまとまって論じられたことがほとんどないので、こういうお仕事はあるべきだと思った。

 みなさんとお別れしてからひとりで喫茶店に入り、手に入れたばかりのあるビジネス関係の新書を読む。
 読みやすかったのと、関心があるネタだったので、2時間半ほどで読了する。
 刺激になること多し。

 帰宅後は、来週の京都検定日めくりドリルに立ち向かう。
 日がかわるころ完成、担当Yさんにお送りする。

 ビールを飲まなくなってから、仕事が進むこと進むこと。
 いいことだ。

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2007.07.23

盛況、仁木宏先生の寺内町論

7/22(日)はれ
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 午前中、佛教大学の補講で山科をあるいた。

 「近世の交通路と道標」という講義をしています。
 山科は本願寺の蓮如の聖蹟ですから、それを指し示す道標が各所に建っています。
 それを見ると同時に、聖蹟の本体、山科本願寺・寺内町跡の痕跡を追うというものでした。

 午前9時、JR山科駅集合。

 登録者94人、来たもの6人。
 おそれいりました。

 内訳は、4年生2人(女子)、3年生2人(女子)、2年生2人(男子)。

 蓮如終焉地の南殿跡で薮蚊に襲われる。
 気の毒なことをした。
 夏は虫除けとかゆみ止めスプレーは必携です。
 忘れてた。
 
 午後11時30分、国道1号沿いの山科本願寺・寺内町跡の中心地で終了。
 6人に敬意を表し、ファミリーレストランで喫茶を馳走する。
 その後、解散。

 午後からはアスニー山科で、山科本願寺・寺内町を考える市民の会、60回目の講演会。
 おはなしくださるは本会創始者のひとり、仁木宏さん(大阪市立大学准教授)。

 最近の寺内町研究の成果を、美濃国の加納を中心におはなしくださる。
 パソコンでたくさんの写真を写してくださり、刺激的であると同時にたいへんわかりやすくありました。

 とても狭い部屋でしたのに、30名にたっする参加者。
 うれしい悲鳴でした。
 さすがは高名な仁木先生。
 いつもとちがって若い大学生が多かった。

 R命館大学のK立雅朗先生(考古学)のゼミの学生さんなどがおこし。
 K立先生も創立者のおひとりです。

 終了後は現地見学。
 南殿跡へ。
 今日、2回目。

 いずれも少人数をご案内する。
 とてもやりやすい。
 やっぱり見学会案内は10名未満がいいなぁ。
 かゆいところに手がとどく。
   
 解散後は友人、K田久美子氏(H園大学大学院)と懇親にゆく。

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2006.11.14

天理と京都を往復し、夜は会議

11/13(月)はれ
 天理大学に出講。
 「秀吉の京都」を論ずる。

 11月とはいえまだまだ日中は暑い。
 上着は持って出ますが、その下は半そでがちょうどいい。

 大学生は奇異な目でみるが。
 「センセ、さむないの?」という目。
 しょうがありません。暑いのですから。

 帰途、たまたま出会った友人に「おかしいわ」と連発され、おかしくなる。
 
 今日は天理と京都を往復したのでかるく1万歩をこえるはずだったが、ならなかった。
 「8240歩」。

 実は万歩計をつける場所がわるくて、途中までほとんど反応してくれなかったため。
 それについても友人ひとこと、「あほや」。
 
 たしかにまぬけでした。

 夜はO谷大学へ。
 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の事務局会議。
 出席者は会長、事務局長、K先生、僕など6名。

 今晩中にまとめないといけない仕事があるので、遊ばずに急いで帰る。
 忙しいことだ。

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2006.11.10

山科の本願寺旧蹟、執筆前に歩く

11/9(木)はれ
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 午前中、ある施設にいく。
 とても意外な結果を知る。
 おやおや。

 気分がよくなったので、山科へ行く。
 今回の「京都の江戸時代をあるく」は、「本願寺旧蹟への道標―山科」なので、写真撮影をかねて歩いてみたくなったのです(写真は蓮如火葬塚)。

 とてもよく知った地なのに、来てよかった。
 新鮮な「現地」を体感せずに原稿書くと、うそついたみたいな気になる。
 
 とても大事なネタだから。今日はきてよかった。
 
 帰途、たまたま友人の職場の最寄の駅にきたので、メール連絡して、急遽会った。
 そのおり、京都検定公式テキストに写真が掲載された旧蹟の前を通る。びっくり。知らなかった。ここだったのですね。
 つぎの「地名」項で使おう。

