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2016.06.04

御花畑御屋敷発見の衝撃1

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 去る5月24日(火)夜、同日始まった鹿児島県歴史資料センター黎明館の企画展で「御花畑絵図」が公開されているという情報を桐野作人さんから得た。

 これ以来、ずっと頭のなかはこればかり。当面の論文(「三宅安兵衛遺志碑と西村芳次郎」)をないがしろにしている。

「御花畑」は幕末期の薩摩島津家家老小松帯刀の京都屋敷の通称で、近衛家別邸である。この位置がどこなのか、2008年よりの懸案であった。

当初は近衛の堀川屋敷と判断し、一条堀川東入ル南側にそれを示す標石を建てた。

 が、その数か月後、桐野さんによって島津家臣葛城彦一の日記に「近衛家室町頭之御花畠御屋敷」などの記述のあることが確認され、堀川屋敷の可能性は皆無となった(石碑はその後撤去した)。

 桐野さんはこの「室町頭」を室町通上立売上ルに現存する「室町頭町」の略称と判断されたが(『さつま人国誌』幕末・明治編2、南日本新聞社、2013年)、

筆者はその500m北の室町通鞍馬口交差点付近こそが幕末期の「室町頭」と異論を述べた(拙稿「幕末期政治的主要人物の居所考」御厨貴・井上章一編『建築と権力のダイナミズム』所収、岩波書店、2015年)。

 葛城彦一の記す「室町頭」は、室町通上立売上ルか室町通鞍馬口交差点付近が論点となっていたのである。

 当該絵図がこれを解明するものと期待された。が、そもそも当該図が小松帯刀の京都屋敷と判断される根拠は何か気になった。

 担当学芸員町田剛士さんやその情報を得られた桐野さんにより、根拠は袋に「御花畑絵図」と記してあるということと知る。それだけなら必ずしも直結しない。

 いくつかの調整をへて、その週末28日(土)午後7時30分(正しくは遅れて40分)、急きょ鹿児島に飛び、翌29日午前10時半ごろ、絵図と対面した。

「室町通森之木町」、「鞍馬口通小山町」の記載があった。これにより本図が誤りなく探していた近衛家別邸「御花畑御屋敷」を描写したもので、その位置は拙論のとおり、室町通鞍馬口と明らかになった。

約4時間かけて絵図を粗描、担当学芸員町田剛士さんと面談したのち退館、午後7時10分(正確には遅れて40分)発のJALで鹿児島を発った。

(つづく)

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