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2014.03.27

佐久間象山暗殺をあるいた

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2014年3月23日(日)はれ

 幕末マニア巡検A班(新選組編)に出講。

 佐久間象山の嫡男恪二郎(三浦啓之助)が、父の横死後、新選組に入り仇討をしようとした。それにからんで佐久間象山横死現場を歩いてみた。

 なお新選組入隊については、会津家臣山本覚馬が強く勧めた。これは確実な話なのに、昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」では取り上げられなかった。惜しみてあまりある。

 横死当日、象山はまず三本木の西、禁裏の東にある山階宮晃親王邸に行き、そのあと富小路五条下ルの本覚寺に向かう。ここが象山の主君信州松代真田家の旅宿だから。弟子を訪ねた。なお主君真田幸教は12日前、京都に入り、仏光寺に陣している。本覚寺にはいない。

 その後、木屋町三条上ルに帰宅するが、その門前近くで襲われた。

 本日は、本覚寺から木屋町三条上ルまであるいた。ルートの復元はけっこうおもしろかった。途中各所で史料を読み、最後は「佐久間象山寓居址」碑の隣地の喫茶店で、新選組入隊後の恪二郎の史料などを読んだ。

 象山は死後まもなく真田家によって家が断たれた。その回復のためにも仇討は必要だったのだろう。なお明治3年2月22日に家は再興された。グレゴリオ暦にすると、1870年3月23日にあたる。すなわち今日。今日の巡検は、いわば佐久間象山名誉回復紀念だった。

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