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2015.07.23

幕末研究、いま思っていることを書き出してみた

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 幕末、文久・元治期の研究で生涯終えそうな。

 板倉筑前介の解明もその一環だし、知足院夢覚も結局は土佐山内家の洛東大仏居所をめぐる楢崎将作遺族の動向を知りたいという欲求につながっている。

 寺島忠三郎に関心を持ち出したのも、八月十八日政変後から甲子戦争(所謂禁門の変)に至る京都政局の中枢にいるわりに(古高俊太郎をスカウトし、有栖川宮家と毛利家の交流に関わっているほか、久坂義助の代わりに来島又兵衛とともに山口へ進発実現説得に向かったなど)、伝記のひとつもない人物で未だつかみきれていないところと気づいたから。

 政変以後の京都留守居役、乃美織江も気になっているのだけれど、いまだ放置状態。

 もちろん洛中惣構も。

 幕末期、京都は大きく土居堀に囲まれていた。そういった景観をほとんど意識されず幕末京都は語られている感が強い。長州が京都に攻め込んだとき、北・西・南は連続した竹藪に囲まれていた。兵はその出入口しか通れなかった。どこからでも攻め込めたわけではない。これも具体的な像を提示しておかないといけない。これなどは急務のひとつといえる。2012年の軍事史学会例会で報告ずみなのだが、まだ活字にできていない。

 在京浪士の組織化の問題も。結果として新選組のみで維持される京都守護職下の浪士であるが、もとは関東の浪士集団ではなく、上方でも組織される予定だった。その挫折とそのころ起きた某事件はつながりがあるのではないかという見込み。このあたりも語るばっかりで活字化できていない。

 いや、2012年秋の維新史学会大会での「池田屋事件再考」の成稿が最も急務。三宅碑論文と同様、ほぼできているのだから。まずい。

 政治的主要人物の居所と行動論もつづけなければ。木屋町通の長州人の居所特定(「路次」位置の復元)作業がまだ途上。昨年の「元治元年から150年」講演会で一部を公開した坂本龍馬の居所表はほぼ完成している。この成稿も急務。これを久坂玄瑞だの、寺島忠三郎だのと増やして行きたいところ。

 いちおういま何を考えて何をしているのか、一部を書き出してみた次第。

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