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2015.09.06

頑迷な前原一誠を講ずる

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 昨日、名古屋市中区の栄中日文化センターに出講。

 吉田松陰講座の最終回。前原一誠(佐世八十郎)を取り上げた。

 明治9年(1876)11月、萩の乱の首謀者として捕縛された前原一誠が、山口県職員清水清太郎に発した当時の政府への不満が興味深い。

 地租改正を嫌い、武士存続を願い、樺太・千島交換条約を否定する。明治政府の志向なんて稀少も理解できていなかったのだろう。参議・兵部大輔をつとめ、対立していた木戸孝允はともかく、大村益次郎や広沢真臣、伊藤博文、井上馨、山県有朋などとともにいて、なぜこんなに頑迷なのか。

 この前原一誠が松陰から期待され、高杉晋作の識見や久坂玄瑞の才に及ばないとしながらも、「其人物の完全なる」は高杉・久坂も遠く及ばない、資性は宮部鼎蔵に近いと評されたのも興味深い(「子遠に語ぐ」安政6年1月27日〈1859年〉)。

 宮部鼎蔵が明治まで生きていたら総理大臣になったなんて言う向きがあるがいかがなものか。戦死した元治元年(1864)の評価が明治以後も同一とは限らない。

 前原も維新前に亡くなっていたら、さぞかし素敵な未来を夢想されたことだろう。

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