« 中村武生に聞く―京都新聞「御花畑」記事掲載 | トップページ | 岡田有希子さん今年も誕生日 »

2016.08.06

O谷大博の末永コレクションを観て

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。
 2016年7月26日(火)
 お昼、「日本の歴史、いま・あのころ」に出講。昨日の発見のことなど語りすぎて、本論に入れず。
 夕方、O谷大学に出講。前期試験の監督。今回の学生さんにはほんとに救われました。
 早く到着しすぎたので、O谷大学博物館での夏季企画展「大谷大学所蔵の考古資料―末永コレクションを中心に」(7月30日まで)を観覧。末永雅雄(1897-1991)は1942年から44年まで本学の嘱託教授だった縁で、さまざまな考古資料をO谷大学に寄贈した由。考古学史の愛好者として、観覧せんわけにはいかないという程度の関心だったのだが、その質の高さに息をのむ。
 とりわけ絶句したのは「美濃山大塚古墳」(美濃山王塚古墳)出土の遺物。これは現八幡市美濃山の古墳群のひとつで、戦前に梅原末治ら京都帝国大学考古学教室が調査したことは周知である。ここに「三宅安兵衛遺志」碑のひとつが建っている。すなわち八幡の郷土史家西村芳次郎が調査に協力しているのである。末永雅雄もそのメンバーだったのだろう。その際、遺物をいくつか個人で持ち帰ったものといえる。
 西村芳次郎伝ともいえる「三宅安兵衛遺志」碑論文の完成を急いでいるいま、あまりにタイムリーな出来事だったため感じ入ったわけ。
 あとから向谷進『考古の巨星―末永雅雄と橿原考古学研究所』(文藝春秋、1994年)を読み返したら、ちゃんとO谷大学嘱託教授時代の記載があって、末永雅雄が大学に出講することになったので、京都帝国大学考古学教室主宰者である梅原末治が、末永に講義ノートの提出を要求したため、屈辱にたえかねた末永は梅原と決別したという有名な話が、このときのことだったのだといまごろ気づく。これ最初に読んだ頃はO谷大学と無縁やったからね。

|

« 中村武生に聞く―京都新聞「御花畑」記事掲載 | トップページ | 岡田有希子さん今年も誕生日 »