2018.08.22

岡田有希子、51歳誕生日

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 本日は岡田有希子(本名、佐藤佳代)さんの誕生日です。
 存命なら51歳です。
 
 記して回顧します。

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2018.04.08

岡田有希子、33回忌

 本日、岡田有希子の33回忌。
 尾張佐屋の成満寺にも終焉地にも行かなかったが、拙洛中研究室で自分本位な供養祭をした。参加下さったエムダ氏、エヌラ氏に感謝。

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2018.03.30

寛政改革、連載龍馬、大名居所、天壇、先斗町

2018年3月29日(木)はれ
 NHK文化センター京都教室に出講「日本の歴史」講座に出講。田沼時代と寛政の改革の途中まで。つぎはロシア使節アダム・ラクスマンの渡来から。大黒屋光太夫で時間かけ過ぎないように留意。
 午後は昼食をかね、某所にこもって締め切り過ぎた「龍馬、新発見」の原稿に立ち向かう。もう61話。
 終了後、挿入する写真を撮りに行く。伊勢屋池村久兵衛方跡。至近で助かった。
 夕方の待ち合わせには時間の余裕があったので、京都市歴史資料館に大塚コレクション展を観覧にあがる。幕末期京都の大名居所に関する展示がまとまっていて感じ入る。少し写し取ったがとうてい終わらず。近々にまたうかがう予定。入手滞っていた同館紀要を4冊購入。
 夕方、四条川端天壇で某打ち上げ。法人関係4人で。み・こ・ま。アサヒスーパードライしかなくショック。山科店はエビスがあるのに。二次会は先斗町でエビス飲みなおし。
 帰宅後、提出原稿を修正。挿入する写真が見当たらず閉口するも、深夜ついに見つける。市岡長右衛門邸跡。担当さんにお送りしたのち就寝。2時30分ぐらい。
 

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2018.03.29

室町殿・相国寺巡検、甲子戦争・会津容保の上書

2018年3月28日(水)はれ
 読売文化センター「京都の歴史を基礎からまなぶ」講座出講。巡検。室町御所跡と相国寺をあるく。3時間。ちゃんと七重塔跡、西郷隆盛寓居跡「塔之段」にも行く。
 夜はくずし字初級会。テキストは「甲子戦争記」。開戦直前、会津容保の上書まで来たぞ。
 夜、突然の懇親会。32年前の予備校合宿のエピソードを話題にするも、話す側が笑いが出すぎて失敗。お笑い芸人としては最悪。
 1月に出すべき請求書、4月出講の場への出講受理書などを送る。事務処理能力の低いこと。

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2016.12.30

パソコンの電源アダプターが壊れる

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 2016年12月28日(水)
 タブレット(マイクロソフトのサーフェス。これにキーボードをつけてパソコンとして利用している)の電源アダプターが壊れたようで、充電できず、ついに止まった。真っ青である。12月31日締切の原稿もあるし、年明け1月8日にそれを使ってパワーポイントでの講演もある。10日締切の原稿もある。
 あわててヨドバシカメラに駆け込むも、電源アダプターは市販しておらず、その場でマイクロソフトに電話して替えを頼むも、同社のアカウントを取得してなかったようで、そこからせねばならず。ところがネット環境にない。ヨドバシカメラの社員さんが親切で、パソコンを使わせてくれて試みたがうまく行かず、1時間ぐらい奮闘するも(となりにクレーマーがいてうるさいどころか机を何度も蹴られて閉口し)断念。そのあとくずし字。ため息ばかり。

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2016.08.23

岡田有希子さん今年も誕生日

 昨日8月22日は、岡田有希子(本名:佐藤佳代)さんの誕生日でした。存命なら49歳です。記して今年も記憶にとどめます。

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2016.08.06

O谷大博の末永コレクションを観て

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 2016年7月26日(火)
 お昼、「日本の歴史、いま・あのころ」に出講。昨日の発見のことなど語りすぎて、本論に入れず。
 夕方、O谷大学に出講。前期試験の監督。今回の学生さんにはほんとに救われました。
 早く到着しすぎたので、O谷大学博物館での夏季企画展「大谷大学所蔵の考古資料―末永コレクションを中心に」(7月30日まで)を観覧。末永雅雄(1897-1991)は1942年から44年まで本学の嘱託教授だった縁で、さまざまな考古資料をO谷大学に寄贈した由。考古学史の愛好者として、観覧せんわけにはいかないという程度の関心だったのだが、その質の高さに息をのむ。
 とりわけ絶句したのは「美濃山大塚古墳」(美濃山王塚古墳)出土の遺物。これは現八幡市美濃山の古墳群のひとつで、戦前に梅原末治ら京都帝国大学考古学教室が調査したことは周知である。ここに「三宅安兵衛遺志」碑のひとつが建っている。すなわち八幡の郷土史家西村芳次郎が調査に協力しているのである。末永雅雄もそのメンバーだったのだろう。その際、遺物をいくつか個人で持ち帰ったものといえる。
 西村芳次郎伝ともいえる「三宅安兵衛遺志」碑論文の完成を急いでいるいま、あまりにタイムリーな出来事だったため感じ入ったわけ。
 あとから向谷進『考古の巨星―末永雅雄と橿原考古学研究所』(文藝春秋、1994年)を読み返したら、ちゃんとO谷大学嘱託教授時代の記載があって、末永雅雄が大学に出講することになったので、京都帝国大学考古学教室主宰者である梅原末治が、末永に講義ノートの提出を要求したため、屈辱にたえかねた末永は梅原と決別したという有名な話が、このときのことだったのだといまごろ気づく。これ最初に読んだ頃はO谷大学と無縁やったからね。

