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2016.02.29

本日「都名所図会をあるく」中止

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 本日2月29日(月)の「都名所図会をあるく」は、雨天のため中止いたします。  

 次回は来週3月7日(月)です。集合場所・行き先も同じです。どうぞよろしくお願いいたします。

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外勤なしゆえ新選組論などに従事

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2016年2月28日(日)はれ

 外勤がない日。自宅で事務処理と前日の新選組論を文章化する作業などに従事。あとは娘と「しつもんドラえもん」のスクラップなど。ほんらいすべき緊急性のある件はせず。

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2016.02.28

妙満寺跡、桓武朝、新選組の「攘夷」

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2016年2月27日(土)はれ

 午前中、京都市埋蔵文化財研究所による発掘調査現地説明会に参加する。寺町二条の妙満寺跡の本堂の遺構が検出されたため。豊臣期京都研究者として、寺町の発掘成果はなるべく見ておきたいという思い。写真は本堂跡を南側から撮影したもの。

 それから妙満寺は塔頭が多く、幕末期毛利家が使用している。文久2年7月(1862年)に家老浦靱負が使用したほか(御厨貴・井上章一編『建築と権力のダイナミズム』〈岩波書店、2015年〉所収の拙稿を参照)、同年12月に上洛した世子毛利定広も宿舎にしている(~翌文久3年2月)。同寺は僕が生まれてまもなく、洛北幡枝に転じたので寺町時代の姿を知らない。

 ほかには三宅安兵衛遺志碑が2基建てられていた。中川の井碑と雪の庭碑である。いずれも幡枝の現境内庭園に移築されている(『花園史学』22号〈2001年〉所収の拙稿を参照)。

 山田邦和博士とばったりお目にかかる。先日お目にかかったのは先月最終土曜日の京都国立博物館での同じく京都市埋蔵文化財研究所による大仏殿(所謂方広寺)跡の発掘調査現地説明会参加のときだった。え、もう1カ月も経ったのか。

 来月初旬に刊行予定の八幡の歴史を探求する会の機関誌に掲載予定の三宅碑の講演録2に山田博士のことをふれている。そのことを謝したら、記憶にないが確かに言いそうだとおっしゃる。ええ、うそではありません。

 午後から梅田の毎日文化センターに出講。日本史講座と新選組講座。前者は桓武朝。桓武陵の位置に関する所説紹介でまたぞろ山田博士のお話をしようと思ったが、蝦夷征討と河内交野郡の関係あたりで時間切れ。

 新選組は文久3年3月から5月まで。近藤勇のふたつの書翰を読む。「攘夷」という言葉を安易に使わないようにすべきことを述べる。武力行使か、条約破棄の交渉、いずれも同時代史料は「攘夷」と記す。「攘夷」には複数の意味があるのだ。ところが現代人はこれをほとんど武力行使としか解釈していない。史料ごとに筆者が何を伝えようとしているのか丁寧に読み取る必要があると述べたわけ。

 ちなみに「討幕(倒幕)」という用語も同じで、慎重であるべきワード。近藤は同年5月ごろの佐藤彦五郎・小島鹿之助ら関東の支持者に宛てて、「西方諸侯」(おそらくあとに出てくる「薩長土」などを指す)が、表では「幕府」を尊んでいるが、裏では「倒消せん」としていると述べている。これをついつい倒幕を危惧していたと理解し、実際に出来上がった明治維新政府と一緒くたにしてしまうことをおそれるのである。

 その他、なぜ将軍家茂が関東に戻ったのに、近藤らは戻らなかったのか、それと会津容保らの意識などについて考えてみた。

 奥さんがめずらしく夜外出するので、娘を奥さんの実家に引き取りに行き、お風呂に入れて夜を過ごす。本日の絵本も幼稚園から以前にもらってきた、古典ではない新しい作品。 

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2016.02.27

近江屋新助から法雲寺、行願寺へ

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2016年2月26日(金)はれ

 午前中、くずし字研究会に出講。「安場老人」を安場さんという高齢者と単純に理解していたのだが、メンバーの指摘で、安場村の高齢者と解することにした。宛先の方の所在地と近接地やからね。

 本日の課題の史料は、誠に得難いもの。これはすごい。きっと博物館展示クラスだな。量も抜群なので、2回に分けないかとメンバーに言われる。

 終了後、人を誘って裏寺町喜の屋に移動して昼食し、近江屋新助跡で喫茶。向かいが土佐屋敷跡なので写真を撮る(掲示したもの)。そののち法雲寺に昨年拙法人が建てた石碑、行願寺(革堂)の喜捨物を拝観する。

 妻子と皮膚科で合流し、御陵のロームで名物のチーズケーキを買い、おでんの夕食のあと食す。有名なロームのチーズケーキを初めて食した。本日も娘を風呂に入れ、寝かしつけ。絵本は本日幼稚園から頂いた新作品。寝落ち。

 

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2016.02.26

豊臣期十口がどこかを考えた

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2016年2月25日(木)はれ

 午前中、昨日あげた八幡の歴史を探求する会の土井さんに掲載写真を3枚お送りする。

 午後から京都新聞文化センターに出講。「御土居絵図を読む」の3回目。豊臣期の復元。

 構築当初の「十口」がどこであるか、こだわってみた。拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)ではふれなかったが、福島克彦さんの所説に従えば、当然東寺口は含むべきで。そしたらみごとに10口になるのね。つじつまあわせみたいで恐縮ですが。これもちゃんと論文にしとかないと。昨日気づいたのだれど、『豊臣秀吉と京都』(文理閣、2001年)の拙稿に出入り口の復元案は示していなかった。

 早めに帰って、娘の育児。奥さんが町内会の会議に参加しないといけないから。お風呂に入れて、夕食いっしょにして、その間に奥さん帰宅して、で早めに寝かしつけ。読み聞かせはシンデレラ。そのまま寝落ち。 

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2016.02.25

原稿あげて頼朝の上洛を語り甲子戦争を読む

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2016年2月24日(水)はれ

 午前、八幡の歴史を探求する会に今号の原稿を送る。

 午後からよみうり文化センター京都教室に出講。京都の歴史を初歩からまなぶ講座。今回は「源頼朝の上洛」。吾妻鏡や玉葉を使って滞京年譜を作ればよかったと後悔、反省。次回は巡検。

 終了後、1時間弱、懇親。次の業務の忘れ物をしたので一旦帰宅。シュークリームを持ち帰る。三人でおやつ。

 夜、くずし字初級会。今回から西村兼文の「甲子戦争記」(所謂禁門の変の軍記)を読み始める。よいテキストかもしれない。

 

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2016.02.24

皮膚科から日本史講座、税務署、かぐや姫

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2016年2月23日(火)はれ

 午前中、皮膚科に通院。保湿薬をいただく。加齢を感じる話を聞く。

 午後から日本史講座。白河法皇の話のあと、平将門に及び、タイムオーバー。

 終了後、税務署に寄って早めに帰宅。八幡の歴史を探求する会の原稿をたたいて、娘をお風呂に入れて、夕食。寝かしつけ。本日の絵本は、まんが日本むかし話のうち、かぐや姫。寝落ちる。

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2016.02.17

西野由紀氏『みやこ図会ごよみ』を恵贈いただく

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 西野由紀さん(天理大学)から玉著『みやこ図会ごよみ』(人文書院、2016年2月、1600円+税)を恵贈いただきました。

ありがとうございます。学ばせていただきます。

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