2つの天誅組関係史料を読んで
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昨日、いつものくずし字研究会で読んだ2点の天誅組関係史料について。
1点は十津川郷士が天誅組に巻き込まれて一緒に朝敵にならないように配慮せよという、文久3年9月(1863)の中川宮朝彦親王の御沙汰書。
これまで『十津川宝蔵文書』(1981年、十津川村教員委員会)所載の伊勢藤堂新七郎宛のものは知ってたのだけれど、今回我々が読んだのは、彦根侯井伊直憲宛のもの。ほとんど同文。ということは、他にもたとえば郡山侯柳沢家に宛てたものなどもあるんだろうなという感想。
もう1点は彦根井伊のある家臣が天誅組追討のさなか「過酒」をしたため、主君直憲から扶持切米を没収され隠居を命じられたもの(同年11月26日付、複数の家老宛)。
この人物に前科があったというのもあるのだが、戦場での深酒というのはどういう問題をおこした上でのことだろうと気になった。風説史料にでもこの顛末を書いたものはないかしらと思った次第。
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