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2016.02.26

豊臣期十口がどこかを考えた

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2016年2月25日(木)はれ

 午前中、昨日あげた八幡の歴史を探求する会の土井さんに掲載写真を3枚お送りする。

 午後から京都新聞文化センターに出講。「御土居絵図を読む」の3回目。豊臣期の復元。

 構築当初の「十口」がどこであるか、こだわってみた。拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)ではふれなかったが、福島克彦さんの所説に従えば、当然東寺口は含むべきで。そしたらみごとに10口になるのね。つじつまあわせみたいで恐縮ですが。これもちゃんと論文にしとかないと。昨日気づいたのだれど、『豊臣秀吉と京都』(文理閣、2001年)の拙稿に出入り口の復元案は示していなかった。

 早めに帰って、娘の育児。奥さんが町内会の会議に参加しないといけないから。お風呂に入れて、夕食いっしょにして、その間に奥さん帰宅して、で早めに寝かしつけ。読み聞かせはシンデレラ。そのまま寝落ち。 

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