シンポ「慶応4年から150年」のご案内

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『週刊京都民報』連載中の拙稿「龍馬、新発見」第9話(「龍馬の訃報」、2017年3月12日号)。知足院は甥加藤省吾に龍馬の死を報じた(慶応3年(1867)12月9日付、加藤家文書)。楢崎お龍のことだが、不幸にも連添坂本龍馬が斬り殺された。とても大事の人であちこちの方が惜しんでいる、楢崎一類が困り申していると述べている。
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『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」第8話(「龍馬・お龍の内祝言」、2017年3月5日号)。楢崎お龍の回想によれば、元治元年(1864)8月1日、知足院の仲人により青蓮院の金蔵寺で2人は内祝言をあげたとされる。同日と推定される加藤省吾宛知足院書翰(加藤家文書)にその記載はない。

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『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第6話です(「楢崎将作死後」、2017年2月19日号)。年不明5月9日付加藤省吾宛知足院書翰(加藤家文書)により、楢崎お龍の母貞らが洛東大仏境内南門前の龍馬ら居所で賄いをしていたというお龍の回想が裏付けられることなどを紹介しています。

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『週刊京都民報』(京都民報社)に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第4話です(「仲人、知足院の履歴」、2017年2月5日号)。龍馬と楢崎お龍の内祝言の仲人をしたとお龍の回想に登場する、知足院夢覚に関する史料群、加藤家文書との出会いについて述べました。

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『週刊京都民報』に連載中の拙稿「龍馬、新発見」の第3話です(「家主は久板玄輝(ひさいた・げんき)」、2017年1月29日号)。元治元年6月6日(1864年7月9日)以前、洛東大仏境内南門前の龍馬らの居住地と、その家主久板五郎兵衛(法号玄輝)とその家族を考察しました。

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2017年1月から『週刊京都民報』で連載している拙稿「龍馬、新発見」の第1話です(「龍馬と妻・お龍の出会いの地」)。以後もこれからちょくちょく掲載いたします。ちなみに本年10月7日現在、85話(「社中」の近藤長次郎)まで進んでいます。
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