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2014.08.29

除幕式、伏見黒田長政下屋敷跡参考地碑

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各位

除幕式のご案

 

益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、本年のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」のゆかりの地である『伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地』に、このたび石碑および解説板を建立致すこととなりました。

 そこで、除幕式を下記の日時に執り行うこととなりましたので、ご案内申し上げます。

ご多用中のこととは存じますが、もしお時間が許しましたら、ご参集いただけますと誠に幸いでございます。

 

1.除幕式

日 時  平成26年8月30日(土)  13時30分より

建碑場所 京都市伏見区深草大亀谷敦賀町 

 JR奈良線 藤森駅より 東へ徒歩約20分

    *バスなどの交通機関がございません。 

  

 

 

2014年(平成26)8月吉日

特定非営利活動法人 京都歴史地理同考会 事務局

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2014.08.27

都塚とか秀次とか吉村貫一郎とか

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2014年8月26日(火)はれ一時あめ

 朝イチで日本史講座に出講。朝早いのにたくさんお越しくださいました。最近の新聞報道は二週前の都塚古墳(明日香村)の成果、「昭和天皇実録」刊行、豊臣秀次供養塔基礎発見(京都市)、新選組吉村貫一郎素性解明の件(岩手日報)など。

 本題は仏教公伝ののちの蘇我・物部の対立など。

 午後は洛中研究室で懸案の原稿に向かうが進まず。リハビリいうてられんが、再生の苦闘中と位置付け。夜は寝かしつけできました。

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2014.08.26

八瀬で楢崎将作の墓参

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8月24日(日)

 外勤がなかったので、ずっと家にいた。

8月25日(月)あめのちはれ

 「都名所図会をあるく」に出講。天候ややこしかったのに、けっこうお越しになる。八瀬から大原へ。

 玉山稲荷社が旧八瀬遊園にあったと、竹村俊則の校注本にあったので、その跡地にあるエクシブ京都・八瀬離宮に残されているのか訪ねたが、すでに無し。「都名所図会」によれば、もと内裏にあった祠で、享保年間に高野村に移った由。もったいないね。

 いったいどうなったのか、調べてくれると担当さん(女性)。ありがとうございます。丁寧に対応くださいました。

 そのあと八瀬旧集落まで歩いた。竃風呂(京都市登録文化財)を拝観。ほんまは大原に入るべきなのだが、時間がなく、裏寺町蛸薬師から移転した西林寺に行く。もと寺町寺院だしというのと、坂本龍馬妻の実家楢崎将作とその先祖の菩提寺というので。「楢」文字だけ見える墓石を拝む。ほんとに楢崎将作の墓碑か分からないけど。

 そのあとバスに乗って洛西へ。午後2時からK家文書調査に従事。既知でない大事な文書一通確認す。

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2014.08.24

幕末な生活つづく

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2014年8月22日(金)

 午後からくずし字研究会。会津家臣日記も巻二に入った。K家文書の検討も開始した。

午後3時30分、洛中研究室でC新聞記者さんから取材を受ける。事前に問われたことをまとめておいたので、けっこうあっさり終わった。

 本日も娘の寝かしつけをいたしました。

8月23日(土)はれのちあめ

  午後から大阪市梅田の毎日文化センターに出講。日本史講座と幕末史講座。前者は縄文文化、後者は龍馬殺害。

 洛東山科に戻ってきたら急に強雨。そんななかで家へのみやげを買う。ギョウザと焼きそばです。帰宅したら家に誰もいなくて、いろいろ探した結果、近所の地蔵盆に参加していた。迎えに行って、いっしょに帰った。本日も寝かしつけができました。

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2014.08.23

名古屋へ

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8月21日(木)

