天誅組をまとめつつ時野谷勝に行きついて
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本日、時野谷勝の大阪大学退官記念論集を入手(『日本史論集』、清文堂出版、1975年)。
戦前の維新史料編纂官だったことは承知していたが、所収の履歴によれば、事務嘱託や編纂官補を含めてもわずか4年ていどしか勤めておられないようである。
戦後、霊山歴史館顧問であられたり、天誅組論文を2本書いておられるが、あまり幕末史に関わっておられる印象がない。
なのになぜ僕はこの方の名を強く記憶しているのだろうと思っていたら、維新史料編纂以前に、京都府史蹟勝地保存委員会にいておられた(臨時委員嘱託)。『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告』第18冊(1938年)の執筆者である。
それで気づいた。本書には「中合町御土居阯礎石」が所載されている。その執筆者として強く記憶されていたのであった。
つまり時野谷勝は、とても稀少な「御土居」と幕末史と両方論文書いている人といえる。
なお時野谷勝の大阪大学における同僚や教え子に、梅渓昇・竹下喜久男両先生がおられる。両先生は僕の学部・修士時代の師である。故人なので(学史上の人物として)敬称を略しているが、実は後者竹下先生を介せば、時野谷は僕の師の師にあたる。
来たる10月18日(日)に天理大学主催の講演会で天誅組の話をする。研究史のなかで時野谷論文を位置付けていて感じたことを述べてみた。
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