聚楽第は「秀吉が京都につくった、大きな城」
松本清張『徳川家康』(講談社火の鳥伝記文庫、新装版、2017年)到着。山田邦和博士の注記がけっこう興味深い。聚楽第の注として「秀吉が京都につくった、大きな城」とある。屋敷と書かないところがすばらしい。
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松本清張『徳川家康』(講談社火の鳥伝記文庫、新装版、2017年)到着。山田邦和博士の注記がけっこう興味深い。聚楽第の注として「秀吉が京都につくった、大きな城」とある。屋敷と書かないところがすばらしい。
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河州観心寺の天誅組遺蹟碑(1930年5月)の篆額を記した嵯峨公勝は、正親町三条実愛の子で、中山忠光の娘仲子(生母は恩地登美)の夫。昨日行ってきた。約25年ぶりと思う。
本日NHK文化センター京都教室で「討幕の密勅」を取り上げて、中山忠能と正親町三条実愛の関係を語ったが、のち中山の孫娘と正親町三条の嫡男が結婚すると言い損ねた。その先の「流転の王妃」だの天城山心中なんかを語る気はない。
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某所で大政奉還の舞台地というなら禁裏御所や二条斉敬邸を最重視すべきだと書いたった。二条城オンリーのような空気に反発している。
今朝、百万遍知恩寺に行った。於次秀勝の墓があるって知ってましたか。驚きました。
帰宅後、2件も講演依頼をいただきました。来るときは重なるな。
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2020年1月18日(土)
本日のアイリス京都の幕末維新講座では、版籍奉還を異常に詳しく述べた。明治2年の官吏公選の意義も。政府要職からの公卿と諸侯排除の始まりだった。松平春嶽がどのように要職からはずれていくのか、もっと突っ込みたかったのだがこちらの力量不足。帰宅後、いまさらながら松尾正人さん『維新政権』(吉川弘文館、1995年)を見直す。
あと余談だが斬られた大村益次郎がなぜ破傷風になったのか、そんなに逃げ込んだ浴槽の残り湯が不衛生だったのかなんて話したが、そのあと医療事務にたずさわる友人から大村の体調不良の可能性はないのかなんて言われて、孝明天皇毒殺問題もそやけど、医学教養もなくては歴史できんなあと思った次第。
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2020年1月16日(木)、
名古屋市中区の栄中日文化センター、本日の日本史講座。版籍奉還と箱館戦争。戊辰戦争は一会桑勢力とその関係者の意地の戦いと述べる。先帝統仁(孝明天皇)の支持を得た者たちが、彼らの功労を理解できない新帝睦仁(のち明治天皇)を傀儡し政権を簒奪しようとする薩長らを許せなかったという視点。それに情報不足により情勢を見誤ったものが会津に協力したという感じか。おおざっぱにいうと。
京都講座では羽柴(豊臣)完子の可能性を考える。その父方祖母、瑞龍院日秀を主役にしたテレビドラマがこれまでなかったのは不思議。高台院死去の翌年、寛永2年(1625)まで生きてるのんやで。羽柴(豊臣)家の盛衰すべて描けるやん。ちなみに江(完子生母)はその翌年死去。
帰途、ちとしたことで某氏の一連の仕事に悪態をついた。自己満足のきわみ。あんなもの書いて恥知らずだ。問題意識は低く、先行研究など何らふまえていない。こちらが知りたいことはほぼ何も書いていないと。しかし書いたもん勝ち。負け犬の遠吠え。分かってる。それでもつまらないと自身が思うものは書けない。くやしい。
など。
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ある会の感想。ゼミ報告なら叱責ではすまされない状態。すべてやり直しを命ずる。まず研究手法から問題。あれで史学科出てるというのだからあきれる。そのうえで中身。90年前のたった1つの成果を写しとっただけ。それさえ見落とし及び誤読が散見。近年の成果は完全無視。ゼミ生ではないのでコメントしなかった。叱られる、不備を指摘されるというのはいかに幸せかと自戒。あの人は周りに指摘してくれる人を一切持たないのだな。不幸のきわみ。
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1月7日(火)
非常勤先での講義。場所の歴史学。本日のお題は大政奉還ー創出された二条城神話をした。ほんまは、つくられた由緒ー毛利家と阿保親王神話にしたかったが、 1時間半話す準備はしていなかったので、質問・感想ペーパーへの返事にからめて軽く述べた。摂州打出に近い大学やし。
それはそれとして、つくづく書いたモン勝ち。短いとか思わずに書きまくれ。400字詰原稿用紙15枚ぐらいの小ネタも貯まれば大ネタに化ける。世の中には知識人はたくさんいる。が、書かなければ研究者としては何の評価も得られない。自分に言うておる。
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本日午前中、信号のない横断歩道をわたったところで自転車に乗った若い男性にぶつけられました。左腕の打撲程度です。転倒もしておりませんし、問題ありません。渋滞中でしたので、横断歩道をわたる歩行者の存在を予想せず、ぐいぐいと自動車をぬいて後方からスピードをあげて突っ込んできたようです。渋滞中の横断歩道は危険ですので皆様もお気をつけ下さい。バイクでなくて良かったし、子連れでもなくてさらに良かった。
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『国史大辞典』(吉川弘文館、高牧実氏執筆)に金森長近の長は信長からの偏諱とあるが、信長からの偏諱は信が一般的で(実子は信忠、信雄、信孝。ほかに松平信康、長宗我部信親など)、長を与えた例はない、なので浅井長政の長は信長のそれではないという根拠にされていたはずだが、金森長近の事例はどう理解すべきか。そもそも事実と判断してよいのか。
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