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2020.06.30

40年前のNHK番組紹介の背景に流れていた曲名を知りたい

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 1979年(昭和54)・1980年あたり、毎週の日曜日の午後8時直前の、これからの番組紹介という短いコーナーのバックに流れていた曲の名前がわかる方おられませんか。マジで知りたい。

 たとえば、1979年12月16日のぶん。

「総合テレビ、このあと8時からは『草燃える』 、『三浦義村の策謀』 。8時50分『ドラマ人間模様』 は『孝ナラント欲スレバ』 、太地喜和子・小沢栄太郎、その他のみなさんの出演です。9時35分からは『NHKの窓』 、NHK歳末助け合いに協力して下さる北海道北見市のグループをご紹介します。そして10時は『視点』 です。『子どもの人権を奪うもの』 。また教育テレビ9時35分、『世界名画劇場』 は『嘆きの天使』 です」。

 この背景に流れていた曲です。転用ではなく、この枠のためにあらたにつくられたものかもしれない。

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2020.06.29

聚楽城伝承地、梅雨の井の景観が変わっていた

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 去る6月25日(木)の聚楽城・武家地巡検で、梅雨の井(京都市上京区東堀町)の景観が変わっていたことに気づきました。お伝えいたします。

新たな開発がなければ良いのですが。

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2020.06.26

橋本左内寓居跡、福井藩邸跡両碑の復興

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 旧京都国際ホテル(中京区堀川二条)の地から撤去されていた、橋本左内寓居跡、福井藩邸跡両碑が同地に復興しましたので、お伝えいたします。

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2020.06.24

新選組旧前川邸の危機につき、僕の見解を載せました

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 新選組壬生屯所旧前川邸の危機について、中村武生の見解を載せました(拙稿「龍馬、新発見」165、『京都民報』本年6月21日付、京都民報社)。

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2020.06.23

新選組旧前川邸の件、報じられる

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 新選組壬生屯所旧前川邸の東隣地にマンション計画がある件、今朝の京都新聞に報じられました。中村武生のコメントも載っております。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/287969

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2020.06.22

初ロスは、石坂浩二の源頼朝

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 僕のテレビドラマ初ロスは、石坂浩二の源頼朝。NHK大河ドラマ「草燃える」(1979年)。頼朝がいないため、鎌倉が大混乱に陥るのをみて、小学6年生の僕はドラマに入り浸ってなげいた。頼朝が生きていたらと。その存在の大きさを思い知らされた。

 鎌倉前期政治史は初恋なのだが、専門とはせず、ファンでありつづけている。

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2020.06.21

惣構論、はよ書けよ

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「惣構」とはなにかを考えるうえで、第19回中世城郭研究者セミナー(2002年)でのシンポジウム「『惣構』の再検討」はとても意味があったといまさらながら(『中世城郭研究』第17号所収、中世城郭研究会、2003年)。あれから18年。その後、これを発展させたものってありました?

 僕はシンポの演者ではなかったが、初日の報告者として「惣構の変容―京都・御土居堀を中心に」を述べた。なので翌日のシンポでは、千田嘉博さんなどからそれも含めてコメントがあった。僕自身がこれを踏まえてさらに発展させるべきだったのに、機会を逸した。

 昨日のオンライン講座「御土居堀再考」2は、惣構論の研究史。豊田武氏、原田伴彦氏を高く評価した。小島道裕さんはいつもの通り。小和田哲男さん、前川要さんもだいぶ。

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2020.06.19

寺島忠三郎と赤祢武人に注目すべし

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 寺島忠三郎。若いのに、なんでこんなに重要な役割果たしてんの。ほんまに不思議。久坂玄瑞もやけど寺島ももっと深めるべき。

 赤祢武人も。なんで中山忠光出奔後の動向を祖父忠能に伝える役を、京都留守居役の村田次郎三郎や佐々木男也、久坂らといっしょに担ってんの。

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オンライン講座御土居堀再考2 受講の方々へ

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 明日6月20日(土)午後2時開催のオンライン講座「御土居堀再考」2に受講希望くださった方々へ。