 今日はいっぱい得したなぁ。

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2006.10.02

土居薮の高札文言を読み、大名屋敷をあるく

9/29(金)はれ
 京都市、本日をもってゴミの無料収集おわる。
 月曜から有料袋での回収はじまる。
 本日はいつもの比でない、大量のゴミが捨てられていた。

 くずし字入門、出講。
 今日は土居薮などに建てられていた高札文言の解読。

 昨日メールをいただいた講座依頼の件、さっそく3人も打ち合わせに来られる。
 引き受けることになる。
 2月と3月、2回ずつ。
 京都駅の周辺などの歴史について、レクチャーおよび現地見学会。

 そのあと、大名屋敷跡をいくつか訪問。
 残された「あるもの」の探索。

 夜、大谷大学で、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の会議に出席。
 会長、事務局長、S先生、A先生、K先生など8人参加。
 
 一般の方むけのリーフレット、完成目前。
 願いかなって、解説文にオールふりがなが打たれる。
 こりゃ、読みやすい。
 すばらしいこと。

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2006.05.27

また方広寺大仏殿旧境内の調査

5/26(金)あめ
 ひきつづき、方広寺大仏殿旧境内の調査。
 意外な成果(発見)、続々あり。
 やめられんなぁ。

 夜大谷大学へ。
 7時から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会、事務局会議。
 
 終了後、K野K之先生のお誘いで懇親会。
 本日はK野先生の54歳の誕生日と知る。
 おめでとうございます。

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2006.04.23

山科本願寺・寺内町の市民講演会に行く

4/22(土)はれ
 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の講演会の日。
 
 講師は、洛東高等学校(山科区)教諭の島田雄介先生。
 学校で、山科本願寺・寺内町をはじめとする地元の旧蹟・名所をどのように教えておられるか、その実践報告です。
 島田雄介先生は、僕と同世代で、本会によく参加される向学な人、というのがこれまでの印象でした。

 本日お話うかがい、予期せずお話の上手な、実にアツイ先生と知りました。

 こんな先生をもった同高生徒は幸せです。
 久しぶりにこんな思いになりました。

 山科駅前のホテルの喫茶店で慰労会。
 また熱っぽい話しでもりあがる。

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2006.04.07

変わらぬものが少なく、かなしい

4/6(木)はれ
 午前中、山科へ。
 いま、山科本願寺・寺内町を考える市民の会で、一般啓発用のカラーリーフレットをつくっています。

 ただボランティア団体なので、予算がありません。
 ためしに刷ったものの支払いも、K先生に借りている状態。

 そこで山科のある団体へ勧進に行きました。
 知り合いの先生が理事をしていらっしゃるので、お願いいたしました。

 帰途は旧東海道を歩いてゆく。
 近世の車道に使用されていた「車石」の断片が、あふれるほど各所で再利用されている。

 胸がいたむ。
 文化財級なのに。
 意識の低さよ。

 蹴上の桜、満開。
 青蓮院、白川橋などに多数の観光客。
 うんざり。

 木屋町三条上る東側の和菓子店「望月」をのぞくと、来月閉店とわかる。

 100余年、4代にわたる老舗。
 世の中変わらないものはないようで、かなしい。

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2006.03.15

龍馬の刺客の名刺を考える

3/13(月)はれ
 夕方5時、京都ホテルオークラへ行く。
 来る3/21(火)午後、明治維新史蹟の「エコ・ウォーク」があります(主催:京エコロジーセンター、定員オーバー)。
 その会場の下見。
 国史蹟高瀬川一之船入を見下ろせる絶好の場所のようだ。

 つづいて大谷大学へ。
 7時から山科本願寺・寺内町を考える市民の会の事務局会議。
 終了後は、K野顕之先生のお誘いで、北大路駅前で一杯頂く。

 坂本龍馬の刺客が使用した「名刺」について話題になる。
 意外な展開になる。
 新事実にきづく。

 学識のある方には、専門関係なく、何でも議論を持ち込んでみるものだなぁ。
 感謝。

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2006.03.07

八尾市の方々と山科を歩く

3/5(日)はれ
 八尾市立歴史民俗資料館の主催で、山科本願寺・寺内町跡を歩く。
 参加者約50人、お子さんも数名おられて、いつもとは少しちがう感じで楽しくご案内させていただく。

 蓮如の隠居地、南殿跡の土塁・堀の景観がかわり、大変みやすくなっていました。
 突然うかがったにもかかわらず、南殿跡を管理されている光照寺のご住職にはお気遣いをいただきました。

