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2019.09.05

菅原道真に何を贈ると鎮まるかのつづき

菅原道真のつづき。

 山田邦和博士からご指摘をいただきました。太上天皇はあり得ないが、准三宮(准三后、准后)はありえるかもと。ただし准三宮に位階は付いてこないので、正一位より上になるかは分からないがとも。で、贈准三宮の先例として、徳川中期の従一位関白左大臣二条吉忠を挙げられました。

 二条吉忠が准三宮を追贈された理由は、没後に外孫智子内親王が践祚したからである(のち後桜町院、後桜町天皇)。なるほど関白とはいえ、従一位左大臣なので、贈正一位太政大臣の道真よりは低い。道真は贈准三宮を喜ぶかどうか。

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2019.09.04

今回の菅原道真の祟りを鎮めるには何を贈るか

本日の洛中落雷は菅原道真の新たな怒りだと思い、調べたらすでに正一位太政大臣を追贈済みで、これ以上何贈ったら怒り解けるねんと思たら、あ、太上天皇か、恐れ多いなと思った。

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2019.09.02

今朝の京都新聞に載りました。綾部のお龍家族寓居 知足院実家加藤旧蹟碑

今朝の京都新聞に載りました。20190902_115539_0002

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2019.09.01

坂本龍馬妻 楢崎お龍家族寓居跡/知足院夢覚生家 加藤家旧蹟碑除幕しました

知足院夢覚生家 加藤家旧蹟

坂本龍馬妻 楢崎お龍家族寓居跡

舘ノ内 侍屋敷跡伝承地

二〇一九年(令和元)九月一日 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会建之

                    加藤洋一 寄附

当地はもと丹波国何鹿郡岡村字」という。このような地名全国的分布し、「土居」「」などとじく中世侍屋敷跡のなごりと推定される(綾部市史上巻、『丹波綾部中筋歴史散歩)

ここに幕末期青蓮院(現京都市東山区)入木道(書道)支流知足院夢覚(一七九六~一八七一)生家加藤家があった。知足院兄省吾医師である。天保一一年(一八四〇)一〇五日典薬寮の「医道長上丹波朝臣(錦小路頼易)から「当流医道入門之事()許容」されている。そのであり知足院にあたる二代目省吾(一八三一~一九〇二)は、青蓮院侍医楢崎将作(一八一三〜六二)び、当地開業した。楢崎長女がのちに坂本龍馬となるおである。

二年(一八六二)楢崎京都において五〇歳死亡したため、おめとする遺族(妻貞次女光枝三女君江長男謙吉次男太一郎)零落した。知足院省吾物心両面でその保護う。その具体的内容知足院から二代目省吾てた書翰群など(加藤家文書)によってらかである。なくとも謙吉一時期当地庇護されていた。加藤家文書は、省吾の後裔省一氏その意を汲んだ美恵子氏(省一氏の後継者昭二郎氏後室)の努力によって、現在まで残されたことを特記する。

晩年のお回想によれば、元治元年(一八六四)八月一日知足院仲人でその居所青蓮院内金蔵寺において龍馬内祝言ったとされる。知足院省吾はその龍馬ともども楢崎遺族生活った。それゆえ慶応三年(一八六七)一一月一五日龍馬殺害されると、知足院はそれを省吾じ、楢崎遺族困苦いたのである。

なお加藤家は、省吾以後も嫡子太一郎が当地で医業を継いだほか、前掲省一氏灸治所を営んだ。後継者昭二郎氏も一九六七年(昭和四二)まで加藤医院を開業しており、ながく地域医療貢献されたのである。

二〇一九年九月一日 

特定非営利活動法人京都歴史地理理事長 中村武生

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坂本龍馬妻楢崎お龍ゆかりの建碑除幕式ご案内

各位

除幕式のご案内

 謹啓

 益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、当法人では京都府綾部市において、坂本龍馬にゆかりのある『知足院夢覚

生家加藤家旧蹟・坂本龍馬妻楢崎お龍家族寓居跡・舘ノ内侍屋敷跡伝承地』の

石碑を建立致す運びとなりました。

 知足院夢覚は、青蓮院の所属寺院である金蔵寺の住職で、坂本龍馬・お龍の内祝

言では仲人をつとめたとされます。また綾部にあった実家の加藤家にお龍の家族を引

取り、甥の加藤省吾とともにその面倒を見た人物です。

 そこで除幕式を下記の日時に執り行うこととなりましたので、ご案内を申し

上げます。

 ご多用中のこととは存じますが、万障お繰り合わせのうえご列席いただけましたら、幸いでございます。

除幕式

日 時  2 0 19年(令和元)9月1日(日)14時より

建碑場所 京都府綾部市岡町舘ノ内9

       (JR綾部駅より西へ徒歩約15分)

 

主催:特定非営利活動法人京都歴史地理同考会(理事長中村武生)

画像

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