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2015.05.02

京都における湖北の幕末史蹟をあるいた

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2015年4月30日(木)はれ  

 長浜城歴史博物館の太田浩司さんと、長浜み〜な編集室の小西光代さん、西島進一さんと一緒に京都における湖北の幕末史蹟を歩いた。主に板倉筑前介(淡海槐堂)、西川耕蔵ゆかりの地である。近年稀な楽しい時間だった。充電された気がした。お気遣いも多数いただいた。

 西川耕蔵は、滋賀県の旧東浅井郡びわ町南浜(現長浜市)出身である。近く『長浜み〜な』に湖北の幕末が特集される由。西川を取り上げることを強く求めて、承諾いただいた。西川の地元での名誉回復の始まりに関われた幸福に感謝している。巡検中龍馬が斬られた近江屋跡に行く途中、たまたま裏寺町六角下ルの西念寺跡(西川菩提寺、現在市内西京区大枝に移動)に出た時は震えんばかりだった。今日はきっと西川耕蔵も付いて来てはったと思った。

  西川耕蔵は池田屋にいたことが確実な人物の1人である(拙著『池田屋事件の研究』314〜315頁)。六角牢屋敷につながれ、元治2年2月11日(1865年3月8日)、病で獄死した。埋葬地は不明だが(遺族に遺体は渡されなかったらしい)、一族の近江新報社社長西川太治郎が母妻の菩提寺西念寺に気づいて建碑した。

『長浜み〜な』に志願して、板倉筑前介(淡海槐堂)と西川耕蔵を書かせていただくことになった。分量は少ないですが、新たな史料と視点で書ければと願っている。

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