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2016.07.18

攘夷と征夷はやはり同じ意か

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 2016年7月17日(日)朝雨、日中はれ
 外勤のない日。朝早く雨が降っていて、山鉾巡行実施を危ぶんだが実施された模様。
 7月13日(水)に気づいた「攘夷」と「征夷」の違い云々の件、もっと深い、そして合点の行く点に気づく。うわ。そうか。メンバーには次回お伝えします。
 娘の紀念日会に両方の祖父母お越し下さる。家が一瞬きれいになるのでたまには来客はあるべき。
 夜、たまたま藤原竜也さんの新番組を観てしまい、うかつにも次週が気になりだす。
 
2016年7月16日(土)はれ
 午後からキャンパスプラザ京都の御土居堀を考える市民講座に出講。惣構論の研究史をまとめ、それを話させていただいている。今回は小島道裕・前川要・千田嘉博氏らによる1990年代までの織豊系城下町論を中心に。自身の課題が山積といまさらながら。
 受講者と少し懇親して帰宅。おみやげは王将の餃子。宵山の洛中下京には行かず。
 
2016年7月15日(金)はれ
 午前中、くずし字研究会に出講。
 日米和親条約締結後の嘉永7年5月16日(1854)付父宛板倉筑前介(淡海槐堂)書翰に、同国の要望のとおり徳川公儀は相模あたりに1万坪の土地を与えた、交易はどう決まったか聞いていないとある。板倉は在洛東伏見街道五条。前者は誤報。和親条約締結(修好通商条約締結以前)の段階で、アメリカに国内の土地を与えたというのはありえない。この噂をキャッチした板倉書翰が特殊か、よく見いだされるものなのか(一般的なのか)は知らない。 
 夕方、K都B教大学に出講。洛南伏見寺田屋伝説を論じる。
 夜、娘を連れて祇園祭宵山前日の洛中に出向く。下京東洞院六角の一画で優雅な一夜を過ごさせていただく。

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