松陰だけではない安政大獄の毛利家
※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。
昨日の京都新聞文化センターの松陰講座は、「安政の大獄と長州毛利家―吉田松陰の周辺」をいたした。安政の大獄における毛利家といえば、吉田松陰のみに特化されるが、決してそうではない。松陰関係史料だけではなく、「井伊家史料」(大日本維新史料のうち)などによって実態解明を試みた。
たとえば公家屋敷への投書問題では、従前松陰の筆跡だと梅田雲浜が指摘したので、松陰は江戸送りにされたといわれる。
が、実は松陰だけではなく、文章の「中程より末文」までは赤祢武人の筆跡に「七八歩程似寄」ると頼三樹三郎(三樹八郎)と梅田が証言している。しかし赤祢は江戸送りにはならなかった。
その他、大楽源太郎や久坂玄瑞、中村道太郎(のち九郎)、宍戸九郎兵衛(のち左馬介)、周布政之助など毛利家中の者が多数話題にされている。
毛利家にとっての安政大獄の嫌疑は、松陰だけとは決していえない。
それにしても文久・元治期長州毛利家を研究対象にしていると、故梅田雲浜のネットワークが活きていることをビンビン感じる。梅田の供述に登場する人物が、文久・元治期に活躍する者やその周辺の人物が多いのである。
梅田研究は安政大獄で終えてはいけない。たとえば池田屋事件犠牲者は、古高俊太郎・大高又次郎・西川耕蔵及びその家族が、梅田門下かその至近にいる者である。
| 固定リンク

