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2013.09.06

9月5日までの中村武生の日常

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2013年9月5日(木)はれ

 すずしい日。もう日傘が不要になるかと思うと、すこしさみしい。

 午前中、NHK文化センター京都教室に出講。「もう一度まなびなおそう、日本史」講座。本日は平氏政権。平滋子(建春門院)の意義をつよくのべる。

 午後から京都新聞文化センターに出講。山本八重・覚馬がみた洛中洛外・幕末編。

 本日は薩長同盟・大政奉還時の会津の動きを論ずる。慶応3年4月(1867)になっても、容保は辞職願を出し続けていること、これを制するため参議叙任を勧められたことなどを述べた。新選組が6月に将軍慶喜の直参になることとこれはリンクするかもしれないなんて考えてみた。

 夕方、左足が痛み続けているので、3日連続整骨院に行く。先生、念入りにしてくださり、だいぶよくなる。帰宅したら、すでにお嬢は早々と寝たあと。夕食をいただいたあと、仕事が進む。

9月4日(水)あめ

 外勤なし。例のない財政上の不始末あり。心痛。

 夜、二日連続、山田邦和博士邸へ。仁木宏博士をまじえて、某出版物の検討会。いつもながら両先生の謦咳にふれ、つよい刺激をいただく。

 帰宅後、停滞している懸案の某に手を出す。

9月3日(火)

 基礎からまなぶ日本歴史に出講。先週の日本史ニュースは、①京都市上京区で金箔瓦が大量出土(前田玄以邸か)、②二条城二の丸唐門の修理完了、③醍醐寺古文書目録作成100年目・継続中、④京の富士垢離紹介(御土居堀にからめて)、⑤京都新聞窓欄投稿のおすすめ(中学2年生女子の投稿文を事例に)など。

 本編は、日華平和条約(1952年4月)、破壊活動防止法(1952年7月)など。

 夜、山田邦和博士邸で平安京・京都研究集会の準備会に参加。本年10月26日(土)に行われる「聚楽第の再検討」の件。現在最高クラスの聚楽城研究の成果が世に出ようとしている。末席につらねて、感激このうえなし。

9月2日(月)

 大雨。京都府大雨洪水警報出たし。

 毎週恒例の都名所図会をあるく、中止。六波羅に行く予定でした。

 午後からの中村武生日本史ゼミは実施。空中写真の判読つづき。つづけてくずし字の読み方。

 たった5人たらずの会なので、小回りがきく。受講者のとまどいに細部まで目が届く。これは理想的。みなさんもお越しになられませんか。まだ数名行けますよ。

 終了後、いつもの室町二条のブルービートで少し懇親。

9月1日(日)

 外勤なし。防災の日。東北地震・津波の特集番組を見て、気持ちが落ちる。

8月31日(土)はれ

 外勤なし。購入したてのパソコン(リブレット型)とキーボードのおりあいがわるく、奥さん・お嬢を同伴して購入店に行く。担当さんに調整してもらう。うまくいく。

 外で昼食すませ、単身奈良県立美術館に向かう。天誅組展最終日、観覧のため。 かなり無理した。が、やはり無理して行ってよかった。

 南朝の賀名生(あのう)皇居伝承地の堀家をたたえる文久3年8月22日(1863年)付藤本鉄石・松本奎堂宛酒井伝次郎書翰、

天辻帰陣を求める中山忠光の指令を伝えた、同月28日付中垣健太郎・小川佐吉宛鶴田陶司書翰、

パークス襲撃3日前、慶応4年2月27日(1868年)付三枝蓊書翰、など閉館ぎりぎりまで〈必死〉で筆写する。

 滞在たった1時間だったが、実に示唆を受けた。

どこにもよらず、近鉄特急で帰途につく。そのころ洛中大雨と情報をえる。当時、和州は降雨はなかった。どこから雨が降り始めるのか注意深くみていたら、城州久世郡・紀伊郡境の南、向島で降り出した。ひとつの基準になる。

 

 

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