2015.10.03

古墳を媒介にした文化財保護論など

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 昨日はある古墳を題材に、古墳を単体で捉えてはならない、本日まで残りこの古墳を避けて道路がつくられていることに注目せよ、この古墳を破壊することは地域形成の事情、および不便があってもこれを維持すべきとした先人の意識も失うことになる、というようなことを述べた。

 人文地理学概論という講義で。

 本日、名古屋市の栄中日文化センターに出講。幕末政治史を詳細に理解すれば、史料の少ない新選組でもわかることは多くある、と言った。

 たとえば天誅組を新選組はどう見ていたか、とか。

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2015.06.21

指月伏見城の石垣・堀は常時公開しての保存を望む

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 去る6月19日(土)、指月伏見城(京都市伏見区)の石垣・堀を拝見した。
 位置をはじめ、実態不明だった同城が初めて姿を現した。
 
 聚楽城から木幡伏見城(豊臣秀吉終焉地にして、徳川家康・秀忠・家光の将軍宣下の地)へ至る天下人の城郭技術の変遷を知るうえで極めて意義深い成果である。
 同遺構が保存に向かっているようにいろいろ情報が入ってくるが、埋め戻すのか、公開性のあるものとするのか、いまだ不明。
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 先年の聚楽城本丸石垣(京都市上京区)のように、埋め戻してしまえば事実上2度と見れない。当日来れなかった方、今後生まれる人達のためにも公開状態での保存を強く求める。
 関係者の賢明なる判断を心より願う。
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 もちろん国史蹟の指定が前提である。
 いまだに聚楽城も伏見城も本体はまったく文化財指定を受けていない(ただし伏見城は石垣の一部が京都市登録史蹟)。他の都市なら考えられないことだ。

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2013.10.25

北平の建物解体に伴う御土居堀について

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 北平(京都市中京区壬生淵田町)の建物解体に伴う、同敷地内に残されていた御土居堀の保護の問題ですが、市文化財保護課に問い合わせましたところ、すでに連絡を受けており、今後のこともいろいろお考えでした(当地は市の周知の遺跡地)。

 ですので知らない間に消失するということはないと存じます。まずは安心くださってよいかと存じます。

 

【参考】拙著『御土居堀ものがたり』、193-194頁、京都新聞出版センター、2005年

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2013.05.12

6月の聚楽城連続講演会、お知らせ

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聚楽城(聚楽第)の意義を考える連続講演会の6月分が決まりました。

 6月23日(日)午後1時~4時ごろ

  ○乗岡実さん(岡山市教育委員会文化財課課長、考古学)

   「聚楽第と備前岡山城」

※備前岡山城(現岡山市)は、豊臣五大老のひとり宇喜多秀家の居城として知られます。現在も天守台など、秀家時代の石垣が生きています。本丸中の段の地下に眠っていた石垣も、最近常時公開施設をつくられました。それを指導された乗岡さんのお話です。石垣公開最先端の岡山城からみた聚楽城石垣論をうかがいます。

  ○百瀬正恒さん(京都光華女子大学非常勤講師、考古学)

   「平安京における石積み技術の展開と聚楽第」

 会場はこれまでとおなじく<聚楽会館>(京都市上京区中立売堀川西入ル北側)です。

 予約不要、カンパ要(500円以上)。

 どうぞお越しください。

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2013.04.25

陵墓と機密の一日

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4月24日(水)くもりときどき雨

 午前2時30分、起床。それを徹夜というのだ、はあたらない。

 寝かしつけのまま、昨午後10時ごろ寝ていた。4時間以上は寝ている。

 事務作業と講義など予習。某拙著(幕末史)にふれる間なし。

 午前8時50分、京都女子大学(歴史地理学)に出講。鳥辺野を中心とした陵墓論を展開。後白河陵まで持って行き、次回は法住寺殿へ。「よいもって行き方」と自己満足。

 講義終了後、校舎で梅田千尋博士とばったり。「東京からこの講義のために来ておられるのですか」と尋ねる。梅田博士は東京大学史料編纂所特任准教授だったはずだから。

 すると本年から本学の専任になられたとうかがう(文学部准教授)。知らなかった。最近の住所をお伝えしてなかったから。おめでとうございます。

 午後1時から、よみうり文化センター京都教室に出講。「平安京・京都の歴史をまなぶ」。仁明天皇朝と藤原良房兄弟姉妹の話。

 仁明天皇の女御である藤原順子(のぶこ、良房の姉妹、文徳天皇生母)を主人公に安祥寺をとりあげ、その下寺の復元・その陵墓の位置の解明へもっていく。

『皇太后の山寺』(柳原書店)などにおける吉川真司博士や山田邦和博士など、および洛東高校(山科区)の「地歴甲子園」における成果(島田雄介教諭指導)を活用させていただく。

 安祥寺が洛東宇治郡(山科醍醐地区)にいかに重要な存在かをのべたつもり。そのカギがそれを開いた藤原順子だというわけ。

 JR二条駅そばでみつかった平安時代前期の邸宅跡は、藤原良相(よしみ)の西三条邸である。良相は良房の兄弟である。あの先駆的な「ひらがな」を多数墨書した土器が出たことで大きくメディアに紹介された遺跡である。

 そこで「西三条院」と記した墨書土器も出たため確定できたのだが、「亭」などではなく「院」とあったのは皇族の居所であった証拠。

 西三条邸には皇太后藤原順子が行幸し滞在している。そのゆえの「西三条院」だろう。つまりあの遺跡も藤原順子がらみ。そんなお話しをする。

 ちなみに藤原順子や良房のもうひとの兄弟良門の子が高藤(つまり甥)で、その妻の実家が勧修寺となり、孫醍醐天皇が醍醐寺を勅願とする。山科盆地の北部・南部の有力寺院は、すべてこの順子とその周辺から生まれるわけだ。そんなおもしろさ。旧山科郷に住んでいる僕ゆえの視点。

