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2015.06.23

乙訓大原野をあるいた

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 本日の「都名所図会をあるく」では、小塩山十輪寺、栢社(山城国乙訓郡)を拝観。

 十輪寺では案内下さった女性の語りに胸打たれることがあった。

 栢社は現在「大歳神社」を名乗っている。延喜式に掲載された神社の名前である。京都市の登録史蹟であることが意外だった。恥ずかしながら知らなかった。ネットで登録理由を読んだがよく分からなかった。式内社であることが実証されるほど文献が残っているわけではないし、乙訓郡に限定しても特筆すべき荘厳な杜とも感じられなかった。僕の見識が低いからなのか、不思議なまま。

 栢社の前に「平安徳義会」があった。いろいろ思うことあり。もとは洛東岡崎にあった。創始者は田中泰輔。ちなみに子息は京都屈指の郷土史家田中緑紅。

 帰りは「淳和天皇陵」を示す大阪皇陵巡拝会道標と、「大原野村道路元標」を灰方郵便局のそばで確認して満悦。

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2015.06.21

指月伏見城の石垣・堀は常時公開しての保存を望む

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 去る6月19日(土)、指月伏見城(京都市伏見区)の石垣・堀を拝見した。
 位置をはじめ、実態不明だった同城が初めて姿を現した。
 
 聚楽城から木幡伏見城(豊臣秀吉終焉地にして、徳川家康・秀忠・家光の将軍宣下の地)へ至る天下人の城郭技術の変遷を知るうえで極めて意義深い成果である。
 同遺構が保存に向かっているようにいろいろ情報が入ってくるが、埋め戻すのか、公開性のあるものとするのか、いまだ不明。
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 先年の聚楽城本丸石垣(京都市上京区)のように、埋め戻してしまえば事実上2度と見れない。当日来れなかった方、今後生まれる人達のためにも公開状態での保存を強く求める。
 関係者の賢明なる判断を心より願う。
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 もちろん国史蹟の指定が前提である。
 いまだに聚楽城も伏見城も本体はまったく文化財指定を受けていない(ただし伏見城は石垣の一部が京都市登録史蹟)。他の都市なら考えられないことだ。

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2015.06.18

『角倉一族とその時代』、その後

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 森洋久氏編『角倉一族とその時代』(思文閣出版)、アマゾンでは6月15日刊行予定から7月10日に変わっていた。

 思文閣出版のホームページでは、未だ6月刊行予定とある。どちらが事実だろう。執筆者ですが、知りません。

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2015.06.16

『角倉一族とその時代』未刊

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 本年6月15日、森洋久氏編『角倉一族とその時代』(思文閣出版)が刊行されるとアマゾンに告知されているので、昨日大型書店2軒廻ったが、見当たらなかった。拙稿「御土居藪と角倉与一」が収載されている。

 家に帰っても見本が届いていなかったので、未だ刊行されていないようだ。思文閣出版のホームページにも未刊とあったし。

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2015.06.14

宇和島に行っておりました

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 明治維新史学会大会に出席のため、伊予宇和島に行っておりました。さきほど帰りました。有意義でした。到着早々、高野長英住居跡、児島惟謙誕生地、穂積陳重・八束兄弟誕生地、大村益次郎住居跡などに参りました。

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