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2013.07.28

【速報】文久3年から150年、紀念講演会(仮)を開催します

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 速報です。

「文久3年から150年」紀念講演会(仮)を開催します。

 本年は幕末の文久3年(1863)から150年目にあたります。

 新選組の結成、下関戦争、奇兵隊結成、薩英戦争、八月十八日政変(七卿落)、天誅組の乱、但馬生野の乱など多数の事件がありました。

 これらがおきた文久3年を考える、めずらしい講演会を行いたいと思います。

詳細はまた改めます。

 日時:来たる11月23日(土)午後1時30分~4時30分ごろ

 場所:キャンパスプラザ京都(京都駅烏丸中央口から西へ徒歩4分)

 内容:第1部講演:

     町田明広氏(神田外語大学)「八月十八日政変と薩摩藩」(仮)

     中村武生「坂本龍馬はなぜ新選組に入らなかったのか―『浪士取立』の可能性を考える」(仮)

     第2分対談:文久3年をどう位置づけるか、町田明広氏と中村武生が語り合う

 場所を変えて、第3部懇親会

以上 

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「坂本龍馬」の誕生の著者、知野文哉氏の講演会がありました

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2013年7月27日(土)はれ

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 『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院、2013年2月)の著者、知野文哉氏の講演会が、午後、洛東霊明神社で行われた。

 「龍馬にもっとも近い場所で、ほんとうに龍馬がしたことを考える」というタイトルどおりのすごい内容だった。

 「船中八策」をここまで考えた講演が過去にあっただろうか。最後のオチが平尾道雄だったのは、実に思い入れが深かった。

 そう、「船中八策」の物語を現在知られるように確定したのは、坂崎紫瀾でも岩崎鏡川でもなく、平尾道雄だった。うーん。

 参加者は40名ていど。青山忠正先生(佛教大学)をはじめ、奈良岡聡智さん(京都大学)など高名な研究者が多くおこしだった。知野さんのお仕事への注目度の高さを感じた。

 くわえて知野氏所蔵の逸品が多数公開された。

 明治天皇皇后一条美子が閲覧したと思われる、坂本龍馬伝の原稿そのものがあった。さすがに驚いた。これらを参加者は気軽にふれることが許されていた。

 まけじと(いえ勝てませんけど)、中村武生も私蔵の公文菊僊画の龍馬肖像画を持ちこんだ。

 2004年の花園大学歴史博物館の幕末展の初出品から全く未公開だった。

 霊明神社神殿の真横という最高の場所で、最高の龍馬論を聴けたわが龍馬像はとても幸せ者であった

※(同社神殿は龍馬の御霊の場所。京都霊山護国神社や靖国神社などの御霊はここからの分祀)。

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2013.07.26

御礼!

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 ご協力くださったみなさまに心より感謝申し上げます。

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天皇陵をあるく、お知らせ

天皇陵をあるく―「皇陵巡拝会」道標を求めて

第42回 惟喬親王墓・梶井宮墓(左京区大原)

日時:※日程変更しました!!本年7月31日(水)午前12時~夕方

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集合:地下鉄烏丸線「国際会館前」駅改札、午前12時までに

○小雨決行 ○参加費:千円(現地でお支払いください) ※交通費は自弁ください。

国際会館前駅京都バス12時26分に乗り、大原方面「野村分かれ」へ向かいます(約20分)。そこから徒歩で10分ほどです。その他、徳川時代の皇族梶井宮墓にもまいります。

※惟喬親王墓は平安時代前期、文徳天皇の皇子です。高い皇位継承者であり

ながら、政争により実現しなかった悲劇の人です。エピソードも多い皇子です。

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2013.07.21

人気ブログランキング11位に落ちました

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 人気ブログランキング11位に落ちました。

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2013.07.07

読売に僕のコメントが載ったことにつき

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2013年7月5日(金)はれ

 朝早く、近所のコンビニに読売新聞を買いに行く。「御土居『付け替え』跡」確認の記事に僕のコメントが載っていた。

そのコメントのうち、「御土居は江戸から明治にかけての都市化で大半が根こそぎ壊され」たという部分は誤りです。

徳川時代、東部の今出川通附近から五条通間の多くは消失しましたが、それ以外は、全域に新たに多くの道路新設を許したことをのぞき、町奉行所が大切に扱いました(都市民の生活の利便性を尊重はしている)。

明治に解体は始まりましたが、北部や西部はまだかなり残っていました。先の敗戦後でも、北辺の現北区鷹峯・大宮地区の部分はまだ残されていました。

現段階でも「大半が根こそぎ壊され」たかどうかは全域の発掘調査が行われておらず、事実かどうかは不明です。実際過去の調査で基底部の土塁は3ヶ所見つかっており、おそらくまだまだ残っているでしょう。

 御土居堀の歴史と地域ごとの特徴については、現段階では拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)がもっとも事実に即した叙述をしていると思います。が、もう刊行から10年ちかくたち、新刊が望まれます。

 午後、「中村武生のくずし字研究会」に出講。かわらず幕末会津の記録を読む。私的なことが多く、政治向きなことは、本日のところでは容保が慶喜のところへ行ったという1点だけ。兄の日記とは正反対。本日は4日分に立ち入った。

 終了後、研究室で懸案の原稿を1時間だけ叩き、整骨に行く。歴史好きの医師から本日は赤穂浪士の質問をされた。寺坂吉右衛門は討ち入りメンバーとは考えがたいと述べた(直前逃亡だろう)。食べ物の話題もふってこられたが、こちらは全く分からず。

