長浜で史料調査継続中
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昨日、長浜市立長浜城歴史博物館で下坂家文書の調査。今年の5月から継続中。
本日は書翰20通を撮影した。
そのなかに嘉永7年4月6日(1854年)の洛中火災を報じたものがあった。
下坂家出身の板倉筑前介(当時の苗字は武田か?のちの淡海槐堂)と江馬俊吉(その実弟、のちの江馬天江)兄弟の動向がわかる。当時2人は、ともに洛中洛外の薬屋と医師に養子に入っている。
板倉が薬商をしつつ仕えた公家邸(おそらく醍醐家)は全焼して、「若殿」は天子統仁(孝明天皇)にお伴し聖護院へ、「大殿」は単身西賀茂の別邸へ避難したなどとあった。
ほかにも年月日不明のものに、「会桑」の動向を記し「追々長州人入京」とあり、元治甲子戦争(所謂禁門の変)直前の様子を伝えたものなどもあった。
この成果の一部を、『みーな』125号(〈特集近江の幕末維新〉本年8月号、長浜みーな編集室)の「忘れられた幕末『志士』板倉筑前介」に載せた。ご覧願います。
史料調査はまだ続きます。
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