 名古屋市の栄中日文化センターに出講。「日本の城と合戦」と「もう一度日本史」講座。前者は黒田官兵衛がテーマで、九州攻めと小田原攻め。後者は元寇。

 終了後、F橋さんにK家文書についてお伝えする。

 娘が父の帰宅を待っているということで、あわてて帰宅する。まだ起きていた。寝かしつける。

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2014.08.22

岡田有希子の誕生日です

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 本日は、故岡田有希子(本名佐藤佳代)さんの誕生日です。存命なら47歳でした。冥福を祈っております。埋葬地は愛知県愛西市(旧佐屋地域)の成満寺です。

http://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/23232/L0716569/

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豊臣秀次供養墓発見報道を受けて

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 本日、下京四条寺町下ルの大雲院跡で、豊臣秀次供養墓の基礎が見つかったという報道を受けて思ったこと。http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140821000106

 大雲院はもと織田信長とともに滅んだ信忠の供養所として創建された。もとは二条烏丸にあったが、のち秀吉の京都改造で寺町に編入された。

 開基は貞安(ていあん)である。

 その貞安が三条河原で殺される秀次一族に引導を渡したとか、死刑場に地蔵菩薩を持ち込んだなどと伝承されているし、大雲院には秀次側近の粟野木工助や白井備後守の墓が存在するから、秀次供養墓が同院にあっても何の不思議もない。

 ただ京都墳墓調査の金字塔、寺田貞次『京都名家墳墓録』に、同院に秀次の供養墓は紹介されていない。粟野木工助や白井備後守の墓は紹介されている(復刻版、177頁)。

 つまり秀次供養墓はかなり早くに廃棄され、それがこのたび出土したということだろう。聚楽城跡や秀次事件の再評価が始まった今日、意義深い発見といえる。

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2014.08.21

松陰と石碑銘と土石流災害と

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2014年8月19日(火)

 朝1番にキャンパスプラザ京都に行き、情報が届かなかった方々にわびる。するとM本さんが先に行っていてくださって、来訪者にすでに通知してくださっていた。感謝。

 NHK文化センターに出講。吉田松陰と杉文講座。今回は松陰の人権意識について、同囚高須久、宮番登波、実弟杉敏三郎、門弟吉田稔麿を取り上げる。

 昼は二条室町のブルービートでランチ。本日はすこし遅くても売り切れてなかった。

 午後から洛中研究室で石碑銘文にあたる。やっとできる。帰宅し推敲し、担当Kさんに送る。

同年8月20日(はれ)

 朝、広島市での土石流災害のニュースにくぎ付けになる。

 そろそろ外勤に出ようとしたら、二件も重要なメール・電話が入っててんてこ舞いとなる。ひとつはC新聞からの取材依頼。

 午後から洛中研究室でゼミ。今朝の土石流災害を話題にする。ハザードマップの活用など。

 夕方、C新聞記者さん来訪。少し歓談。夜、木屋町六角「R馬」に寄り、用事する。

 

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2014.08.19

修学寺村から八瀬、霊山に

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2014年8月18日(月)はれ

「都名所図会をあるく」に出講。今回は洛北旧修学寺(しゅがくじ)村から八瀬へ。赤山禅院(旧赤山社)、御蔭社。

 午後からは洛東霊山の霊明神社。すべきことがいっぱいあるなあ。

 

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2014.08.18

芹沢鴨殺害の政治史上の意味を考えてみた

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2014年8月17日(日)はれ

 午前中、京都府立鴨沂高校での発掘調査現地説明会に行く。二日連続現説参加なんて、近年記憶にない。豊臣期の寺町寺院跡が検出されたのだ。行かないわけにはいかない。

 鴨河原を埋め立てて寺町がつくられたことは自明なのだが、その寺町整地層が予想外に薄くて驚いた。後世の整地の方(宝永の大火後の建物や鴨沂高校など)が圧倒的に分厚かった。

 午後から「幕末政治史のなかの新選組」に出講。今回は八月十八日政変後の壬生浪士。で、平野国臣を逮捕しようとした縄手三条の豊後屋襲撃などを取り上げる。

 政変の直後、会津容保が壬生浪士に京都市中見廻りを命じたことを周知させる町触が出された。これまでの市中警備は私的なものだったらしい。

 容保が反長州の立場を取るのは政変以後のこと。足利将軍木像梟首事件からというのは誤解。壬生浪士もそれに従っている。だから上洛後から会津や壬生浪士(のち新選組)が長州と睨み合っていたように描くものがあるが、非事実。