 担当のKさん、Iさんには本当にお世話になりました。
 ありがとうございました。

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2006.02.12

明治維新期の山科郷士論を拝聴

2/11(土)はれ
 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」の講演会の日。

 本日の講師は、谷口真康氏(麻布中学・高等学校)です。
 タイトルは「幕末維新期の山科郷士と「勤王」思想―明治期の士族授産の分析を前に」。
 
 いまは東京の私立学校の教員でいらっしゃいますが、もと山科区にお住まいで、当会の会員さんでもいらっしゃいます。
 無理をいって本日、東京からお越しいただきました。

 以前『日本歴史』654号(2002年11月号)に載せられた論文の内容に、その後のご成果をくわえられたものでした。

 お若い学校の先生だけあって、とてもお話がわかりやすい。
 そして地についた具体的なお話なので、説得力がある。

 普段より参加者は多く、また質疑応答も活発でした。

 終了後は恒例の現地見学会。
 蓮如の隠居地、南殿跡に、市による解説板が建ちました。
 それを見学に。

 もちろん建立そのものは評価すべきですが、問題点もありました。
 例えば解説板が金網の中にあります。
 これでは読みにくいし、撮影も困難です。
 
 金網を一部内側へ屈曲させ、屈曲のために生れた空間に解説板を建てたらよかったのです。
 お金は余計にかかるかもしれませんが、よりよい状態をつくることは大事なことです。
 
 そのあと国道一号線沿いに残る、寺内町本体の土塁片を見に行きました。
 最近、周囲の環境がまた変わりました。
 その確認です。

 北側にスペースができ、土塁・堀跡のラインがみやすくなりました。
 が、南側、国道一号線からは、立地していた書店が閉鎖になり、見にくくなりそうです。

 山科本願寺・寺内町跡の保全はまだまだです。

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2006.02.10

100点な日

2/9(木)こゆきのちくもり
 午前、京都府立総合資料館へ行く。
 入り口で歴史資料課の福島幸宏氏とばったり。
 ご結婚の祝辞を述べる。

 本日の訪問は、ある文献のコピーのため。
 事前に司書松田万智子氏に連絡をしていたため、同氏不在にもかかわらずご用意あり。
 
 コピーをしていたら、松田氏お戻り。
 以前より調査継続中の「旧馬町十三重塔」の文献を下さる。
 ありがたし。

 たまたま高瀬川研究の泰斗、石田孝喜先生とばったり(昨年『京都・高瀬川』をご刊行)。
 お声をおかけし、歓談。
 「もう少し静かに」と松田氏から注意される。反省。

 お昼になったので、近所のファミリーレストランに行き、歓談継続。
 つぎの刊行予定のご著書のことなどうかがう。
 
 1時を過ぎたので石田先生、総合資料館へ戻られる。
 
 僕は兵庫県尼崎市へ。
 市立尼崎高校で「富松(とまつ)城跡」を守る市民向けの講演・座談会が開かれます。
 それへの参加。

 富松城跡土塁の保存問題は、関西の中世都市史・城郭史研究者にとって大きな注目になっています。
 僕も2002年5月から関係させていただき、大きく学ばせていただいています。

 平日の午後、さすがに人は少ないだろうと思って入室。
 いやはや恐れ入りました。
 とても多い。
 300人程度はおられます。
 どうしてこんなに動員できるのだ、とまた驚く。

 演者のひとり、富松神社宮司善見壽男氏の「富松城跡を残したいですかー?」の問いに、聴講者ことごとく手をあげ、拍手。圧巻でした。

 終了後、コーディネーターである市澤哲先生(神戸大学)、善見寿男氏と「コーヒー」に行き、歓談。
 わずかの時間でしたが、心あたたまる愉快なお話しの数々。
 やっぱりきてよかった。
 「富松」は僕の心のオアシスです。

 とんぼ返りして京都へ。
 大谷大学で「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」の定例会議。
 大幅に遅刻しましたが、さいごに合流でき、懸案事項を確認しました。
 
 終了後、草野顕之先生(大谷大学)のお誘いで、近くの「二次会会場」へ。
 安藤弥先生(同朋大学)、川端泰幸先生(大谷大学)も同行。

 4月から草野先生が「文学部長」に就任されることをうかがい、一同愕然。
 繁忙になられることまちがいなく、「市民の会」の業務にかかわれないことは確実。

 しかし楽しいお話に終始し、なぜか「なんとかなるやろ」という空気で終わる(本当か?)。
 
 一日中、ステキな人たちと時間を共有。
 まったく僕の「好みの環境」のオンパレードで、100点な日でした。
 なかなかこんな日はない。

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2005.12.18

京都は2度めの積雪

12/18(日)

snow

 朝おきてびっくり。
 積雪です。
 昨夜雪が降ったようです。

 室内で仕事をしていたので、まったくきづきませんでした。
 今朝は快晴なので、もう解けにかかっていますが、それでも白、白、白です。

 本日は午後から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会主催の講演会(山科区)に行きます。
 太田浩司(おおた・ひろし)氏「湖北一向一揆と真宗の展開」があります。