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2016.07.23

現天穂日命神社はもと田中社と呼ばれた

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 2016年7月22日(金)はれ
 くずし字研究会に出講。尊円法親王の書などの美術工芸品の売買の史料が頻出するのだが、これがある1つの目的に関する文書群なのではと気づく。少なくとも10月のものの多くは万延元年(1860)ではないか。今後その意識で文書を見直すべきと述べる。
 夕方、B教大学に出講。本年最終回。次週、試験。
 夜、江州葛川明王院の門前比良山荘でD文字のT会。少し葛川明王院や参籠札、文書、絵図の話をする。帰洛ののちBライトンホテルで二次会。
2016年7月21日(木)はれ
 名古屋市の栄中日文化センターに出講。「日本の城と合戦」講座は、伏見指月城と真田信繁父子の話。日本史講座は豊臣期政治史。
 
2016年7月20日(水)はれ
 K都女子大学に出講。後白河天皇陵を含む法住寺殿跡巡検。次回につづく。昼から洛中研究室ゼミ。突然研究室の転居が決まる。メンバーと下見に行く。
 夜、くずし字初級会に出講。
 前回の「攘夷」と「征夷」は異なるのではないかという疑問は誤読であったことを伝える。「ら」と思った字は実は「与」だった。で、「と」と読むと意味が180度変わるという恐ろしい事例であった。
 すなわち「ならでは」と読んだ部分が、実は「などでは」だった。つなげると征夷ならでは巣穴は壊せないではなく、征夷などでは壊せないになった。つまり「征夷でないとダメだ」が、「征夷ではダメだ」に変化するのである。すでに活字になっていたふたつの釈文を比較していて気づいたもの。いろいろ感じ入った。
 
2016年7月19日(火)はれ
 午前中、NHK文化センターに出講。新撰組講座。芹沢鴨殺害をテーマに天誅組の乱と壬生浪士(のち新選組)の関係を論じてみた。
 午後から日本史講座に出講。明仁天皇が譲位の意志を示された件から転じて、前近代天皇の譲位、太上天皇について述べる。本編は崇徳天皇の「叔父子」問題。
 夕方、O谷大学に出講。蓮台野の陵墓巡検。後花園天皇火葬塚、大応寺、水火天神、紫式部・小野篁墓、雲林院遺跡解説板、現雲林院、絹(衣)懸塚などをめぐる。
 
2016年7月18日(月)はれ
 午前中、都名所図会をあるくに出講。洛東石田・日野。都名所図会とは関係ないが、前回醍醐寺に行ったので、『義演准后日記』に同寺金堂木材や瓦を陸揚げしたと記される「石田新舟入」跡かと想像する場所に行ってみる。
 
 ついで現在の天穂日命神社に参拝。ただしこの神社の由緒は錯綜しているので、情報整理をする。万葉集や枕草子などに出てくる「石田(いわた)森」も現在地だということにされ、歌碑など連立しているが、それを同一と判断する材料はないのではないか。
 現天穂日命神社は徳川時代には「田中社」であった。鎌倉時代の山科条里図に「田中森」とある地と同一であるというのは問題ないと思う。事実はここまで。
 すなわち「石田(いわた)森」、式内社の「天穂日命神社」、田中社はそれぞれ別個のものと考えるところから始めないといけないのではないか。
 昼食は洛中へ出て、Hさんと裏寺町蛸薬師下ルの「喜の屋」で。

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2016.07.19

お願い

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2016.07.18

攘夷と征夷はやはり同じ意か

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 2016年7月17日(日)朝雨、日中はれ
 外勤のない日。朝早く雨が降っていて、山鉾巡行実施を危ぶんだが実施された模様。
 7月13日(水)に気づいた「攘夷」と「征夷」の違い云々の件、もっと深い、そして合点の行く点に気づく。うわ。そうか。メンバーには次回お伝えします。
 娘の紀念日会に両方の祖父母お越し下さる。家が一瞬きれいになるのでたまには来客はあるべき。
 夜、たまたま藤原竜也さんの新番組を観てしまい、うかつにも次週が気になりだす。
 
2016年7月16日(土)はれ
 午後からキャンパスプラザ京都の御土居堀を考える市民講座に出講。惣構論の研究史をまとめ、それを話させていただいている。今回は小島道裕・前川要・千田嘉博氏らによる1990年代までの織豊系城下町論を中心に。自身の課題が山積といまさらながら。
 受講者と少し懇親して帰宅。おみやげは王将の餃子。宵山の洛中下京には行かず。
 
2016年7月15日(金)はれ
 午前中、くずし字研究会に出講。
 日米和親条約締結後の嘉永7年5月16日(1854)付父宛板倉筑前介(淡海槐堂)書翰に、同国の要望のとおり徳川公儀は相模あたりに1万坪の土地を与えた、交易はどう決まったか聞いていないとある。板倉は在洛東伏見街道五条。前者は誤報。和親条約締結(修好通商条約締結以前)の段階で、アメリカに国内の土地を与えたというのはありえない。この噂をキャッチした板倉書翰が特殊か、よく見いだされるものなのか(一般的なのか)は知らない。 
 夕方、K都B教大学に出講。洛南伏見寺田屋伝説を論じる。
 夜、娘を連れて祇園祭宵山前日の洛中に出向く。下京東洞院六角の一画で優雅な一夜を過ごさせていただく。

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