 さきほどメールをお送りいたしました。もし届いていなければ、至急ご一報ください。

 どうぞよろしくお願いいたします。

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2020.06.18

時間経過の不思議

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 コンビニ弁当、たまに食べるとうまいと思っていたやつを冷蔵庫に入れて翌日昼に食べたらとても食えたものではなくなってたというのと、店で食べたらそれなりな回転ずしを持ち帰ったらマズイというのは理屈は同じか。

 時間がたってもウマいものは上質ということでしょうか。

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2020.06.17

伝記類を無批判に使用するこわさ

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 中山忠光が文久3年(1863)5月10日の攘夷戦に参加したと、具体的な動きが川崎又次郎『中山忠光卿』(1925年)に記され、正親町季董『天忠組の主将中山忠光』(1931年)に孫引きされているが、非事実。当時忠光は九州にいた。ことほどさように伝記類は無批判には使えない。

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2020.06.16

駒井日記の自筆本が見つかる

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 2020年6月15日(月)

 目の覚めるニュース。駒井日記の自筆本の一部が見つかったって。どこでかと見たら、ネットオークションて。落札価格52万3000円。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200615/k10012470411000.html

  いま刊本と比較したら、芳野が吉野だったとか、「丹波中中納言」はやっぱり中1つ多かったんやと感激しきり。文禄3年2月か。同4年4月やったら卒倒してたな。

 『改定史籍集覧』の方を見たら「丹波中納言」になってた。文献出版の方の校正ミスであったか。史料の校正ミスは致命的やから編者・担当さんは大変。

 文禄4年(1595)4月には惣構土居の枯竹が洛南向島の桜並木に使用されたとか、「聚楽本丸石垣之上壁之廻間数」とかの記事がある。とくに後者は刊本では意味が取りにくいので、もしや原本では云々を期待したい部分なのだ。

 2月8日のまんなか、「一小出播磨進物」のあと「一明日十日関白様京都」がつながっている。「一唐織之御夜物一」から翌9日「右何も太閤様被遊」まで刊本では14行分欠落していている。よく見たら確かに紙を貼り合わせた感あり。

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池田屋事件7日目に起きたこと

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 元治元年6月11日(1864年7月14日)、池田屋事件7日目。在京の桂小五郎が大坂の宍戸九郎兵衛・北条瀬兵衛、山口の久坂義助にそれぞれ書翰を記し、池田屋事件について報ずる。鳥取池田家に「少々企」があったが疎漏のため「古高被縛」となったなどと記す。

 同日、前日(10日)、明保野(曙)亭で会津家臣柴司に刺された土佐山内家の麻田時太郎が自刃した。

 同日、所司代桑名定敬が、諸侯京都留守居役等に対して、古高俊太郎の「残党」がいまだ潜伏している見込みなので召捕るよう指図する(『肥後藩国事史料』巻4)。

 同日、大宮四条下ルに住居していた鍵屋長治郎(高木在中)の日記に、九ツ前(正午ごろ)、「壬生浪」20人ほどが(浪士をヵ)「壱人籠」で連れ帰った、「日々乱世之様ニ御座候」とと記す(『幕末維新京都町人日記』)。

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2020.06.12

池田屋事件6日目に起きたこと

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 元治元年6月10日(1864年7月13日)、池田屋事件6日目。朝、守護職会津容保の内々の使者、大野英馬が加賀前田家京都留守居を訪ね、捕らえた長州浪士の所持していた3通の書のなかに前田家臣福岡総助のものがあったと通報する。これにより国元で同月18日御預に処され、10月18日斬殺される。

 同日、古高俊太郎が新選組から町奉行所ヵに引き渡される。僧念道(洛東霊山正法寺秀山の弟子)も所司代から守護職に引き渡される(「元治元子年六月中入牢人、但し池田屋騒動以後」『同方会誌』43号所収)。

 同日、公儀が毛利家に対して、京都留守居役と添役1~2名のほかは滞京を認めないと改めて通達する。が、実際は甲子戦争(禁門の変)勃発の同年7月19日(8月20日)段階でも正規の職員を多く留めている。