 太田さんは僕の親友兼恩人です。
 市立長浜城歴史博物館学芸員です。

 長浜は来年の大河ドラマ「功名ケ辻」の主舞台になりますので、今その関連業務で超多忙。
 そんななか「親友」中村の願いに応じてきてくださいます。

 よろしければおこしください。

【案内】
 第53回市民講演会
 ・日時:12月18日(日)14:00~16:00
 ・会場:ラクト山科B棟6階コミュニティルーム
 ・講師:太田浩司氏(市立長浜城歴史博物館学芸員)
 ・講題:湖北一向一揆と真宗の展開
 ・見学会を行なう予定です。

 ※事前連絡は不要です。直接会場にお越し下さい。
 ※カンパ500円程度ご用意ください。
 ※主催:山科本願寺・寺内町を考える市民の会
   http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/3870/

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2005.12.10

山科本願寺・寺内町跡の現地説明会があります

みなさま
本日、山科本願寺・寺内町跡の現地説明会があります。
http://www.kyoto-arc.or.jp/(京都市埋蔵文化財研究所のサイト)

yamashina

 第一郭(いわゆる「御本寺」地区」)跡から、庭園遺構の一部と思われる遺構や溝,土壙などが確認された由です。
 新聞などによれば、建物跡も出土したらしい。
 当該箇所は御影堂、阿弥陀堂、寝殿など中心施設が位置したと推定される場所です。
 もしや今回の遺構は!?・・・・・と期待がもたれます。

 産経新聞は大阪版でも第一面でした(しかもカラー写真。上記写真。クリックしてください)。
 京都新聞でも社会面(写真はモノクロ)なのに。
 これは異例のことです。

 ぜひ参加ください。
 僕もうかがいます。

日  時 平成17年12月10日 (土) 午前10時~11時
場  所 京都市山科区西野山階町
問い合せ 財団法人京都市埋蔵文化財研究所 ・075-415-0521
     現場事務所           ・090-5324-7920
交通案内
・「四条河原町」から京阪バス
 『82C』9時42分  『86・86B』9時13分
・「山科駅」から京阪バス
 『29』9時15分・45分
・地下鉄東西線「東野駅」最寄りのバス停「国道東野」から京阪バス
 『29』9時21分・51分  『82』9時41分
 『82C』9時11分  『86』9時32分
いずれもバス停「山科西野」下車 東へ徒歩約5分
または地下鉄東西線「東野駅」から西へ徒歩約15分 (距離約630m)

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2005.10.30

鷺森御坊の最新研究を聴く

10/29(土)あめのちくもり

2005102902

 山科本願寺・寺内町を考える市民の会、講演の日。
 事務局員ですので、でかけます。

 受付で拙著を5冊積んでおきましたら、すぐに売り切れてしまいました。
 もっと持ってくればよかった。

 本日の講師は、川端泰幸さん(大谷大学任期制助手)です。
 タイトルは「鷺森御坊と嶋の世界―都市としての雑賀―」。

 浄土真宗本願寺が、織田信長に敗れたあと、大坂本願寺を退去して本山としたのが、紀伊の鷺森(さぎのもり)です。
 その鷺森の史料上の初見から、江戸時代すぐそばに和歌山城下町が成立までの過程を丁寧にお話しくださいました。
 雨天のため少しお客さんは少なめでしたが、みなさん満足げでした。

 終了後、恒例の講師を囲んでの茶話会。
 川端さん、ありがとうございました。

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2005.08.08

忘れがたい2005年8月8日

8/8(月)
 午前中、京都新聞出版センターへ。
 拙著『御土居堀ものがたり』の最終ゲラを担当者にお返しする。
 地図1枚だけ、もう一度ゲラ確認をしますが、原則もうお任せです。

 9月中旬刊行の見込みです。
 定価1500円前後のようです。
 これは安価でしょう。

 僕の初の単著であるだけでなく、「御土居」をテーマにした初の書物です。
 どうかご期待ください。

 午後から京都市役所へ。

 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の代表の1人として、「再び、山科本願寺・寺内町遺跡の保存と活用を求める要望書」(写真)を、京都市長および京都文化市民局長へ提出するためです。
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 山科本願寺・寺内町(京都市山科区西野など)は、戦国時代屈指の寺院、都市、城郭です。

