野宮定功の言い訳と容保の気持ち
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3月21日(金)
基礎からまなぶ日本歴史に出講。いつもと曜日がちがう。ラストツーである。小泉内閣が終わらない。
そのあと、くずし字研究会に出講。会津家臣日記を読む。足利将軍木像梟首事件、つづいている。会津家臣が武家伝奏の野宮定功を屋敷に訪ねた。病として断ったのをごり押しする。
いやいや出てきた野宮は、会津家臣から浪士を「正義の聞」えある者として釈放せよといったのは誰かと問われると自分は知らないと答える。
あなたの名前で発令した朝旨を知らないということはないでしょうと反論されると、自分は最近出仕していなかったからと返答する。でも大事なことなので無視できないから、明日将軍家茂が参内するおり出仕して、事情を調べて返事をすると応じた。
きわめて具体的なやりとりでおもしろい。このあと家臣たちは容保から呼ばれる。どんな処分でも受ける覚悟で黒谷にのぼると、私の気持ちだと酒の下賜が通達された。家臣たちは予期せぬことと喜ぶ。主従、よい関係である。
終了後、摂津西宮に向かう。幕末マニア巡検A班常連のU木さんが帰郷されるので、そのお別れ会。同じく常連N等さんの店で。キリン一番搾りの大瓶を10本近く用意くださる。しかも80年代アイドルの顔写真プリントされて。お気づかいに感激した。
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