 同日、会津家臣や新選組が洛東清水近辺の明保野(曙)亭を改め、来店していた土佐山内家臣麻田時太郎を負傷させる。個別に明保野亭事件として語られるが、池田屋事件の一環と理解すべき。

 1934年発行の寺井史郎『京都史蹟めぐり』では、「清水産寧坂」として現青龍苑(京都市東山区清水3丁目)の南門の写真を乗せ「明保野亭の址」としているが、根拠を記さない。その南側、産寧坂に沿って同名の店舗があるが(石碑も)、無関係。

 松風嘉定邸は現清水順正おかべ家(京都市東山区清水2丁目)の位置。現青龍苑は東ではなく、北にあたるので両書は一致しない。  

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池田屋事件5日目に起きたこと

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 元治元年6月9日(1864年7月12日)、池田屋事件5日

 在京の一橋慶喜が越前福井の松平春嶽宛に事件を報ずる書翰を書いた。そこには古高俊太郎が「風便を待、御所を焼払」計画を供述した、50~60人の仲間の存在も語った。そこで守護職会津・所司代桑名両家が関係者を速やかに召し捕りたいと申し出たので、即日召し捕れと指図したとある。これにより浪士追捕の最高責任者は慶喜で、その指示により新選組はおろか、会津なども動いたと分かる。新選組はコマのひとつでしかないのである。

 同日、毛利家の京都留守居役乃美織江が慶喜に抗議文を記した。ここにも「一橋卿ゟ御差図被為在様子」、「御総督よりの御差図被為在候」とある。

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2020.06.11

池田屋事件4日目に起きたこと

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 元治元年6月8日(1864年7月11日)、池田屋事件4日目。帰東のため東海道石部宿にいた伊庭八郎らは、八つ時(午後2時ごろ)、在京老中稲葉正邦の命を受け取る。「京都潜伏浪士を捕らえたがまだ関係者がいるようなので、取り締まりのため急ぎ上洛せよ。ただし帰東の途中なのでムリにとはいわない。望みの者のみ少人数でも」(意訳)というもの。これを受け、六つ時(午後6時ごろ)、伊庭ら講武所剣槍方師範役の者たちは、早駕籠で石部宿(現滋賀県湖南市)をたつ(着京は翌午前6時ごろ)。浪士追捕が続いているとわかる。

 同日、近藤勇が武州多摩の支持者らに事件を報じる書翰を記す。ここで7人殺害、23人逮捕と記しているが、これはこの段階での「成果」であり、6月5日夜の池田屋襲撃のみのものではないと注意すべきである。

 同書翰によると、同日、押収品を会津容保へ引き渡した。内容は、具足11、槍25、10貫目ほどの木砲5、短筒3、焼薬10、トカリ矢500、重藤弓11、その他着込み、刀、長刀、武器類もあり、長持5つ分におよんだ。

 同日、5日夜に負傷し、六角牢屋敷に収容されていた松田重助が獄死した。遺体は獄中もしくは真葛原(現円山公園付近)に破棄され、のち三条橋東詰の三縁寺に改葬されたと同寺墓碑銘などにあるが、根拠希薄である。

 同日、島田魁の手記によると、親長州浪士が新選組屋敷に斬り込むという情報を得て、表門に木砲2門、裏門には1門を備えるなど守りを厳重にしたという。これは前川邸のことか。

 同日、在京の西郷吉之助が鹿児島の大久保一蔵に書翰を書き、池田屋事件にふれる。これによれば西郷は島津珍彦(当主茂久弟)の東上を出迎えるため6月4日離京し、5日摂津大坂に着いた。同兵庫津へ向かうため同日は伊丹で泊まる。つまり池田屋襲撃の日は京都にいなかった。

 夜明け、京都の内田仲之助からの報で事件を知る。伊丹から京都方面で火の手が見えたので、あわてて帰京するが、戦火ではなかった。8日段階でも「長州人探索」はつづいていて、「昼夜甚敷」く、7日夜も2~3人「召し捕え」られたという噂を記している。

