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2015.10.25

あらたな新選組論をめざして

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 2015年10月24日(土)

 午前中、対馬宗氏の京屋敷の意義について、やっとまとめた。監事Kさんに送る。

 午後、毎日文化センター大阪教室に出講。日本史講座は、長屋王から藤原四子にいたる奈良時代の政争。

 新選組講座は、第1回目。三野行徳さんを先駆とする文久の浪士取立論を行うつもりが、新選組全体の位置付けを論じる。いわば各論ではなく総論になり、第1回としては意外と良い感じとなった。

 たとえば芹沢鴨殺害は、永倉新八手記が述べるような、単なる素行不良が原因ではなく、八月十八日政変や天誅組の乱を背景にした政治的事情があったのかもしれないという持論を展開。

 あさくらゆうさんが発見し新聞コメントされた件に注目している。

 なぜ芹沢鴨が有栖川宮家に近づいたことが(中身がなくても)大事なのかを、古高俊太郎や池田屋事件を事例にあげて述べた。本当は元治甲子戦争(所謂禁門の変)での有栖川宮家の動きを事例として使うべきだったのだが、忘れていた。

 山南敬介(敬助)や河合耆三郎らの死が、内部対立や事務処理違反ではなく、政治的事情であったらどうします的な煽動もした。ようは「新選組史」とでもいうべき、時代史から切り離された扱いからの脱却(2003年の松浦玲さん以来の)を目指すことの宣言の様なことを改めて述べたということ。

 あらためて本日も平尾道雄の浪士論整理が不可避などと述べる。また以前も述べたが、高木俊輔さんの草莽運動論もしかりである。

 あと奈良本辰也から松浦玲さんの研究系譜も改めて位置づけなおすべきだろう(故人は敬称略)。

 終了後、結城詩さん(芸名)に気づかせていただいたことをひとつ。

 文久3年末に慶喜急死の報が当時のイギリスの新聞に載っている由。国内の風説留では見たことないが、十分あり得る。

 元治元年上半期に会津容保の暗殺が流れたのと同理由だろう。長州や親長州浪士が政敵を揺さぶる時の常套行為。海外史料はデマでも役に立つ。

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