2016.12.31

京都新聞に掲載されました。対馬屋敷跡碑除幕式

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  去る12月23日(金・祝)の建碑除幕式につき、今朝(12月31日)の京都新聞に掲載されました。見出しは「対馬国京屋敷跡に石碑/中京でNPO建立/桂小五郎も寓居」です。カラー写真も載っています。記者は仲屋聡さんです。

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2016.12.23

徳川時代対馬宗氏屋敷跡、桂小五郎寓居跡碑の誕生

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  本日、建碑除幕式無事おわり、新碑がお目見えしました。
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「従是西、徳川時代対馬宗氏屋敷跡、附(つけたり)桂小五郎寓居跡」です。
 位置は京都市中京区姉小路通木屋町西入ルです。
 NPO法人京都歴史地理同考会建設碑としては、12基目です。

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2016.11.07

11月5日に話題にしたことのメモ

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   2016年11月5日(土)の復習。
 池田屋事件研究の視点、古高俊太郎の意義、楢崎龍は写真を撮らなかったの典拠、多額の財産の消失話は気をつけろ、寺田屋再興前に寺田屋が存在していた、大浦兼武の寺田屋跡訪問の実態、井上伊三郎の旧蔵品の流出、坂本中岡50年祭の未知の刊本、流離譚引用史料の翻刻、後藤象二郎の居所。

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2015.08.08

板倉筑前介と西川耕蔵を寄稿しました。『長浜み~な』新刊

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 本日、『長浜み~な』第125号(近江の幕末維新)を拝受する。

「見落とされた幕末『志士』板倉筑前介(淡海槐堂)」、同「池田屋にいた確実な『志士』西川耕蔵」という小文を寄稿したのです。

 また、ちょっとあやしい取材班「幕末の京を歩く―京のまちなかに湖北出身兄弟志士の足跡」にも関わりました(監修)。

 長浜みーな編集室のサイトは以下。ご注文はこちらから。

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2015.07.23

幕末研究、いま思っていることを書き出してみた

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 幕末、文久・元治期の研究で生涯終えそうな。

 板倉筑前介の解明もその一環だし、知足院夢覚も結局は土佐山内家の洛東大仏居所をめぐる楢崎将作遺族の動向を知りたいという欲求につながっている。

 寺島忠三郎に関心を持ち出したのも、八月十八日政変後から甲子戦争(所謂禁門の変)に至る京都政局の中枢にいるわりに(古高俊太郎をスカウトし、有栖川宮家と毛利家の交流に関わっているほか、久坂義助の代わりに来島又兵衛とともに山口へ進発実現説得に向かったなど)、伝記のひとつもない人物で未だつかみきれていないところと気づいたから。

 政変以後の京都留守居役、乃美織江も気になっているのだけれど、いまだ放置状態。

 もちろん洛中惣構も。

 幕末期、京都は大きく土居堀に囲まれていた。そういった景観をほとんど意識されず幕末京都は語られている感が強い。長州が京都に攻め込んだとき、北・西・南は連続した竹藪に囲まれていた。兵はその出入口しか通れなかった。どこからでも攻め込めたわけではない。これも具体的な像を提示しておかないといけない。これなどは急務のひとつといえる。2012年の軍事史学会例会で報告ずみなのだが、まだ活字にできていない。

 在京浪士の組織化の問題も。結果として新選組のみで維持される京都守護職下の浪士であるが、もとは関東の浪士集団ではなく、上方でも組織される予定だった。その挫折とそのころ起きた某事件はつながりがあるのではないかという見込み。このあたりも語るばっかりで活字化できていない。

 いや、2012年秋の維新史学会大会での「池田屋事件再考」の成稿が最も急務。三宅碑論文と同様、ほぼできているのだから。まずい。

 政治的主要人物の居所と行動論もつづけなければ。木屋町通の長州人の居所特定(「路次」位置の復元)作業がまだ途上。昨年の「元治元年から150年」講演会で一部を公開した坂本龍馬の居所表はほぼ完成している。この成稿も急務。これを久坂玄瑞だの、寺島忠三郎だのと増やして行きたいところ。

 いちおういま何を考えて何をしているのか、一部を書き出してみた次第。

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2015.07.13

石碑・除幕式が京都新聞に報じられています

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 昨日の石碑・除幕式が京都新聞に報じられています。以下です。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150712000023

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2015.07.12

建碑!久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡など

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 昨日、京都市中京区河原町二条上ル東側の法雲寺に久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎・望月亀弥太等ゆかりの地碑を建立・除幕いたしました。

 今朝の京都新聞に写真入りで報じられています。

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以下は主碑及び副碑銘です。

〈主碑(石碑)銘〉

【西面】久坂玄瑞・吉田稔麿 等寓居跡

【北面】此南西 吉田稔麿所縁 塩屋兵助宅跡伝承地

【東面】此南 池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地

【南面】二〇一五年七月 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会 建之

             滋賀県草津市 徳田智史寄贈

副碑(解説板)銘〉

久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎等ゆかりの地

 此南 池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地

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法雲寺の所在地(現京都市中京区河原町通二条下ル清水町)は、もと鴨川の河原であった。「河原町」の地名はその名残である。

