« 上七軒勝瑠さんの引退を知る | トップページ | 平安京朱雀大路をあるいた »

2014.04.12

白川橋あたりの明智光秀塚の異同を考えた

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。

 本日午前中、イレギュラーに「『都名所図会』をあるく」を実施した。来週月曜日、都合がつかんから。イレギュラーなのに多くお越しくださる。感謝。

 青蓮院旧境内の金蔵寺跡から光秀塚、尊勝院、粟田神社、仏光寺本廟を巡検した。「都名所図会」が図示する光秀塚の位置は、現在地とことなり、白川橋三条の北東。

 現在地の至近に弘化2年(1845)の「東梅宮社、光秀墳」の道標があるので、都名所図会刊行の安永9年(1780)以後65年の間に新設されたものか?

(注:その後、参加者で友人の竹田滋広さんから指摘があった。

「都名所図会」の続編「拾遺都名所図会」巻二(天明7年〈1787年〉刊行)の「明智光秀塚」の項に経緯が記してあった。もとは粟田口の「黒谷道の東三町計(ばかり)にあり。光秀が首を此所に梟し所なり。近年、明田氏といふ人、此地に住しが、今又白川橋三条の南へ古墳と共に遷す」とあった。

竹田滋広さん、ありがとうございました。)

 至近の和菓子店で光秀饅頭を売っておられる。おススメしておいた。けっこう買われたもよう。

 本編の「都名所図会」はなぜか青蓮院を解説しない。不思議だ。

 午後、大津市歴史博物館の「湖都大津のこもんじょ学」展を観覧した。大津事件にどうも関心があるらしい。不思議に思っている。しかもどうも津田三蔵への関心らしい。

 中村直勝博士の旧蔵書印を久しぶりにみた。うちにもそれが押された書籍が1~2冊ある。ある時期、けっこう京都の古書肆で見かけた。同博士蒐集の源義経自筆書状に感じ入っていた。

 常設展で幕末の大津町の住宅地図といえそうなものがあることを知る。またこよう。

|

« 上七軒勝瑠さんの引退を知る | トップページ | 平安京朱雀大路をあるいた »