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2016.06.18

「維新階梯雑誌」31冊発見の報に接して

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 さきほど、池田屋事件に関する新情報を載せた、会津の記録が見つかったという報道に接した。

http://www.sankei.com/west/news/160618/wst1606180029-n1.html

 池田屋事件はともかく、「維新階梯雑誌」が31冊も残っていたのは意義深い(所蔵者は宮内庁宮内公文書館)。

 同史料は明治以後に会津松平家が編纂した記録で、大日本維新史料稿本(東京大学史料編纂所蔵)にも多く収録されているが、部分の引用でしかなかった。

 東京大学史料編纂所にもまとまったものは1冊しか所蔵していなかった(池田屋事件の部分は含まれていない)。

 会津の京都守護職時代の研究に役立つだろう。

 ただしすべての情報が信用に足るとは限らない。使用にあたっては内容の吟味が必要である。

 池田屋事件の部分をざっと見ての雑感を述べておく。

 興味深い内容もあった。たとえば記事が大きく報じた「御上意」発言や、それを部屋の入り口ではなく、浪士の間を割って通って奥に入ってから発言したこと、のちに近藤が「御上意」発言を聞いた浪士などが臆したため、「未た徳川ノ御威光不尽(つきず)」と発言したという伝聞(「由」が付してある)などである。

 しかし事件直後の文書の引用ではない以上、これまでの通説を否定するほどの力はない。価値のある「参考」ていどの情報に過ぎないと思う。事実かも知れないが、そうではないかも知れないという感じといえばご理解いただけようか。

 なお新聞が公開した写真によると、筆写された用紙には「臨時帝室編修局」とある。臨時帝室編修局は『明治天皇紀』を編纂したところで、明治天皇崩御のあと大正3年11月30日に組織された(この呼称は1916年〈大正5〉11月4日以後使用)。

 当該「維新階梯雑誌」31冊は、『明治天皇紀』編纂のため、1916年〈大正5〉11月4日以後、筆写・収集されたものと判断される。

 残念ながら『明治天皇紀』(第一)は、池田屋事件を立項しなかったので、どのていど参考にしたかは不明である。

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