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地域一帯が埋め立てられ、都市域となったのは、豊臣秀吉時代以後、徳川時代初期の慶長・元和年間ごろ(おおよそ一六〇〇年~一六二四年ごろ)と思われる(「京都図屏風」)。貞享二年(一六八五)刊行の『京羽二重』巻二に、「役行者塚」の存在する場所として当寺が紹介されており、それまでの創建と分かる。

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元和五年(一六一九)以来、長州毛利屋敷が至近の河原町御池に存在していたため、幕末期には毛利家臣が多くこの周囲に居住することになる。

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たとえば久坂玄瑞(のち義助)が「京都御屋敷の後」(木屋町通御池付近)に、佐世八十郎(のち前原一誠)、楢崎兄弟(弥八郎、仲介か)、寺島忠三郎、中谷正亮、堀真五郎らと同居し(文久二年五月一日〈一八六二年〉付妻杉文宛久坂書翰)、桂小五郎(のち木戸孝允)が「木や町三条(二条の誤りカ)下る一番路」(文久三年八月七日付桂宛寺島忠三郎書翰)に住居していた。

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法雲寺もそのひとつとして使用された。文久二年七月、中老各長井雅楽殺害に失敗した久坂らは、家老浦靱負に自首し、同年八月四日、謹慎のため当寺に入った。ともに当寺に謹慎したのは、寺島忠三郎、野村和作(のち靖)、堀真五郎、福原乙之進である。浦の家臣である秋良敦之助やその子息雄太郎、赤祢幹之允(武人)、世良修蔵も慰問したほか、松島剛蔵(小田村伊之助の実兄)らも訪れている。

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同年七月一七日、万延元年(一八六〇)から亡命生活を送っていた吉田栄太郎(のち稔麿)が、伏見街道で世子毛利定広(元徳)に自首し、当寺に謹慎した。文久二年八月一三日付妻杉文宛の久坂玄瑞書翰によれば、「最近は栄太郎も拙者と一緒になり日夜話などをしていますので、(栄太郎の)母も安心いたすようお伝えなさるのがよろしい」(意訳)とある。

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当寺は元治元年(一八六四)の甲子戦争(禁門の変)の戦火を免れた。明治元年一一月当時の伽藍は、中心部に本堂、それに接続して東に書院・台所が南北に位置していた。その南には独立して観音堂があったが、その後消失した(京都府庁文書)。現存の本堂・書院・台所は全く幕末当時の建物であり、そのいずれかに久坂らが居住していたのである。

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稔麿は同年閏八月一三日に謹慎が解かれ、久坂らも同年九月一二日に同様となり、当寺から離れた。

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なお稔麿が懇意にしていた塩屋兵助方も至近の二条寺町東入ルにあった。塩屋は「正義之者」で、元治元年六月の池田屋事件で亡くなった稔麿の死の詳細を夫婦個別にその叔父里村文左衛門に伝えた。また稔麿から預かった「用心金」三〇両も送り返している。

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池田屋事件のおりは、河原町二条下ル東側にあった角倉与一邸の前で遺体が確認されており、それが土佐浪士望月亀弥太と理解されている

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2015.07.09

新聞に載りました。池田屋事件

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 昨日(7月8日)の京都新聞朝刊(地域プラス欄、17版なら22面)に、「池田屋事件の真相に迫る―『階段落ち』は創作―歴史地理史学者中村武生さんに聞く」が掲載されました。僕の池田屋事件論が簡潔に示されています。昨日は池田屋事件の日でした(1864年7月8日〈元治元年6月5日〉)。聞き手は仲屋聡さん。

http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150708000060

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2015.07.07

【石碑除幕式】久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡

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石碑除幕式のお知らせ

 本年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に関連して、京都市内に「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡」などを刻んだ石碑を建立します。以下、除幕式を執行しますので告知いたします。

日時:2015年(平成27)7月11日(土)午前11時から

場所:京都市中京区河原町通二条上ル(清水町)、法雲寺

行き方:京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅下車、北へ徒歩5分弱

碑銘:(西)「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡」

    (北)「吉田稔麿所縁、塩屋兵助方跡伝承地」

    (南)「池田屋事件、望月亀弥太終焉伝承地」

主催:特定非営利活動(NPO)法人京都歴史地理同考会(理事長:中村武生)

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2014.10.22

伊東潤氏『池田屋乱刃』を恵贈される

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 作家の伊東潤さんから昨日ご刊行の高著『池田屋乱刃』(講談社、1600円+税)を恵贈いただいた。ありがとうございます。伊東さんとは面識はありません。

 主要参考文献欄のあとに、拙著『池田屋事件の研究』(講談社現代新書、2011年)への過分のお言葉を記された【付記】を設けてくださっていて、驚いた。拙著が『池田屋乱刃』の主要参考文献だったそうだ。

 以下の伊東潤さんのブログ「11/6(木)、八重洲BCにて『池田屋乱刃』発売記念サイン会開催!」にもさらに詳しい事情記載がありました。

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