洛中惣構土居、ある史料の年次をめぐって
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年不明2月26日付賀茂社惣中宛毛利重政・同友重(高政)連署書状(『賀茂別雷神社文書』第一所収)を天正19年(1591)とするのは、史料中の「太(大)野之井口之堤」を洛中惣構土居(いわゆる御土居)に関するものと判断されたからだろう(何かを見た)。
同地は現京都市北区小山東大野町などに比定されるので、惣構土居の位置とは大きく離れるはず。どう理解すればよいか。
『鹿苑日録』同年3月12日条に、毛利(森)重政・同友重(高政)の2人が「竹木之奉行」として「洛下四方新堤」、つまり惣構土居を領することになったとある。
しかし上記連署書状と人物が一致している以外はつながる根拠を見出せない。僕の知らない情報があるのだろうか。
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