 なお6月6日付とされる大久保宛の在大坂の西郷書翰があるが、5日の誤りではないか。6日なら伊丹で池田屋襲撃の報を得ているはずだが全く触れるところがない。あわせて「今日は公子御迎えとして大坂迄参」ったとある。前掲8日付書翰によれば、大坂着は5日である。

 

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2020.06.09

土方歳三の手紙を読むのお知らせ

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土方歳三の手紙を読む(中村武生)、京都新聞文化センター

「燃えよ剣」が映画化されます。それにあわせて土方の実像を知ってみませんか。

 

土方の書翰(しょかん)を読み、幕末政治史のなかで新選組を位置づけたいと思います。

日時/(土) 13時30分~15時


① 7月18日

② 8月8日

③ 8月29日

④ 9月19日

⑤ 10月17日

⑥ 11月14日

【主な内容】※内容は予告なく変更する場合がございます。ご了承ください。

1 歳三、浪士取立を知る―「御上洛御供として三拾俵弐人扶持ツゝ被下候」

2 詳しくは近藤勇が申し上げます―「帰着不相成候ハゝ大慶と思召可被下候」

3 芹沢鴨暗殺をどう理解するか―「報国有志と目かけ婦人しと(慕)ひ候」

4 長州と敵対して―「君命有之候ハゝ速ニ戦死も可仕候」

5 池田屋事件では何をしていたのか―「追々土方の勢馳付候故夫より召捕申候」

6 長州勢、京都へ―「当月五日之戦功ニよって上様より御内意之趣」

□受講料 3,300円(1回・資料代含む)

 6回連続申込みの方は、初回申込みに限り17,160円(6回・資料代含む)の受講料でお得にご予約できます。

 6回連続受講をお申し込みされ欠席された場合は、受講料のご返金は致しかねます

が、資料はお渡し致します。初回のみの特典に付き、途中から連続でお申し込みを

された場合は、適用致しかねます。ご了承ください。
 
※入会金不要 事前予約・前納制
kyoto-pd.co.jp/index_cult.php

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2020.06.08

池田屋事件3日目に起きたこと

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 元治元年6月7日(1864年7月10日)。池田屋事件3日目。六条(新地)平岡町の兼次郎が(それ以前に逮捕され)、この日会津から(奉行所ヵ六角牢屋敷ヵへ)引き渡された。寺町通五条上ルの又七も同様。嫌疑者追捕は続いている。

 同日、毛利家臣有吉熊十郎(熊次郎ヵ)と長府毛利家臣熊野清右衛門が京都を発った。事件を山口へ報ずるため河原町長州屋敷が派遣したものである。

 同日、在京の会津老臣西郷文吾・内藤近之助・神保内蔵助が、同江戸詰老臣横山主税・田中土佐・山崎小助・一瀬要人・一瀬勘兵衛・井深茂右衛門・上田一学に事件を報ずる書翰を記す。原口清が古高俊太郎の「御所向放火」供述を否定する根拠にした史料。拙著で批判した。

 会津松平家と長州毛利家が江戸や国元に事件を報じる書翰を記した(京都を出発した)日が同一というのはおもしろい。それほど両者とも5日・6日は余裕がなかったといえる。7日になって少し落ち着きだしたということか。が、まだ浪士追捕は続いている。

 同日、戦死した吉田稔麿の遺体を洛東霊山霊明舎(現霊明神社)村上丹波のもとに運ぶ。6日早朝、河原町屋敷前にあった遺体を同邸が収容しており、同邸の処置と判断できる。同時に杉山松介・野老山吾吉(吾吉郎)の遺体も同様に処置された可能性がある。

 同日は祇園祭山鉾巡行(いわゆる前祭)の式日。当然実施された(『幕末維新京都町人日記』同日条)。が、浪士追捕は続いている。たとえば真偽不明だが、四条小橋北の茶屋で、前夜から宿泊していた3人を亭主が怪しみ、当7日朝、新選組に伝えたところ、すぐに捕り手に来たと『甲子雑録』四に記載がある。

