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2019.05.28

天誅組兵糧方、林豹吉郎は蘭学者だった

去る5月26日(日)、奈良県五條市の市立五條文化博物館の企画展「林豹吉郎」を参観しました。恥ずかしながら、林豹吉郎がこんな教養人とは知らなかった。天誅組の兵糧方で大砲製作にも関わったとしか認識していなかった。江川太郎左衛門英龍や緒方洪庵に学んでいたとは。蘭学者やったんや。ちなみに参加者伊吹周吉(石田英吉)も緒方洪庵門下の蘭医出身である。浪士の評価に関わる。天誅組は無頼漢の集合体ではない。参加時の年齢(享年)は数え47歳である。分別はある立場のはず。なぜ天誅組に参加したのか、興味深い。
 滞在は2時間半ていどであったが、その間来室者はたった5組弱。もったいなあと思った。たまたま出会った横浜の皆川真理子さん1人をのぞいてすべて一瞬で出て行きはった。五條市の天誅組の啓発はまだまだ足りません。もったいないなあ思いました。久しぶりに自身に「あんた幸せな人生送ってんな」思いました。実に小さい展示室に2時間以上いて、写真撮影ペケだったので展示内容を立ちながらPCにひたすら打ち込んでたのね。文書を読んだりして。「あんた何してんのん」と自分に思ったのね。めんどくさと思わずにしてることに対して。
 参観後は過去の図録買ったり、前日の学芸員さんによる講演レジュメをいただいたりする(皆川さんのおかげ)。
 行きはタクシーを使いました。1760円でした。帰りはコミュニティバスを使わせてもらいました。無料でした。ありがとうございます。
 その後、五条駅で皆川さんと別れて1時間だけ大和五条の天誅組旧蹟を歩きました。まずは犠牲者鈴木源内ら6人の犠牲者の掃苔を24年ぶりにいたしました。まあたらしい墓地案内板ができていて助かりました。そのあと五条代官所跡である市役所に行きました。昨年建った碑に気づきました。初めて来たのは1982年でした。37年前。変化甚だしいです。そのあと1937年に乾十郎遺族乾材三による碑を訪ねたあと五条駅に戻る。たいへんな暑さでしたが、忘れがたい一日でした。

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