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2018.01.28

天誅組、公議所会頭、征夷府、乃美織江、原平三など

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  昨日の毎日文化センター梅田教室の「日本近代史を学びなおそう」は文久3年9月(1863)の天誅組壊滅から翌年2月の一橋慶喜の参預諸侯への面罵まで。
 本日の重要点は10月の大久保忠寛の書翰の「公議所会頭」がなぜ家茂でなく慶喜なのか、当時「幕府」が「征夷府」と言い換えられている意味など。
 時間を1番かけたのは冒頭の天誅組の乱。なぜこれに注目するか、天理大学の講演録には触れられなかったことを述べた。はよ活字にせえよと改めて思う。
 併会の「日本の歴史を学びなおす」は、鎌倉時代、源頼家の失脚、比企一族の滅亡。安達景盛を敵に回したことに留意してみた。安達景盛の父盛長は比企尼の婿である。つまり比企氏の縁戚なわけで、状況次第では比企側に付いたかもしれない。要は梶原景時、安達盛長・景盛を失ったため、庇護者は比企氏のみとなり頼家は滅んだといえるというような話。北条の独走だけでは他の御家人の反感をかったはずで、愚管抄が正しければ頼家の子一幡は探し出されて殺されている。戦乱のなかの事故死ではないのである。前将軍の子で頼朝の嫡孫候補なのに。すごいことだ。なお僕は鎌倉時代は非専門なので話半分にしてください。
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 終了後、江州野洲で講演された、町田明広博士を囲む京都の会に合流。雪の影響で大阪駅発の電車が遅れ、乾杯直後に入店。
 真ん前に座っておられた久坂和尚さんの質問に答えて、久しぶりに「乃美織江在職筆記」について話す。京都留守居役としての乃美織江の活動をまとめておくことを失念していたことに気づく。しんど。
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 帰宅したら、古書店から『原平三追悼録』(私家版、1992年)が着いていた。ようやく入手。感慨無量。原平三の学恩を思う。その実証の姿勢に卒業論文書いているころどれだけ励まされたか。天誅組の話をした日だったのは誠にうれしい。
 久住真也さんから『王政復古-天皇と将軍の明治維新』(講談社現代新書)を恵贈いただく。一昨日は小林哲也さんから『敗者の明治維新』(歴史real、洋泉社)を恵贈いただいた。あわせて御礼申し上げます。学ばせていただきます。小林さんは、徳川慶喜、松平容保、松平定敬、徳川昭武、伊達慶邦、松平斉民の6名を担当されている。

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