石川丈山旧蹟の異例な保護に違和感
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2014年8月11日(月)はれ
午前中、「都名所図会をあるく」に出講。本日は北山御坊親鸞聖人の旧蹟(西本願寺北山別院)、天王社(八大神社)、詩仙堂を訪ねる。
北山別院の「霊水」の水が満ちていることに感銘。「聖徳太子影向石」も存在して、いろいろ感じ入る。もう少し手入れくださったらありがたいです。
なじみ深い山科西別院の旧名「舞楽寺」が、北山別院の本堂を移築したところから来たとは記憶からぬけていた。
詩仙堂(石川丈山居宅)が早くも1928年(昭和3)3月に国史蹟に指定されていることの違和感を感じる。近世の隠者の居宅がなぜ当時それほど評価高かったのか。
そういえば石川丈山の墓も単体で国史蹟だ(詩仙堂に2か月先立つ1928年1月)。京都府内(市内ではなく)で、古墳をのぞいて単体で墓が国史蹟指定を受けているのはこれだけ。
わかりますか。陵墓は当然としても、和気清麻呂も、信長も、秀吉も、龍馬も、木戸孝允も、京都府内に墳墓をもち、高校日本史教科書に載っている者のそれが、全く国史蹟に指定されていないのだ。
石川丈山墓、何かわけがあるな(たとえば破壊危機があったとか)。きわめて興味深い。
午後からは、また洛西K家文書調査。本日も重要な発見あり。本日から史料カードの作成を始めた。
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