久坂玄瑞の養子と実子の話をした
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2015年4月21日(火)はれ
午前中、NHK文化センター京都教室に出講。久坂玄瑞の妻杉文宛書翰を読むの2回目。おもに文久2年(1862)から3年のものを読んだ。
久坂が八月十八日政変のころに迎えようとした養子粂次郎(小田村伊之助・杉寿の次男)にふれる。最後の上洛直前久坂は、おそらく山口で粂次郎に添い寝する。実際にその養育にあたっていた小田村伊之助・杉寿夫妻は、その当時すでに山口に居宅を持っていたのであろう(慶応3年〈1867〉に山口に小田村の居宅があったことは野村望東尼の防州日記によって分かる)。
妻宛書翰によって、亡くなる直前まで粂次郎を大事に大事に思っていたことがわかる。ところがその久坂の死後に実子秀次郎が生まれる(生母不明〈桔梗屋辰路だと実証できないし、否定もできない。佐々木ヒロは何者かほとんど消息不明〉)。これが実に興味深い。というような話を次回につなげた。
午後から「日本の歴史、いまあのころ」に出講。難波京朱雀大路の西側溝かという遺構の検出と、大坂城東堀跡から多数の石垣や瓦が出た話、地理学者河角龍典さんの急逝などについてふれる。本編は奈良時代、恵美押勝の乱の前篇。
夕方から大谷大学に出講。歴史地理学と歴史地理史学の研究視点の違いを、御土居堀を題材に論じてみた。
おみやげはお寿司、娘にやきそばとだしまきたまご。
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