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2016.07.15

攘夷と征夷は意味が違うらしい

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2016年7月14日(木)
 午前中、古書店から『七年史』(2006年9月、マツノ書店復刻)が届く。刊行当時、こんなに会津侯松平容保や家臣たちに関わると読めず、買い漏らした。手元になく困ることが増えたので無理して購入。
 午後から京都新聞文化センターに出講。前回、洛南向島城跡と指月の伏見城跡を巡検したので、それに関連して真田信繁と指月城および木幡伏見城の話をした。あわせて本題の洛中惣構土居堀の解体過程の第1回もした。慶長年間から出入口が増えだすことのみならず、主要出入り口に接した部分に土居が削られ町屋などが建設されだすことなど。
 夜は私的な祝賀会。娘ののぞむおかずを奥さんがつくり(奥さんはフライドポテトを失敗したというものの娘はおいしいと言う)、僕はほかのサイドメニューとケーキを買って帰る。初めて乳歯が1本取れたとか、本日はいろいろ娘の紀念日。
 
2016年7月13日(水)
 朝イチK都女子大学に出講。陵墓に関わって後白河天皇陵と法住寺殿の話。ご当地やからね。
 K都新聞のY田Mどりさんと某打合せを兼ねてブルービートで昼食。
 午後から洛中研究室ゼミ。大河ドラマ「花の乱」の応仁の乱の描写を話題とする。
 夕方からキャンパスプラザ京都のくずし字初級会。まだ老中稲葉正邦へ提出した徳川公儀・諸侯への建書を読んでいる。ながい文章である。おそらく真木和泉か久坂玄瑞あたりが記したものであろう。「攘夷」と「征夷」の意味の違いを述べていて感じ入る。
 講義中、明仁天皇の譲位(「生前退位」)の意志ありという報道が入ってきて、衝撃を受ける。 
 
2016年7月12日(火)
 午後からいつもの「日本の歴史、いま・あのころ」に出講。鹿苑寺で大塔の遺物出土の報道や、河野太郎衆議院議員の陵墓治定改定に関する発言などを取り上げる。本編は保元の乱。「叔父子」問題に入ったところで時間切れ。夕方、O谷大学に出講。

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