 その足で内科医に行き、先日の血液検査の結果を聞きに行く。少しのどが痛かったし。血液検査、予想外に何の異常もなし。中性脂肪さえ正常の範囲。驚き。のどの痛みは少し風邪ぎみか。熱を計ったら微熱でこちらも驚いた。早く寝ろといわれた。娘の寝かしつけで原則毎日いっしょに早く寝るので(寝落ち)問題なしか。早く寝ます。

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2013.07.05

中村武生の1週間一挙公開

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6月28日(金)

 午後から「中村武生のくずし字研究会」に出講。引き続き幕末会津関係記録を読む。夜、山科本願寺・寺内町市民の会事務局の論文を読む会に参加。福島克彦氏が草野顕之氏論文を書評。終了後、福島さん、安藤弥さん、郡邦辰さん、島田雄介さんと懇親。

6月29日(土)

 午後、名古屋市の栄中日文化センターに出講。新選組講座。慶応3年6月、新選組の徳川家仕官とそれに関わる茨木司・佐野七五三之助ら4名の自刃事件などを扱う。終了後、受講者と懇親。ほんとうは桑名市の幕末展に行きたかったが、疲れた。

6月30日(日)はれ

 午後、幕末マニア講座A班(新選組)に出講。巡検。甲子戦争(禁門の変)における天王山の真木和泉を追うコース5回に分けてあるいている。今回は洛外に出たところ(城州紀伊郡東九条村)から竹田街道をとって伏見奉行所まで。休憩含めて3時間30分ぐらいだった。終了後、参加者全員と懇親。キリン一番搾りを飲ませ、80年代音楽のかかる店。

7月1日(月)はれ

 前夜から娘発熱、今朝39度1分まで上がる。午前10時、都名所図会をあるくに出講。寺町を鞍馬口から南下。上御霊神社、阿弥陀寺、十念寺、本満寺、浄華院(清浄華院)、盧山寺に参る。明日、清浄華院で講演がある。出てこられた職員松田健志さんと軽く打ち合わせ。娘、日中39度6分まで熱あがる。翌日10年ぶりに会う予定だった友人I谷T士さんとの懇親、延期してもらう。が、その後、通院・投薬によりおさまりつつある。

7月2日(火)はれ

 朝、娘の熱36度8分まで下がる。もう安心。

 読売新聞京都総局の二谷さん(女性)から電話。高倉七条で検出された徳川時代に付け替えられた「御土居」基底部についてコメントを求められる。

 昼から基礎からまなぶ!日本歴史に出講。いつもの1週間の日本史ニュース解説、および第一次吉田茂内閣。第二次農地改革、日本国憲法公布、傾斜生産方式、二・一ゼネスト中止など。

 午後3時、清浄華院に移動。大方丈で講演。「清浄華院にいたころの松平容保―池田屋事件前夜」。友人で同寺史料編纂所の松田健志さんからのお誘い。第5世向阿の忌日の一環で。向阿忌は、僕の師の一人である前法主伊藤唯真猊下が再興されたもの。誠にありがたい機会を頂戴した。

 終了後、参加者4人と池田屋騒動之址碑の建つ店で懇親。

7月3日(水)一時あめ

 午前、京都女子大学に出講。歴史地理学という科目。昨年末の聚楽城本丸南辺石垣列検出、およびその保存・公開問題を紹介する。

 終了後、共同通信の記者(女性)から大学に電話あり。前日に記した「御土居」基底部についてやはりコメントを求められる。

 午餐で立ち寄ったラーメン店でカサを忘れる。

 午後、一般向けに聚楽城武家地を案内した。前回のつづき。雨の危険のあるなか、意外と多くの新規の方がお越しになる。参加くださった豊臣期京都に詳しい郡邦辰さんからたいへんな示唆をうける。参加費をいただいてはいけないほどだった。

 二条城東大手門では旧知の受講者にばったり。案内をしておられる。板倉勝重・重宗邸跡碑、直江兼続邸推定地道標、毛利輝元邸跡推定地、宇喜多秀家邸跡、徳川家康邸跡推定地、中村一氏邸跡推定地、平安宮内酒殿跡井戸検出地、松林寺、聚楽城本丸南辺石垣列検出地、杉原寧(豊臣秀吉正室)居所跡推定地、豊臣秀勝邸跡伝承地碑などをあるく。

 聚楽城本丸南辺の石垣列が検出した地は、いま建設工事のまっただなかである。外から普通にのぞけたので写真を掲示しておく。西側から。石垣を公開した昨年12月24日の同じ場所の同じ角度の写真もあわせてのせておく。石垣列は地下に保存した由だが、まったく封印された状態だ。

 途中、直江兼続邸推定地道標のそば、既知の喫茶店「チタチタ」でお茶会実施。

 終了後、四条烏丸に移り、NPO法人京都歴史地理同考会理事の一部と臨時の打ち合わせあり。この間、京都市中ではゲリラ豪雨。運よく避けられた。

 

7月4日(木)あめ

 午前、NHK文化センター京都教室に出講。もう一度まなびなおそう、日本史。今回は院政と保元の乱。「叔父子」問題について、角田文衛氏(故人)の旧説と美川圭氏の新説をご紹介。

 雨のため、午後から予定していた豊国社跡と大仏跡巡検を中止する。やっとカサを買う(家から持ち出さなかった)。午餐は裏寺町の「喜の家」でひとりお好み焼き。この間に雨がやむ。たまたま立ち寄った四条河原町のブックオフで、受講者である京都女子大学文学部史学科2年生Oさんにばったり。せまい社会だ。カサ結局ほとんど使わず。晴れ男の面目躍如である。自分を信じて買わなきゃよかった。

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