 このあと芹沢鴨が殺害される(文久3年9月16日か18日)。これを素行不良と理解してきたが、会津の政治的判断だったのではないかと最近考えている。あさくらゆうさんが見つけられた有栖川宮の日記に芹沢が仕官を求めたという話、けっこう注目している。

 政変から芹沢鴨殺害までの間の政治史で無視してはならないのは、大和で天誅組の乱が継続していること(同年8月17日から9月下旬まで)。これと芹沢鴨の殺害は関係しないか気になっているのだが、もちろん現段階では妄想です。そんな話をしました。

 

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2014.08.17

地下に眠っていた洛中惣構の堀に会えた

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2014年8月16日(土)くもりのちあめのちくもり

 午前中、八条油小路での発掘調査現地説明会に参加(調査主体は、京都市文化財保護課から委託を受けた財団法人京都市埋蔵文化財研究所)。洛中惣構(御土居堀)の堀が検出されたから。

 この遺跡はまもなく壊される。他の場所には国史跡(場所の重要文化財)に指定された「兄弟」が9個所いるのに。神奈川県小田原市や石川県金沢市では、城下町惣構の土塁や堀を検出すると買い上げ、文化財指定し保存を進めているのに。

  今回の場所は京都駅八条口の真前で、この部分を買い取り公園化すれば、御土居堀を観光客に示すに最適の場所といえる。それが進められず、すでに破壊が決定しているというのは、実に残念だ。

 御土居堀が日本都市史上いかに重要な施設であるかは、すでに拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)その他で述べている。くりかえさない。

 それでも少しずつは進んでいると思っている。御土居堀が検出されても、つい最近まで現説さえなかったのだ。八条・九条間の油小路では過去に複数回洛中惣構の堀が検出されているのに、現説は今回初めてだったと思う。保存はしないが、事実の啓発はしようとしてくれているのだ。少しずつだが良くなっているのだ。

 明日、もっとよくなりますように。

 夜は、義父の誕生会で焼肉をいただく。義弟も摂津から帰宅していた。

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2014.08.16

お母さんの方がいいなんて言われる

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2014年8月15日(金)はれ

 午後からくずし字研究会に出講。本日も会津家臣日記をよむ。次回で巻一が終わる(文久3年4月)。継続して読むことの意義をかみしめている。松平容保の忙しさ、そりゃ倒れるわとか。実に具体的。

 終了後、Kさんと裏寺町喜の屋で昼食。

 本日は奥さんが夜お出かけなので、娘と二人で過ごす。食事や視聴テレビ、かなり甘やかす。それなのにお母さんの方がいいなんて言われる。

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2014.08.15

妻子と両親宅へ行く

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2014年8月14日(木)くもりのちはれ

 午前中、大学業務ひとつ終える。締め切り過ぎず提出できた。

 午後から妻子と両親宅へ。遅れた母の誕生日祝いの会。それにもかかわらずそうとう御馳走になる。自動車専用道路、対向車線がかなり混んでいた。父に洛西K家文書の話をする。

 午前中曇っていたから、洗濯物を入れて出かけたが、午後から晴れた。奥さんがずっと残念がっていた。晴れるなら外に干して行けばよかったというわけ。なかなか難しい。そういう日に限って夕方雨がふったりする場合がある。

 

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2014.08.14

寝かしつけに間に合わず

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2014年8月13日(水)はれ

 午後から洛中研究室で中村ゼミ。洛西K家文書の解説、本能寺の変などが題材となる。Kさんが読んで下さった釈文の年次が問題となる。事実が少ないので、決定できない。が、話は膨らむ。

 帰宅が遅れ、娘の寝かしつけに間に合わず。

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2014.08.13

ダブルマジンガーが大切にされていてうれしかった

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2014年8月12日(火)はれ

 午後からキャンパスプラザ京都での日本史講座に出講。摂津今城塚古墳や仏教公伝のお話。来週8月19日はお休みでした。失礼しました。お気を付けください。

 一旦帰宅し、妻子とともに洛西太秦の東映映画村に行く。30余年ぶり。午後5時30分より少し前に入って、閉館9時までいた。

 妻子のことはともかく、閉館直前に過去のアニメ館みたいなところがあるのに気づき、おそるおそる入ると、まず入り口にグレンダイザーがいて声をあげ、中に入って巨大なマジンガーZがいて感心し、さらに奥に片づけられているが明らかにグレートマジンガーと思われる巨大なものにも気づき、絶句する。

