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2014.05.22

「家族」が逝った

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 去る5月18日(日)午後7時前、「家族」の訃報を聞いた。

 17歳7か月強、高齢といえる。たまたま京都駅にいたのですぐ親元に行くことができた。近々あると予想していた。それが今日になった。両親の悲痛はいかばかりかと急いだ。とてもかわいがっていた妹は関東にいる。すぐは来れないはず。

 鶏肉の好きな子だった。人の食べるものを食すと寿命が縮まると聞いていたので、鶏肉を欲してもほとんどやらなかった。父はよくやっていた。思い立って、もよりの駅でケンタッキーフライドチキンを購入した。とりわけ好きな食品だったように記憶している。

 8時すぎに到着した。玄関で線香のにおいがした。弔いが始まっていた。やすらかな顔だった。苦しまずに逝ったそうだ。触れるとまだあたたかかった。まだ1時間半しかたっていない。母のそばで、母にも気づかれず静かに逝ったそうだ。母がケンタッキーチキンをひとつ枕元にそなえた。母は、もっと世話をしたかった、最後まで手がかからない子だったとなげく。とはいえ、老衰の子のここまでの世話は大変だったはず。

 食が細くなり、わずかの水しか受け付けなくなったら点滴が命をつなぐ。それを定期的にしていた。手間も費用もかかる。昨日はほんらい点滴日ではなかったが、思い立って行ったそうだ。そのあとで亡くなったのはせめてものだった。母も本日点滴に行かなかったら、もっと悔んでいたという。理解できる。

 関東にいる妹が帰ってくるという。乳飲み子をかかえているのに。9時半ごろ僕は一旦辞去。そのころ新幹線に乗ったという報をえる。ほとんど終電ちかくだな。思いの深さはもちろん知っているが、動きが早い。たいしたものだ。

 1997年1月からの「家族」を、家族全員で見送れる。なんと幸せなことか。帰りの電車内で17年間を思っていた。

 帰宅して、奥さんから、少し以前に奥さんの家の子を失ったときの話を聞いた。最後は苦しんだそうだ。いろいろと思った。

 妹が脚本を担当したNHKドラマに出演したことがあったことも思い出した。その写真が亡くなった枕元に飾ってあった。手がかからず、撮影の進行のさまたげにならなかったと聞いた。そういえば場の空気が読めたようだった。血統書付の子だったので、そういうことも関係するかと思ったものだった。

 20日(火)午前9時20分に荼毘にふした。10時に遺骨を拾った。その間の9時47分に僕の数珠が切れた。初めての経験なうえ、このタイミング。不思議なことだった。

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