 次回巡検は、仁明天皇陵やその陵寺、嘉祥寺(伏見区深草)にしたのだが、藤原順子陵や安祥寺など(山科区安朱)の方がよかったなと反省。でもいつか行きましょう。

 受講者有志とJR京都駅ビルの「孫兵衛」で少し懇親。

 そのあとコーヒー店で某拙著(幕末史)の執筆。うとうとしつつも健闘。

 午後7時から某研究会・某講演会・某図書出版の会議に出席。N博士、Y博士と。

 本日は寝かしつけに間に合わず。

「某」が多いな。機密なのだ。

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2013.04.12

聚楽城、署名4562人分を提出しました

 本日、京都府文化財保護課に出向き、府知事山田啓二さん宛の聚楽城(聚楽第)本丸跡南辺石垣の保存・活用を求める署名4562人分を、磯野浩光文化財保護課長さんに託しました。

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 ご協力くださった多数のみなさまに心より御礼申し上げます。 

 活動はまだ続きます。

 まずは今月14日の講演会です。そろそろ超満員が見込まれますので、早めにおこしください。

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2013.02.28

北垣聰一郎さん「聚楽第の石垣にみる秀吉の意志」

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 昨日の朝日新聞夕刊の文化欄に、北垣聰一郎さんの「聚楽第の石垣にみる秀吉の意志」という論説が載りました。

 北垣聰一郎さんは日本の石垣研究の権威です。

 石垣研究のなかでこのたびの聚楽城本丸南辺石垣の位置づけをしておられます。

 転用石材が全くなかったことに注目され、聚楽城が古代天皇の居所である平安宮内裏跡という由緒地を選んで建設していることから、「聖なる空間に対して、政治的、軍事的な優位性を誇示するため」、「より美しく豪快で華麗な、城郭石垣の完成をめざした秀吉の強い意志をうかがわせる」と位置付けておられます。

 最後に「現地保存を決定された関係者各位の努力に敬意を表したい」と述べられた上で、「一方、遺構をそのまま見たいという地域住民の声もある。隣接する公的空間の活用などをふくめて、さらなる工夫があってよいだろう」と記されています。

 「保存」は<史蹟>に指定したうえでないと将来に不安を残すという僕の立場からは、埋め戻すだけではとうてい「敬意を表」せません。

 ただ僕らの望む公園計画にふれてくださり、賛同してくださったことはたいへんありがたいと存じました。

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2013.02.21

聚楽城史蹟公園、計画案を府知事などに提出しました

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 「聚楽城史蹟公園」計画案をつくりまして、昨日2月20日、京都府知事などに提出いたしました。

 今朝の京都新聞地域面に報じられましたが、図が載せてもらえなかったので(信じがたいですが)ここに掲示します。

2013年(平成25)2月20日

京都府知事 山田啓二殿

京都府教育長 田原博明殿

京都府警本部長 安田貴彦殿

「聚楽城史跡公園」案をつくりました。お届けいたします

去る2月14日、京都府警察本部西陣待機宿舎の建設工事にともなう発掘調査で確認されました、「聚楽城(聚楽第)本丸跡、南辺石垣遺構」について、わたしたちは公園化して常時市民に公開して下さるよう要望書を提出いたしました。

その際には具体的なイメージをお示しできませんでしたので、このたび

《公園計画案》のようなものを描いてみました。製作者は作画の専門家ではない、歴史を愛するまったくの一般市民です。

現場を東側からみた姿です。南隣地の京都市の辰巳公園の北端を一部使用させていただき、南側からスロープで降ります。

昇降口ちかくには、このたびの成果を伝える解説板を設置しています。

石垣はそのまま露出展示いたします。貴重なものなのでアクリルで囲っております。

その前には水堀を活かした水たまりを営みます。いうまでもなく水は地域の気温を落す効果があります。エコロジーにも意味があります。

この水たまりには児童が立ち入り、水遊びもできます

日本で数少ない、豊臣秀吉・秀次期に限った城郭技術を知れる史跡公園として、その実現を心より願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

西陣歴史の町協議会

○京都百人一首・かるた研究会

○じゅらくだい倶楽部

○特定非営利活動法人NPO平安京

○紫式部通り会

特定非営利活動法人京都歴史地理同考会

Park0217_02_2   

(作画:堀恵美子)

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2013.02.19

聚楽城石垣、店舗前に署名用紙貼られる

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 「聚楽城本丸跡、南辺石垣遺構」保存・活用を求める署名用紙が、「寿海」千丸店(京都市上京区)の入り口に貼られました。

Photo

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「寿海」千丸店はこちら↓

http://www.h6.dion.ne.jp/~jyukai/index.htm

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2013.02.18

聚楽城はなぜ大事かを考える市民見学会を行いました

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「聚楽城本丸跡、南辺石垣遺構」の保存・活用をめぐって、去る2月16日(土)に見学会を行いました。

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上は昨年12月24日の現地説明会での写真。西側から撮影。

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雪です。ふぶいていました。

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「聚楽第址」碑の前で(正親小学校前)。

雪もふぶくたいへん寒い日でしたが、熱心な方が多くおこしくださいました。

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 石垣列の出た現場の南に隣接する辰巳公園で。壁のむこうが現場。すでに調査は終わり、遺構は埋め戻されています。

 2時間30分ほどのコースでした。参加のみなさんは、めいめい要望に賛同する署名用紙をお持ち帰りくださいました。ありがとうございました。

 また行います。

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