同日、池田屋事件の責任者として一橋慶喜を糾弾する一文が五条橋北側中ほどの擬宝珠に張られる(10日という異説がある)。慶喜らに近々天誅を下すとある。親長州側の反撃である。これが同月16日の平岡円四郎(慶喜側近)殺害につながるのだろう。

 同日夕、5日夜に縄手通四条上ルの魚品で逮捕されていた、河原町屋敷の職員木村甚五郎が釈放された。留守居役乃美織江らの強い要求の成果である。久坂義助と誤認逮捕であった。

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今朝の京都新聞にコメントが載りました

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 新選組「西九条村に屯所」、今朝の京都新聞一面トップ! 洛中最後の屋敷、いわゆる「不動堂村」屯所の位置についての論争の記事。中村武生のコメントも載りました。

 僕のコメント。「『かなり可能性は高いが、問題点は残る』 と話す」。「江戸時代の町役人が残した記録を基にした同ホテル西側の下京区志水町・上夷町や、同区塩小路通西洞院付近と推定した自説を撤回しつつ、『同じ地名が近くにないとも限らない。関連する絵図も見つかっていない』とさらなる検証を求めている」。

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2020.06.07

「幕末史を読み直す」2、動画を公開

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 オンライン講座「幕末史を読み直す」2、さきほど動画を限定公開しました。

 蒲生君平「山陵志」完成からオランダ国王の「開国」勧告まで進みました。

 視聴ご希望の方はメールでご連絡ください(有料、レジュメ付き)。次回は阿部正弘老中首座就任、皇太子統仁の践祚(のち孝明天皇)からです。

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2020.06.06

池田屋事件2日目

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 元治元年6月6日(1864年7月9日)、池田屋事件2日目。早朝、洛東大仏境内南門前の瓦師久板五郎兵衛方が新選組などに襲撃される。当地は江州水口加藤家の下陣で、土州浪士北添佶摩や坂本龍馬らが借りて住居していた。が、彼らは全員不在で、留守番をしていた楢崎将作後室貞(てい)のみが逮捕された。

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2020.06.05

池田屋事件開始の日です

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 元治元年6月5日(1864年7月8日)は、古高俊太郎逮捕、池田屋襲撃(池田屋事件開始)の日です。祇園祭山鉾巡行(いわゆる前祭)式日の2日前でした。

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2020.06.04

続、新選組壬生屯所旧前川邸の建物の危機

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 旧前川邸の危機は、景観問題だけではありません。7階建てマンション建設工事にともなう土地振動により、建物が壊滅的被害を蒙る危険があります。最悪、取り壊しになりかねない。そのことを知ってください。

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 マンション建設が始まると、至近にあるこの土蔵が最も被害を蒙るはずです。棟札等により天保10年(1839)建設と分かります。古高俊太郎ゆかりの建物であるかは別にして、新選組が同邸を使用していた時期に存在したことは確実です。保護する必要があります。

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 旧前川邸のシンボルたる長屋門です。7階建マンションの建設工事の土地振動で、この建物も被害を受ける可能性があります。劣化がひどいと取り壊しもありえます。そんなことを無視できますか。

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2020.06.03

新選組壬生屯所旧前川邸の危機につきお願い

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 新選組壬生屯所のひとつ、旧前川邸の東隣地に本年8月から
7階建てのマンション建設
が計画されております。
 景観上の問題もですが、同建設にともなう2年前のボーリング調査によって
旧前川邸の建物の漆喰がはがれるなどの被害がありました。
 実際に建設が始まるとさらにどのような損害を被るかはかりしれません。
 当該建物は、2018年、京都市景観政策課の景観重要建造物に指定されていますが、
同市文化財保護課による記念物(史跡)の指定を受けていませんので、狭義の文化財とし

