« 特別学習会、洛中惣構の土居堀(所謂御土居)の座学・巡検・史料参観 | トップページ | 新出の久坂玄瑞書翰に接して »

2015.08.05

天誅組重要史料を読んでいる

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。

 天誅組の乱の重要な史料を読みつづけている。たとえば、鎮圧のために出陣した、伊勢の藤堂新七郎の陣所に出頭した天誅組の使者渋谷伊予作が持参した口上書。

「このたび当地に発向した趣意は、去月13日に御親征が仰せ出されたので、義兵を募り、鳳輦を御守護するつもりであったが、同月18日松平肥後守(容保)が逆意を企て、不法にも御所内に押し入り、恐れ多くも主上(統仁)を押し込み奉り、偽命によって四方に号令を発したことは痛嘆に堪えない。

 この上は同志・諸大名に申し合わせ、右逆賊を放逐いたし、宸襟を安んじ奉りたいという思いであったところ、名のある諸大名家よりも使者をもって、大挙して在京の逆徒を征討すべきことを申してきた。

 貴家がかねて勤王の志のあることは承知している。間違いなく逆徒追討の御策略もあることと思う。それにもかかわらず、このたび五條へ手向かいの様子をみると、官軍へ敵対するようにも見える。念のため談判し、何を思っているのかきちんと承知いたしたいと思う。追伸、五條代官支配地について、すでに村々は禁裏御料に改めたはずであるが、このたび(貴家の領地として)増加されたと承った。何者より拝領したものか。承りたい」。(文久3年9月5日〈1863年〉。意訳)。

 桜井寺は直前まで天誅組の陣所だった。そこへ伊勢藤堂氏が陣を張ったことに対する威嚇。このあと渋谷は捕縛される。渋谷伊予作の存在は意外と大きい。藤堂は捕えた渋谷の見解に動揺し、追討に来ながら京都の会津容保に対して天誅組への理解を示す。このあたりは浪士論の重要なデータ。

|

« 特別学習会、洛中惣構の土居堀(所謂御土居)の座学・巡検・史料参観 | トップページ | 新出の久坂玄瑞書翰に接して »