 マジンガーシリーズが大切にされている空気に感嘆。ひとりでまた来ようと思った。

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2014.08.12

【休講】来週の「中村武生の日本の歴史、いま・あのころ」

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【緊急連絡】

来週8月19日(火)の「中村武生の日本の歴史、いま・あのころ」は休講です。どうぞお間違えなく!

次回は、

再来週の8月26()午前9時10分~10時20分(1時間強)です。

詳しくは以下をご覧ください。↓

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石川丈山旧蹟の異例な保護に違和感

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2014年8月11日(月)はれ

 午前中、「都名所図会をあるく」に出講。本日は北山御坊親鸞聖人の旧蹟(西本願寺北山別院)、天王社(八大神社)、詩仙堂を訪ねる。

 北山別院の「霊水」の水が満ちていることに感銘。「聖徳太子影向石」も存在して、いろいろ感じ入る。もう少し手入れくださったらありがたいです。

 なじみ深い山科西別院の旧名「舞楽寺」が、北山別院の本堂を移築したところから来たとは記憶からぬけていた。

 詩仙堂(石川丈山居宅)が早くも1928年(昭和3)3月に国史蹟に指定されていることの違和感を感じる。近世の隠者の居宅がなぜ当時それほど評価高かったのか。

 そういえば石川丈山の墓も単体で国史蹟だ(詩仙堂に2か月先立つ1928年1月)。京都府内(市内ではなく)で、古墳をのぞいて単体で墓が国史蹟指定を受けているのはこれだけ。

 わかりますか。陵墓は当然としても、和気清麻呂も、信長も、秀吉も、龍馬も、木戸孝允も、京都府内に墳墓をもち、高校日本史教科書に載っている者のそれが、全く国史蹟に指定されていないのだ。

 石川丈山墓、何かわけがあるな(たとえば破壊危機があったとか)。きわめて興味深い。

 午後からは、また洛西K家文書調査。本日も重要な発見あり。本日から史料カードの作成を始めた。

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2014.08.11

台風接近ゆえ

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2014年8月10日(日)あめ

 娘と琵琶湖に行くつもりだったが、台風11号接近のため中止する。

 どれだけぶりか、外勤なく一日在宅。いろいろしたかったのに、ほとんど何もしなかった、ああ。

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2014.08.10

大文字は「だいもじ」と読んだ由

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8月9日(土)あめのちくもり

 台風11号、上方に接近中。夜に予定されていた幼稚園父のソフトボールチーム懇親会が当日に延期になった。

 台風にともない職場待機を命じられた方が数名おられたからの由。延期はけっこうなのだが、キャンセル料、発生しなかったのだろうか。

 午後からくずし字初級会に出講。都名所図会の大文字送り火の部分を読んだ。「だいもじ」とルビがある。当時(安永9年〈1680〉)は「だいもんじ」じゃなかったらしい。

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2014.08.09

洛中まで琵琶湖花火の音が聞こえていた

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2014年8月8日(金)

 昼からくずし字研究会。吉村虎太郎書翰を読む。あとはいつもの会津家臣日記。文久3年4月20日(1863年)まで。

 夕方から洛中研究室で林屋辰三郎『京都』を読む会。山田邦和博士のご報告。建春門院平滋子陵の位置の再検討をなさる。

 終了後は、二条室町のブルービートで懇親。琵琶湖花火の音が洛中まで届いていた。雨降っていたので、当初は雷かと思った。

2014年8月7日(木)