 遺跡破壊があいつぐなか、2002年12月、ようやく国の史蹟に指定されました。

 もうすぐ3年になります。
 それなのに、現地には国史蹟に指定されたことを示すものは一切掲示されず、30年も前に建てられた説明版が、文字が読めなくなったまま放置されています(写真は指定された土塁)。

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 それゆえ
 ①案内板を建て替えるなど、今後の啓発活動の計画はどんなものですか。

 ②史蹟指定後にも考古学の発掘調査が進められています。
   それによりどんなことが分かりましたか。
   またそれらの遺跡の保存のための努力は、どの程度なさっておられますか。

 ③史蹟指定範囲は、遺跡全体のわずか数パーセントです。
   指定地拡大のための具体的な取り組みはどんなことをされていますか。
   また今後どう予定されていますか。

以上3点を教えてください。
という要望をいたしました。

 会長Y先生と、事務局長M先生と3人で文化財保護課へうかがいました。
 残念ながら課長さんや担当の方がおられず、お話しをうかがうことはできませんでした。
 要望書をお渡しして辞去しました。

 つづいて京都府庁へ。
 同じ要望書を、府知事と府教育長宛につくっていますので、お渡しするためです。
 府知事に会えるわけもないので、秘書室に託しました。

 まだ終わりません。
 
 この要望書を府庁の記者室に持参します。
 「投げ込み」というのですが、新聞社・テレビなどに知ってもらうためです。
 関心のあるところから連絡があったり、記事にしてくれたりするはずです。

 これで終わり。
 辞去しようとすると、外は大雨。
 にわか雨だと思っていたら、どんどんひどくなる(写真は雨の中の京都府庁)。
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 結局1時間も雨宿り。
 雨宿り中、参議院で郵政民営化法案が否決され、衆議院解散を知りました。
 
 両先生とお別れし、今度は私的な用事に従事。
 そのとき京都新聞社から電話がありました。

 文化財担当の記者さんからです。
 要望書の件です。
 ご質問に応じます。
 明日の朝刊に載るかも知れません。
 
 いや無理かも知れない。
 明日の新聞は「郵政民営化法案否決」「衆議院解散」で埋め尽くされるでしょう。
 われわれの活動なんて無視されるかもしれない。 

 こういうとき文化活動は非力です。
 が、京都新聞の良識に期待しましょう。

 スペースシャトルの着陸は悪天候のため、明日に延期と知る。

 2005年8月8日(月)は、忘れられない日になりました。

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2005.06.26

山科本願寺・寺内町を考える市民の会、ミニシンポに参加

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 6/25(土)はれ
 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」主催のミニ・シンポに参加する。
 同会は1997年に組織され、隔月で市民向けの講演会を催してきました。
 私は結成以来、事務局員として関わってまいりました。

 4月に講演会が50回に達したのと(23日)、先月15日、第6回和島誠一賞を受賞したことを記念して、今回ミニ・シンポを開いたわけです。

 山本正明会長のご挨拶のあと、結成に大きな役割を果たされた仁木宏さん(大阪市立大学)の基調講演がありました。寺内町研究の10年余の歴史を丁寧に振り返られました(写真)。
 つづいて前田哲哉事務局長から市民運動の経過説明があったのち、シンポジウムです。

 草野顕之さん(大谷大学)が司会となられ、私もコメンテーターとして参加しました。
 意見を求められましたので、中世都市史研究とはいえ、もっと近世段階の解明が必要であろうと申しました。
 そこからおのずから遡及的に中世が見えてくるという視点です。

 山科寺内町跡に限れば、近世において東西両本願寺が所有権をめぐって争ったという話があります(山科旧蹟問題)。
 そのため両本願寺の別院は、遺跡地そのものには建設できず、一歩外の隣地に建てたと説明されてきました。 しかしこの話はどこまで事実か疑わしい点があります。
 僕は中世都市「山科本願寺・寺内町」の研究に、この問題の解明からみえてくるものがあると思っています。

 つまりは僕がしたらいいのですが、未だ手をつけておりません。
 拙稿「山科本願寺・寺内町跡の近世・近代」に概要をふれました(山科本願寺・寺内町研究会編『戦国の寺・城・まち-山科本願寺と寺内町」』法蔵館、1998年)。
 ご参照ください。

 参加された一般の方からも活発なご意見を頂戴し、改めてこの史蹟への関心の高さを感じました。
 
 終了後、近くのホテルの喫茶店で事務局の慰労会。
 みなさまご苦労様でした。
 

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