6/16(土)はれ

朝1番、朝日カルチャーセンターの「京都・歴史の道をあるく」次回見学地のデータをおくる。
そのあと急いで奈良・大和郡山市へむかう。
平城京十条大路跡の現地説明会がある。
下三橋(しもみつはし)遺跡だ。
平城京は九条大路までというのが常識だった。
それが長岡京、平安京にひきつがれている。
が、今回もう一本南まで大路の存在したことが確実になった。
昨年の現地説明会は「可能性」の段階だった。
今回確実になった。
学校の教科書かきかえだ。
この紀念すべき遺構をこの目でみないと一生後悔すると思い、かけつけた。
正午までと聞いていた。
なんとかぎりぎり間に合うかんじ。
もしダメでも、おそらく担当は大和郡山市教育委員会の山川均さんだろう。
無理をきいてくださりそうだ。
が、大いにまにあった。
山川さんのステキな語りが2度もうかがえた。
もうひとつ意味深かったのは、十条大路の上層で、奈良時代の田畑が確認されたこと。
このあたりの奈良時代の田のありかた、ながく仮説があった。
それを否定し、あたらしい事実がわかった。
山川さんがいっておられたことだが、十条大路に隠れて目立たないが、同じぐらい学史上意義深い成果だ。
昨春はすぐそばで羅城跡を拝見した。
その帰り、郡山城跡に立ち寄って、西村幸信学芸員をたずねた。
それが彼と出会った最後になった。
そのことをまた思い出した。
わけわからん方は、当ブログ2006年3月25日、および同年6月11日条をごらんください。
そんな夜、なんということか訃報に接する。
龍馬研究会(高知市)の事務局長、有安理恵(ありやす・まさえ)さんが心不全で急逝された。
ほんの数日前、同会の会報『龍馬研究』の次回原稿につき、メールをいただいたばかりだ。
なんということだ。
人の一生ってとてもはかない。
信じられないほど。