豊臣秀次供養墓発見報道を受けて
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本日、下京四条寺町下ルの大雲院跡で、豊臣秀次供養墓の基礎が見つかったという報道を受けて思ったこと。http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140821000106
大雲院はもと織田信長とともに滅んだ信忠の供養所として創建された。もとは二条烏丸にあったが、のち秀吉の京都改造で寺町に編入された。
開基は貞安(ていあん)である。
その貞安が三条河原で殺される秀次一族に引導を渡したとか、死刑場に地蔵菩薩を持ち込んだなどと伝承されているし、大雲院には秀次側近の粟野木工助や白井備後守の墓が存在するから、秀次供養墓が同院にあっても何の不思議もない。
ただ京都墳墓調査の金字塔、寺田貞次『京都名家墳墓録』に、同院に秀次の供養墓は紹介されていない。粟野木工助や白井備後守の墓は紹介されている(復刻版、177頁)。
つまり秀次供養墓はかなり早くに廃棄され、それがこのたび出土したということだろう。聚楽城跡や秀次事件の再評価が始まった今日、意義深い発見といえる。
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