 午前中、NHK文化センター京都教室に出講。日本史講座。鎌倉時代の元寇を話題にする。

 昼は裏寺町の「喜の家」。午後からR神社に参る約束だったが、葬祭が入った由で中止。夜、奥さんと娘が六波羅へ。六道まいり。僕は家で業務。

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2014.08.07

つくねとちらし寿司のみやげ

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2014年8月6日(水)はれ

 昼前に某所の予約に行く。そうそう。朝、Y博士からマル秘情報ゲット。感謝。

 午後から中村ゼミを洛中研究室で。Hさんお休み。昔のセクハラ事件とか、時代考証学会のこととか、某稲荷社のおみくじのこととか話題となる。あと洛西K家文書の話も。文書のひとつの翻読をKさんに押し付ける。

 娘につくねのみやげ。寝かしつけにまにあう。奥さんにはちらし寿司。明日、食べるらしい。

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2014.08.06

夜はピザ

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2014年8月5日(火)はれ

 奥さんが人間ドックに行って、娘も義母宅に移り、朝は僕だけ。

 お昼から日本史講座に出講。継体大王とその周辺のお話をする。次回は安閑・宣化、欽明併立と仏教公伝。

 夜、近所にピザ店ができたのでみなで買いに行く。取りに行けば1枚料金で2枚いただける。珍しい夕食。娘は初めてか。

 昨日撮影したK文書の検討を少し。

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2014.08.04

瓜生山の勝軍地蔵消失す

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2014年8月4日(月)午前中はれ

 都名所図会をあるくを執行。

 本日は出町柳駅に集合して、干菜寺・勝軍地蔵に行く。

 また「都名所図会」にあった旧蹟の消失を知った。それが勝軍地蔵。せっかくしんどい目して登山したのに。

 ふもとの禅法寺に移されていた。いろいろ感じ入った。

 午後は洛西山田村へ。旧家の史料調査。感動しました。ええ。

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2014.08.02

名古屋で松陰の最後を話した

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2014年8月2日(土)はれ

 まだ筋肉痛は残っている。

 栄中日文化センターに出講。吉田松陰と久坂玄瑞講座。本日は松陰の死。留魂録やその周辺の書翰を読む。高杉晋作や飯田正伯、尾寺新之丞宛など。

 飯田正伯はその最期がひどいので、松陰門下を語るときタブー視するむきがあるが、松陰の死の前後の活躍ぶりは、それをさしひいてもあまりあると思う。

 あと松陰在獄中の牢名主沼崎吉五郎が留魂録を野村靖にとどけたエピソードについて、別ネタをふくめた述べた。それは最初に楫取素彦のところへ情報が届けられていた点。

 これを指摘したのは、松陰研究の先人広瀬豊。

 時期も野村がいう明治9年は記憶違いで、広瀬のいうように楫取日記に記される明治7年だろう。たんに譲られたのではなく、謝礼も含めてそうとうな金額で買い取ったというのが正しいのではないか。

 古川薫さんが小説に取り上げておられるが、そのあたりは無視された。残念だ。古川さんは楫取素彦がかかわっていることをご存じなかったとは思えないし。

 あ、本日は松陰の誕生日2日前(文政13年8月4日。グレゴリオ暦1830年9月20日)

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2014.08.01

龍馬の内祝言の日だ

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2014年8月1日(金)はれ

 筋肉痛はまだ続いている。が、昨日からだいぶ通常生活に戻りえている。

 今日は楢崎龍の回想によると、元治元年の坂本龍馬との内祝言の日だ(グレゴリオ暦1864年9月1日)。

 ただしこの時期に内祝言があったとしても、8月1日に龍馬は在京していない。

「海舟日記」によると、龍馬は直前の7月28日、東国より摂津神戸村に戻っている。
 同日記によると、その5日後の8月3日、薩摩の吉井幸輔とともに上洛した。松浦玲氏は4日の可能性も述べる(『坂本龍馬』67頁、岩波書店)。
 そんなわけで、8月1日に洛東で内祝言は困難。内祝言が事実としても3日以後。

 8月1日の直前、内祝言の場所になる青蓮院内金蔵寺境内は、元治甲子戦争(所謂禁門の変)の被災民が避難していてごったがえしていた。

 当日はわりとましになっていたが、ごたごたしたなかの内祝言だったのではないか。

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