扱われておりません。


 そのため行政の保護を受けられない現状です。
 しかしながら、文化庁文化財部記念物課が編纂した、『近代遺跡調査報告書、政治(官
公庁等)』(2014年)に「新撰組壬生屋敷跡」(添付)として取り上げられた周知の遺
跡です。
なおざりにしてよいものではありません。
 壬生地域には、旧前川邸にとどまらず、壬生寺、八木邸(市指定史跡)、新徳寺、光縁寺
など新選組を語る建造物・墓石など記念物が多数現存し、それらは一括して国史蹟級の

価値があるものと考えます。
 マンション建設予定地も、新選組遺蹟の緩衝地帯(バッファゾーン)としてその計画を中
止すべきものと判断します。

 以下に「新選組屯所旧前川邸を保存する会」による署名を貼ります。
これに署名下さり、この活動を
援助ください。多くの方のご協力を望みます。どうぞよろしくお願いいたします。
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高木俊輔氏『明治維新草莽運動史』の位置づけ

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 前から気になってるんだが、高木俊輔さんの『明治維新草莽運動史』(勁草書房、1974年)は、現在の幕末政治史研究のなかでどう位置付けられているのか。無視されているのではないか。

 僕はこの高著を卒論書くとき(1990年)穴が空くほど読んで書き込んで、自身の池田屋事件論に位置づけようとしたんやが、結局うまいこといかなくて、拙著『池田屋事件の研究』(講談社、2011年)でも全く触れていない。

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2020.06.02

新選組屯所旧前川邸の市文化財指定の根拠に拙稿がなっていたと知って

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 2018年6月29日、新選組屯所のひとつとして知られる旧前川邸が、京都市の景観重要建造物に指定されるにあたって、文化庁文化財部記念物課編『近代遺跡調査報告書、政治(官公庁等)』に載った拙稿「新撰組壬生屯所跡」(2014年)が根拠になったと本日初めて知り、ふるえている。

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「日本の歴史、いま・あのころ」休講を継続

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 京都府内の非常事態宣言は解除されましたが、

「中村武生の日本の歴史、いま・あのころ 」(於キャンパスプラザ京都)は

休講を継続します(再開日は未定)

悪しからずご容赦ください。

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2020.06.01

白石正一郎の日記の玉に傷なところ

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 下関の豪商、白石正一郎の日記(『白石家文書』所収、下関市教育委員会、1968年)は、幕末史をひもとくうえで貴重な史料なのだが、維新後、当人によって書き直され、原本が破棄されている点が玉に傷である(書き直したものを摘要と呼ぶ)。

 中山忠光暗殺に関する部分を睦仁天皇(のち明治天皇)の高覧から避けるためと認識しているのだが、事実だったろうかと思い、典拠と記憶している中原雅夫『裏からみた長州の維新史』(創元社、1974年)を読み返した。すると忠光暗殺に関する部分を削除するためとはあるが、睦仁天皇の高覧に供するためとは無かった(39頁、43頁など)。あてにならないものだ。記憶違いか、別の典拠があったか。

 で、同じ中原雅夫の『幕末の豪商志士白石正一郎』(三一書房、1970年)を見直すと、睦仁天皇行幸時の高覧のために云々という話題があったが、中原自身が否定的であった(14頁)。

 同じ下関市に住んでいた作家冨成博は、中山忠光暗殺情報隠蔽のため「摘要」が作成されたという中原説に否定的である(「渦潮の底―白石正一郎とその周辺」14<正一郎の謎2>、1984年9月17日付、新聞名失念)。

これは先年、単著にされたのではなかったか。購入のおススメを頂いたのに買わなかったはず。

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オンライン講座「幕末史を学び直す」 

オンライン講座です

★「幕末史を学び直す」 

※複雑な幕末政治史を最新成果にもとづいて、ていねいにお話しします。

    第2回「西洋の接近と『天皇』復活―幕末以前その2」

2020年6月6日(土)午後2時~4時ごろ

レジュメをメールでお送りします。

 定刻に参加できない方も、終了後、動画を一定期間視聴できるようにしますので、どうぞお申し込みください。

 

要予約(メールで)。メールで詳細をお伝えします。難しくはありません。

参加費:,000円(事前お振り込みです)

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